特別編 焦
「ゾーロ、神楽の今、知っとる?」
「ああ、何だニフテリザか……」
俺は簡素なベッドから体を起こす。悪い夢を見ていたようだった。記憶を持たない神には珍しい。
俺も、まだまだと言う事か。
神楽に神として認めてもらい、かなり精進したと思っていたのだがな。
ニフテリザの方を見てみると、難しい顔をして扇子を持っていた。扇子を持っているのはいつもの事だとしても、余裕の佇まいで有名なニフテリザがあんな顔をするなんて。
俺によっぽど言いにくいのか?
「知らないな。なんだ、結婚でもしたか?」
「ふざけるのも大概にしい。そんなんちゃうよ。神楽が悪い方向で大変なんや」
「……は?それは」
「いやっほー、彩里だよぉ!」
どういう、と聞こうとしたところで、彩里が空気を読まずに入ってくる。
彩里は赤い髪をツインテールにした、下位の神。もちろん下位と言っても神なのだから、人間に勝てるわけはないのだが。
天真爛漫でいつも明るく、それでいて神楽の事は大嫌い。
理由を聞くと、暗いからだと話していた。
神らしくない神だ。それでも神なのだからしょうがないが。
「彩里、状況どうや?」
「『彩里はん』じゃないの?んー?もしかして、ものすっごいやばい状況だったりする?」
彩里がニコニコしながら言う。こいつは……神楽がどうなろうと知った事じゃない。
彩里はこの世界の神ではない。一時的に送られてきた、他世界の神だ。だから、神楽がどうなっても、違う『世界』に居る彩里に影響はない。
そして加えて、彩里は神楽が大嫌いだ。
「彩里、茶化すんじゃない。ええから教え。セプスはんは……」
「セプスちゃんのことは『セプスはん』って呼ぶんだ」
「彩里!」
ニフテリザが扇子を彩里の首に当てる。俺は知っている。
あの扇子の一閃で、世界どころじゃない、宇宙が割れるのを。
「ふざけるな。聞かれたことに答え?今のうちは余裕がないんよ。イラついて他世界の神に手ぇ出してまうかもしれん」
「ニフテリザ!やめろ、ここで争っても意味がない」
「ゾーロ、あんた心配ちゃうん?そん時にふざけとるこの子の事庇う?」
「元気がいいなあニフテリザは!どーしちゃったの?」
トワルの声が響く。
珍しいな、こういう集まりにこいつが来るだなんて。
周りの連中はトワルが俺の事を好きだとかどうだとか言っているが、俺としてはそうとは思えない。ただの親愛、それだけだろう。
それに、俺が神楽を想っているのは皆知っている事だ。
「何か大変な事があったと聞いて来たぞ。……うわ、なんでこんな曲者ばかりいるんだ」
「その曲者、もう一人追加ですね」
「万智鶴っ!?」
セプスが来たと思ったら、続いて万智鶴まで来た。
なんなんだ……。
神楽の事になると皆仕事を放棄するのだから、その皺寄せで俺が困る。
「よお、おめえら久しぶりだな!」
「クーストース、お前、門番は!?」
果てはクーストースまで来た。
クーストースは犬人だ。茶色い毛並みに白い模様。れっきとした門番なのだ。
なのにどうしてここに。
「なんだ、お前も知らないのか。ただニフテリザに緊急招集って連絡が入ってな、神楽の事だと言うから来たんだ」
「そうなのか?」
「今説明するとこやよ。皆座りぃ、立って話しても殴り合い擦り付け合いが始まるだけや」
神楽はニフテリザの眷属だ。なんでもニフテリザが一番知っている。
ああ、まったく、羨ましい。
ニフテリザの出した椅子に、全員が腰掛ける。柔らかい、高級そうな椅子だ。
俺の隣にはクーストースとトワルが座った。
「あのな」
ニフテリザが、重々しく切り出した。この段階では、多分まだ誰もあんな知らせだとは思わなかった。
だから、全員が軽い気持ちで聞いていた。
「神楽が、人攫いに攫われたんよ」
「っ!」
それは。
それは。
それは、絶対に――
「ゾーロ!」
クーストースに手を掴まれる。知らないうちに、ニフテリザに殴りかかっていたらしい。
もしかしてこれを見越して、クーストースは俺の隣に座ったんだろうか。
それすらも今はどうでもいい。神楽が攫われた。それでも俺達に不都合はないように思えるだろう。どこからでも神楽の事は見られるのだから。
しかし、攫われた先で神楽がどうなっていようと、死ななければここには来られない。呼ぶ場所は神楽がいつも寝ているベッドで固定してしまった。そして魔王は、死なない。つまり、呼べない。
神楽がどんな拷問を受けようと。
神楽がどんな恥辱に耐えようと。
俺達に救う術はないのだ。
それは魔王であるが故とも言える。魔王の運命に、俺達は介入できない。
だから決して、決してそんなことがあってはいけないのに。だからこそ俺達は神楽に何の被害が及ばないよう細心の注意を払っていたのに。
「今争っても何にもならない。座れ」
「……」
「ゾーロ、座ってください。ニフテリザ、話を聞きましょう。セプス、動かないでくださいね。彩里、トワル、嬉しそうな顔をしないでください。不謹慎ですよ。クーストース……は、いいです」
万智鶴が指示を出していく。俺達はその通りに従うだけだ。
席に座り、周りを見渡す。全員、その場に座っているだけだった。本当は今にも飛び出していきたいやつばかりだろうに。
焦るな急くな慌てるな。じっと待て。
「まず、ニフテリザ、どうしてそのような事が起きたのですか?」
「多分、あの子が青髪の子ぉとキスして変わったんやろな。それなのに警戒せんと夜中『吸血』に行って、その後襲われて」
「ニフテリザ、ストップです。……ゾーロ、大丈夫ですか?」
「酷い顏だなあ、ゾーロ!大丈夫だよ、あたしが付いてるから」
トワルに抱き着かれても、今は反応できない。あの青髪の奴を思い出すだけで苛々する。
あいつは本当に、大嫌いだ。
「まあ、うちも情事を除きとお無かったんやけど、一応監視のためやし見てたんよ。そん時よっぽど集中して見てたんやろけど」
「いいなあニフテリザは!あたしも神楽のカレシ、見てみたかったー」
「彼氏じゃ、ないだろう」
「そっかなあ。あたしとしては、すっごくお似合いだと」
「トワル、今は静かにしろ」
クーストースに睨まれて、トワルがこわーいと言いながら更に抱き着いてくる。
いつもなら振り払えるのに、今はそんな余裕あるわけなかった。
今すぐにでも神楽を助けに行きたくてたまらないのに。
「で、な。『気付いたら』攫われとった」
「気付いたら、じゃないだろう!」
叫んで立ち上がる。トワルはその直前に離れていた。
ニフテリザが、扇子を持って目線を逸らす。それにも苛々する。
「目を逸らすな、こっちを見ろ!」
「悪ぅ思っとるよ?けど、うちらは行かれへんし、せめてちょっとずつでも未来を変えてくしかない。やろ?」
「そうですね。そうしましょう。きっとあのお兄さんとお医者さんと、あと青髪の子がどうにかしてくれますよ。お弟子さんも居ますし、あの執事の方もいらっしゃるのですから」
「その全員が男って、万智鶴、気付いてるか……?」
セプスが慄きながら言った。この中で一番の常識人はセプスかもしれないな、と考えながら、逸る心をどうにか抑える。
「とりあえず、クーストースは門を守っておいて下さい。こんな時に獄狼が入ってきたらたまりませんからね。ゾーロはそうですね……セプスと待ってて下さい。ニフテリザ、彩里、トワル、そして私は未来の可能性を総当たりしていい方向に転がるよう精いっぱい誘導します。が、望みは薄いですね」
万智鶴が残念そうに言う。俺達は魔王の運命に介入できないのだから、魔王に自力で抜け出してもらうしかない。
「確かにねえ。真読魔法で抜け出せればいいんだろーけど、あの状況じゃ無理だしねえ」
「なんで無理なんや」
トワルの言葉に、ニフテリザが訝しげに声を掛ける。
決まってるだろう。
「馬鹿だなあ、ニフテリザは。だって、あの子今感情が乱れてるもん――青髪の子のこと、気にしてるみたいだねえ」
トワルは感情の神。
すべて知っている。俺の気持ちも神楽の気持ちも。
感情とは、この世界を動かす随一の要素。
もしトワルが俺に本気で求婚してきたとしたら、俺は応じるしかないのだ。
閲覧ありがとうございます。
特別編は新しい人が出てきたらその人目線でやってるんですが、今回彩里とクーストースの二人が出ましたね……どっちにしよう……。
次回、ビサ目線です。ミルヴィア目線はもうちょっとお休みで。