始まりの意思
「撃て!」
号令とともに無数の砲弾が放たれる。轟音が戦士達の鼓膜に響き渡る。大地と大気を揺るがすそれに馳せる思いは、どうかあの化け物達を一匹でも踏み潰してくれ、であろう。だが祈りも虚しく砲弾を浴びても立ち上がりこちらに向かって来るものが多数、第二射が浴びせかけられる。いくつかは力尽きたが、それでも戦士達を絶望させるには十分な数が進み続ける。
「弓隊、前へ!」
続く攻撃を加えんと弓を携えた兵士達が前列に出る。かつて北方の蛮族の侵攻を赤子の手を捻るように撃退した英雄達だ。
「射て!」
号令とともに無数の矢が放たれる。王国が誇る弓部隊の無慈悲な矢の嵐が放たれる。
しかし、奴らの歩みは止まらない。人の身の丈の二倍を越すそれは、一体として同じような外見のものはいない。どれもこれもが歪な手足を持ち、時には獣のようの四足で歩くもの、無数の腕を持つもの、首がいくつもあるもの、羽を生やしたもの、全てが不気味な骨格を持っていた。皮膚は赤黒く、岩のようにざらついており、見た目通りに強靭で刃が通らない。そして驚異的な生命力を持ち、砲弾の一発や二発浴びようとも、矢が二、三本刺さろうとも大地にひれ伏そうとはしない。
「長槍隊、前へ!」
横一列に敷き詰められた部隊が前方に槍を構える。戦場においてこの景色を見て恐れ慄かない者はいない。だがこの戦場においてはそれも絶対的なものではないと思わされる。
ここは地獄だ、と指揮を執る男が呟いた。彼の名はシャガロア・ヴァゴール、ガラアッド王国を代表し、その勇猛振りから「王国の手」とも呼ばれる誉れ高き黒血騎士団の団長である。かつていくつもの戦場を渡り歩き、過酷な戦いを経験した彼だったが、それでも今のこの戦場においては生ぬるいとさえ感じる。
「進め!」
勇壮なる兵士達は恐れを奥歯で噛み殺して歩を進める。死を恐れぬ兵士達はただ目の前の化け物達が恐ろしかった。それでも歩みを止めないのは家族のためか、友のためか、はたまた愛する女のためか。
「団長!伝令からの報告です!」
シャガロアの下にに兵士が一人跪く。
「首都に化け物の群れが向かっているとのことです!」
「何だと!一体どこから現れた!」
「わかりません!ですが今の首都の守りでは…」
未曾有の事態に大半の軍は出払ってしまっている。このままでは首都が虐殺の舞台となるのは間違いない。団長にとっても愛しい妻子が待つ場所でもある。
「畜生!」
団長が拳を握りしめて毒づいた。目の前では戦士達が命を懸けて戦い続けている。ある者は化け物の異様に発達した腕で薙ぎ払われ、ある者は生きたままその歯で噛み砕かれ、ある者は化け物が放つ超常の炎に巻かれて死んでいく。それでもその刃を岩のような皮膚に突き立てていく。兵は自らの命を犠牲にして化け物を殺していた。この場を離れることができるはずもない、ここが破られれば結局のところこの化け物たちはそのまま首都に向かうだろう。だがここで戦い続けたとしても首都は陥落し、人々は化け物どもの餌となる。
「団長、ここの指揮は私にお任せください。残った騎兵を従えて首都へ向かって下さい。」
そう言って進み出たのは副団長のラグアナ・ディード。その瞳には強い意志を感じる。
「しかし、それでは…」
「大丈夫です、ここは私たちにお任せください。それよりも早く首都へ!このままでは…」
共に戦い続けてきた仲間であるからこそわかる、ラグアナも恐れている。だがそれでもただ虐殺を指をくわえて待つことなどできないのだ。
「わかった。ラグアナ、生きてまた会おう。」
手を取り強く握りあった。死線を何度も乗り越えた末に身についた勘が、この男とは二度と会えない、と語った。だがそれでも何も言わずにシャガロアは騎兵を率いて戦場を去った。そして化け物の群れが近づく首都へと馬を走らせた。
首都ゴーアに辿り着いたシャガロア達が見たのは、血で染め上げられた街並みであった。間に合わなかった、と悟るのに時間はかからなかった。町は既に虐殺の後であり、僅かに残った人々の死体とそこかしこに湧き出た血だまりがそれを雄弁に語った。死体の数が少ないのは化け物が連れ去ったからだろう、そういった習性があるとは聞いていた。既に奴らは死体を戦利品としてここを去ったようで、シャガロア達は辺りを警戒しつつ、生存者を探した。町には僅かに守備隊が残されていたがその数はあの異形達から町を守るには少なすぎた。シャガロア達と同じように首都に駆けつけた他の騎士団もいたようで、見覚えのある旗印があちらこちらで散乱していた。
戦士達はただただ絶望するしかなかった。彼らの中にはこの町で生まれ育った者もいる。変わり果てた町には自分の家族が生きていることだけを望みに歩を進めるが、その希望はことごとく打ち破られる。そしてそれはシャガロア本人もそうだった。聖堂街に面する町の一角にある屋敷に差し掛かると、彼は思わず他の者を置き去りにして走り出した。そこは彼の生家であり、伝統あるヴァゴール一族の屋敷、何より愛する妻と子供がいる場所である。破られた門扉にはその屋敷で起こった惨状を伝えるように千々に裂かれた使用人達の血肉が張り付けにされており、希望など一欠片も残さぬように血の臭いが鼻腔に張り付いた。
屋敷を隈なく探し、彼が見つけることができたのは幼い自分の子供の痛ましい死体だけだった。妻は既に連れ去られ、恐らくはこの世にもういない。その事実を突きつけられた彼はわき目もふらずに声を出して涙を流した。手にはズタズタに引き裂かれた幼子を抱いて。何分、何時間そのまま泣き続けたのだろうか、わからぬうちにその嗚咽は悲しみを越えて、やがて怨嗟の声へと昇華した。
「化け物ども…絶対に貴様らを殺す…!どんな手を使っても、この身がどうなろうとも、何年、何十年かかろうとも皆殺しにしてやる…」
息子を抱きながら 立ち上がった。ここに彼の長い復讐が始まる。