108 人の叡智
比較的浅い洞窟のなかにラウドゥル達のアジトはあった。
しかし、なるほど仮住まいらしく、寝床は麻を敷いてあるだけの簡素な物で、食卓とは呼べそうもない平たい岩の上に陶器のグラスやら皿が散らばっていた。
両手を縛られている上にボディバッグも取り上げられているので時間を確認する事は出来ないが、恐らく馬車が横転してから1時間半ほどが過ぎていた。
アナ達が俺達の不在に気付き現場に戻れば何が起こったか察するとは思うが、これだけ時間が経っても救援が来ないところを見ると、その望みは薄いかもしれない。
かと言ってアナを責めるつもりもなく、むしろ心配に思った。
ゴブリン討伐の中継地の設営が任務とは言え、その邪魔をしようとゴブリン達が再び襲って来ないという保証はどこにも無い。
「まあ、アナなら大丈夫かな……」
つい考えが口から漏れると、
「なんだ小僧、女の心配か?」
坊主の大男が俺の声に反応し、持っているスプーンでペチペチと俺のオデコを叩いた。
う、うぜえ……。
「やめろ……。また団長にどやされるぞ」
大男の隣の小男が諭す。
「ケッ……。荷を奪っておきながらケガ人は治す、中途半端な団長様なんてよ……」
それにより、俺のオデコは更にいい音を放つ打楽器となる。
まあ、御者の治癒が終われば約束通り俺達は開放されるだろう。
今下手に動いて、樽の中のアリスとチルフィーに危害が及ぶのはなんとしても避けたい。
楽観的かな……。でも、ラウドゥルの言葉に偽りはないように思える……。
あまり初対面の相手を……しかも拉致した相手なので尚更だが、とにかく初対面の相手を信用しない俺だが、ラウドゥルの『オレ達は盗賊じゃない』という発言と眼差しだけは信用出来た。
そのラウドゥルは洞窟の奥に御者を連れて行き、既に10分程が経っていた。
あんだけのケガを治せる人がいるのか……。
導術師ってさっき言ってたけど、それが中にいてヒーラーみたいな魔法が使えるのか?
この異世界でヒーラーなんて見た事ないし、アリスは攻撃魔法ばっかだしな……。
俺は洞窟に運ばれた樽に目を向けた。
そこには、不自然に浮いている蓋の隙間からこちらを見つめている大きな瞳があった。
バカッ……! 顔を出すなバレるだろ!
俺の念が伝わったのか、樽の中のアリスは静かに顔を沈めた。
と思ったら、小さな手がニョッっと飛び出し、小指が立てられた。
立てる指間違ってるぞ……! ってか、親指立てられたとしても不安過ぎる……余計な事するなよ!
「ん……? どうした小僧。奪った糧を食いたいのか?」
大男が俺の視線に気付き、樽や食料の方向に顔を向けてから立ち上がった。
そして近づくと、おもむろに樽の蓋に手を伸ばした。
「っ……!」
俺は縛られた両手を大男に向け、いつでも幻獣の使役を行える態勢をとった。
上手く手のひらの照準が合わなかったが、アリス達に危険が及ぶならそうも言ってはいられない。
すると――
「おい、糧に手を出すなと言っているだろ」
同時に奥から姿を現したラウドゥルが大男を制した。
「……俺達は命を張ってんのに、しけた飯で我慢しろって言うんですかい!」
「そうは言っていない。集落まで我慢して、みなで分け合おうと言っているんだ」
その瞬間、大男のいかつい手が腰の剣に伸びた。
「止めろ、抜いたら終わりだぞ」
ラウドゥルの指先が大男の額を捉えると、
「……ケッ! せいぜい正義の義賊団ごっこでもして愉悦に浸ってろ!」
と言い放ち、数名を引き連れて洞窟の入り口へと向かった。
「おい、どこに行く? 使命を投げ出すのか」
「一角ウサギか猪でも狩って来まさぁ! あんな飯で満足出来るようなヤワな身体じゃないんでね!」
……おいおい、俺達を開放するまで仲間割れは止めてくれよ?
大きく音を立てながら立ち去って行く大男一行を眺めながら考えていると、ラウドゥルは溜め息をつきながら俺の隣に腰を下ろした。
俺も合わせて小さい岩の上に座り、ラウドゥルの口が開くのを待った。
「御者の男の治癒はもうじき終わる。動けるようになったら、樽の中のお嬢ちゃんを連れてさっさと去れ」
開いた口から発せられたのは、予想外のセンテンスが含まれるものだった。
*
洞窟の奥には、ござに横たわる御者の姿があった。
その少し隣に、同じように寝かされていながら白いシーツのような物を掛けられている者がいた。
少し近づくと、それが生きている人間ではない事に気が付いた。
「……死んでるのか?」
「ああ、死んでいる」
俺の問いに簡潔にラウドゥルが答えると、御者の大腿部のケガに手を向けている男が振り向いた。
「治癒はこれで終いです」
そう言うと、男の手が強い輝きを放った。
そして輝きは御者の患部に伝わり、やがて吸収されて静かに消え去った。
「ヒーラー……。導術師なのか?」
ショッピングモールの噴水の水もさることながら、ケガを治す魔法なんていうものも実際に目にすると驚き以外の感情を表に出すのは難しい。
「そうだ、今では珍しい導術師だ。下手したら送り人より少ないかもな……」
どうりで今までヒーラーを目にしなかった訳だ。
この異世界では元の世界のゲームのように、おいそれとヒーリングとはいかないらしい。
「こっちは、導術でも助からなかった者だ。昨日死ビトにやられた……。槍の扱いに長けた勇ましい若者だった……」
「だったって……。三送りしないでいいのか!?」
ラウドゥルの目には、悲しみ、哀れみ、怒り……様々な感情が込められていて、次に口を開く頃には怒りの感情が先行しているように見えた。
「当然してやりたいさ……。しかし、荷台に乗せてハンマーヒルの送り人結盟に向かっても首を横に振られるだけだった。集落の小汚い男を三送りする義務も余裕もないんだとさ……。あいつらは国から金を貰って喜んで軍隊に送り人を同行させるが、その辺の死体には見向きもしない。金なら定められている金額ぐらい払えたんだ……」
「見向きもしないって……それじゃ、死ビトが増える一方じゃないか……」
「ああそうだ、増える一方だ。オレ達のように金も地位もない者の死ビトがな」
ラウドゥルは拳を洞窟の地面に叩きつけた。拳頭から血が滲み出る。
「ウキキ、お前は今までに貴族のような恰好の死ビトを目にした事があるか?」
「き、貴族の死ビト……?」
思い浮かべたが、確かに貴族を連想するような死ビトは見た事がない。
せいぜい、値が張りそうなフルプレートアーマーの死ビトぐらいだろうか。
「ないだろ? そりゃそうさ、貴族や金持ちにはお抱えの送り人がいるからな。四併せに遭うのは貧乏人か人知れず死んだ者ぐらいだ」
……そうか、ソフィエさんはラウドゥルみたいな人の為に、想像を絶する試練を経て流浪の送り人になったのか。
「でも……ソフィエさん――」
「そんな人の為にソフィエは流浪の送り人になったのよ! まるで送り人全員が金のモンジャみたいに言わないでちょうだい!」
先に言われた。
「って、アリスは樽の中に隠れてろ……大男達が戻って来たら厄介だろ。あと、モンジャじゃなくて亡者だ」
「どっちでもいいわ! それより、大事なのは今なにをするかって事よ! 早く三送りをしてもらいにソフィエの所に行くわよ!」
「ソフィエさんの所……ゴブリンの討伐地か……」
前向きで優しくてバカ。いつだってアリスは俺より先を見ている。
確かに、今するべき事は悲観に暮れる事ではなく、希望を抱いて進む事かもしれない。
俺はアリスの頭をポンポンと叩いてから、ラウドゥルに視線を投げた。
しかし――
ラウドゥルの目に希望が宿る事はなく、
「もう遅い……」
と虚ろな目で呟いた。
その視線の先には、白いシーツを覆う黒いモヤモヤ。
「っ……!」
黒いモヤモヤは段々と若者の全身を包んでいく。
それを見て、俺とアリスも言葉を失った。
「死後、24時間とちょっと。四併せが始まってしまいましたね」
唯一、導術師の男が変わらぬ表情で口を開いた。