36 夕飯
私は、エリアスに魔法をぶつけられた箇所をさすりながらとぼとぼ歩く。
痛いなあ…言ってなかったのは悪かったけど、本気でぶつけることないのに…。
それにしても、真名、ねえ…。今日あたり体が熱くなったりしない?しないか。そうそう都合よくはいかないよね。
さて…真名。
真名。
真の、名。
「あらち…」
「は?」
「んーん」
やっぱ、使っちゃだめだよね。ね、『私』?おーい、『私』。聞こえてる?
…シーン。
ですよねー。だめか。どっちにしろ、名前は…言わないといけないよね。ちゃんと。
何だかな、捨てたのにもっかい拾うって一番ひどい仕打ちだと思うんだよ。
絶対捨てたらいけないものを捨てたのに、捨てちゃだめだよと言われたからもっかい拾う。多分、『私』だって許さない。謝ればいいって問題じゃないから…や、誤ればいいのかもしれないけど、それはそれでだめとゆーか。
「ところで、ミルヴィア様の真名は何なのです?」
「んー?なんだろねー」
「知らないのですか?」
ユアンが驚いたような顔をする。んん、これも騙してる気がして気が引けるなあ。何か適当に…それは嘘になるからだめか。
「知ってるけど、ないしょー」
「何故です。意地悪ですね」
「ふふ」
他にもたくさん、気になってる人居るだろうな。その人たちのためにも早めに明かした方がいいんだろうけど。でもここから先『眷属』を使う機会は多いだろうし、割り切った方がいいかも。
「あとで教えるよ…エリアスと一緒のときね」
「はい」
ユアンは気をよくしたようで、ニッコリ笑うと私の自室に一緒に入って来た。バタン、と扉を閉める。しばらくしたらエレナさんがごはんを持ってきてくれるはず。で、そこから半分くらい三百…三号室?に持っていく。それでいいかな。
それにしても、真名ねえ。
私としては、あの名前に何か意味があるとは思えないんだけど…
あらち――
「はあ…」
「どうかしました?」
「真名って、名前に何か意味があるもんなのかな」
「真名ではなくとも、あると思いますよ。大体の場合、意味なしでは名前は付けません」
「じゃあさ…ミルヴィアは?」
「さあ。分かりません。カーティス様に聞いてみてはどうですか?」
「そだね、そうしてみるよ」
意味はないだろうと思うけど。ぱぱっと決めた感じだし。
ん?
私の真名って和名なんだけど。変じゃない?
「ユアン、ここら辺に『山田さん』っている?」
「ヤマダサン?いえ、知りませんね。どうしてです?」
「何でもない」
やっぱり居ないよねえ、和名の人って。でも、真名が和名ってどうなんだろう。ありがちなの?いや、ないだろ。絶対ないだろ。和名って。
私は椅子に座ると、丸い机を椅子の前に運んできた。ここに置いてもらおっと。
和名ってのは悪目立ちしそうだし……誰にも言わない方が良かったりとかするのかな?ああでも言うって約束しちゃったしなー。言うっきゃないかー。
コンコン
お、来た来た。
「はあい」
「失礼します、お夕飯です」
「はーい」
エレナさんが入ってきて、かちゃかちゃと音を立てながらお皿とコップ(ガラス)を私の前に並べた。ここに机を置いておいてよかった。ちょうどいいや。
「失礼します」
「あ、待ってエレナさん」
「はい?」
エレナさんはふわっと振り向くと、首を傾げた。エレナさんも綺麗なんだよなあ。
「『山田さん』って分かる?」
「ッ!?」
サアッ!
あ、れ?
エレナさんの顔が真っ青になる。震えながら、両手を胸の前で握って一歩下がる。
「どうして――どうして、その名を」
「知ってるの?」
「あ…い…え…」
エレナさんがもう一歩、下がる。
あれ。
あれれ?もしかしてマズイ事言っちゃった?
「なにも…なにも、知りません。何もです。知らないんです――」
「エレナさ」
細い手を伸ばすと、その手を避けるようにエレナさんは一歩下がった。う、ショック。
私はさっと手を引っ込める。
「あ、えっと、ただの…勘、なんです、けど」
「あ――いえ、すみません、ミルヴィア様」
「いえ。すみません」
や、なんで謝り合ってんだろ…いっか、別に。
「探るつもりも何にもありませんし」
「そうですかでは失礼します」
ヒュバンッ!
「…」
速い…。ヒュバンって擬音が聞こえるほどには速かったな。
『山田さん』ね。知ってるっぽかったけど。
私って好奇心はあれど探求心は無いからそこがいいところか。
私は今なお笑顔を浮かべているユアンに向かって笑いかけた。ユアンはもう一度ニッコリと笑う。ったく、今の見てもその表情…変って言うより
「怖いよ、ユアン」
「はい…?
「なんでも…半分食べたらエリアスんとこ行こうか」
「はい」
ユアンはにっこり笑うと、私はしゅるっとスープを掬って口に入れる。美味しい。ポタージュ?美味し。ここは美味しい食べ物しかなくって嬉しいなあ!
次、パン。甘くはない。でもさっぱりしててパサパサではなくふわふわ。
次、おかずの煮豆おお、豆か。私、豆あまり得意じゃないんだけど、んん!?
「ぐっ!」
「ミルヴィ様!?」
豆マズッ!この世に恨みでもあるんじゃないかって思うほどマズイ!ぼろっぼろ!
「美味しくない美味しくない!要らない!」
「ミルヴィア様、大丈夫ですか!?」
「何この豆料理!?全っ然美味しくないんだけど!」
「ああ…エレナ様は豆料理が苦手でしたね。なんだ、それだけの事ですか。驚きました。いきなり悶え始めるので…」
「へへ」
私は『豆料理以外』!『豆料理以外』!ね!それ以外の半分を食べて、お盆を持って部屋を出た。
きょろきょろ誰も居ない事を確認して、ささっと三百四号室の隣室に向かう。途中途中、メイドさんに見つかりそうになると角に隠れたり、空き部屋だったら部屋に隠れたり。あ、これ忍者っぽくて楽しい。おっとメイドさん。でもあっちの角が部屋だし…よし、ダッシュ!
タッタッタッ!ガチャッ!
「エリアス、ごはん!」
「おお」
ドアを開けると。何だかひやっとした。よくよく見てみると、白い霊魂が三つ、フワフワと浮いていた。エリアスの頭の周りを取り囲むように、ぐるぐると。おい…なんで今ここで出してんの…。
エリアスはベッドに座って霊魂と話していた。ベッド、机、椅子。それだけしかない簡素な部屋だったけど、無駄に広い。七人入っても余裕だと思うな。
「我ら、主様に栄養を与えられて至福なり」
「我ら、主様と食事を共にできて至福なり」
「我ら、主様を支えられる仕事で至福なり」
おー…でた、我らトリオ。
「どっちでもいいんだけど、エリアス、ここ秘密なんだから…静かにしといてよ?」
「分かってる。ほら、早く飯」
「はいはい」
ユアンにも入ってもらって、机にお盆を置く。何か、背徳感があって新鮮というか、ドキドキする。この後真名を言うのかと思うと、なおさら。
エリアスは美味いな、と言いながら食べ進めて――豆料理のところで、手が止まった。
「何だ?これ」
「お豆。私豆嫌いだから、あげる」
「好き嫌いは良くない」
「いーじゃんいーじゃん!ほらほら食べて!」
エリアスは一瞬怪訝そうな顔をしてから、豆をそっと口に運んだ。それから、ゆっくり咀嚼する。来るか来るか…と身構えたけれど、特にそう言った様子もなく飲み込んだ。
あれ?
「エリアス、美味しかった?」
「ん?ああ、美味かった」
「…まさかの味覚音痴発覚」
「はあ?」
「なんでもない…何でもないよ、エリアス」
エリアスはもう一回首を傾げて、夕飯を食べ終わった。エリアスが味覚音痴だとは、ショック。そういうのとは無縁の人だと思ってたのに。
「さて、話がある、ミルヴィア」
「えっ、はい!」
改まって言われると、こっちも畏まってしまう。しかもまだ霊魂散ってないし…。
エリアスは私に真剣な目を向けてきた。私は何が来るんだ、と息を呑む。
「お前の真名、本当に分かってるのか?」
「え…分かってる、よ?」
「じゃあ、教えてくれ。別に不都合はないだろう?」
「無いけど…うん…」
まさかこんな形で言うとは。自分から切り出すつもりだったのに。主導権を握られた気分…いや、エリアスはそういう奴だ。握るつもりだったんだ、自分が。
体が震えた。言っていいのか分からないし、そもそも、言うって怖い…どうしよう。思った以上に、怖い。
「私の、真名は」
目の前がじわっとなった。言わなきゃ…言わなきゃ。
「あら――あらち」
閲覧ありがとうございます。
引っ張る形になってしまいました。まあ、一応のところ名字は言ってるような物なんですが。
次回、真名、です。




