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雪の降る道

作者: 珪石

 帰り道、ケイタがずっと後ろをついてくる。

 ケイタは僕の従弟で、まだ九歳だ。大通りの交差点で、中学の部活を終えて帰る僕を待っていたようだけど、真冬の夜八時過ぎは小学生が歩くには遅すぎるし、この道は少し暗すぎる。

「ケイタ、帰りなよ。おばさんたち心配するだろ。送っていこうか」

「大丈夫だよう」

 ケイタは全然平気な様子で歩きにくい雪道の上をついてくる。

「ダイちゃん、カバン貸して」

「重いよ。教科書とか辞書とかも入ってんだよ」

「持ちたい。貸して」

 ナイロンのスクールバッグが珍しいんだろう。四角いバッグはパンパンに膨らんで、いつも嫌になるほど重い。ちょっとだけ渡して、落としそうだったらすぐに取り戻せばいい。バッグを渡すと、ケイタはひょいっとそれを持って、「重たーい」と喜んでいた。

「無理するなよ」

「平気。持てるよ」

 こいつってけっこう力もちだったんだなと思いながら、しばらくケイタに鞄持ちをさせることにした。

 今年の冬は嫌になるほど雪が降る。毎日通る除雪車が車道の脇に雪を寄せて壁にしていて、その上を踏み固めてできた細い道が僕らの通学路になっている。歩き固めた分だけ雪は嵩を減らし、壁は逆に、除雪車が通るたびに高くなる。すぐ隣の車道とは、その高い壁で隔てられる。それでも雪の上を歩いていることに変わりはなく、本来の歩道の上を、間に厚い雪の層を挟んで僕らは歩いている。

 雪でできた壁を見ると、小さい頃に父さんに作ってもらったかまくらを思い出す。家の庭に作られたかまくらは、子どもが一人入ればいっぱいになるくらいの小さなもので、僕はその中で手足をちぢこめて、狭い、狭い、とはしゃいでいた。屋根のあるかまくらは、今みたいに顔に雪が降りかかってくることもなくて、わりと暖かかった。

「ケイタ、道、踏み外すなよ。足、ボコッてなっちゃうぞ」

「知ってる。大丈夫だってば」

 雪の歩道は表面だけ固まっていても、その下にはまだやわらかい部分もあって、変なところにうっかり足を乗せると穴があいて足が沈む。けっこう深く足を取られて、膝まで埋まったり足首をひねったりすることがある。

「気をつけろよ」

 そうは言ったけど、こんなのは半分、運みたいなものだ。見えない雪の空洞に、いつ、どこでひっかかるか、誰にもわからない。

 ケイタはそんなこと全く気にしない様子で、僕の先に立って細い雪道をひょいひょい歩いて行く。大きなバッグのせいでバランスを崩すこともない。

 男の子って元気よねえ。いつか聞いたケイタんちのおばさんの声を思い出す。そうよ、大変よ、と答えて笑っていたのは僕の母さんだ。あちこち走り回るくせにすぐ病気になるし、ケガはするし、こっちの体力がもたないわよ。もともと母さんとケイタのおばさんは姉妹で、お互いの家をよく行き来していた。

 まったく覚えていないのだけれど、二歳のとき、僕は肺炎を起こしてしばらく入院していたことがあったそうだ。幼稚園のときには鉄棒から落ちて頭を打ち、救急車で病院へ運ばれた。小学校に上がってからはそんなにひどいケガや病気はなかったけれど、去年はインフルエンザにかかって一週間も学校を休んだ。母さんは学校でうつされたと決めつけていて、マスクを嫌ってしていなかった僕の不注意だと怒っていた。母さんは怒ると怖い。

「ダイちゃんち、到着ー。いい匂いがする」

「今日、カツカレーにするって言ってたから」

 家の前でケイタがずっと持っていた鞄を受け取る。もう遅いから、うちで一緒にカレーを食べて、それから母さんにケイタを送って行ってもらうことにしよう。

「カーテン開いてるよ。ご飯、できたみたいだね」

 居間のカーテンが半分開いていて、灯りのついた居間とキッチンカウンターの様子が丸見えだった。

「おばさん、つまみ食いしてる。お行儀悪いなあ」

 母さんはデザート用に切ったリンゴをひと切れつまんで、しゃりしゃり食べている。こんな時間だから母さんもお腹が空いているんだろう。大人でもつまみ食いするんだねと言って、ケイタはなぜか嬉しそうだ。

 残りのリンゴを冷蔵庫に入れて、それから母さんはサラダを居間のテーブルに運んだ。母さんのサラダはだいたいいつも同じで、レタスとキュウリとアボカドとトマト、それにちょっとだけタマネギのスライスが乗る。取り皿を置いて、ドレッシングは冷蔵庫から出した瓶のままテーブルに持ってくる。ラッキョウと福神漬が盛られた小鉢もテーブルに出した。

 それから壁に掛けてある時計を見上げて、今度はカウンターへは戻らずに自分用の椅子に座った。リモコンでテレビのスイッチを入れて、テーブルの上で頬杖をつく。そろそろ僕が帰ってくると思って待っているんだ。

 車のライトがパッと光って、家の前の道を照らした。角を曲がった父さんの車が近づいてくる。徐行してきた車がいったん停まり、シャッターが開くのを待って、それから車庫へ入っていった。車から降りた父さんは寒そうに背中を丸めてシャッターを閉め、敷石の上に積もった雪を踏みながら玄関へ向かった。

「父さん」

 おかえり、と声をかけたのに、父さんは僕に気づかずに家の中へ入ってしまった。鞄を置き、頭や肩に降りかかった雪を軽く払って、すぐにドアを閉めようとする。

「父さんってば」

 玄関の内側から漏れるオレンジ色の灯りが細くなる。僕も家の中へ入りたい。

「父さん、僕も……」

 閉じかかったドアに向かって駆け出そうとしたのに、足が全く動かない。父さん、と呼んでも父さんは気づかない。何度も呼んでいるのに、ケイタもいるのに、どうして父さんは気づかないんだろう。

 ドアが閉まった。コートを脱いだ父さんが居間に入ってくる。母さんが顔を上げて振り返り、父さんを迎える。それがカーテンの隙間から見えている。

「ダイちゃん、もう行こうよ」

 ケイタが僕のコートの袖を引っ張った。

 行こうよと言われても足が動かない。家の中に入れないんだ。

「だって、そっちじゃないもん。ダイちゃんちには、ちょっと寄り道しただけなんだよ」

 母さんが立ち上がって、部屋の隅へ行って見えなくなった。あのあたりには電話がある。

 カーテンに隠れて姿が見えなくなった母さんが、すぐにまたテーブルに近寄り、父さんに何かを告げた。ひどく慌てているようだ。

 母さんは一瞬、窓の外を見た。僕と目が合ったはずだ。そう感じたのに、母さんは何も見えていない様子で、すぐにまた父さんに視線を移した。ヒステリーを起こしたときみたいな母さんの顔。今度は父さんが電話に出る。

 何か大変なことが起こったんだとわかった。玄関をあきらめて庭から入ろうとしたけれど、また勝手に足が止まる。家の敷地の中に入ろうとすると、どうしてか体が動かなくなるのだ。

「おかしいよ、これ。どうなってんだよ」

「ダイちゃん、お母さんにもお父さんにも会ったんだから、もういいでしょ。行こうよ」

 しつこくコートを引っ張るケイタの後ろに、家の前からは見えないはずの、大通りの交差点が見えた。学校を出て少し歩くと車通りの多いその通りへ出る。僕は交差点を渡って、それから通りの脇の雪道を歩いて、家へ帰るつもりだった。

 交差点のアスファルトの上には除雪が追いつかずに積もった雪がまだらに盛り上がっていて、轍でへこんだ部分はとけかけのシャーベットみたいになっていた。僕はそれに足を取られて転んだ。タイミングが――僕は、運が悪かった。水の混じった雪が弾ける音と、きしんだみたいなブレーキの音がして、体に何か、重くて大きな塊が、当たった。

 信号は、ちゃんと青だったのに。

 車に踏まれてとけかけた雪が薄茶色くにごっていた。その上に僕が寝ている。にごった雪がだんだん真っ赤に染まっていく。車から出てきた運転手が僕を見つける。まわりの車が鳴らすクラクションと、誰かの悲鳴。僕はあのとき、胸の上に載っているタイヤを早くどかしてくれないかなと思っていた。息ができなくて、でも痛みとかはあんまりなくて、仰向けになった顔に降りかかる雪がつめたかった。

「ケイタ、雪、つめたくないか?」

 ずっと気になっていたことを聞いてみた。

「さっきからずっと降ってるだろ。寒くないのか?」

「そんなの、ダイちゃんだって一緒でしょ」

 一昨年の秋、ケイタのお葬式に出たことを思い出した。今まで忘れていたのが不思議だった。おばさんはずっと泣いていて、おじさんや母さんがついていなければ歩くこともできなかった。僕は生まれて初めてお葬式に出て、お経を聞いて、数珠の持ち方やお焼香の仕方を父さんから教えてもらったのだ。だからケイタはずっと九歳で、十歳の誕生日を迎えることは永久にない。

「一緒だよ。だって、僕ら、同じだもん」

 雪はつめたくない。バッグの重さも感じない。あの交差点から家の前まで、僕とケイタの足跡はない。

 父さんの靴跡が雪でだんだん消えて行く。僕はその上に自分の足を置いてみて、父さんが踏んだとおりに新しい雪を踏みしめた。雪の上から足を上げても、僕の足跡はついていない。雪はどんどん降ってきて、父さんの靴跡を覆い隠す。

 父さんと母さんが玄関から出てきて小走りに車庫へ向かい、車に乗り込んだ。車庫のシャッターは上がったままで、停まらずに出て行った車が向こうへ曲がって消えて行く。その轍の上にも次第に雪が積もっていく。降り続ける雪がみんな覆って消していく。

「おじさんたち、病院に行くんだよ。大丈夫、事故ったりなんかしないから。ダイちゃん、行こうよ。ほら、僕が迎えに来てあげたでしょう」

 雪が顔に降りかかる。車の下敷きになったときからこの雪はずっと僕の上に降り続けていたんだと気がついた。視界が雪にさえぎられて、何もかも消えて見えなくなる。

「またいつか、みんなで会えるからね」

 いつかっていつだろう。僕はどこへ行くんだろう。何もわからなかったけど、ケイタがしつこく僕を引っ張るので、一緒に歩いて行くしかなかった。



2年ぶりに読み返したら、うっひゃあ!ってなりました。

わかりにくさをできるだけなくしたつもりですけど、難しいですね…

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