プロローグ
「―――、―――?」
は?
え?
意識がはっきりすると、私は視線がずいぶん低くなって、目の前には金髪碧眼の男性が、目線を合わせるようにしゃがんでいる。しかも私より背が高い。しかも訳の分からない言葉をしゃべっている。
私は頑張って、彼の言葉に耳を傾ける。
「――――――――――――」
うん、うん、ととりあえず頷きながら聞いておく。
あら、私って身長百五十センチあるはずだけど? この男性、どんなに背が高いの? 少なくとも二メートルはありそう。
……訳の分からない言葉をしゃべるイケメンって怖いんですけど。
「―――は―――の―――こと――で――」
微妙に聞き取れるようになってきた。習得が恐ろしく早い。私英語の成績2だったんだけどなー。
「まおう――きゅうけつ――は――に――入って―――」
聞き取れるようになってくると、どうしても聞きたくて喰い気味になる。男性は私のそんな積極的な姿勢を見て、少し話すペースを下げてくれた。
ちょっと嬉しそうだ。
「まおうが―きゅうけつき―――に―――て―――」
もう少し!
「魔王が吸血鬼なんて歴代初めてだ」
よし!
よし!
聞き取れたぜい!
って、ん?
魔王? 吸血鬼? なんのこと?
何言ってんだろう。私、どうしてこんなところに居るんだろう。
何だか自然に受け入れてた。当たり前でしょ、みたいな感じで。でも、私どうしてこんなところでイケメンの言葉を聞いてるんだろう?
記憶を遡る――土をほじくるように、埋まり切った記憶を取り出した。
私は確か、銀行に居たはずだ。
そして、いきなり黒ずくめの男が三人現れた。金を出せと銀行員を銃で脅して、大量の現金をバッグに詰め込んでいた。私や周りの人はそれを見ながら震えていた。
やっと帰ってくれる。そう思った時には、銀行の周りは警察に囲まれた。
中に居る人にとって、警察が来ることは余計だった。
だって、強盗犯は逃げようとしていて、私達はほっとしていたんだから。
警察に囲まれて、立て籠もった強盗犯は、自分を見失って所構わず撃ちまくった。私は流れる血の中で、銃口が向けられたのを感じて。
嫌だ。
思い出したく、ない。
思い出したくないのに、その時のことが鮮明に思い出される。
女性が私の前に飛び出してきた。
黒髪の、綺麗な女性だ。
その人が、
撃たれて、
血が、流れた。
私はどうして庇ったのって、まだ息のある女性に迫った。女性は、大丈夫? って囁いて、動かなく、なって。
その直後、私は胸に焼けるような痛みを感じた。じわあと意識が遠のく。私は多分、女性の隣に倒れた。意識を失う直前、光のない女性の瞳が、私を見つめていたのを憶えている。
――んで、現在。
ああ、そうだ。
死んだんだな、私。
で、今この状況?まさか、転生!?
ぱあっと私の顔が輝く。
転生とか転移とか、そういうファンタジーが大好きな私の部屋の本棚には、『そういう系』の本ばかり置いてあった。
じゃ、私の転生先って、まさかファンタジーな感じ!?
勇者かな?それとも普通の村人かな?
魔王とか吸血鬼とか言ってるし、やっぱりそういうのを退治する勇者だったりして!
「私は、なに?」
喋ってみる。もちろん、日本語。
男性は首を傾げた。何を言ってるのか分からないのかな?
「私は、なになの?」
男性が話していた言葉を思い出しながら、喋ってみる。スゴイ、喋れた。
「ああ……君は、吸血鬼だよ」
はい?
えーと、うん?
「そして、魔族を束ねる魔王だ」
え、待ってよ。
フツー、こういうのって正義の味方とかになるもんじゃないの?
なによ、血の吸血鬼と悪の魔王って。ちょっと待って、想定してたのと違うぞ?
「まおう?」
「そうだよ。僕は君の兄さんだ」
魔王に兄さんが居るなんて聞いてない。魔王って一人っ子とか、天涯孤独とかじゃないの? ってか、いるにしたってこんなイケメンっておかしくない? もっとこう、下半身がタコだったりしないのかな、ゲームのキャラクターみたいに。中ボス的な。
……さすがに現実逃避も厳しくなってきたな。
「ゆめ?」
「違う違う。これは現実だ」
「……まぞく?」
兄(?)を指さす。彼は困ったように笑って、
「一応ね、魔族かな。ここにいるのはみんな魔族の一種だよ。さて、と……エレナ」
私の名前か? と思ったけど違うようで、奥から女性が出てきた。
うわっ、メイド!
メイド服を着た、メイドが出てきた。メイド喫茶に居るような人じゃないよ? 正真正銘のメイド。仕草一つとってもお淑やかで、女性的だ。それでいて何かしらの作法に従っているのか、動きがぴったりと決まっていて、かっこいい。
すごっ。
「はい、カーティス様……きゃあっ! ま、魔王様、お目覚めですか!」
メイドさんは私を見て目を見開き、そっと後ずさる。今さっきお淑やかだのかっこいいだの言ったけど、その表情は普通に恐怖におびえる女性の顔だった。
わ、私そんな怖いのかな? 顔が怖いとか?
「そうだよ。今目覚めたところだ」
目覚めた……って、私寝てたっけ? 今私突っ立ってるんだけど、立ったまま寝るなんてできないよ。
「私寝てた?」
「魔王が喋れるようになったとき、その時に魔王の力が目覚めるんだよ。エレナ、この子、希少種だな」
「えっ」
「吸血鬼だよ」
男性は私の顎をそっと掴んで、唇をめくって歯を見せた。
男性が私を離すと、私は舌で歯列をなぞった。犬歯が異様に長い。ホントだ。吸血鬼っぽい。これ見せられたら、怯えるねー。てか、怯えてるねー。顔真っ青だねー。可哀想なくらい。
「きゃあああ! きゅ、きゅ、きゅうけつっ……」
「エレナ。この子が可哀想だ。そこまで怯えないであげて」
「だ、だだだだだ……だって、だって、ま、魔王様のお目覚めを一番に見るのが私だなんて、恐れ多くて」
「大丈夫。この子に戦意はまったくない」
「エレナさん?」
「はい、魔王様!」
「よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる。エレナさんはあんぐり口を開けてこちらを見ていた。
「驚くだろ。先代の魔王はもっと傲慢だったんだけどね」
「あ、わ、私、魔王様、私はっ、そんな、頭を下げてもらえる立場じゃあ……」
「エレナさん」
「あっ、はっ、はい!」
「私は何も、分からないんです。教えて下さい」
なるべく下手に出る。怖がられて何も教えてもらえなかったらたまったものじゃない。
というか、私転生すんなり受け入れてるなー。
本能なんかな。そうなのかもなあ。前世の、あの女の人が死んでしまった時の衝撃はまだ残ってるけど。
それより、このイケメンお兄様の方が気になるって言うね。
どーいう事よ。
「お兄、さ、ま?」
「なんだい?」
無理!
普通の女子高生だった私にとって、その王子様スマイルは堪えます! お兄様! どうかご勘弁を!
「私、本当に魔王なんでしょうか」
思ってたよりすらすら言葉が出た。さっきまでの片言はどこへやら。
「どうして敬語?」
「混乱しているからです」
「とてもそうは見えないけど」
「見えなくっても、そうなんです。ここはどこですか? 私は、私の、名前は?」
「名前なんて、魔王には人が付けていいものじゃない。自分で付けるんだよ」
「では、お兄様、付けてくれますか?」
「僕が?」
「はい。ダメでしょうか」
「いいよ。じゃあ、ミルヴィア――なんて、どうかな」
「はい、では、私は今からミルヴィアです」
私は、前世を捨てた。
お母さん、お父さん、あなたがくれた名前は、捨てても忘れません。
ありがとうございました。今、泣いてくれていますか?
とまあ、こういうのは置いとくとして。
今の状況を整理してみよう。
私は銀行に行っていた。
そこに銀行強盗らしき人が来た。
撃たれて死んだ(らしい)。
転生した(らしい)。
転生したら、まさかの吸血鬼魔王になっていた。
……。
嘘っしょ。
いくらなんでも非現実的すぎる。私みたいにファンタジー好きじゃなかったら混乱するんじゃなかろうか。ああ、それで前世の記憶が無いのが一般的なのかも?
なんで記憶が残ってるのかはさておきとして。
吸血鬼になった謎くらいは解きたい。
吸血鬼って、文字通り血を吸うやつだよね?
血を水代わりみたいに飲む奴。
うん……なんとなく、見当はつく、かな。
私、女の人が撃たれた時、口の中に血の味が広がったのを憶えてる。その時咄嗟に感じた、「美味しい」という感想も。
だからか。
なんとなく、ごめんなさい。
だって、女の人の血を飲んで「美味しい」だなんて。私だったら、怒るかも。怒るっていうか、引く。
ごめんなさい……。
「ミルヴィア?」
「はい、お兄様」
「その呼び方、やめないかい? 天下の魔王様が、誰かを様付で呼ぶなんて」
「いいじゃありませんか。お兄様は尊敬に足ります!」
「ははは……」
実際、この人の穏やかさの裏に隠された何かに私は気付いています。
当たり前じゃありませんか!
前世で何度、笑顔で腹黒の人を見てきたか! きっとこの方も、笑顔腹黒ラスボスキャラに違いないっ!
すごい思い込みだったけど、お兄様は屈んでにっこりと笑ってくれた。
ああ、本当に目が眩む。眩しいキレーな笑顔です。
「ミルヴィア、魔王の教授をしてあげよう」
「ありがとうございます!」
「ははっ」
「詳しくはどんな事を教えてくれるんですか?」
「何でも聞いてごらん。教えてあげるから。でも、場所を移動しよう。エレナ、三百四号室は空いてる?」
「はい。ですが、そこでいいんですか?」
「いいよ」
そこで初めて、この部屋の景色に目が行った。
窓の方は全面ガラス張り。高所恐怖症の人だったら足が竦んで動かないだろう。そこには椅子と机があって、本棚もある。何だかどっかの社長室みたいな造りだ。
キレー。
でも、三百四号室て。
ホテルじゃないんだから。というか、そこまで部屋が在る事の方が驚きだわ。
「そんなにたくさん部屋数が在るんですか?」
「そうだよ」
「どうして私が魔王だって分かったんですか?」
「魔王が生まれた時に、この子は魔王だと気づく目印がある」
お兄様は、私の首の下をトン、と人差し指で叩いた。触ってみると、固い感触。触られた感触はないから、体の一部ではないらしい。下を見てみても、見えない。どうにかみようと奮闘していると、お兄様は笑いながら鏡を持ってきてくれた。手鏡には綺麗な装飾が施されていて、この家がどれだけ裕福なのかが分かる。
手鏡を覗き込んだ。そこには、前世と変わらない私の顔と――その下にある、真っ赤な宝石。埋め込まれているのか、軽くひっかいてみても取れない。
なんだこれ。なんか嫌だな。取れないって。
「これは世界最恐の魔力が宿る魔石だ」
「魔石って、魔力がたくさん入ってる石ですか?」
「そうだよ。さすがだ。それを付けた人は魔王であり、最強であり、勇者と戦う存在である」
「ああ…」
マジですか。
私が勇者どころか、勇者が私を倒しに来るんですか。
わー。
すごーい。
物語の主人公になる勇者様に会えるだなんてー。
現実逃避してみたは良いものの、マズイと感じて顔が青くなる。
勇者ってチート級に強い人の事だよね?私、勝てないよね?
大体、物語の最後って勇者に魔王が倒されてはいオシマイ、だよね?
「……お兄様、私は勇者に倒されて終わるのでしょうか」
「は?ミルヴィアは面白い事を言うね。魔王が勇者に負ける、なんて。代々勇者と戦ってきたけど、同格だと相討ちだし。それに、実力次第で勝敗は左右される。ミルヴィアは、きっと強いさ」
「ありがとうございます」
なるほど。
勇者の強さなんてバラバラ。
だから、私が強くなれば倒されない! 勝てるかもしれない! 生きられるかもしれない!
希望が湧いて来て、同時に勇気も湧いてくる。
よし、まずは知識だ。早いところ勉強するべき。
「はい! では、教えてください! 三百四号室へ行きます!」
「元気が良くて結構」
お兄様は笑うと、私を案内してくれた。
てか、気付いてたんだけど、この体って小学二年生くらいのだよね?背、低いもん。
内装は紫とか赤とか、おとなしくも綺麗な色で統一されていた。魔族だから、もっと禍々しいもので飾られていたりするのかと思ってた。牛の頭蓋骨とか。すれ違うメイドさんとか小姓? とかも、明るく笑っていて魔族には見えない。
まあ、耳が生えてたり尻尾が生えてたりとか面白い人もたくさん居たけど。
ついでにみんな私とお兄様を見ると頭を下げてたのも面白いけど。
「さて、ここだよ」
私が周囲を見ながら歩いていると、あっというまに三百四号室に到達した。