42 事件
冒険者ギルドの中は小奇麗で、ところどころに椅子や机があった。入り口の真正面の奥に受付があり、その両端に掲示板がある。そして階段がドームの端にあり、そこから二階のどこかへ行けるようだ。二階にはかなりの数の部屋が在る。しかもその奥もありそうだ。
私達が中に入ると、そこの人達は驚いてこちらを見た。私達が異様だから、と言うよりは、こんな嵐の中一切濡れずに入って来た私たちが異様だったのだろう。そう思う。
……にしても、嵐なのに人は多いな。見るに、濡れてる人は誰も居ないみたいだけど……?
「おい嬢ちゃん、こんな風貌の男連れて、何の用だ?」
「…」
横暴な物言いも、乱暴ってわけじゃない。ただ単に、大丈夫かなという思いで声をかけて来てくれてるみたいだった。
うわあ、周りからも『変な人を見る目』じゃなくて『安全を気にする目』だ。すげえな魔族。
声をかけてきた男性は、顔が犬だった。いや違う。手も犬だ。犬人……?ああ、そうか、獣族で純血はこういう顔になったりするって読んだ事がある。その鋭い目も優しくて、綺麗な黒い目だった。
「ただの見学だ。気にしないでほしい」
「お、おう。何か困れば言えよ?」
「ああ、感謝する」
まあ、物言いをどうこう言える口調じゃ、私もないんだけど。でも、男性はそうかそうか、と愛嬌のある笑いを浮かべて仲間の元へ戻って行った。
私がカツッと一歩を踏み出すと、皆が固まる。さっきの男性も、信じられない、という目でこちらを見ていた。
え、まさか、魔王だってばれた?
ちらっとカディスを見てみると、クスッと笑っていた。
「……何が可笑しい」
「別に、何もおかしくないよ。ほら、歩いて歩いて」
なんか面白がってるな。
まあ、歩くけどさ。
帽子を取ったら目元に影も出来なくて、黒髪と黒目が見えてしまう。どうしても、帽子だけは死守しなくては。
カツッ
「まさか……」
「あの子供の連れか?」
「ああ……」
「いや、違うだろ……あいつが――――だって言うのか?」
「そうとしか考えられんだろ」
「だとしたらあの子を――ないと」
「だがあいつの実力は――」
あれ、もしかしてこれ、私じゃなくてカディスに注目集まってない?
別にカディスだって、何も悪いことしてるわけじゃ――
ドクッ!
「!?」
急な、突き刺さるような痛い視線。血も見てないのに、心臓が鳴った。驚いた――と言うよりは、怖かった。急に向けられた、視線、いや、殺意が。
周囲を見渡す。数人が、こちらを睨んでいた。数人が、殺意を込めた視線を向けてくる。その恐ろしさは、表しようがない。ビリビリと肌を打つ殺意。しかも、その視線の元が全員女性だっていうのもある。
なに、この人達……?なのに、この殺意は私に直接は向けられてない。どういう事……?
怖い。
「な、なあ嬢ちゃん、あっちでちょっと話があるんだが――」
「この子はボクの仲間だ。勝手に連れて行かれちゃ困るなあ」
私に声をかけてきた犬人の男性に、カディスがすっと私との間に入る。犬人がビクッと震えた。
え、なに、カディス?どうしたの?
「どうしたんだ、カディ」
「君は黙ってて。静かにしてればいい」
「…」
名前は知られちゃいけないって事?
私は口を閉じた。だがそれが、犬人の男性を激昂させる引き金になったらしい。
「その小さな女の子連れてどうするつもりだ!大方昔みてぇな事やるつもりなんだろ!」
犬人の吠えるような訴えは、私には何を言ってるのか分からなかった。眉間にしわを寄せて、牙を見せて唸っている。威嚇している、とも言える気がする。
何、ちょっと、ホント何なの?え。
てか本当に説明欲しいんですが!?受付の人おろおろしてないで止めてよ!
「何の事かな、ボクにはさっぱり」
「お前、しらばっくれるのもいい加減にしろ!俺の嫁とダチの嫁が、このギルドのどれだけ多くの人が、どれだけ苦しんだと思ってんだ!」
「だから、何の事って聞いてるんだ。こちらもこの子の保護者だし、この子には良い所見せたいんだけどな」
犬人は、カアッと毛を逆立てると、カディスの胸倉を掴んだ。
「良い所!?お前、お前、まさか昔の行いを恥じてないってのかよ!恥じるどころか、今はその子を誘ってイイコトしてるんだろうなあ!」
「何の話?」
「ふざけんな、俺の嫁は俺と婚約してたんだ。それなのに……ッ!」
「…」
「おい、何とか言えよ!皆を傷付けたお前に、反論の余地なんて――」
「とりあえず離してくれないかな」
冷たい声がギルド内に響いた。それは人の心を想わない夢魔の声だった。
「子供の前だよ?教育に悪いじゃないか」
「…っ、その小さい子供をどうこうしてるのはお前だろ!」
うわ、この殺気に耐えてしかも怒鳴れるとかこの人スゴイな。これは私でも押し黙っちゃう気がする。
私がカディスの迫力に圧倒されていると、
「ねえねえ」
「!」
「シッ」
突然肩を叩かれて、振り向く。すると、緑色の髪の青年が、唇に指を当ててしゃがんでいた。う、美青年。
「早く逃げよう。イルギさんが時間稼ぎをしてくれてる間に……」
「イルギさん?」
「犬人のあの人だよ、ほら、早く」
「悪いが私には状況がまったく理解出来ない。つまり、あなたに付いて行けない」
「そんな事、言ってる場合じゃないよ。あの人、過去に女性を苦しめた、『悪魔の所業』と言われた事件を起こした張本人なんだよ?」
「……え?」
何それ……どういう。
「最近鳴りを潜めてると思ってたのに、また出て来たんだ。ほら、早く。逃げないと。君、連れ去られたんでしょ?保護所に連れて行ってあげるから」
「ま……待って、何を……」
マズイ。
私の固まった思考の中で、唯一緩やかに回る危機判断能力が、そう告げる。
これは、本当にマズイ。
周りは敵だらけ。
私はカディスに連れられた子供、このままだと餌食にされると思われてる。
カディスは強い。でもここで暴力沙汰になれば状況は悪化する。
これ、もしかして詰ん…
違う、諦めるな、何とかしろ、魔王。
状況を整理しろ、頭、仕事しろ。
焦るな急くな慌てるな。
一個一個を考えろ。落ち着け。何とかなる道があるはずだ。
まず、周りが敵だらけ。
それは仕方ない、お兄様は過去にそれだけの事をした。
私が連れ去られた子供。
これはだめだ、事実と違うし、このままだとマズイ状況のカディスを、いや、お兄様を置いて行く事になる。
カディスが武力行使。
これもだめだ、公爵家の息子としてもあり得ない。最悪、魔王の側近として仕事に就いてもらう事なんて不可能になる。
当たり前だ。
平和な魔族領での、暴力沙汰の張本人。
制御できる夢魔とは違う。これはカーティスがやったと騒がれれば一発でおしまいだ。
どうしよう、どうする?
この場をどうにかする策は?
強行突破で逃げ帰る?
却下。これはその場凌ぎのだけで、後々問題が大きくなる。
無実を訴える?
却下。聞いてくれたとしても、カディスは昔に罪を犯している。無実と言っても信じてもらうには全然足りない。
助けを呼ぶ?
却下。頼りになるエリアスもユアンも、公爵家に居て遠い。私が離れてる間に何か起こらないとも限らない。
やっぱり軽い怪我だけ私が負わせて話を聞いてもらう、それか逃げる。
却下。魔王だとばれた時に信頼を失いかねない。これは最終手段だ。
じゃあ、もう、これしかないじゃないか。
覚悟を決めろ、迷うな。
大丈夫だどうにかなる。どうにかする。だから、大丈夫。
私は帽子に手をやり、すうっと息を吸った。
「そいつは私の連れだ、今すぐその手を離せ!」
私は帽子を脱ぐと同時に、ギルド全体に響く声でそう叫んだ。
閲覧ありがとうございます。
事件に関して、カーティスはすごく反省しているのですが、カディスはそうでもありません。生きるためと思っています。夢魔として当たり前なので、正式な罪には問われませんが、周りからの反発はそりゃあもうすごかったのです。
次回、ちょっとミルヴィアが戦います。




