152 試しに
私は今日、アイルズに対して警戒を解いてみようと思うんだ。
ユアンの居る隣の部屋で、何かされたらお兄様に報告しなきゃいけない状況下で!
ああ怖い。
でももちろん、意味はあるんだよ?
一つはアイルズが私が警戒を解いたらどうするかを見るため。場合によっちゃ矯正してやる。
もう一つは、アイルズが何かするとしたら何をするのか。ちょっと気になるでしょ?
ほとんど興味本位なので、皆にばれたら何言われるか分かった物じゃないんだけどね。
つまりこれは命がけの実験と言っても過言ではない。
でも多分、ユアンには後から言われるんだろうなあ、「お話があるのですが」とかさ。
そんな事を考えながら、宮廷までの道を歩んでいた。
私はユアンをちらちら盗み見る。どうなるだろう。最近、ユアンも何もしてこないんだよな。
なんもしてこないに越したことはないけど、今の安定した状況が崩れるのは何だか嫌だ。
そう思っていると、ユアンが苦笑して私を見る。やば、ばれた。ていうかちょっと前からばれてはいたと思うんだけど。
「ミルヴィア様、先ほどからどうしたのですか」
「ん、いや、なんでも?」
ユアンが不思議そうに首を傾げた。
ユアンとあんまり会話してないんだよなあ。一緒に居るのに変な感じだけど。
どうしてだろ……私が忙しいから?いや、アルトも来て、ユアンが会話しづらくなったってのもあるよなあ。
「どうしたのですか?何だか悲しそうですけれど」
「ん?え、悲しそうにしてた?」
「はい」
いや、悲しくはない。ただちょっと、人間関係ってこういうものなのかなあと思った。
切ないって方が合ってる気がする。
あ、シリアスになって来た。
止めだ止め!こんな空気大っ嫌い!私は明るい方が似合ってんの!
私は苛々してきて、歩くスピードを速めた。普段はゆっくりあるいてくれてるから、別にユアンには苦にならないだろうし。
予定よりかなり早く宮廷に着くと、私は覚悟を決めて中に入った。
執務室に行くと、アイルズが居ない。とりあえずそこらへんから捜してみる事にした。
「どこに居るのかな」
「待っていてはどうですか?」
おや珍しい。
前までだったら帰ったらどうですかって言ってたのにな。
うむ、これはもしやアイルズに対する信頼度上がってない?
ちょっと私は嬉しいよ?
「ああ、魔王様。それに――ユアン」
廊下をぶらぶら歩いていると、書類を持ったアイルズと鉢合わせた。アイルズは私を見ると目が悪戯っぽく光り、ユアンを見ると嫌悪感が顕わになった。
ちょ、なんかアイルズの方は警戒度が上がってない?
「早く着いてしまった。仕事中だろうから待っていよう」
「いえ、大丈夫ですよ。ちょうど今終わったところです。始めてしまいましょう」
「ああ」
おっといけない。警戒するの止めたんだった。
私はスイッチを切る感覚で、アイルズに気を許す。とたん、二人の顔色が変わった。
アイルズは満足げになり、ユアンは微妙に焦っている。
一応言っておくけど、そんなにあからさまじゃないからね!
周りから見てみりゃ何が変わったんだか分かんないからね。
二人とも鋭すぎじゃない?
「ミルヴィア様、あの」
「魔王様、行きましょう」
「ユアンは、待っててね」
「……!」
ユアンは冷たくアイルズを睨み付けた。アイルズは私の隣を歩きつつ、笑みを浮かべている。
あ、やば、失敗したっぽい?せっかく上がった信頼度ゼロ?
あちゃー、アイルズと二人っきりの時に警戒を解けばよかったかも。ちょっと残念だわ。これは。
教室に入ると、アイルズは通常通り授業を始めた。
もう少しで実践だとか、実践時に気を付ける事とか、魔力の爆発についてとか。
あんまりにも普通すぎて、拍子抜けしたほど。むしろ気を良くしているからか、いつもより教えるのが上手だった気がする。
それはいくらなんでもご都合主義すぎるかもだけど。
そんなわけで、授業が終盤に差し掛かる頃には、何かされるんじゃないかという疑念も真っ新に消えていた。
ただ普通に警戒を解いて授業を受ける、学校の先生と生徒そのもの。
……だったんだよねー。
ほんと、私って馬鹿だわ。
あのアイルズが、お兄様もユアンもエリアスまでも私に忠告してくるような危険人物が、何もしないわけないって。
「魔王様」
「ん?」
ドリルの問題から顔を上げた時、アイルズの顔が間近にあった。
警戒してなかったし、何かされるとも思ってなかったから、体が硬くなる。アイルズはにっこりと笑って、私の頭に手を置いた。
私は唇を噛んで下を向く。
「~っ!」
我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢!
呪文みたいに心の中で唱えて、抑え込む。やばい、これは無理。
ほんっと、何されようが叫べばいいとか思ってたくせに、無理。これは本当に、目を瞑って我慢するしかなかった。
「いつも頑張っていますから」
「い、いや、そんなのは要らないから、手を離してくれ」
そう言うけど、からかってるだけでしょ、絶対!なんか、なんか無理なんだって!
あれか!?私が彼氏いた事なかったから、免疫がないだけだと言うのか!
今の時代の若者は慣れてるのか!
けしからん!
「アイルズ!」
「魔王様、久々に言わせて頂きますが、私はまだ魔王様の事を諦めてはいません。ユアンに譲るつもりもありませんし、何が何でも手に入れる所存です」
「知っている!分かっているから!」
心臓がもううるさいんだって!
正常な判断が出来ない。なのに耳元で囁かれても困るの。
さ、叫ぶ……?いや、でも、まだ、我慢できない段階じゃ、ない、し。
「でしたら、私が今度言う事に、イエスと答えて下さいよ……?」
「は、いやそれは」
なんかもう警戒解いたのを後悔するやら心臓うるさいわこれからどうすりゃいいんだか分かんないわ耳元で聞こえる声が無駄に誘惑っぽいわユアンに見つかったらどうすればいいかわかんないわお兄様にどう説明すればいいか分かんないわで。
とにかく、私の頭の中が混乱状態だった。
お、落ち着け、とりあえず今の状況を整理してから何かしなきゃ。
私は必死に頭の中で状況整理をした。
「とにかく、ここに来られなくなるのは困る。だから、手を離してくれ」
私は頭の上に手があるっていう状況が嫌だったんで、とりあえず交渉。
若干落ち着いて来た気がする。気のせいかもしれないけど、かもしれない、って思えるだけマシだよ。
「無理と、言ったら?」
「……こうする」
誘惑に飲まれるくらいだったら、逆に飲んでやる。
てわけで、『魅惑』をオン。
アイルズが頬を赤くして、手を離した。よし、OK。さすがにレーヴィの『魅惑』のコピーには誰も抗えないかー。
攻守逆転。
そこで仕返しをしたいと悪戯心が芽生えた。
私は、アイルズのネクタイに手を掛けると、にやりと笑う。
アイルズは余裕を保とうと必死だけど、多分頭の中はさっきの私と同じ状況なんじゃないかな?
ちょっと楽しくなってきた。
「確かに今のは少し焦ったけれど……まだまだだな」
「そうですか?案外脈ありのように思えたのですが」
「何故そう思う?」
「本当に嫌だったら、剣ででも魔法ででも反撃したと思ったからです」
うっ、そ、それはだってなんかちょっと混乱したからだし。
あ、今焦っちゃだめなんだった。冷静に、冷静に。主導権は私が握ってるんだからね。
さあ、どう嬲ってやろうか。
コンコン
すぐにアイルズから手を離して『魅惑』をオフにして、辺りに漂う『魅惑』の雰囲気を一掃するかの様に立ち上がる。
アイルズは私のその豹変ぶりにかなり驚いたみたいだったけど、都合がいいと思ったのか、何も言わなかった。
「はい」
「ミルヴィア様、お時間遅くありませんか?夜道は危険です、早く帰りましょう」
時計を見てみると、まだまだ全然そんな時間じゃない。ははあ、さてはさっき私が警戒を解いちゃったものだから早く帰したいんだな?
あー、話が大分脱線しちゃったけど、まあ今日の分の授業は出来たでしょ。
「アイルズ、どう思う」
「はい、お帰りになられた方がよろしいかと。……授業の続きをしたいのであれば、して差し上げますが」
「遠慮しておく」
私は軽く答えると、机の上を整えて廊下に出た。
廊下に出るとユアンが、私の想定していた通りの言葉を言う。
「後で、お話があるのですが」
閲覧ありがとうございます。
『魅惑』をオンにしたミルヴィアはほぼ無敵です。
次回、ユアンとお話。