37 真名
「あらち、かぐら」
「…?もう一回、いいか?」
ぎゅっと手を握って、大声で、叫ぶ。
「愛発神楽!」
ビリッ!
「ミルヴィア様!」
「ッ、やっぱりか!」
ユアン、エリアスが何か叫んでる。ガタン、と私は頭に衝撃が来た。痛い。
電気が走る。痛い。体中の血が逆流しているみたいに、熱い。熱い。『私』が呼んでる時とは違う、ぐわあっとする感じ。もしかして、魔力の暴走?興奮状態?嘘――嫌だ。死にたく、死にたくない!
熱い、痛い、苦しい、息が出来ない、死んじゃいそう、嫌、無理、耐えられない!
「いっ…くっ!」
でも、どうしたって熱かった。痛い、熱い!嫌だ、助け――!
「この通りだ。行け――助けろ」
エリアスの言葉が、ずっと遠くで聞こえていた。全然分からない声みたいに曇って聞こえたそれを合図に、何が風が起こった。風、じゃない。霊魂から聞こえる声が、私には風として聞こえただけだった。
「我ら、主様の命は聞くべきだと心得たり」
「我ら、あの少女は救うものだと心得たり」
「我ら、魔力の暴走を止める命と心得たり」
ヒヤリ、と言うほどじゃない。ただ、普通の体温に戻っただけ。いつの間にか倒れていた私の左手、右手、額の上に、白い霊魂が居る。魔力がすうー、と音を立てて戻って行くのが分かった。
何今の…すっごい苦しかった。息が出来なかった。死ぬかと…思った。
「魔王の魔力は美味いからな、こいつらも文句はないだろ――大丈夫か?」
「今の…?」
「魔力の暴走だ。予想はしてたからこいつらを呼んだんだが…良かったな、救われて。真名の衝撃は本当に酷い。カーティスだって、真名を知った時は五日間暴走して千人どころじゃなかったな」
「…そう。なら私は、マシなほうだったって事か」
「あのままだと吸血衝動が起こって大惨事だっただろうが。全然マシじゃないな。むしろ酷い方だ。この結果に落ち着いたのは、この霊魂達の活躍だ」
「エリアスもでしょ?ありがと、本当、死んじゃいそうだったよ」
実際、死ぬんじゃないかと思った。死なないと知ってても、なんかホント苦しかったし。魔王は死なないって、あれ嘘だろ…最強だからこその都市伝説だろ…。あんな苦しくて死なないはずないもん…。
「礼はいい。どっちにしろ、早く起きてもらおう。カグラという名について聞きたい」
「神楽だよ…ちゃんと漢字で言って。神を楽しませる、で、神楽」
「じゃあ神楽。その真名はどうしてわかったんだ?どこから出てきた?どうやって知った?」
「んー?どうしてだろうね。勘だよ?本能的に分かったと言うか」
嘘はついてない…はず。幸いエリアスは納得したようで、はあっと息を吐くとそうだよな、と呟いた。一分くらい、考えるように視線を伏せていた。一分経った頃、ユアンがくすくすと笑う。エリアスはそんなユアンを、ジトッとした目で見た。
「お前だって…知らなかっただろ」
「知りませんよ?だから何です。あなたが迷い戸惑うのが面白いだけで」
「何が面白いだ、どうしてお前が迷わないのかが不思議でならない」
「私は別に迷わないわけではありません。迷うのより、迷っている人を見る方が好きなだけです」
「お前…」
心底軽蔑するな、とエリアスは言って眼鏡をかけなおした。その瞬間、エリアスの目がユアンをじろっと見たのを見逃さない。私は立ち上がると、息を吐く。神楽…なんかが戻った気がするな。それに、真名が神から与えられた個性なら。
「私は神を楽しませるために生まれてきたって事かな」
「神を楽しませる、で、神楽、な。いい真名だ」
「ありがとう。こればっかりは『私』の両親に礼を言わなきゃあね」
「本気?」
うわハモった。だよね、あの両親に礼を言うとか言ったら変な人扱い確定だよね。いいけど。
お礼を言うべきは『私』。『私』にお礼言いたいなー!
『呼んだ』
『うわ!?何いきなり!なんで今!?いきなり!?現れるのがレアって設定どこ行った!』
『こっちが夜か昼かで決まるの。それで、どうした?』
『えと、神楽の名前を騙っちゃって』
『別に良いよ?その名前はあなたの物だし。…って言うか』
『私』はしばらく時間を置いて――私が急に無言になったから、エリアスとユアンはちらっと視線を交わした。『私』は、何だかふっと笑ったような気がする。
『良いよ別に。じゃあね』
『あ、待っ…』
「切れた…?」
「何が切れたんですか?」
「んーん、なんでもないよ。ところでエリアス、私はお皿とお盆を持ってそろそろ戻るけど」
「ああ…そうだな。お前ら、戻れ」
エリアスは、霊魂達に払うように言った。
「我ら、主様の命に従い戻るのみ」
「我ら、主様の願いを聞き届けるのみ」
「我ら、主様の言葉を聞き従うのみ」
…我らトリオ、忠実すぎ。
霊魂達はすいーっと泳ぐように出て行くと、雨の中ふっと消えた。そういえば、屋敷中ザーザー言う音が聞こえないな…なんでだ?遮音結界を広げたとか…そうとしか考えられない、か。で、それをエリアスがやるとは思えない。となるとユアン?違う、ユアンはそんな事しない。で、次は…
「お兄様?遮音結界張ったのって」
「ご明察、遮音結界はカディスが張ったものだ」
カディス…カディスって言ったか、今。
「カーティスでしょ。間違えないでよ。今夢魔じゃないお兄様に対して失礼」
「ああ…そうか…ん?となるとこの気配…いや、匂い、獣の匂いが消えている。…信じられない。待て、一時的に抑えられていると言う可能性もある…だがこの匂い…扇情的な、女性を誘うこの香り。間違いない!」
エリアスはばっと走り出すと、ドアを開けて外に出た。それから、きょろきょろと周りを見る。はあはあと、さほど走ったわけでも無いのに息が荒くなっていた。私も外に出て、エリアスを中に戻そうとする。見つかったらどうすんだ!って大丈夫か、このスピードじゃ全然分からないよねー…って、分かるわ!少なくとも何かが通り過ぎたって事だけは分かるわ!
「早く戻って…!」
「無理だ!待て、すぐに戻るから」
「待てるもんか、ってうわあ!?」
エリアスは、私を抱えると…つまり、皆さんお察しの通りお姫さん抱っこね。抱えると、物凄い勢いで走り出した。絶対追い風にしてるだろと言いたくなるほど早く。実際、私も思わずエリアスの胸元に縋り付いたくらい。マズイ、これ落ちたら確実に怪我をする。と確信したほど。
「怖いってば止めてよ!」
「止められるか!悪いが本当に今は切羽詰まってるんだ!」
「…ッ、え」
何それどういう事?と聞く間もなく、キキイ、と盛大な摩擦で止まったエリアスは、いつの間にかタフィツトに来ていた。なんだ、お兄様と話があるとかそういう…って!
「エリアス、離してよ。お兄様、このカッコ見たら怒るって」
「静かにしろ、ミルヴィア…腰が砕けたらたまらない、この格好で我慢しろ」
「腰砕け…あの、一体何をしようとしてるの?」
すっげえ物騒な言葉が聞こえたんだけど?私大丈夫かな、無事でいられるかな。
「真名を唱えておけば、気絶はしないだろう」
「真名…?神楽、神楽…」
「静かに心の中で唱えておけばいい」
「あ、そう?」
なんだろう、ピリピリしてる。しかも、ユアンもようやく追いついた感じだし。
エリアスが、そっとドアノブに手をかけようとして…その必要が無くなった。
正しくは、すうっとドアが音も立てずに開いた、だった。
「っ…」
「…カディス」
「どうも、エリアス」
一瞬私は、その声が誰のものか分からなかった。分かっていたけど、なんとなく、違うような気がしたのだ。
他者を労わるようないつもの声ではなく、他者を魅了しいいようにする艶めかしい声だった。
「もうちょっと早く来るって予想してたんだけどな。がっかりだ」
ひらりと手を振るお兄様は、妖艶な笑みを浮かべ、静かなゆったりとしたローブを羽織り、それこそ扇情的な表情を浮かべ、こちらを見つめていた。エリアスを見た後、するりと滑るようにこちらに視線を移動させて。
そして確かに、私の体は凍りつき――心の中で何かを考えていないと、その瞳に吸い込まれそうだった。
閲覧ありがとうございます。
真名と夢魔についての詳細は、これから物語中で明かすつもりです。
次回、夢魔が覚醒したのでなんやかんやがあります。




