執事編 異変
初めて魔王様の話を聞いた時は、ただの子供だと思っていた。先代の魔王様がそうだったせいかもしれないが、威勢を張った全てを嘗めている子供だ。本質を見抜く能力が備わってくるのはまだまだ先。
長い先の事を思って少し気が遠のいたが、無事に舞踏会の日を迎えたことを憶えている。
思い出したと同時に、当時の驚きも思い出してクスリと笑う。
ユアンが付いている。ユアンは魔王だからと言って、媚びを売ったりしないし報酬目当てでもあまり動かない。ただ自分の興味の赴くままに。
それほど面白い子供なのかと思って突いてみたら気に入った。
『落としてみろ』と言われたときは、ならば屈服させてやると思ったのだ。今だ至っていないが。
だから。
今目の前にいる魔王様はあまりにもいつもと違いすぎる。今なら屈服させられるのは明白だった。
私はとりあえず何も尋ねず、見知らぬ少女も共に執務室へ招き入れた。少女の素性は分からないが、魔王様が付いて来させているのでしょう。今は、何も聞かないに限る。
魔王様はゆっくりとソファへ腰を下ろした。少女は後ろに立っている。自重したらしい。私はいつも通り魔王様の目の前に座る。魔王様は警戒心を丸出しでこちらを見上げた。
「さすがに、この状況下で何かをしようとは思いません。御安心を」
「そう、か」
どうしたのだろう。私が何をしようとすぐに気持ちを整えていた魔王様が、何故こんな。
現状を見れば大体の想像は付く。ユアンが居ないとなって、見知らぬ少女が護衛になり、先ほど入って来た伯爵令嬢が公爵家へ入って行ったという情報。しかもその手には紙が握られていたとか――。
明白だ。ユアンがトラブルを引き起こし、何かを言った。
やはりユアン、あなたはこの方に相応しくないと私は思う。
「何か、あったのですか?」
「伯爵令嬢がユアンに勧誘状を出し、ユアンがそれに乗ると言い出した。状況整理と周囲の準備が必要だ。お兄様だけではどうにもならないから、これから知り合いに片っ端から当たる」
「魔王様自らが?」
驚いた。そんなことはユアン本人か、はたまた使用人にやらせればいいものを。
そう思ってから気が付いた。ユアンは謹慎だろうし、知り合いというのは魔王様以外からの頼みは無償では中々聞かないものだ。
私もその類。いくらあの少女が来て魔王からの頼みだと言ったところで、私は信じなかっただろう。しかし他の人はこの少女を知っているはずだ。命令して働かせればいい。
魔王は高みの見物をしているのが一番だ。
「迷惑を掛けるんだ、ユアンの主である私が言いに行った方が互いに納得が行く。ここに来るのにあんな表情になってしまいすまない」
「いえ、それは全く構いません。ああ、どうぞ。ユアンほど上手くありませんが」
私は即席で出したワゴンにお茶を入れて、魔王様に差し出す。無論、操作魔法だ。
それを見ただけで、魔王様が回路を考えているのが分かった。実践は簡単だというのには、気づいていると思う。
ところで、自分で赴くのがいいと思うのは魔王様特有の考え方だと、私は思う。ただ、魔王城に来たら直接行ってもらうことも難しくなる。使者を使う事も知っておいてほしいものだが。
魔王様はお茶を啜って、目を瞑る。
「しばらく授業は休もうと思う。……そうだ、あと公爵家の評判についてだが」
「尽力致します」
裏工作を頼む、なんて魔王様の口から言わせてしまえば、魔王様の信頼に関わる。
魔王様もそれを察したのか、頷いた。さっきよりかは警戒は解け、薄っすらとほほ笑んでくれた。
やはりあなたには笑顔が似合う。
「すまない、こんな仕事を頼んでしまって」
「いえ、噂を流すだけですから。ただの保険です」
実際、公爵家のうわさが悪い方向へ行かないようにすることなど、別に法律に違反していなければ何も問題はない。
ただ、どう解釈されるかは分からない。用心するに越したことはない。
「さて、ではもう行こう。まだ他の人にも頼まなくてはいけない」
「分かりました」
私は魔王様を玄関まで見送る。悪意も何もなくここまで来たのは初めてかもしれない。
外に出ると、偶然かエリアス様が見えた。あ、まずい事になる。
帰ってほしいと思うが、大声で帰ってくれというわけにもいかない。魔王様と鉢合わせにしたくないのだから。
いや、どうする。いっそのこと魔王様を引き留めて、エリアス様に気が付かせてから――。
「あ、エリアス」
「!」
魔王様が驚いたようにぽつりと零す。どれだけ目がいいんだ。私だって服装を見て辛うじて判断できたというのに断言するとは……。
大方、いつもユアンの『視界良好』をオンにしているからだろう。そこも妬ましい。
エリアス様は引き返そうとしたけれど、魔王様が手招きしたので来ざるを得なくなった。
エリアス様は暗い表情で私を見る。私は予想外だったんですよ、と軽く目線で合図した。
「アイルズとエリアスか、珍しいね?」
「そうか?アイルズ、話があるんだが」
「あ、その前に私もお願いがあるんだけど……」
エリアス様は露骨に嫌そうな顔をして、魔王様を見た。
びくっと魔王様が震える。えっと、とエリアス様と顔を合わせようとしなかった。様子をうかがうように、ちらちらと顔を見ている。エリアス様も、かなり驚いた表情でこちらを見る。
相当、怖がっているな……。
「あの、嫌だったら、いいんだけど」
「あ、いや、別にいい。聞いてやる」
半ば反射的にエリアス様が答えた。それはまあ、恐らくこの魔王様を見たら誰だっていう事を聞くんじゃないだろうか。
というかエリアス様が話を聞くと言った時点で異例だ。
エリアス様は目を瞬いてこちらを見た。私はスッと目線を外し何も言わない。
「で、話って?」
「アイルズに話があるなら、後ででいいよ」
「いや、書類を渡しに来ただけだから」
「何の?」
「さあ」
魔王様はきょとんとした後、追求しない方向に決めたらしい。そっか、と言って黙ってしまった。
エリアス様が顔をしかめ、かなり困っているのが分かる。私は苦笑して、魔王様に声を掛ける。
「魔王様、歩きながら話すのはどうでしょう?」
「そうだな、そうする。エリアス、いいかな」
「ああ」
「……失礼した」
魔王様は一礼して、宮廷を去っていく。それを見送って、私はすぐに執務室に戻った。
そして手紙を四通書く。軽く短く簡潔に、書き終わると封をして使者を呼んだ。
「一通はカーティス様へ。一通はギルドへ。一通は伯爵家へ。一通は――」
本当は書きたくなかったんだけれど。
魔王様のためならば仕方ない。あの顔をされると、本当に、あいつに対して殺意が芽生える。
「ユアンへ。即刻届けてくれ」
「はっ!」
使者は手紙を受け取ると、素早く帰って行った。
内容を軽く説明しておくとしよう。
カーティス様に向けた手紙には、今後の対処の手助けの事を少し。
ギルドへ向けた手紙には、この事が広まるのを防ぐようにと。
伯爵家へ向けた手紙には、それはルール違反だという事を少しと、今後の警告。
ユアンへ向けた手紙には……簡潔に言おう。
『魔王様が落ち込んでいた。悲しそうだった、寂しそうだった。もしあなたが魔王様の側からいなくなるというのであれば』
「私がもらう」
閲覧ありがとうございます。
怯えるミルヴィアと素直なエリアス。レア。
次回、エリアス編。