43 ならば戦おう
誰もが、私の髪色を見て、目を見開く。私はしっかり前を見据えたままカディスのところへ行き、口を開く。
「私はお前がどういう状況下に置かれているのか知らなかった。私の監督責任だ」
「……魔王、本気?」
無表情でそう伝える私に、カディスが初めて訝しげな顔をして聞いてきた。
考えない考えない。今の私は魔王。堂々としてりゃあいい。
「何がだ」
「君、ばれたくないって思ってたんじゃ……」
「お兄様が」
夢魔の言葉を遮り、強い口調で伝える。
「困ると思っただけだ。お前はただの夢魔だが、お兄様はそうじゃない。お兄様に迷惑をかけるような事はしたくない。だからお前のためじゃない。お前とお兄様が別ものでも、体は一緒なんだ」
「……カーティスは得だよね、こんな妹を持ってさ」
「待っ、え、あんた、魔王……は!?」
イルギさんは狼狽え、震えている。う…そんな怖いかな。やっぱ愛嬌があった方が良いのかなあ。でも、お母様達にあんな口利いといて部外者に丁寧に話すってのもなあ。
…。
ビサは例外、ビサは例外。
「そうだ。何なら赤魔石も見せるぞ?」
今日は経験を活かして、胸元のボタンが開く服を着てきた。ボタンをはずし、赤魔石が見えるようにする。
一斉にギルドの面々が頭を下げた。頭を下げた、と言うよりは、片膝を付いて、右手を拳にして左胸に当て、頭を下げるという、この国での敬愛の礼だった。
ここ来て十分で敬愛の礼って……。
「魔王様、数々の無礼お許しください」
「何を……別に無礼などという事はない。むしろ、妻の敵を討とうとするお前は好感が持てる」
「はっ、有り難き幸せ。しかし、その夢魔をどうするつもりですか。そいつは多くの人間を苦しめたのですよ。魔王様はそれを許せると申すのですか」
「……許せないな」
話を進めるうちに口調に力がこもるイルギさんに、そう伝える。イルギさんは、頭を下げた状態から頭を上げた。
「許せないのなら、何故庇うのですか!」
「こいつはもう前のこいつじゃ無いからだ」
「どういう事ですか!?夢魔は夢魔でしょう」
「こいつは……ああ、もういい。誤魔化すのも飽きた。カディス、すべてを伝える」
「魔王様の思うままに」
カディスはにっこりと笑った。
そして、だんだんと雨足が弱まってきた。もう少しでお兄様に戻ってしまう。それまでにどうにか、どうにかしなくっちゃ。
「夢魔、カディスは今のカーティスだ。カーティスは私の兄だ。私は兄が好きだ。兄は今、夢魔を制御できている。この嵐で制御が弱まっているだけだ、嵐が止めばすぐに戻る」
「で、ですが、犯した罪は」
「変わらない。だから今は必死だ。許せ――お兄様のためなら、頭を下げよう」
私は頭を下げて、伝える。イルギさんは「えっ、えっ」と戸惑っている。
「もういいよ」
カディスが肩に手を置いて、優しい目で言う。ああ、お兄様だと思った。
お兄様。私は、お兄様が困る事はしたくないんです。
「カディス……でも」
もうちょっと、説得しなきゃ、聞いてもらえない。
「もうちょっとで、戻れるから。ね。もう行こう。もういいから」
「!」
戻った?違う、戻りかけてるって事だ。醒めかけてる…?でも決定的なのがない。まだそう確信するには、早い。
「騒ぎを起こして、本当に悪いと思っている。あの事件はボクの責任だ。本当に、すまなかった」
カディスが、頭を下げる。イルギさんは険しい表情でお兄様をしばらく見ていたが、ふん、と顔を逸らす。
「もうやるなよ。俺だって、別に過去の事蒸し返してぇわけじゃない」
「分かった」
そう言って、私達は入り口に向かおうとして……私だけ振り返った。
「そうだ、ここの全員、濡れてないのはどういう事だ?」
「ああ、このギルド、水浴び部屋があるんです」
「そうか。今度、来て見よう」
小さく笑ってそう言うと、イルギさんはぼうっとした後にハッとしてもう一度頭を下げた。
別に良いのになあ。私そういうの気にしないし。てかむしろ対等が好きな日本人。
歩く私達を、皆が敬愛の礼をして見送っていた――わけじゃ、無かったらしい。
「俺のかあちゃんを傷付けといて、どこ行くんだ悪党め!」
入口の扉の前に立つのは、右目が緑左目が紫の、オッドアイの少年だった。髪色は燃えるような赤色だ。そして顔も、怒りに真っ赤に染まっていた。見たところ、五歳か六歳くらいだ。
…誰?
「い、イーズ!やめろ、その方は魔王様ッ……」
「知るもんか、俺のかあちゃん傷付けたお前らを、俺はぜったいに許さないからな!」
少年は腰の短剣を引き抜くと、私に剣の先を向けた。
「しょうぶだ!ここを倒したくば俺を通って行くがいい!」
「…」
締まらないなあ。せめて噛まずに言ってくれればよかったのに。
「悪いが私はこれ以上騒ぎを大きくしたくは……」
「俺のかあちゃん傷付けといて、にげるつもりかっ!逃げるのは男の恥だぞ!」
「私は女だ」
これはさすがにムッとした。殺気を振り撒くと、少年がビクッと震える。
おっとっと。
いけないいけない、幼気な少年を怯えさせるなんて。大人気ないね、仕舞おう仕舞おう。
「お、俺のかあちゃんは傷付いてんだぞ!怖がってんだぞ!俺知ってんだぞ!かあちゃんがベッドで泣いてんの知ってんだぞ!」
「イーズ……」
イルギさんの子供?イルギさんが、そうなのか…と言いそうな顔で息子さんを見ている。
見たところ、年齢にしては強いけど私と張り合えるほどじゃない。
でも親の仇討とうとしてる子供に、諦めろとか無駄だとかそんなの知ったこっちゃないとか言うのはなあ、良心が痛む。
え?
私に良心なんてあったのかって?
まあねえ人の五十分の一くらいにはねえそりゃちゃんと……。
「イーズ……母さんはな、そんなの望んでない」
「とうちゃんは黙ってろよ!とうちゃん、こいつに睨まれたくらいで平伏しやがって、根性なし!戦えって言ったのはとうちゃんだぞ!」
イルギさんが説得を試みるも、敢え無く敗退。しかしなおも言い募る。
「だめだ!怪我をしたらどうする、母さんは何倍も悲しむぞ!」
「男は逃げない!戦う!それが俺の戦いだ!」
勝手に戦う事にしないでよ。
こんな弱い子供に向かって放つ魔法なんてありません。それより、早く帰って不言魔法の訓練をしたい。
そうだな、火炎魔法辺りからやってみるか。あとは水か?うーん、氷も捨てがたい。
火→水→氷の順でやるかな。
「魔王様に無礼を働くのは、謀反と同じなんだぞ!」
「むほんだかおほんだか知らないが、俺はこいつを倒すぞ!」
あー、まずはこいつらをどうにかしなきゃいけないのか……。
「私は戦う気はゼロ。退いてくれ、私はもう帰るから」
「だから、ここを倒したくば俺を通れっつってんだろ!」
それ、もしかして噛んでるんじゃなくてそう憶えてるの?だとしたら間違いだよ?
イーズは私に向かって、強制的に斬りかかってきた。
おわっ!
「危ないだろ、むやみやたらと斬るんじゃない」
一瞬ヒヤッとしたけど、ユアンの髪の毛一筋分の技術も体力も筋力もない。簡単に避けられた。あ、これだめだ。マトモに相手してもつまんない。あしらうのが得策だ。
あ、そうだ。
試したい事があったし、ちょっとやってみよう。
風を可視にしてみたい。五感強化を上手く使えば可能だと思うな。
魔力を流す。流す魔力は微々たるもの。戦闘中にこんな余裕があるのは、相手の突っ込みが全然足りないからだ。ユアン相手だったら不可能だと思う。
お、見えたかも。感覚としては、ラジオのチューナーかな?ちゃんと聞こえるところになると、魔力を流すのを止め……あ、だめ。魔力を流すのを止めると、少しずつずれていく。
意識下で少しずつ魔力を流す訓練もしたいな。魔力をちょっとずつっていうのも案外難しい。
風の流れは薄い水色の線が動いている感じで、綺麗。
ともあれ、これで風の流れが見えるようになった。避けやすい。風の抵抗を受けにくい方向も把握出来るから、戦闘に置いて有利に立てるだろう。
迫る短剣を、手で捌く。バリアを使えば余裕で弾けるだろうけど、それじゃあこの子の気が済まないだろうと思ったのだ。
思う存分掛かって来て、実力の差を痛感しなさい。
そして私のように、鍛錬に鍛錬を重ねていつかまた挑みに来なさい。
私はいつでも受けて立つ。
再度迫り来る短剣。素手で受け流す。体勢を崩してから持ち直すまで、あまりにも時間がかかりすぎだ。体勢が崩れてもいいように攻撃しなくちゃならない。もし私が剣を持っていたら、背中に剣を刺してはいおわり、だ。
迂闊にもほどがある。仮にも魔王なんだから、ちょっとくらい警戒してくれてもいいでしょ。さすがに悲しくなってくるよ。
「くそっ、くそっ!」
攻撃が我武者羅になってきた。
そろそろ終わりにしよう。
『いつか』まで、待ってるからさ。
ガキンッ!
最後の餞に、私は短剣を抜き放って少年の短剣を弾き飛ばした。弾き飛ばした短剣は、勢い余って床に突き刺さる。ビイン……と揺れていた。簡単に弾かれるなんて、弱い。
「くっ…」
少年が手首を押さえていた。短剣を弾き飛ばした時、わずかながらダメージが行ったらしい。
治してやる義理はない。私に挑んだ。その痛みは覚えておいた方が良い。
私には勝てないと、そう思わせておかないとこの先面倒くさい。
「気が済んだか」
「…ッ、まだ、まだだ、もう一度!」
「無駄だ」
これ以上は付き合わない。何をしたって、無駄にしか終わらない。
せいぜい、今の私の動きを真似ればいい。
「良いだろう、勝負はついた。次は斬る」
シュッ!
音を立てて、短剣を鞘に仕舞う。イーズは、あああっ!と叫ぶと、何となんと、殴りかかってきた。
咄嗟の事で、判断が遅れる。
マズイ。バリアを張ったらイーズの手が折れる。
ようやく追いついた思考でそう考えるが、かと言って避けられる時間はもうない。
だめだ。
どうする。
パシッ…
伸びてきた手が、イーズの手を掴んだ。ゆっくり、その手を掴んだ人を見る。
「ごめんねミルヴィア、遅れて」
「…っ、お兄様……」
いつの間にか嵐は止み、雲の境から光の筋が地上を照らしていた。
閲覧ありがとうございます。
風を可視にする事に関して、補足です。
これは繊細な魔力調整が出来る人なら誰もが可能な技です。ただし繊細な魔力調整というのはかなり訓練しなくては出来ません。
そこでミルヴィアが使えた理由は、魔王の固有魔法『統率』です。これで魔力を調整したわけですね。
次回、お兄様目線でトィートラッセに行きます。




