114 衣手の先の赤
本陣の近くの小高い丘の上にソフィエさんはいた。
巫女装束を纏い綺麗な姿勢で立っている彼女の後姿は、陽に当たって更に赤々しくなっている髪色も相まって、少し近づきがたい雰囲気を醸し出していた。
その神々しさを緩和するように、ふんわりとした髪の毛先を風が掠る。
彼女は俺達に気付いていない様子のまま、そのいたずらな風で舞うショートボブを両手で押さえ込んだ。
微笑んでいるのか、憂いでいるのか、悲しんでいるのか、或いは怒りを露わにしているのか。
ゴブリン討伐の地に、送り人として着任しているソフィエさんの隠れている表情を俺は考える。
しかし、見えない物はどう頑張っても見えない。恐らくアリスかユイリが声を掛けたら、すぐさま振り返って優しい表情を浮かべるだろう。
だが、今現在の表情はどうなのだろう。
親しい人に向けるでもない、ただ丘の上に立って向こう側を見つめている彼女の表情を、俺は知りたく思った。
「ソフィエ! こんな所にいたのね!」
アリスが無邪気な声を上げる。
それに対して振り向いた彼女の表情は、やはり俺の思った通りのものだった。
「アリス! それにユイリ!」
……俺は!?
「それと……ウキキ!」
俺の愛称の名付け親は、やはり猿のように俺の名を呼んだ。
振られている手元で揺れる赤いシュシュは、赤く輝いている髪色よりも更に赤かった。
*
『お昼はまだ?』と言うソフィエさんの問いに、『まだよ!』とアリスが答えた事により、俺達は大きな丸いテントの中で昼食を頂くこととなった。
ラウドゥル達に荷を奪られて食糧事情が少し心配だったが、細長いテーブルに運ばれた品々を見る限りは大丈夫なようだ。もっともゴンザレスさんも、『急を要したのは糧より、作業の人手だったらしいのう』と言っていたので、俺が兵士の食料を心配するのは大きなお世話と言ったところかもしれない。
「ソフィエ……これはなに?」
俺の前でソフィエさんと並んで座っているアリスが、細切りされた赤い野菜を上品にフォークで刺しながら言った。
「それはブルトルッツァだよ? アリス達の世界にはないの?」
「ブットルア? ……聞いた事がないわね。あなた食べてみてちょうだい」
そう言って刺したフォークを俺の口元に向けるアリスもアリスだが、つい素直にパクッと食べてしまった俺も俺だろうか。
「……これは、歯ごたえがエグいピーマンだな」
「やっぱりピーマン族の系譜だったのね。危ない所だったわ……」
アリスは怪訝な表情を元に戻し、俺の皿にピーマンもどきをせっせとフォークで運んだ。
「いや、食えよ……。お前ピーマン嫌いだったのか」
「野菜ジュースで栄養は補うからいらないわ。それより、ショッピングモールスキルで翻訳されているはずなのに、通じない言葉もあるのね」
「元の世界に無い言葉は翻訳しようがないんじゃないか? ……ってか、そういや逆に、『三送り』や『四併せ』はスキル取得する前から通じてたよな」
まあ、元の世界の異なる言語を持つ国同士でも似たような事象はあるらしい。
なので、稀によくある事……として片付けておいて問題ないだろう。多分。
……被る言葉と言えば、被る文化が多いのも気になるな。まさか、そのうち俺達の目の前に自由の女神が現れるとか無いだろうな。
と考えていると、既にトークテーマは変わっているようで、アリスの問いにソフィエさんがナプキンで口元を拭いてから答えた。
「ユイリならファングネイ兵団の団長さんの所に行ったよ?」
「あら、そうなの? 桃太郎も読んであげたかったのに残念だわ」
アリスは本当に残念に思っているようで、本が入っている赤いリュックをパンパンと叩きながら眉をハの字に曲げた。
『なんの取柄も無いただの裏姫ですが』
不意に、先程ユイリの口から発せられた言葉が脳裏で再生された。
まるで自分を卑下するような、蔑むような、貶すような。そんなニュアンスが含まれたユイリの一小節がずっと気になっていた。
なので――
「ソフィエさん……裏姫ってなにか知ってるか?」
思い切って聞いてみた。
「裏姫? 落とし子の子供の事だよ?」
思いのほか、ソフィエさんは軽く答えた。重力に少しだけ逆らるという魔法を口元にでも掛けているのだろうか? そう考える程に軽い返答だった。
そのセクシーでプルンプルンな唇が、追い打ちを掛けるように続けて動く。
「あっ……ユイリに聞いたの? あの子、その事はあまり人には言わないみたいだけど、ウキキ達に言ったって事は信頼してるんだね!」
「友達ですもの! ……と言うか、落とし子ってそもそもなによ」
アリスの疑問には代わりに俺が華麗に答えた。
身分の高い男性が正妻以外の女性との間に作った子供……。と懇切丁寧に説明すると、
「じゃあ、タツノオトシゴは龍がお嫁さんじゃない龍と作った子って事!?」
と、どうでもいい疑問を上乗せした。
「……お前は1人で逆から浦島太郎でも読んでろ、話が進まん。あとピーマンもどきを食え」
「そうだよアリス! 嫌いな物でもちゃんと食べないと大きくなれないよ!」
「わ、分かったわよ……。ソフィエのようなおっぱいになれるのなら……」
アリスは一度フォークの頭を皿に乗せて置き、そのままソフィエさんの胸を鷲掴みした。
その突拍子もない行動にソフィエさんは顔を赤らめ……る様子もなく、アリスにフォークを持たせて俺の皿に運ばれたピーマンもどきを食べさせた。
羨ましいっ……! しかも動じない所を見ると、ソフィエさんはアリスに揉まれ慣れてるみたいだ……!
森の村のお風呂で揉みまくったのか! くそっ、俺も女子だったら……。
しかし、そんな事を考えながらもあくまで表情はジェントルマンで。
俺はその最近マイブームの標語を厳守しつつ、女子のかしましトークに合わせて発言をする。
「そうだぞアリス、未来アリスの残念なお胸様――」
ついうっかり口を滑らす。
しまった、未来アリスの事はまだ機密事項だというのに……。
しかし、目の前の女子2人はそもそも俺の話を聞いていなかったようで、ピーマンもどきを完食したアリスの頭をソフィエさんがにこやかに撫でていた。
「偉いよアリス! ブルトルッツァは身体に良いんだよ!」
「ブルアアアァッってピーマンよりも苦いわ! お水をちょうだい!」
全然言えてないなアリス……。
ってか、裏姫の話を続けたいんだが……。
それから数十分後、モンゴルのゲルのような丸いテントの扉を開けて人が入って来た頃、ようやく俺は裏姫の詳しい意味を知る事が出来た。
女の子なら『裏姫』、男の子なら『影彦』や『裏太郎』
それらが落とし子の次の世代、つまり子供の呼称であるらしい。
昔は蔑む意味で使われた言葉だったようだが、今はその事を気にする者はあまりいないみたいだ。
もっとも、それでも当事者の心の中には深く落とし込めらている事柄なのかもしれない。
落とし子の娘である裏姫のユイリ。
彼女の控えめな性格や遠慮がちな笑い声は、それを気にしての事なのだろうか。
次に会った時は心の底から大笑いさせてやりたいな……。俺は、そんな事をただ思った。
「ユイリ、同期がいないから寂しいみたい。アリスもウキキも仲良くしてあげてね」
『あの方はわたしの憧れです!』
ユイリがそう評していた送り人の先輩であるソフィエさんは、悲し気な笑みを浮かべながら言った。
「当り前よ!」
アリスが反射的に一言だけ返す。
俺もそれに続いて肯定の意を示すと、ソフィエさんはテーブルの上で俺とアリスの手を握り優しく微笑んだ。
「みんな友達だね!」
変わらない笑みでそう言ったソフィエさんの赤いシュシュは、ブルトルッツァよりもやっぱり赤かった。