112 時つ風吹かせし君
午後の日差しがゴンザレスさんのスキンヘッドを照らしていた。
思わず手のひらで反射光を遮ってしまう。しかし失礼かと思い、俺は慌ててその手を腰のダガーに伸ばして体裁を保った。
「あら、また新しいダガーを貰ったの?」
「ああ、レリアの従者のは刃が折れちゃったからな、ゴンザレスさんが新品同然のをくれたわ」
アリスの問いに答えながら鋼鉄のダガーを抜き、握り心地を確かめた。
ミドルノーム兵団の支給品らしいが、柄のグリップは正直レリアの従者の物の方が握りやすいように思える。
「捨てないでボディバッグに一応いれてるけど、あの柄とこの刃を合体させられないかな」
と呟くと、前を歩く光源体がバッと振り返った。
「この馬車が次に出る物じゃ。ワイは任務があるから本陣には行けんが、ソフィエに会ったらよろしく伝えちょくれ」
「了解しました。……まあ顔を見てアリスの気が済んだらすぐに戻りますんで」
「またねゴンザレス!」
アリスはフワリと飛び跳ね、ゴンザレスさんのスキンヘッドに触れてから言った。ご利益の程は充分見込めそうだ。
『ガハハハッ』と豪快に笑いながら小屋に戻るゴンザレスさん。その後ろ姿に視線を向けたまま、俺は先程聞いた話を口にした。
「ゴンザレスさん……今はミドルノームの兵士だけど、グスターヴ皇国の出身だったんだな」
「ラウドゥル達の同郷者なのね。色々話が聞けて、冒険手帳の厚みが増したんじゃない?」
「まあな……。って、お前は途中で飽きて遊んでただろ」
俺はアリスとともに客室の座席に腰を下ろし、冒険手帳をパラパラと捲った。
そして、ゴンザレスさんに昨日の出来事を話し、その後に聞いた事を記入したページで指を止めた。
グスターヴ皇国……。
そして、月光龍に焼かれて滅んだこの亡国の再興を目指すラウドゥル達……。
双子の皇子のうちの1人は生きてて集落で暮らしてるっぽいけど、その話は導術師が遮ったぐらいだし、しない方がいいよな……。
窓から外の風景を眺めながら考えていると、アリスが俺から手帳を奪い取る。
「召喚士を多く輩出した国とも言っていたわね。アメリア・イザベイルもこの国の出身だったんでしょ?」
「ああ、そう言ってたな。アメリアも皇族の人間で、しかも双子だったんだっけ?」
「そうよ。双子の妹はアリシア・イザベイルと言っていたわ。……あなた、重要な事なのにメモしていないのね」
そう言うと、アリスは俺のボディバッグからペンを取り出し、綺麗な文字を手帳に綴った。
アメリア・イザベイルとアリシア・イザベイルか……。
ラウドゥルは皇室に双子が産まれると龍が産声を上げるって言ってたけど、この2人の時にも龍が天空に現れたのかな。
フェンリルとともにアラクネを封じた伝説の召喚士……それがアメリアの雷名だっけか。他の逸話もあるなら聞いてみたいな……。
「はい、書けたわよ」
アリスは手帳を広げて俺に向けながら言った。
小学5年生には到底書けそうもない漢字とともに、1ページ丸々使ってビッシリとイザベイル姉妹について記入していた。
加えて――
「……イラストはいらんだろ。ってか見た事ないのによく描けたな」
「アリシアの顔は知らないけれど、アメリアは見たじゃない」
あっ、そうか……。アラクネの胸頭部を突き破って現れたんだったな……。
「あれはただの躯だったけれど、とても綺麗だったわね。……生きている間に会ってみたかったわ」
「そうだな……。その血を引いてる皇子にも会ってみたいけど、集落の場所聞いてないしな」
亡国の双子の片割れである皇子。
そのご尊顔をただ拝見してみたいというのは、少々不謹慎だろうか?
そう言えば、俺のミーハーはかなりのものだった。
あれは確か刑事だった伯父の話を聞いた小6の冬。本当に警視総監の顔がムーミン谷の住民に似ているかを確かめる為に、俺はお年玉をはたいて東京まで行き、意気揚々と桜田門駅の改札を抜け――
「あっ! 誰か来るわよ!」
「……え? ああ、他にも本陣まで行く人がいるのか」
思考を途中で遮られた脳が慌てて走って来る人物を認識した。薄紫色のサイドテールを揺らす愛しのハーフエルフちゃんだった。
「あれ、ユイリじゃないか」
「知っているの? 綺麗で可愛い子ね、私の隣に座っても様になるわ」
思った通りの賛辞をアリスが送った直後、ユイリはなんの窪みも無い場所でステーンと前詰まりになって転んだ。
「っ……!」
その瞬間、巫女装束の長いスカートのような行灯袴が捲れる。
まるで動画のコマ送りのように袴の裾はゆっくりと捲れ、隠しているユイリの下半身を露わにしていく。
その刹那――
「ぐわっ……!」
アリスの小さな手が俺の視界を塞ぎやがった。
「パンツ見たら可哀そうでしょ! 見ちゃ駄目よ!」
「うおい! 離せこの野郎!」
思わず怒号を響かせ、俺は咄嗟にアリスの手を振り払う。が、既にユイリは起き上がっていて、行灯袴の裾を手で払っていた。
「くそ、ラッキースケベし損なった……。何色だ? せめてそれだけでも教えろ!」
「黒よ! レースも着いていたわ!」
ほう。清楚な巫女装束を纏う大人しそうな少女が黒のおパンツ様を穿くかね。
これは特筆しておくべき事柄であるな。赤ペン赤ペン……。
と、冒険手帳に新たに記入していると、馬車まで駆けたユイリが息を切らせながら客室に足を踏み入れた。
「すいません遅れました!」
ユイリが言うと、御者と客室の間の小さい窓を叩く音がすると同時に、御者の遠い声が聞こえた。
「これは定期便だから出発はまだですよ。そんな慌てなくても平気です」
「あわわっ……すいませんそうだったんですか!」
ユイリは御者の声をよく聞く為……或いは、自分の声をちゃんと届かせる為、小さな窓に顔を近づけてから言った。
ゴツンッ!
そして近づけすぎ、鼻を窓ガラスにぶつけた。
「いたたたた……」
それを黙って見ていたアリスが立ち上がり、自分の隣に座るように促しながら口を開いた。
「ズルいわ! 可愛い上にドジっ子って、私にはないチャームポイントじゃない!」
「ず、ズルいんですかわたし……。すいません」
「いえ、こいつの言う事は気にしないでください。また会いましたね」
俺は紳士的な笑みを浮かべながら、鼻を赤く染めたユイリに優しく言った。
「ヒッ……! う、ウキキさん……良かった、無事だったんですね。アナさんが凄く心配していましたよ……」
「らしいですね。でも俺の名はウキキではありません。ユウキです」
「そうなんですか? みなさんそう呼んでいるので、正しいのかと……」
と話していると、俺達のやり取りを見ているアリスが俺の後頭部にチョップを繰り出した。
「なんで2人して敬語なのよ。とくにあなた、凄く気持ちが悪いわ」
いや……ヒッっていう拒否反応を示されたから、なんとなく敬語になっちまうんだよな……。
アリスはしかし、聞いた割には俺の考えはどうでもいいようで、ユイリに握手を求めながら続けた。
「私は園城寺アリス。スーパーお嬢様プリティー大魔導士召喚士よ!」
ユイリはアリスの手を握ってから軽い自己紹介をし、それから2人でお喋りを始めた。
どうやら警戒心は俺だけに向けられているようで、アリスと話しているユイリは数分後には顔の緊張が解け、楽しそうに笑っていた。
くそ、話しに入れねえ……。俺だってハーフエルフと仲良く話したいのに……。
段々ばつが悪くなって来たので、俺は別に1人だけ黙ってても寂しく思わないクールな男だぜ?
という風に見えるように頬杖をついて窓の外に目を向けた。
あれ……チルフィーがいる……。
窓から見える風景の一部を彩っているチルフィーは、辺りを見回しながら人ごみの中を飛び回っていた。
なんか、誰かを探してるように見えるな……。もしかしてスプナキンを……?
緑色のポニーテルを揺らしている表情はなんだかとても一生懸命で、俺の心を強くギューッと握った。