105 少し食い気味且つ明快
ハンマーヒルを訪れて2日目の夕暮れ時。
俺とアリスはアナに案内してもらい、街を見学していた。
ヨーロッパの古い街並みのような景色が並ぶハンマーヒルには高い時計台があり、その天辺にある鐘が夜の訪れを告げるように高い音を響かせた。
「いい音でありますね!」
チルフィーがアリスの周りを飛び回りながら言うと、なにかを発見したらしくアリスの頭に着地してから、
「アリス! あれを見るであります!」
と視線を進んでいる先に誘導した。
「大きな橋ね!」
アリスは駆け出し、そのまま白い石橋の中央の手すりに手をついて、下を流れる水路を身を乗り出して眺めた。
「そんな乗り出すと危ないぞ」
俺は足早にアリスの隣まで歩き、白いミニスカートがヒラヒラとなびいているお尻の上を支えながら言った。
「見たわね?」
「見てねーよ……。ってか黒タイツ穿いてるじゃねーか」
と話していると、アナが街の一方行に目を向けた。
「北にはもっと大きい、『トールマン大橋』があるぞ」
「前にチルフィーがチラッと言ってたな。ファングネイ王国領まで架かる橋か?」
『ああ』と肯いてから、領主が手掛けた物だ。と、誇るようにアナは言った。
「大橋が出来るまでは、このミドルノームからファングネイ王国に渡るには小舟を利用するしかなかった。それが陸路で渡れるようになり、この国は一気に発展した」
続けてそう言うと、アナは石橋の四隅にある鉄製のランプに火をくべている老人に視線を移した。
老人が指先から小さな炎を放ちランプに火が灯ると、俺が思っていた以上に周りがパッと明るくなった。
「ソフィエさん、大丈夫かな」
俺はふと、先程アナから聞いた話を思い出した。
大規模なゴブリン討伐に送り人として付き添っている事も気になるが、それ以上に流浪の送り人になる際の試練の話が脳裏に焼き付いていた。
立ったまま両の手首を縛られ、十字の姿勢で半年間耐える。
その影響で横になって眠れず、立ったまま数十分の睡眠を行う毎日。
俺なら、試練も試練の後も耐えられないな……。
「大丈夫だろう。それで尚、ソフィエ様はソフィエ様のままだ」
まるで、アナは俺の頭の中を読み取ったかのように言った。
するとアリスがフワリとジャンプをして俺の横から迫り、後頭部にチョップをかました。
「ヴァ……いてえ! なんで今チョップなんだよ!」
「ヴァ?」
と言ってから、『ソフィエの試練の事?』と俺とアナの話に加わった。
「お前知ってたのか?」
「ええ、村に泊まった時にソフィエから聞いたわ。明るく話していたわよ?」
「そうなのか……」
俺が短いセンテンスを口にすると、アリスは突然なにかを思い付いたように飛び跳ねた。
「そうだわ! ソフィエに快眠枕をプレゼントしましょ!」
アリスはそのまま火をくべている老人の元まで飛び跳ね、作業をジーっと見ながらなにかを話しかけた。
*
俺達は街の見学を終えてから領主の屋敷に戻っていた。
最後に立ち寄った場所は月の欠片を買い取る店で、残念ながら営業時間が終わった後だった。
聞けば、月の欠片1つを銅貨3枚程と交換してくれるらしい。この異世界の貨幣価値は今一分からないが、銅貨3枚あればそこそこの昼食が食べられるみたいだ。
「なんだか騒がしいな」
屋敷の扉に手を掛けながらアナが言った。
開けると、革の鎧に長剣を携えている兵士のような男が玄関先に立っていた。
「アナ様、大変です」
よく見ると俺達をショッピングモールに迎えに来てくれたアナの従者で、丁度アナを探しに出掛けるところだったようだ。
「何事だ?」
アナが聞くと、従者は焦った様子で状況を説明しだした。
「ゴブリン討伐の中継地が襲われたという知らせが入りました」
端的で簡潔な説明のあと、アナは詳しく聞くために領主代理の部屋へと向かった。
ファングネイ王国の兵団とミドルノームの兵団による大規模なゴブリン討伐。
ファングネイの兵団は既に本陣を敷いており、その後方支援となる中継地が突然襲われたらしい。
明日の朝、ミドルノームの兵団が合流してその中継地を引き継ぐ予定だったが、このままだと中継地の設営が遅れて本陣のゴブリン討伐が失敗する恐れがあるという事だった。
『前回の円卓の夜では、死ビトの氾濫に乗じたゴブリンの軍団が村々や町々を襲った。今回はそんな火事場泥棒のような真似をさせる訳にはいかないからねぇ。絶対に失敗出来ない討伐作戦さ』
約2か月後に迫る死ビトの活性期である円卓の夜。
今回の討伐作戦はその被害を最小に抑える為のものなようで、兵団が仕切るとは言え領主代理もその成功を切に願っているようだ。
このような説明を終えたあと、領主代理はキセルから吸い込んだ煙を思い切り吹き出してからアナに視線を向けた。
「ミドルノームの兵団の出立はどう急いでも明日の朝だ。アナ、小隊を組んで中継地に向かっておくれ。大至急だ」
領主代理が覗かせる金歯が鈍く光ると、アナは力強く頷いた。
*
「さあ! 早く向かうわよ!」
アリスは、赤いリュックに無理やり取り付けたゲートボールのステッキをゆらしながら拳を振り上げた。
「うんうん、そうだな。子供は大人しく寝てろ」
俺は無理やりそのリュックを奪い、アリスのベッドの脇に置いた。
「なにするのよ! リュックを外される時にブタ侍ちゃんが鼻に当たって、『ぶえぇ』ってなったわ!」
「アナや領主代理の婆さんも言ってただろ! お前とチルフィーは大人しく屋敷で待ってろ!」
「嫌よ! あなたは行くんでしょ!? じゃあ私も行くわ!」
なに言っても無駄だな。と、俺はアリスに勝負を持ちかけた。
「分った。じゃあ、俺との勝負に勝ったら一緒に行こう。負けたら寝ろ」
「乗ったわ。ジャンケンかしら?」
「いや、今から俺が言う言葉を10回繰り返せ。それが終わったら俺が自分のとある部位を指差すから、その名称を正しく答えろ。分かったか?」
「分ったわ! なんと繰り返せばいいのかしら!?」
俺は一呼吸おいてから、『ピザと10回言え』と命じた。
「ピッツァピッツァピッツァ――」
「待て! 違うピッツァじゃないピザだ!」
「細かいわね、まあいいわ。ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ!」
アリスが言い終わると、俺は勢いよく自分のヒジを指差した。
「ここは!?」
「ヒザァァァ!!」
アリスは少し食い気味、且つ明快に答えた。
「よし、お前の負けだ。じゃあ行って来る」
「ぐぐ……。スネ……? いえ、ヒジね……」
ボディバッグを背負ってから、俺は悔しさに打ち震えているアリスの頭をポンポンと叩いた。
「ミドルノームの兵団が明日の朝合流したら俺やアナは戻るから、それまで大人しくしてろよ?」
言い切ると同時に、寝室のドアをノックする音が聞こえた。
「ウキキ殿、そろそろ準備が整う。もう行けるか?」
俺は『ああ、行く行く』と答えてから、アリスのベッドに座っているチルフィーに目を向けた。
「じゃあ行くから、チルフィーも大人しくしてろよ!」
「了解であります! いってらっしゃいであります!」
チルフィーの言葉を背中で聞きながら、俺は寝室のドアを開けた。