139 救世主
目が覚める。
最初に感じるのは空腹感。次に分かるのは血が見たいと言う欲求。次に思うのはどこか人が居ないか。
ぐるりと辺りを見渡して、白髪の少女が横たわっているものだから。
思わず腰から短剣を抜いて、振りかざしていた。
「神楽!」
「っ」
少女は一瞬で起き上がり、私の短剣を横から奪った。ハッと、我に返る。
今、私何してた?レーヴィの喉、掻っ切ろうとしてた?血が飲みたいって思ったから?
「ごめんっ!」
「……神楽、血をやろう。喉に噛み付け」
「え、いや、だってレーヴィ調子が悪くなるじゃない」
「このままだと暴走するぞ。一度空腹を満たされ血の味を知ったのじゃ、次の暴走まで期間は短い。それを無理に抑えておくとこの間みたいな事が……」
「分かった、お兄様に貰いに行くから!」
レーヴィだっていろいろ我慢してんだから。夢魔は夢に出て性欲を吸う。それが出来ないから……。
例えて言うなら、ご飯粒をちまちまちまちま食べてる気分だと思う。ガブッと一口、って言うのがどれだけ幸せな事か、吸血鬼の今なら分かるよ。
っ、あ、頭痛い……。
意識が朦朧として来て、なんとか留めようと目を瞬く。
やばい、このままだと引き込まれる。自我を保つのが精いっぱい。動くとか到底できそうにない。
「……お姉ちゃん?」
目に写った、小さい華奢な男の子。推測するに、私が飲んだ事のない血。
ああ。
ふらっとベッドの上に立ち上がり、片足でジャンプする。すぐに男の子の目の前にまで来ることが出来た。男の子は私を見ながら、ぼうっとしている。
「お姉ちゃん……?」
「神楽、そやつに牙を向けるでないぞ!」
ビクッと体が震えて、目の前がはっきりする。アルトが、私の頬に手を当てていた。
驚くほど、その目が鋭い。それに、頬に当てられた手が黒い煙を纏っていたのがゾクッとした。
私アルトにまで何かしようとしてた?馬鹿なの?私が暴れたら誰が止めんのよ。万智鶴さんが天から降りてきかねない。
「お姉ちゃん、誰?ぼくが知ってる人?」
「アルト……悪い。取り乱した」
アルトが目を瞬いて、またぼんやりとどこかを見つめた。私を私だと認めてくれたらしい。
これ……ガチで自我保てなくなりそう。本当に早いところお兄様のところ行って血ぃ貰わなきゃ。
ユアンから血をもらいたくないって言うのは、無理に口移しされた吸血鬼の意地かな。
三百四号室には行かないで、タフィツトに……。
コンコン
嘘、来ちゃったの?
仕方なく、返事をして入って来てもらう。入って来たのはユアンじゃなかったけど。
「……少年?」
「よお。来てやったぜ。あの部屋に居ねえから結構迷った」
こくりと喉が鳴った。
この少年の血の味も、知ってみたい。どんな味だろう。甘いかな。舌の上に乗った途端、甘く転がるような。
喉を通って胃に入る感覚。
自然、手が伸びる。それを、少年が掴んだ。
「なんだ?どうした。欲しいんだったら言うんだな」
「……っ」
「血が入って行って、味わう満腹感と幸せをもっかい味わいてえんだろ?」
「悪い?吸血鬼なんだから自然でしょ?違う?」
「違わねえ。だけど無理に飲むのは感心しねえぜ?そこの夢魔だって予告はあったってのに。それに、俺は簡単には飲ませねえし。兄さんのトコ行くのが得策じゃねえの?」
少年がからかうように私を翻弄してくる。しかも、私はふらふらしてるから上手く言い返せないし。
けど苛々してきて、意識ははっきりした。掴まれていた手も放してもらえたので、少し睨む。
「付いてってやるよ。血貰いに行くんだろ?俺の用事はその後で――いいからさ」
少年の目が、ぼんやりと空を見つめるアルトに行ったのが分かった。
あー。仲介してくれたのは少年だったもんね。
「儂も行く。アルトは待っとってくれ。危険じゃから」
「……後で絵本」
「ああ、読む。何が言いかのう?考えておくんじゃな」
アルトとレーヴィ、割と仲良くなってるな。そりゃそうか、私がアルト預けてる間はずっと一緒なわけだし。
自然と会話もするでしょ。
タフィツトまでの道中、ふらふらしながらたまに少年に支えてもらいつつ歩いた。
少年と私は同じくらいの背だけど、レーヴィは小っちゃいから支えてもらえないんだよね。
「お前さあ、ちゃんと血飲めよ。お望みとあらば俺のだってやるからさあ。こういう場合、全員が困るんだよ。分かってるか?」
「面目ない……」
ものすごい正論の上にそれが少年から言われてるから全然言い返せない。
タフィツトの執務室の扉をノックすると、扉が開いた。珍しい。
「ミルヴィア。ああ」
なんとなく察したようだった。
まあね?今、私少年の肩借りてる状況だから。腰に手まで回してもらっちゃって、申し訳なさが際立つ。
「おはようございます、お兄様。お元気なようで」
「ありがとう。そういうミルヴィアは、全然お元気じゃなさそうだね」
「ははは」
「笑い事じゃねえぜ」
「笑って済まされちゃたまらん」
うん、二人にしてみれば魔族の存続が掛かってるからね。
私は中に入って、お兄様と向き合う。けど、全然届きそうにないし椅子に乗っても届かない。
どーしよ。血ぃ貰いたいんだけど……いっそ注射で取って、コップで飲ませてもらう?結構良策じゃない?
「ミルヴィア、おいで」
「?」
お兄様がしゃがんで手を広げてくれたので、てくてく歩いて行くと。
ひょい、と持ち上げられた。抱っこされたらしい。
いつもながら恥ずかしいというかもう悲しい。少年がにやにやして、レーヴィが微笑ましげにしてるのが容易に想像できるし。
っていうかこの状況、完全に面倒見のいいお兄ちゃんが子供の面倒見てる感じだわー。
「どうぞ?」
「すみません、頂きます」
そっと、お兄様の首筋に牙を刺した。お兄様がピクッとなったけど、気にしない。
溢れてくる真っ赤な血を、ぺろっと舐め取る。
こくっ……こくっ……こくっ……こくっ……こくっ……こくっ。
お兄様の血は梨みたいな感じだった。あっさりとしてて、するすると飲めて、甘くって目を閉じて味わいたくなる。
はあ、至福。
あうう、もっと飲みたいけど、仕方ない。あーっ、飲みたい。
「いいよ。僕は貧血で倒れるって事はないから。こう見えても狼男だよ」
「本当ですかっ!ありがとうございます!」
そんなわけで、少年が突っ込みに入るまで血を吸い続けた。
ああ、やっぱり救世主はお兄様だね!
閲覧ありがとうございます。
少年は同級生的ポジションです。
次回、少年とお話。