お兄様編 トィートラッセ2
目が覚めた。
いや、体はもう目覚めていた。でも、意識が覚醒したとでも言おうか、カディスが抑えられて、自分が主張されたのが分かったのだ。久しい解放感にカディスは酔っていたようだけれど、あの解放感を維持出来ていたのはミルヴィアのおかげでもあった。
ミルヴィアが、カディスをカディスとして扱った。
だからカーティスと離れた。
それだけだが、大きい事だ。
今、ミルヴィアが少年に殴られそうになっていた。確か、イーズ、だったか。
その手を握り、止める。
「ごめんねミルヴィア、遅れて」
「…っ、お兄様……」
ミルヴィアが、心底ほっとしたような顔をする。不安だったのか。
そう思うと同時に、ミルヴィアが抱き着いてきた。いきなりの事で、目を瞬く。
「ごめんなさいお兄様!」
「え、どうしたの?僕に何かした?」
「だって『魅惑』を使ってしまって」
ああ。
その事か。大方カディスが何か意地悪を言ったんだろう。あいつは誰かをからかうのが好きだから。
「いいんだよ。伝えて無かった僕も悪いんだから」
「うう……本当にすみません」
「いいって。……?」
そこで気付いた。僕らが周りの目を余す事無く集めてるって事に。
うーん。
ミルヴィアに抱き着かれてるのは別に嫌じゃないんだけど、これは少し恥ずかしい。
ミルヴィアの頭に手を置いて、撫でると、ミルヴィアにだけ聞こえるように囁く。
「ミルヴィア、皆見てるから、そろそろ」
「え、あ……」
ミルヴィアの顔が真っ赤になり、コホン、と可愛らしい咳払いをした。ギルド内の何人かが微笑ましそうに見ている。実際、ミルヴィアは大人っぽいのに時々可愛らしいところがあるから、気持ちは分からないでもない。
「え、っと、また来る。じゃあ」
簡潔に言い、ミルヴィアはさっさとギルドを出て行く。僕も一礼して、後に続いた。まったく、ミルヴィアはせっかちなところがあって困る。イーズは最後、父親が無言で背中をさすっていた。無闇に慰めるのもよくない。仕方ないと思わせるより、悔しいと思わせた方が伸びしろはあるのだ。なので、あの父親に育てられるイーズは伸びるだろう。
ミルヴィアは魔王として、偉そうな態度を極力取ろうとしているのは僕にも分かる。
でも、まあ長く話していれば可愛らしい部分があると必ずばれる。そこが可愛くもあるんだけれど、ミルヴィアは一生懸命だ。
「あ、お兄様、トィートラッセに行きましょう!」
「そうだね、行こうか。開いてるかは分からないけどね」
「開いてます」
「…?どうして分かるの?」
「え、分かりません?」
ミルヴィアはそう言うと、トィートラッセの方向を指差した。何もないけれど。
「風の流れが、通ってるじゃないですか。扉が施錠されてない証です」
「……風の流れが見えるの?」
「はい。見えませんか?」
ミルヴィアは不思議そうな顔をして、何かを考えている時の顔になった。一応足は動いている。ぶつかったりしないようにフォローしよう。こういう時は下手に話しかけないのが得策だ。静かに見守ろう。
「ああ、そうか」
「分かった?」
「はい、分かりました。多分、風の可視化を行ってるからです」
「風の可視化?」
「さっき試したんです、五感強化の内一つだけを使えないかと。そうしたら、目が異常に良く見えて。それで風の可視化が出来るようになったんです」
「…」
可視化。
容易な魔法じゃない。人体機能を壊さない程度の魔力を流し込み、見たい物体の波長に合わせるように魔力量を調節する必要がある。僕には絶対不可能な魔法だ。上手く使えば、予見も可能になるかもしれない。風ではなく空気の波長に合わせないといけないから、限りなく難しくはあるのだけれど。
「いずれ、いろんなものの流れを可視化したいですね。可視化できれば、もしかすると」
そこで、ミルヴィアは止めた。何かとんでもない事を考えてる気がする。
例えば、
波の流れを見て上手く操れば自然災害と見せかけて人里を襲える、とか。
雲の流れを見て上手く操れば大嵐を発生させるに事足りる、とか。
土の流れを見て大地の状態を見ればどこの土を崩せば地震が起きるか分かる、とか。
魔力の流れが見えれば、人の強さも分かるし直接操作も可能になる……とか。
さすがに最後のは有り得ないか。直接操作なんて、前に失敗したはずだし。でも、魔力の通いを見れば大体の強さが把握できるっていうのは結構有名な話だ。
黙ってた方が自分で気付けて良いだろうから、言わないけど。
「とにかく、可視化って便利ですね。さっきも相手の動きが手に取るように分かりました」
「どういう事?」
「えっとですね、相手の動きによって生じる風を見ていると、躱しやすいんです。こちらから攻撃する際にはあまり需要がなさそうですが、避ける分にはすごく便利でしたよ」
「ふーん、すごいね、ミルヴィアは。ちゃんと考えてる」
「そんな、すごくはありませんよ。ただ」
ミルヴィアは爛々と輝く目でこちらを見上げてきた。
「今はユアンに勝つべく特訓中です」
「……僕じゃないんだ。妬けるなあ」
「だってお兄様よりユアンの方がレベル低そうですもん」
「あー……妬くのはやめておこう」
「はははっ!私はお兄様が好きですよ?」
「ユアンも?」
「…」
ミルヴィアはしばらく不満そうに考えた後、頷いた。
「悔しいですけど。何かタメ口になった途端、距離が縮まってしまった気がするんですよね」
「悔しい?」
「ユアンの思惑通り、って気がするじゃないですか」
「でも、ミルヴィアはユアンが大好きだよね」
傍目から見ても分かる。ミルヴィアはユアンにべったりだ。ユアンもミルヴィアを好いているのが分かる。絶対やらない。
「大好きじゃないです」
「じゃあエリアスは?」
「好き……ですね、やっぱり。だけど」
ミルヴィアは首を傾げた後、言葉を続ける。
「エリアス、どう考えても本心で話してないので」
「鋭いね。僕も本心で話してもらった記憶が無い」
「毒舌だけはすごいんですが」
「それも同感だよ。あと……ああ、コナーは?」
「好きです!」
即答か。確かに年齢も近いし、感じるものがあるのかもしれない。
だけどあの子は出自が出自だし、あまり結婚してもらいたい相手ではないかな……。
「あ、ここですよね」
トィートラッセに着くと、ミルヴィアは慣れた様子で(二回目のはずなのだが)、階段を駆け下りていく。妙に生き生きとしている気がする。
「お兄様、早く!私楽しみにしてたんですから!」
「分かったよ」
子供らしくて可愛い。
僕もすぐに後を追い、ドアノブに手をかけるミルヴィアの横に立つ。ミルヴィアがかちゃりと扉を開けようとして……ふと、こちらを向く。
「そういえば、カディスは随分とここに入るのを嫌がったんですけど、何かあるんですか?」
「ううん、カディスが単に苦手なだけだよ」
「そうですか」
そう言うと、一秒の隙もはさまずに扉を開ける。躊躇ない。
中で、トィーチさんは月間の情報紙を読んでいた。こちらを見て、チッと舌打ちをする。
「何だね、今日はもう閉店だよ」
「でもまだ開いてたので」
「チッ、弓立の里の使者が来たっていうのに、まだ客かい」
ブツブツ言うトィーチさんだったけれど、ミルヴィアはやはりと言うか動じない。普通に受け流してた。ある意味すごいな。
トィーチさんは、「何の用だい」と面倒くさそうにこちらを見た。そして僕を見ると、にやりと笑う。
「ははあ、あんた久しく夢魔単体になったようだね。僅かに漂う『魅惑』の香りが心を惑わす」
「僕はあなただけは惑わしたくありませんね」
「正直なこった。でも、ああ、そこの妹さんに好かれてるからか、夢魔の香りが薄いのは」
「……本当ですか?」
「ああ。そりゃあ吸血鬼の魔王に好かれるんだ、多少の加護はあるさ」
まさか。
ミルヴィアが僕を好いてくれているだけで?
ミルヴィアを見ると、こちらを見上げながら嬉しそうに笑っていた。その無邪気な笑いが可愛い。
「それでミルヴィア、何が欲しかったの?」
「ああ」
ミルヴィアはぺこりとボクに向かってお辞儀をしてから棚に駆け寄ると、端から端までじーっと見て回った。そして、一つの棚の前で立ち止まる。
あのお辞儀の意味を考えたくない。普通に考えれば……やっぱり「お願いします」か。
もしかして僕の財布からお金が消えるんじゃ……?
「このラッドミスト撃退用魔石の隣にある魔石取り出し用器具を」
「……小銀貨一枚」
高い。普通に高い。
「高いな、大銅貨六枚だね」
「いんや、負けに負けて大銅貨八枚・小銅貨五枚は譲れない」
二人の間にバチッと火花が散り、そこから交渉が始まる。先ずはミルヴィア。
「大銅貨六枚」
「大銅貨七枚・小銅貨九枚」
トィーチさんも譲らないな。
「ダメダメ、大銅貨七枚・小銅貨三枚でどう?」
「……大銅貨七枚・小銅貨七枚だね、こっちも生活が懸かってるんだ」
「しょうがない、大銅貨七枚・小銅貨五枚で手を打とう」
「チッ、いいさ、持ってけ」
すごいな。何がすごいってその粘る根性がすごい。と言うかお金は?
「さあお兄様、小銀貨一枚を出してお釣りをもらいましょう」
「やっぱり僕の財布か」
「そうですよ。だから頑張って負けてもらったんじゃないですか」
「……気にしなくてもよかったのに」
「お金を粗末に扱うとバチが当たるんですよ」
この妹は……。
「可愛い妹のためです、ユアンに小金貨一枚を渡すくらいのお金持ちなんです、大丈夫ですよね?ね?」
図々しい。
それも可愛いから許すけど。
僕は分かったよ、と言って、ミルヴィアの頭を撫でた。
閲覧ありがとうございます。
お兄様編、どうだったでしょうか。カーティスは妹大好きなので、多少の出費は厭いません。
結構忘れがちですが、この家は公爵家の中でも位が高く、主にカーティスが仕事を請け負っています。
次回、ラッドミスト撃退計画を立てます。




