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17 こわい

「どうして寝込んでいるはずのあなたが、ここに居るんでしょうね?」

「そ、それは、えっと」


 私、こっちに来てから何回怖いって言ったかな。何回でもいいや。今回はもう嫌だ。逃げたい。足がガクガク震えてるし、冷や汗が止まらない。笑顔が無表情で無情で無慈悲に見えるのはどうしてですか。


「あの衛兵は頼りになると思っていたのですが、どのような手段を使ったのです?」

「あー、それは」

「私が見る限り、魔王ではなく吸血鬼としての能力を使ったと見えますが」

「ん、んんー…」

「カーティス様にはまだ伝えていません。今ならまだ戻れますよ」

「も、戻る…の、許してくれる?」

「さあ、扉に向かった途端胸が剣で貫かれるかも知れませんが、安心して下さい、魔王ならば私の剣では死にませんから」

「…」


 痛いの嫌だー!死ななくったって痛いんだよ!と、叫びたいのにユアンの穏やかな笑みに押されて言えない。穏やか…じゃない、恐怖。恐怖の笑顔。


「私は別に良いのですが。剣があなたを貫こうが、あなたの首を斬ろうが、あなたは生きているのですから。罪悪感など抱かずともいいでしょう?」

「良くない…」


 人を斬っといて罪悪感なしとか、もう人でなしじゃんか!いや、私の中じゃユアンは悪魔だ。魔王だ。私より魔王だ。人を全然普通に斬っちゃう魔王だ。うん、異議なし。


「どうしてここに居るのか、ご説明願います」

「ユアンの故郷の事、調べようと…」

「明日にすれば良かったのに。そうすれば、今のような思いをせずとも良いのですから」


 そんな叱られる子供を諭すみたいに…!あ、私五歳か。


「それで?調べたかったのは私の故郷の事だけですか?」

「魔石と、バードラゴン、ドラゴン・スカル、魔王の仕事、副官の仕事、権力のピラミッド、魔法事典を読んだり、赤魔石の特徴、薬の種類、あと……」

「待ってください、そこまでで結構です」


 まったくあなたはどれだけ知りたがりなのですか、とぼやきながらユアンの笑いが困ったようなものになる。だって知りたいんだもん、仕方ないじゃん。


「まあ、それらは明日調べて下さい。どうしますか?戦いますか?それとも大人しく降伏して謝りますか?それとも――逃げますか?」

「…」


 逃げる。今の私には魅力的で、ミルヴィアにとっては選択すべきで、魔王にとっては絶対に選択してはいけない。謝るのは嫌だ。こいつに頭を下げたくない。

 考えがグルグル回っていると、ユアンが放った言葉に思考が止まる。


「逃げてもいいのですよ。私は誰にも言いません。あなたがカーティス様の秘密を言わないように」

「…知ってるの」


 お兄様が狼男だと。

 お兄様が夢魔だと。

 知っているんだね?


「偶然知ったのですよ。この前の満月の夜、書類を渡しに行けば中から呻き声と艶やかな声が聞こえたのですから、知らない方がおかしいでしょう。逆にどうして皆さん気付かないのかが疑問です」

「喋るな」

 

 ユアンの剣を思い出した。抜くと同時に勢いをつけて首元に。決して傷は付けないように、ゆっくり静かに。気付けば首元に剣が在る。そういう剣の扱い方だった。

 だからそれを真似(コピー)した。吸血鬼が得意な真似(コピー)。血を吸わなくても。一度見れば分かる。動きくらい、真似出来る。

 

 今、ユアンの首元には短剣が突き付けられていた。


「…すごいですね。一度で憶えるなんて」

「喋るなと言ってるのが聞こえないか」


 窓から差し込む月の明かりを受けて、私の目が光る。短剣が光る。ユアンの顔に緊張が走った。

 なんだ、ユアンも危機感は感じるのか。良かった、人間らしい一面が見れて。この格好意外とキツイ。私の背が低いんだから当たり前だけど。


「私の事などいくらでも言い触らせ。ただ、お兄様の事は言うな」

「私に何かメリットが?」

「命が助かる。短剣が見えるなら、言う事くらい聞け」

「あなたにとってのメリットは?」

「お前が黙っていれば、お兄様の顔に傷が付かない。お兄様は一番強い。お前以上に、強い」

「心外ですね。私はこれでもそれなりに訓練したのですよ?」

「故郷から逃げて?笑わせるな。辛い思い出から逃げたお前が、お兄様に勝てるはずがない」


 ユアンの顔から笑顔が消える。冷たく私を見下ろしてる。こわ…

 

「…それは本当に心外です」

 

 ユアンの剣が抜かれる。気付いたのは剣が首に当てられる一瞬前で、回避、と思った時に、短剣を気にしてしまった。あのまま回避すれば、ユアンの首に傷が付く。無駄な考えで回避出来なかった私は、横目で見て顔をしかめる。私の首元に剣が在る。私は唇を噛んだ。

 短剣を気にしなければ、絶対、逃げれたのに…!


「悠長に考え事ですか。随分余裕ですね?」


 クイ、と剣の角度が変えられ、そこに剣が突き付けられている事を意識させる。何が気に障ったのかは分かる。そりゃ、思い出から逃げた、なんて言われたら誰だってイラッと来るか悲しくなる。だからって、五歳の女の子に剣突き付ける!?いや、私もやってるけど。

 でもこれ、予想以上に死への恐怖がある。魔王だから死なないと頭ではわかっていても、本能が拒絶する。


「謝ってくれれば、外してもいいですよ…?」

「…謝らない。思った事を言って何が悪い。それに、不死身の私と違って、お前は死ぬ」


 私も短剣の角度を変える。私だって剣を持ってるんだ。斬らずにどうする。いざとなったら首は無理だと思うから腕でも切り落としてやるよ。…やめとこう。我ながら怖すぎる。無理。腕切り落として血が噴き出るところとか、ほんと、見たくない。


「私は剣の一族です。短剣で斬られずに避ける事なんて、簡単なんですがね」

「剣の一族…」

 

 待てよ、つまり、あの狩人の一家が剣の一族だったって事か?だとしたら、どうしてそんな人達が巨人の口の中に放り込まれる役目を担わされた?

 また、クイ、と角度が変えられる。


「考え事は、余裕な時にやった方がいいですよ。今、あなたは負ける確率の方がずっと高い」

「…負ける」


 私が、負けるんだ。斬られたら、負け?


「じゃあ切る」


 薄く、本当に少しだけ、首筋を切る。頸動脈からはずらして。ツウ、と剣と首筋から血が伝う。


 ドクンッ

 

 血…!

 しまった!私、血、見ちゃいけないのに…!


「飲みた、う…」

 

 うわ、やば……これ、きつい…無理……っ!


「…ミルヴィア様?」


 短剣から手を放して蹲った私に、ユアンが驚いたような声を出す。顔を見てみれば、笑顔が消えて、本当に心配そうな顔。剣は鞘に納められていた。そして、首に光る真っ赤な…


「ユア…ン…」

「ミルヴィア様、どうしたのですか!」

「血…」

「血?ああ、これですか」


 ユアンが首筋に触れると、その血が指先から手首にまで流れていく。その仕草がどうしても誘惑的で、指先へのキスの意味は?とか、首筋の意味は?とか、正気を失いそうな頭の中でのろのろと時間がひどくゆっくりに感じられた。


「っ、み、ミルヴィア、様…」

「何!」

「目が真っ赤です」

「…え…」

「黒の目が、赤くなっていますよ」


 嘘。吸血鬼としての顔が出てるって事?

 そんな事を考えてるのも頭の片隅で、今はもうユアンの血しか目に入らなかった。このままだとやばい、正気を失ったらだめだ、と分かっていても、体は血を求めていて。


「ユアン、血、吸わせ、て」

「いけません。カーティス様を呼んで来ますから、部屋から出ないでください」


 ユアンの顔が余裕のないものに変わる。そんなに、今の私って恐ろしいのかな。どうしてだろう。


 おなかがすいた。たべたい。だれかおなかをみたしてください。


「ユアン、これ、もう、だめ…」

「ミルヴィア様!これは…」


 意識が朦朧としてくる。もしこのまま吸血鬼になったら、もしかして、お腹が満ちるのかな。お腹いっぱいになって満足するためには、意識を手放した方が、早いのかな。


「いけません!ミルヴィア様、どうか正気を保ってください!このままだと、辺り一面が血の海になりますよ!」

「…別にいい…」


 お腹がいっぱいになるなら、。

 ユアンの顔が驚きに変わる。そんなに驚く事じゃないよ。人間だってお腹いっぱいになるために、牛を殺すじゃない。


「ミルヴィア様、お願いです。そのまま赤に染まれば、魔王として生きられなくなります」

「だ、って、無理、お腹空いて…」

「…」


 だけど、今の言葉で少し意識がはっきりしたのが分かる。魔王としての意識が、吸血鬼を抑えつつある。なのに体はお腹が空いて、血を求めてるから完全には抑えられない。

 二重人格ってこんな感じなのかな。違うって事は良く分かる。別の人みたいになっちゃうんじゃなくて、欲求が勝つか理性が勝つかだ。分かってる。分かってるのに、腹ペコの人の前に美味しそうな、一番の好物を出されたら、誰だって、勝てないよ。


「ユアン、血、お願、い」

「だめです。今のままでは私も吸血鬼になります」

「…?」

「致死量の血を吸われれば、吸血鬼になるのです」

「そんなに吸わない、から…」

「我慢出来ますか?出来ないでしょう?私まで吸血鬼になってしまえば、あなたを守れなくなります」

「その前に空腹で死ぬ…!」


 冗談じゃなく、死ぬ。このままじゃ、死んじゃう。


「カーティス様を呼んで来ます、待っててください」


 ユアンが私を置いて三百四号室を出て行った。

 

 苦しい。息ができない。辛い。解放してほしい。だけど魔王として生きたい。

 意識が呑まれるぎりぎりで、また抑えられる。この繰り返しがもどかしい。本当なら早くどっちかに勝ってほしいのに、中立の人間の意識が邪魔してどっちにもなれない。人間としての意識が、まだ残ってる事が驚きだけど。

 

 ああ、もういいや。疲れちゃった。魔王じゃなくなっても、いいよね…お腹いっぱいになるんだから、いいよね?


『だめ』


 頭の中で聞こえた声は酷くはっきりしていた。

 だれ…


『分からないの。私だよ。話したばっかりなのに』


 『私』だ。来たんだね。


『来たわけじゃない。テレパシーって分かる?それで話してるだけ。ねえ、忘れてる?』


 声が鋭くなる。


『銀行強盗は、罪もない人を欲のまま殺したんだよ。そうなりたい?私と一緒に、銀行強盗に対する嫌悪感まで忘れちゃった?』

『~っ!』


 そうだ。ちゃんと意識を保たないと。お兄様も、ユアンも、エレナさんもコナーもメイドさんも、皆が死ぬ。私だったら首筋にいちいち噛み付かないで、剣で切り裂いてしまう。


『ほら、思い出して。庇った女の人はどうなるの?頭で分かっていても体が動く?馬鹿じゃないの。頭で分かってるんだったら抑えなさい。空腹なんていつかは満たされるしどっちにしろ魔王なんだから死なないでしょ。ちょっとぐらい我慢を覚えた方がいいよ』

『酷いなぁ…分からないでしょ。この気持ち』

『分かる。ある程度のリンクは残ってるんだから、私の方にもどうしようもない気持ちが伝わるし』

『マジか…』

『あともう少しで…お兄様?だっけ、来るから。私が消えても我慢しなよ』

『我慢くらい、出来る』

 

 バンッ!

 

 リンクが切れた感覚がしたと同時に、ドアが勢いよく開かれる。ユアンも来ていて、その血を見たとたん気持ちが揺らぐ。

 だめだ。せっかく『私』が来てくれたんだから。そう、ちゃんと。お兄様とエレナさん、ユアンをしっかり見ないと。


「ミルヴィア!寝てなって言ったのに!興奮状態だと、本能的な部分が抑えられなくなるんだ」

「そう…なんです、か、お兄様」

「喋るな。エレナ」

「は、はい」


 エレナさんは若干震えながら、私の喉に薬を流し込んだ。少し落ち着く。また、眠りに誘われる。


「先生を呼ぶんだ。ミルヴィアが起きるまでに」

「はい!」

「…ミルヴィア様」


 私はゆっくり、静かに、眠りという欲求に従って、意識を手放した。

閲覧ありがとうございます。

ミルヴィア、『私』のおかげでどうにか助かりました。

次回、今度はお兄様に叱られます。

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