127 カエルのクロールにゃ呆れカエル
「狐火ちゃん、いらっしゃい!」
ボオオォォォ!
アリスが使役した狐火の炎が、草原をうろつく死ビトの頭部を焼き尽くす。
早くも幻獣を……と言うか、早くも入れ替わった俺の身体を使いこなしているなと感心しながら、俺は前方を虚ろな目で彷徨っている死ビトに対して腕を構える。
「男気アイス・アロー!」
ズシャーー!
入れ替わったアリスの身体で撃つ氷の矢。
その軌道は死ビトの頭部を大きく外れ、後ろの木の幹に勢いよく突き刺さる。
「くそっ……意外と難しいな……!」
まるで大海原に浮かぶ木の板の上から、同じように海面を漂うパイナップルを狙っているような感覚。
そして、それに加え――
「脳を直接揺らされているような……乗り物酔いみたいな感覚だ……」
一発撃っただけでこれかよ……。あいつ、よくこんなのに耐えられるな……。
あるいは、豊富なマナに守られて感じないのかもしれない。もしくは、バカだから感じないという線も。
先が思いやられる。
アリスの身体で叶えたい4つの事があるとはいえ、ゴブリンの本拠地に招かれるという珍事を入れ替わったままこなさなくてはならないのは、好奇よりも懸念が大きく勝る。
「杖の逆側で叩いたり色々やってみたけど、元に戻らなかったからな……時間で戻る系ならいいけど……」
呟きながら狙いを定める。ひらいた右手に集中し、今度は中指を照準にして発射してみる。
「ここだっ……! 男気アイス・アロー!」
しかし、大きく外れる。
「ここだっ……じゃないわよ! 後ろ、来ているから気を付けて!」
アリスの声で慌てて振り返る。数メートル先に、顎が砕けて乾いた上唇を震わせている死ビト。
腰のダガーを抜き、同時に距離を取りながら右手をその上空に向ける。
「男気アイス・キューブ!」
*
「ショッピングモール周りの死ビト、大体片付いたな……。やっぱ雨の後だから多かった……」
草原の岩山に座って一息つきながら俺は言った。
アリスは死ビトが残した月の欠片をせっせと広い、赤いリュックのポケットに少し乱暴に投げ入れた。
「久しぶりに、1体から2個も月の欠片ドロップしたわよ! 幸先はよさそうね!」
「ああ。ガチャガチャやらショッピングモールHP回復で、すっからかんだからな。また欠片貯金しとかないと」
「でも、ショッピングモールレベル4に上がったし、私達の異世界生活は順風満帆そのものでしょ!」
手頃な岩の上に飛び乗り、離れたショッピングモールに目を向けながらアリスは言った。
「お前はポジティブだな……。レベル4になってもスキルポイント足りなくてスキル取得出来ないから、3でも4でも変わらんだろ」
「あなたがネガティブなのよ、3より4の方がいいに決まっているじゃない!」
そう言うと、アリスは岩から飛び降り、しゃがんで休憩しているゴブリンへと駆け寄った。
「まあ……確かに、数的には3より4の方がいいな」
俺はショッピングモールの空に浮かぶ四の月を見上げながら言った。
三角形の建物に赤い月……それと、鳥が多く生息している池と、シルフ族が管理している花畑。
ここからだと、それらが一望出来た。とても美しい景色だった。
俺は風景を写真に収めようと、ボディバッグからスマホを取り出し構えた。
「……おいアリス。なんで写真に写ろうとしない」
「入れ替わったあなたの身体で写って良いの? 邪魔じゃないかしら?」
なるほど、確かに邪魔だな。俺みたいな冴えない男が割り込んでいいような風景じゃない。
「って、誰が冴えない男だ!」
「あなた、突然なにを言っているの」
まあいいか。と、大人しく写真を一枚。
そして撮影したばかりの画像を見ていると、ある事に気が付く。
「花鳥風月……か」
手のひらの800万画素の事ではなかった。
それはショッピングモールが佇むこの地の事であり、『花畑』、『鳥の池』、『風の精霊の隠れ家』、そして、『空に浮かぶ3つの月』が揃い踏むこの場所の事だった。
「どうりで美しいわけだ……」
その『風』担当のシルフ族であるチルフィーは仕事があるようで、俺達が荷物を纏めて出発する前に隠れ家へと帰っていた。
明日は領主を訪ねにハンマーヒルに向かうので、それならば向こうでまた合流しようと言っていた。
「また、スプナキンがいるか目を配っとかなきゃな」
俺は俺を置いて歩き出したアリスとゴブリンを追い、アリスの身体の短い歩幅をフル稼働させた。
*
どうやってショッピングモールまで来たんだ? と尋ねると、ゴブリンは小舟でやって来たのだと答えた。
ファングネイ領からこのミドルノームの地に来るには、ハンマーヒルの北にある『トールマン大橋』を渡らなければならない。が、昔は小舟で往来していたとアナも言っていた。その小舟をゴブリンが隠し持っているようだ。
午前の終わりに射す陽が、続けて口を開こうとしているゴブリンの緑色の後頭部を照らす。
「それはそうとして、人の男、それと人の女。ゴブにはマブリという立派な名前があるゴブ。ちゃんと名前で呼んで欲しいゴブ」
「可愛い名前ね! じゃあ、私の事はアリスお嬢様と呼んでちょうだい!」
草原の高い草にチョップをしながらアリスは言い、それに続いても俺も本名を告げた。
……の後に、魂が入れ替わっている事も一応言っておいた。
「魂の入れ替わり……奇怪な事もあるもんゴブね。じゃあ、今は人の男がアリスで人の女がウキキでゴブか。よろしくゴブ」
隣を歩くマブリは俺とアリスの入れ替わりの件はサラっと流し、しかも俺の名は速攻でウキキへと変わった。
「ま、まあウキキでいいか……。で、その小舟はどこにあるんだ? このまま進むと森だぞ?」
「森を突っ切って行くゴブ。本当は小橋を渡りたかったゴブが、一昨日の豪雨で決壊していたゴブ」
「ああ、雨エグかったもんな……」
森の緩い土を避けながら首を縦に振ると、少し先にある大きな水溜りまで突然マブリが走り出した。
「雨蛙ゴブ!」
クロール中の蛙は瞬く間に捕えられ、そして食された。
それを一部始終目撃したアリスは、俺の甘いマスクを見た事も無いような表情に変化させ、
「ギャアアアアアアア!」
と、いつもより低い絶叫を森に響かせた。
「俺の顔と声で悲鳴をあげるな……。なんか気味が悪いだろ」
――同感じゃ。気色悪くておちおち寝てもおれんわ。
ああ、7年後の俺の嫁が起こしちまったか、悪いなクリス。でも間違えるな、気色悪いじゃなくて気味が悪いだ。
――うぬのその語りで、『気持ち悪い』に変わったわ。
クリスは俺の背中のボディバッグを自ら開け、語りながらスルリと飛び出した。
「……って、なんでお前いるんだよ! いつの間にボディバッグに入り込んだ!」
――うぬが前髪ぱっつん娘の身体を愛でている間じゃ。
「人聞きの悪い事を言うな! あれはマッサージだ!」
アリスの為に、おっぱいマッサージをこの身体にしていた事を言っているのだろう。
医学的にも証明されているれっきとしたマッサージである。それをイヤラシイ事だと捉えるとは、所詮は大狼も犬畜生。天国のフェンリルや両親の為にも、俺がキチンと教育してやらねば。
「あらクリス! ついて来ちゃったの!?」
泥濘をさけて地に足をついたクリスに、アリスが飛びつくように駆け寄った。
と同時にクリスはアリスに対して大きく口を開き、痺れが治ったと言っていた右手にパクリッと噛み付く。
「うふふ。この人の身体でも魂は私だと分かるのね。こんなに目を剥き出しにして、嬉しそうに唾液をダラダラと垂らしちゃって」
「いや、魂レベルで嫌われているだけだ」
それから森を抜け、小舟に乗り、小さな海岸の洞窟に辿り着くまでの間、クリスはアリスの右手に噛み付いたままだった。
――わらわだけ、またお留守番なんて嫌じゃ。
シュールなペットキャリー方法を目の当たりにした俺の脳内に、少々寂しそうな語りが届いた気がした。
が、気がしただけかもしれない。