44 ラッドミスト撃退計画
お兄様と私は、トィートラッセから出ると家に向かった。びちゃびちゃの地面は、足を踏み出すたびに飛沫が飛ぶ。もちろん防水・断水仕様だから水が滲みる事はないけど。僅かな光が地面を照らして、何だか幻想的だった。
んー、魔石を取り出す魔導具を買った。それはいい。でも、捕まえるのはどうすればいいんだ?やっぱり無難にネズミ取り、あ、だめ。器具が無いや。小動物の眷属が欲しい。小動物じゃなくて犬でもいい。猫でも。
ポン、と頭に猫耳少年が浮かんで、すぐに振り払う。
あんた絶対手伝ってくれないでしょ。
やっぱり殲滅かー?あんまり自然界のバランスを崩すような事しちゃいけないんだよね。どうしよう。お兄様のお金だから罠まで買えなかったな。
「お兄様、夢魔退治が終わったら、お仕事を手伝わせてくれませんか?」
「ええ?ミルヴィアが?」
「はい。だめですか?」
それが一番手っ取り早いんだけど……だめならギルドに冒険者登録して、お金稼ぐとか。
「うーん……部外者閲覧禁止が多いから、手伝いは、ちょっと」
「そうですか。ていうか、そうですよね」
そりゃあ政治的な書類もあるんだろうししょうがない。
それにしても、私が自由に使えるお金が無いっていうのはちょっと困るなあ。やっぱり冒険者とうろ……ん?あれ、五歳って登録……出来ないよねえ……。
「ミルヴィア様!」
聞き慣れた声に、いつの間にか下を向いていた顔を上げる。騎士服を着た青髪の男性が、こちらに走って来ていた。
てかまんまユアンじゃん。
「どうしたの」
私の正面まで来たユアンが、ほっと息を吐いた。でも、屋敷からここまで走って来て息切れしてないのはさすがだわ。
「遅いので、心配でして。ギルドへも行くと言う事でしたので、カーティス様が暴走しては居まいかと」
「心外だねユアン。僕はもうこの通り元に戻ってるよ」
「おや、戻っていましたか。あまり変わりがないので良く分かりませんでした」
「君……結構変わると思ってるんだけどな」
「興味が」
「はい終わりはい終わりー!それ以上言ったらクビになるからユアンやめようか!」
興味が無いとか言うんじゃない!怖いものなしかおまいは!
「クビになったら困るでしょうが!」
「へえ」
「ほう」
お兄様が不機嫌そうに、ユアンが楽しそうに……いや愉しそうに言う。
失言にもほどがあるだろ私。何言ってんだ私。自殺する気か私。
「困るんだ?ミルヴィア、ユアンが居なくなると」
「困るんですよね?私が居ないと」
「…あぅ……そういう意味じゃなくて……勢いと言うか」
「勢いで本音が出たんだね」
「勢いで嬉しい事を言ってくれてこちらとしても楽し……嬉しいです」
おい、今楽しいっていおうとしただろ。
両サイドからの攻めが苦しい。どうしよ。何を言っても今なら失言になる気がする。
「何の事でしょう私は何も言っていません何も知りません」
「ユアン、ミルヴィアが壊れたよ」
「カーティス様、ミルヴィア様が混乱しています」
「そりゃ壊れるし混乱しますよ!あーもう!帰りましょう、帰ってラッドミスト撃退計画を立てるのです!」
「そんなカッコよく言われても」
「今の話題を手放したくありません」
ユアンがさっきからすごい言いまくってるな、主様の前だと言うのを忘れたのかこいつ。
そう思いながら歩き始めると、ユアンが後ろ、お兄様が隣という位置につく。どうやら話題続行は諦めたらしい。
賢明賢明。じゃ、私から話題を振ろうかね。
「ユアン、ラッドミストの捕獲方法って分かる?」
「ラッドミストですか……霧になるので厄介ですね。一撃必殺、剣で貫いては?」
「おお。でも問題はそこに至るまでなのよ。どうやって見つけるかなんだけど」
「勘で探してみてはいかがでしょう。ですがどちらにしろ、明日からはビサ様の訓練があるのでは?」
「そうだよねー、明日は無理だよねー」
残念だけど、ラッドミストの撃退は夢魔退治の後かな~。
…さり気なくユアンがラッドミストの捜索方法を勘と言った件について。
私はまあまあ勘が良い方ではあるけど、まさかユアンがその方法を持ち出してくるとは思っていなかった。
「じゃあ、勘で探してバスッと殺っちゃおう」
「……そうですね」
ユアンが若干引いてたけど、無視。気にしない気にしない。だってササッと殺った方が楽……。
「もちろん、生物を殺すのはユアンの特権にしてあげる!」
「要りませんよその特権、何なんですか。そもそもラッドミストに関しては、『殺す』という定義がありません」
「ふぉぇ?」
おっと間抜けな声。
だけどどういう事だろう?『殺す』の定義がない、って。
「単純な話です。魂が無い物は生物と見做されない。それだけです」
「……?でも、生物、だよね」
どういう事だ?生き物は生き物だと思うけど。
私は首を傾げてユアンに問うた。
「一般論ではそうですが、生物学上は違うんです。魔物と魔獣は似て非なる物です」
薄く笑いながら、ユアンが答える。その答え方は、場合によって、人によっては薄情だとか酷薄だとか言われるかもしれない、今となっては慣れきった笑顔での応答だった。
「魂が無いって、そこまで大事な」
「大事です。大事すぎるほど、大事な事なんですよ。生物が生物としての意義を持ち生物で在り続け生物の尊厳を見出すために欠かせないのです」
そこで私は、聞きたかった事を口にした。
「魔獣の魔石って、取り出せるでしょ?」
「はい、取り出せますね」
ユアンが笑顔で言う。私は人差し指で、ツウッとユアンの左胸をなぞった。ユアンが少し驚く。
「魂は?取り出せるの?」
「……一度やってみた医者が居ると聞きます」
ユアンはボソリと呟くように言った。私は急かさず、じっと待つ。ユアンが、答えを求められないので僅かの間困惑し――そしてすぐ、にこりと笑った。
ほらその笑顔。怖いってば。慣れても怖いものは怖いんだよ、ユアン。
「尽く失敗したそうですよ。それこそ生者の左胸を切り開き、探ったんでしょうね。しかし生者は程なくして死に、魂の発見方法は永久に失われた――とかなんとか」
「へえ、詳しいね」
「ええ、まあ」
まるで本人から聞いたみたいな口振りだ。
ま、エリアスじゃあないな、エリアスは有り得ないし。そもそもあの人、人の魂とか絶対興味ないでしょ。「へえ、そうか。それがどうした?」で済ます。
そして、次の質問。
「魔石には相応の属性?みたいなのがあるんでしょ?」
「ありますね。ラッドミストだとおそらく水かと」
「ラッドミストがラッドミストである機能は体に宿るの?」
「いいえ、魔石です。私達のようなものと違って、魔獣は魔石がすべてで動いています。体の機能はそれの手助けに過ぎません」
あっけからんとユアンが言う。
ふむ、体が手助けとか全く想像出来ないところがあるけど、それはまあ一言に『ファンタジー』で済ませよう。
「じゃあ、ラッドミストが霧になって逃げる機能も」
「はい。魔石に宿ります。しかし、魔力が見えないのでそちらの機能を表に出すのは不可能かと」
ピーン、ときた。そうね、魔力の視覚化。可視化。それが今の私の課題。
魔力に合わせる――どうすればいいのか想像つかない。でももしラジオのチューナーみたいなのをイメージするとしたら、必ずどこかで合うはずだし。ビサとの訓練中、ちょっとやってみるかな?でもビサもかなりの実力だし、そんな余裕ない気が……まあどっちにしろ、可視化が可能でも七歳くらいまで使わないって決めてる。気長にやろうっと。
「二人とも、いちゃついているところ大変申し訳ないんだけれど、もうすぐ屋敷に着くんだよね。ユアン、エリアスについて教えてほしいな」
今まで蚊帳の外だったお兄様が、久々に喋った。ああいや、時間的には大して無言だったわけじゃないか。でも、お兄様が私とユアンが喋ってて無言っていうのも珍しい。思うところでもあったなら別だと思うけど、そうでもないだろうし。
「エリアス様は一応ミルヴィア様に挨拶してから出て行かれると言う事で、あの部屋で待っています」
「うわ意外と律儀」
まさかエリアスがそんな律儀な性格だったなんて……。
「お母さん泣いちゃいそう」
「いつエリアス様の母になったのですか」
「エリアスのお母さんはもう居ないけどね」
「へへ……ちょっと待ってくださいお兄様、聞き捨てならない単語が」
あ、正確には単語じゃなくて言葉か。
ってそんなのはどうでもよくて。いやだめだけど。日本語を扱う者としてどうでもよくはないけど。まあ今は異世界語なんだけど。
くだらない事を考えながら、お兄様に聞く。
「エリアスのお母さんが死んでるって、どういう事ですか」
「どういうも何も、そのままの意味だよ。エリアスの母親は冥府に居るよ」
「つまりエリアスの所有している霊魂にはなっていないと」
「なってないね。そもそもそれは一部の冥府に行けない哀れな霊魂をエリアスが保護しているだけの事。あの三人組の霊魂は例外」
ああ、我らトリオ。あいつらは結構世話になってるし、愛着湧いてんだよねー、私が。
「あの三人組は、冥府に行く事を拒み、その結果冥府に入れなくなった三人組。そこをエリアスが保護し――ああ、いや」
「え、いやちょっとお兄様、そこで止めないでくださいよ!」
いくら私がシリアス苦手と言っても、すごい気になるんですけど!
お兄様、そんな困った顔しても問い詰めますよ!見逃しません!
「エリアスが保護して、どうしたんですか!」
「どうって、それは……エリアスに聞いたら?」
「無理です!私地雷原に入れるほどタフじゃありません!」
「じらいげん?良く分からないけど不穏な響きだね」
お兄様が首を傾げる。話を逸らしたという雰囲気じゃない。本当に地雷というものがこの世界にはないのだと思われる。
そうなると、私はお兄様にとって訳の分からない単語を発した人物となるわけでして。
私どう考えても変な子じゃん!あーっ、やっちゃったー!
「兎にも角にも、エリアスに聞いてみたらいいんじゃないかな。ほら、あそこに居るし」
パッと前を見てみれば、屋敷があり、その門前にエリアスが立っていた。
それを見ながら、私はお兄様に言う。
「さすがに張本人に聞く勇気、私にはありません……」
そして結局、ラッドミスト撃退計画は、『勘で見つけてサクッと殺る』だった。
閲覧ありがとうございます。
撃退計画と言うにはかなり大雑把すぎますが、ミルヴィアは自分の勘に自信があるんです。馬車で行った病院を勘で見つけられたら、誰でも自信は持つと言いますか……。
次回、ビサとの訓練前の自主訓練です。




