エリアス編 困惑
なんなんだこの魔王は。いや、これは魔王なのか?アイルズと夢魔が言ってるだけで魔王じゃないんじゃないか?
黙りこくっているし何かを考えているようで周囲を気にしているし、あのアイルズが心配していた。ただ事じゃないぞ。
というかただの貴族の間でのトラブルだぞ?なんでカーティスとか宮廷の執事とかギルドとかが動くんだ。内々で処理しろよ。外が動くとしても最低限でいいだろユアンの責任なんだから。もっと言えば雇い主のカーティスの責任だろ。
何より一番おかしいのが、周りの人間誰も指摘しないがたかが騎士一人のために魔王が直接動くとかありえないだろなんで皆言わないんだ。
あと一番マナーがなってないのは伯爵家だそれなりの代償は払わされると思ってもらわないと困る。他の貴族との関係もギルドとの関係も宮廷との関係も魔王との関係も最悪になったからな。
それだけで爵位の維持は難しいだろう。
「で、話って?」
「あ、うん。ユアンが伯爵家に行くんだって。だから評判が悪くならないようにエリアスも」
「はあ!?」
「それでね、公爵家が悪くないってのを院内に広めてほしいんだ。それとなく、なんとなーく憶えてるぐらいの印象でいいんだけどね」
「……」
俺は絶句した。依頼内容自体は別に軽いものだ。自分の意見を口にすればいいだけなのだから。
だけど依頼した理由があまりにもショックというかわけが分からないというか……なんだ、えーっと、つまりあれだろう。ミルヴィアの側から離れるって事だろう。
というか、なんで移るという事になったんだ?
「なんでだろうって思ってるエリアスのために言っておくと、評判のためだって。あれだと思うな。お兄様とか他の人が動けば『公爵家は善良』と思われるからじゃないかな?」
「は?あいつそんなに馬鹿だったか?」
「ねー、いつから馬鹿になったんだろうねー」
魔王がかなり軽い調子で話す。だが、なんとなく、いつもの調子ではないように思えた。逆にこれでいつも通りだったら引くが。
他の奴も、無理やりにでも引き留めた方が良かったんじゃないか?魔王が引き留めなかった理由は、性格的に分かるけれど。
そもそも手間としてはどちらでも同じだろう。
「引き留めればよかったのに」
分かっている。魔王は引き留めないと知っている。
だけど言いたくなったのだ。魔王は俺の方を見て、ははっと笑った。
「そうかなあ。ユアンが行きたいっていうのなら、私は笑って送り出すよ」
「……それは酷だろ」
「じゃあ泣いてほしい?行かないでって言ってほしい?そうしたら留まるの?」
魔王は冷たい目でこちらを見た。目が合う。
元々黒い目と目が合うのは慣れない。それに加えて、その目は笑ってなどなく、嘲笑のような雰囲気を漂わせていた。口元に浮かばせた薄い笑みは、諦めているようにも達観しているようにも見える。
俺の背筋に悪寒が走った。
「だったら初めから言わない事だね。周りの人が止めてああ分かったというような安っぽい覚悟なら、いずれまた離れていくんだよ」
「……」
そうとは思えないけどな。それに、そう思っているとも思えない。
ユアンは行きたくないだろうし、ミルヴィアも行って欲しくないだろう。
「私はね、『言って』欲しくなかったんだよ」
珍しく人の思考を見透かすような事を言う。いつもと立場が逆で、何故か今の魔王には勝てないような気がした。
夢魔の様子もおかしい。辛そうな表情で魔王を見て、何かを言おうとしては留まっている。たまに顔をしかめて体を震わせたり。
「ならユアンも、お前に嫌だと言って欲しかっただろう」
「もっかい同じような事言うね。嫌だって言って頭を振って裾を掴んで引き留めて、そうしたらユアンは謝る。謝った後、ですが、って続けるに決まってる。悪いけど、私は人の覚悟は尊重したい人なの」
「………意地っ張りだな」
俺がそう言うと、魔王がスッと振り向いた。流し目でこちらを見て、ふっと笑う。殺気はない。敵意も害意も皆無だ。その代り、好意も善意も皆無だった。
見慣れた笑顔の裏にこの表情があったと思うと、ユアンが居なければ、俺が何かを口走ればこの冷め切った表情をしていたと思うと。
「そうかもね?」
唇だけが、そう動く。
また悪寒が走った。夢魔は辛そうに、魔王に掛ける言葉を探しているようだった。
恐らく、この時が初めて、魔王を怖いと思った瞬間だっただろう。
本心から笑わない魔王は、こんなに周囲の恐怖心を煽る。夢魔は泣きそうな表情で、魔王の裾を摘まんだ。魔王がハッとしたように夢魔の方を向く。
「神楽、大丈夫じゃから……じゃから、」
「分かった」
夢魔に最後まで言わせずに、魔王は目を瞑り、すうっと息を吸って、吐いた。次に目を開けたとき、魔王は無邪気に笑う。
それにも少し、恐怖を感じた。
「ごめんね、ちょっと当たっちゃった。……意地っ張りかあ、そうかもね」
分かった気がする。
魔王の周りには強者がたくさんいる。その強者を、魔王は制御して手綱を握っている。
そして中には普通の者もいる。夢魔もこの世界では普通の実力だ。庭師も、具体的に言えば普通ではないが、ビサも前はそうだった。そして友達と言う狐族の少女と猫族の少年もだ。
その全員が問題を抱えている。
魔王は強者の手綱を握っていて、普通の者に助けられている、ような気がした。
「……ただ、引き留めは、しないよ?」
「……」
意地っ張りじゃないか、確実に。
俺はああ、と適当に頷いておいた。本気で抗議したのも俺らしくない。俺達の会話はもっと軽いものでいい。
さっきの考えだが、具体的に言うと違うのかもしれない。利益の関係がない相手に、助けられているとかか?
まあ、それはいくらなんでも考えすぎか。ビサとは師弟関係だ。夢魔とも主従関係にある。それにユアンにも助けられているようだし……撤回しよう。
俺は魔王の前での発言は撤回しないがな。
「あ、ビサ」
「師匠!」
ビサがこちらに駆けてくる。それはもう全速力で。俺はなんとなく、本当になんとなくだ、三歩後ずさった。
ビサはこちらまで来ると、笑顔を浮かべて魔王を見た。魔王もにこりと笑い返す。
さっきまでのあの表情はどこいった……。
「ビサ、試験どう?」
「今のところ順調です!あと一人強者がいるようですが、会場にも慣れましたので余裕かと!」
「おー、さすが!あー、ところでさ、ビサ、訓練の事なんだけど……」
ああ。
魔王も大変そうだな。
俺はそう思って、こっそりとその場から立ち去った。
閲覧ありがとうございます。
面倒事には極力関わらないようにしているエリアスです。
次回、弟子編。ミルヴィア目線はもう少し先になりそうです!