後編
「すごい風だ。今日は外に出ない方がいい」
窓がけたたましい悲鳴を上げた。店の扉が開くのに合わせて本のページが音を立てるような日。
目を真っ赤にしたディーさんは、親切にもそんな言葉で気づかいながら店にやってきた。風は相当強いのだろう。窓から見える木々のしなり具合からわかっているつもりだったが、彼のフードが外れていて、なおかつそれに気づいていないほど忠告に一生懸命なところから認識を改めざるを得ない。
くしゃくしゃになった銀髪をそのままに、包帯みたいな布を顔に巻きつけたディーさんはあの琥珀色の瞳で真剣にわたしを見下ろしている。
「こんな日にまで来てくれて、ありがとうございます」
わたしはフードが取れているのに気づいていないふりをすることにした。にっこり笑うと、彼は困ったように瞳を泳がせる。
「ハインツ先生も、今日は海に出ていないだろう」
「はい。波も高いから調査にならないって言って。たまに、荒れた海だからこそなんて言うこともあるから、困ってしまうんですけどね」
「天候の悪い海がどれほど恐ろしいか、先生はよくご存知のはずだ。だが、先生の研究に必要なこともわかる。もし、そのときは俺――こほん、騎士団の誰かに連絡をしてくれれば、万一のとき助けになるはずだ」
ディーさんは、意外と迂闊みたいです。うっかり自分の正体を匂わせる言葉をこぼすのに、わたしの方がはらはらしてしまう。そもそもフードが取れているところからしてうっかりさんなのは伝わってくるけれど。騎士団長のディアルド様はもっとお堅い方だと思っていたから意外だ。
わたしは努めて真面目な顔を崩さずうなずいた。
「そうですね、騎士団の方たちなら海にも強いですもんね。言っておきます」
「ああ。そ、それと、今日はこれを」
ちょっとだけへこたれた箱を、カウンターに置いたディーさん。
「ま、町で人気と聞いて」
「メイプルマフィン! これ、並んでもなかなか買えないんですよ! すごい! 父も喜びます!」
「い、いや、これは、その……」
「あの人、見かけによらず甘いもの好きだから。ディーさんよく知ってましたね」
「そ、そうか。それなら、よかった」
そのわりに、ディーさんはしょんぼりと肩を落とした。首をかしげると、大きな手が箱をわたしに差し出してくれる。
わたしはそれを両手で受け取ると、もう一度お礼を言った。それにディーさんがほんの少し目元をやわらげる。どんどん騎士団長のディアルド様の印象がわたしのなかで塗りかえられていった。
そこでわたしははっとする。こんな日にわざわざ手土産まで持って足を運んでくれたってことは、とても大切な用事があるのだろう。メイプルマフィンに気を取られている場合じゃない。
「ディーさん、父に用事ですよね? 今呼んできます」
「い、いや、今日はそうではなくて」
「え?」
「せ、先日の本が、その、とてもよかったので。昨晩読んで、たまらずに足を向けてしまっただけだ」
ずずっと、小さく鼻をすするディーさん。
そこでようやくわたしは合点がいった。赤い彼の眼は充血のせい。寝不足もそうだけれど、きっと、あのお話に胸を打たれたんだ。
かくいうわたしも【白詰草】を初めて読んだときむせび泣いてしまった。すでに四か所で涙を流したというのに、最後の場面では涙で文字が見えないほど泣いた。そしてすぐに初めから読み返したのである。
わかる、わかりますディーさんその気持ち!
「あのお話、感動しますよね! 最後はもちろんなんですが、ところどころのふたりの切ない気持ちとか、学んで強くなっていくところとか」
「幼いふたりのやりとりがあたたかかっただけに、成人の儀で受けた衝撃はどれほどだったかと思うと……」
「出会ったころの、花冠を編んでいるところもとっても好きです」
白詰草の冠を家臣の少年が編む場面なのだけれど。それが王座について姫君がかぶる冠を暗示させているのだろうとも思えたし、かわいい女の子を喜ばせたいという、彼の純粋な気持ちが表れていて、わたしの好きな場面のひとつだ。
ディーさんはどういうわけか言葉を詰まらせたけれど、こほんと咳払いをしてうなずいてくれた。
「そ、そうだな」
「ふふ。こんなふうにお話しできてうれしいです」
わたしの友達は本を読むのが苦手だといって、こういう会話を楽しむことができない。お茶とお菓子を楽しみながら話の花も咲かせたいと思っていたのだけれど。まさか騎士団長様と話すようになるとは思わなかった。
あの海を荒らしていたサメをほとんどひとりで串刺しにして、海水を赤く染めたと恐れられている騎士団長様ですよ?
泣く子も黙るディアルド様は、恋愛小説で泣いちゃうのか。……なんだかほわんと胸があったかくなるなあ。
おおおお俺もうれしいとかなんとかごにょごにょ言ったディーさんは、日暮までわたしの話に付き合ってくれた。しばらくあの本を読み返すことにすると宣言してから、最後までフードの存在を思い出すことなく帰っていった。
鱗人はもうずっと前からわたしたち人間と一緒に暮らしている。この島国ではとくに彼らの数は多い。海のずっと先には、彼らだけの国もある。
背は人間よりも頭ひとつ高くて、全身をおおう鱗は青や紫、緑とまちまちでその濃淡も人によって違った。
純粋な鱗人は髪も生えず、おでこから顎にかけてつるりとした曲線を描き、表情が出にくい。人間と結婚する鱗人も多いから、人間の混ざり具合によって容姿もさまざま。ほとんど見た目は人間で、水かきがあったり耳の後ろにエラがあったりする人もいる。
ディアルド様はというと、曾お祖母さんが人間だったはずだ。その前にも先祖が人間と結婚してるらしく、顔のつくりは人間。でもぜんぶが綺麗な瑠璃色の鱗でおおわれていて、エラもあれば水かきもある。ちなみに、水かきは水に触れると指と指の間に膜が張るみたいにでてくる。鱗人とハーフの友達がそうだった。
ともかく。わたしたちの生活に鱗人がいるのはあたりまえで、海と関わりが深い分、彼らに頼ることも多い。
そのわりに、人間から見て鱗人は純血に近ければ近いほどとっつきにくい印象があることも確かで。大きいし、表情も読めないから、身構えてしまうせいだと思うけれど、お互いにちょっとだけ埋まらない距離みたいなものがある。
「ディーさん」
お昼どき。港の奥にある岩場に向かって歩いていると、誰かが後ろから走ってきた。振り返るとずるずるの外套をまとった店の常連であった。
「ロ、ロナ、嬢。はあはあ、こんなところで、はあはあ、ど、どうしたんだ」
「……ディーさん、とりあえず息を整えましょうか」
どれだけ急いで走っていたんだろう。体力には自信があるはずの騎士団長様は、膝に手をついて顔をうつむかせた。手袋をしていない、瑠璃色の手がきらきらと光る。
あれ? お仕事中にこの格好でいいのかしら。ちらりとのぞいた外套の下は、町で見慣れた騎士の制服。あえてそのずるずるの外套を羽織る理由がわからない。
きょとんとしたわたしに気づかず、ディーさんは大きく息をつくとフードにおおわれた顔をあげた。
「すまない。――今日は、店ではないのだな」
「今日からしばらく、父が調査なので。食事を届けるんです。あの人、すぐに食べることと寝ることを忘れちゃうの」
「そ、そうか。ハインツ先生のところへ行くのか」
わたしが手に下げた包みを見て、ディーさんは納得したらしい。やんわりとわたしの背を押して、岩場の方へとうながしてくれる。
「きみが、海に出てくるなんてめずらしいと思ったのだ」
「ほとんど店番をしていますからね。でも、たまに父の調査を手伝うこともしますよ」
「ロナ嬢も、先生のように?」
父は調査のためならなんだってしちゃうくらい、よく言えば研究熱心。自分で海底まで潜って魚介類を採取したり、地形を調べたり。調査となれば、海が荒れてもお構いなしだ。それをディーさんも知っているのだろう。わたしは苦笑する。
「あんなには無理ですよ。そもそもわたし、泳げないんです」
「お、泳げない、のか」
鱗人には、泳げないっていう感覚はわからないかもしれないなあ。思いながらわたしは唇をとがらせる。
「だって、お父さんったら調査に夢中になって。小さいわたしが波にさらわれているのに気づてくれなかったんだもの。一緒にいた鱗人さんが助けてくれましたけど、それから泳ぐのは怖くて」
「そ、そうなのか」
ディーさんはなんだか複雑そうな声をこぼした。不思議に思って見上げると、なんでもないと首を振る。
「小さなきみが、無事でよかった」
「鱗人さんのおかげです。――だから、岩場での作業とか天候の記録とか、海に入らないときを手伝っています。海は怖いけど好きですし」
「そ、そうか」
それならいい、とディーさんがごにょごにょ言ったところで、父の背中を発見する。
声をかけると飯か! と満面の笑みが向けられて潮だらけの手が招く。ディーさんはそんな父に挨拶をしてからひと言ふた言かわすと、丁寧に頭を下げてその場を辞した。
あれ? お父さんに用事じゃなかったの?
手を洗った父にサンドウィッチの包みを渡すと、どこからともなくルーンが現れた。好物の魚を漁師たちにもらったのかご満悦だ。大きな彼をなでながら、わたしはディーさんの姿を思い浮かべる。
「お父さん、ディーさんって確か女の人が苦手って聞いたことあるけど、お店でわたしが出てて平気かしら」
「うん? そうなのか?」
研究にしか興味がない父は、わたしよりも噂話にうとい。卵サンドを頬張るのに、わたしは小さくため息をこぼした。
「ディアルド様って寡黙で冷静って印象だったんだけど、わたしが相手だと言葉に詰まってしまうみたいだし」
「そういえば、彼がどもるなんて姿は見たことなかったなあ。ふーん……そんなことより、ロナもようやく気づいたのか」
仕事以外だと、意外とあの人迂闊だからなあ。はっはっは。
のんきに笑ってお茶を飲む父がうらめしい。ひと睨みして、空になった包みを受け取る。また夕方に、と言って父と別れるとルーンが店まで一緒に帰ってくれた。
父の調査が沖へ沖へと向かっていくので、わたしが手伝えることはどんどん少なくなっていく。
店の営業を縮小して海にかようこと六日目。船で海に出たと聞いて、わたしは包みを傍らに桟橋に腰かけていた。
今日は波もなくおだやかで、潮風が気持ちよい。
わたしより先に桟橋にいたのはルーンで、彼は大きな体をどーんと横たえて日向ぼっこをしていた。ぱたんぱたんと揺れるしっぽに、まだ彼を恐れない子猫がじゃれついていてそれがとてもかわいかった。
ルーンはわたしが港にいくとどこからともなく現れる。嫌われてはいないと思っていたけれど、この六日間毎日顔を見せてくれるからうれしくなってしまう。
ルーンと同じように、ディーさんもこの時間に港に顔を出すようになった。父に用事があるときもあるが、律儀にも毎回わたしに声をかけてくれる。そしてわたしの横にルーンがいるのを、不機嫌そうに一瞥するのだ。本当に猫が嫌いらしい。
新しい本を買っていないから、ディーさんとは今まで読んだ三冊の本のことばかり話している。正体を隠してまで読んでいるのだから、女の子向けの装丁の本を置いておくのは嫌なんじゃないかと思って、題名が見えないように簡単なカバーをプレゼントしたのは昨日のこと。役に立っただろうか。
そろそろ父も戻るはずだから、ディーさんも来るんじゃないかなあ。
きらきら光る海。ディーさんのきれいな鱗みたいだ。
たぷんたぷんと揺れている水面を眺めて、にゃあにゃあかわいい声でじゃれている猫たちを眺めて、とってものんびりしたひととき。
「あっ!」
おだやかな空気がくずれたのは一瞬だった。
ルーンのしっぽめがけて飛びついた子猫。まだ生まれてふた月ほどの、なんでも興味を向ける時期の子猫は、いろんなことに対して毎日学んでいる途中だ。
加減もまだわからない。だから、ルーンのしっぽに力いっぱいじゃれつくには勢いがありすぎた。
ぱたんと揺れたしっぽに爪を立て、ころりと体を寝ころばせる。捕えようと夢中になって前足を動かして、もう一度ころりと転がると、そこはもう桟橋のふち。
ぽんと小さな体が海に投げ出されたのが、いやにゆっくりと目に映る。
わたしが立ち上がったのと、ルーンが身を起こしたのはほとんど同時だった。ばしゃばしゃと水をかく音に子猫の声が混ざる。
どうしよう、どうしよう!
慌てて周りを見渡しても、天気のよい桟橋には日向ぼっこしていたわたしとルーンしかいない。いくら猫が爪を立てられるとはいっても、桟橋の柱に掴まるのは無理だろう。犬ほど泳ぐことはできない、しかもまだ小さな子猫。
にゃあと鳴いたルーンの声に、わたしははっとしてカーディガンを脱いだ。そして靴も脱いだ。
怖いけれど。怖いけれど、あの子を捕まえてこの柱に捕まれば大丈夫。泳げないわたしでも、それくらいなら、なんとかなる。
意を決して海に飛び込むと、視界の端でルーンが桟橋を駆けて行った。
水飛沫があがって冷たい水に包まれると、気持ち悪いくらいべったりと服がまとわりつく。鼻や口から少し海水が入ってきて、こんなにしょっぱかったかと驚いてしまう。
一度沈んだ体はなんとか海面に浮きあがった。ぷはっと顔を出して、精一杯息を吸う。海はおだやかとはいっても波が途切れることはなく、わたしの呼吸を容赦なく邪魔した。
子猫は――、いた。まだもがいている。
桟橋の柱をすぐ横に確認して手を伸ばしてみたが、波にもがく子猫は少しずつ離れてしまっていた。
立ち泳ぎさえもできないわたしは、この場に留まることさえ難しい。けれども、そう言ってもいられない。
柱を蹴って子猫を目指す。伸ばした手にやわらかなものが触れ、それはわたしからも逃れようと必死に爪を立てた。胸に抱き込みたいけれど、子猫が息ができなくなってしまうからなるべく上に手を伸ばす。
足が、つかない。向きを桟橋の方に変えて水を蹴っているのに、うまく体が進んでくれない。それどころか、重石でもついたみたいに沈んでいこうとする。しょっぱくて、苦しい。
子猫は大丈夫だろうか。耳に膜が張ったみたいに、音がうまく聞こえない。水のなかはこんなに動けないものだったかと戸惑うわたしは、すっかり自分が溺れてしまっていることにようやく気づいた。
苦しいくらいに水が入ってくる。もうしょっぱさも感じない。ただただ苦しい。息が続かなくて、ごふっと吐いてしまったそれが、泡になって消えていく。
子猫は。苦しい。どうすれば。
もがくわたしを、ぐいと強い力が引っ張ったのはそのときだ。
腰になにかが巻きついて、ざあああっと水を掻き分ける。まるで、水が自分から退いていくみたいにとても速く流れていく。そしていきなり空気が肺に飛び込んだ。
ごほごほ噎せるのと、水を吐き出すのと、空気が入りたいのと、いっぺんに押し寄せてくるそれにわたしはついていけない。
たくさんの手が伸びて、わたしを桟橋に引っ張り上げてくれた。
やっと地についた足に安堵して、わたしは膝をついたまま咳と荒い呼吸を繰り返した。ぬっと影が降りて、隣に来た人がわたしの背をさすってくれる。
気づけばたくさんの騎士たちが服や髪を濡らしていた。彼らが、助けてくれたのだとわかる。お礼を言わなければ。咳をおさめようとしながら顔をあげると、鋭い金の色に捕らわれてしまった。
「きみは泳げないだろう! それなのにどうしてこんな無茶を……!」
しかも猫に! 言葉になっていない声まで聞こえたような錯覚に陥る。わたしの背をなでてくれていたのは、騎士団長のディアルド様だった。
彼の銀の髪も、制服もぐっしょり濡れてしまっている。ということは、溺れたわたしを助けてくれたのはこの人なのだろう。また鱗人さんに助けてもらってしまった。
咳をしながら、わたしは必死に言葉を吐きだす。
「だ、だって、猫よりはまだなんとかできるかと思って。目の前で溺れてるの、見捨てるなんて――」
「見捨てろだなんて言わない! でも、だったら誰か呼ぶことだってできただろう。なんのために海上騎士がいるんだ」
店で戸惑うように話すディーさんは、どこにもいなかった。真剣に叱る声はよく知ったものだけれど、短く、的確に騎士たちへ指示を飛ばすその姿は初めて見るものだ。
子猫も、騎士たちが丁寧にタオルにくるんで保護してくれた。団長の指示に従って彼らは持ち場に戻っていく。何事もなかったかのように、おだやかな港になってしまった。ルーンもわたしの傍らでごろりと寝ている。
呼吸が整ったわたしに、騎士団長――ディーさんはそっとため息をこぼす。
「……きみが無事でよかった」
どきん、とわたしの心臓がはねた。
低くかすれた声からは、安堵がはしばしからこぼれている。心配させてしまった。そしてその、心配してくれる気持ちがひどくくすぐったかった。
わたしの胸にもじんわりと安堵が広がっていく。
「ディーさん、ありがとう」
びしょぬれでひどい格好だけれど、わたしは強張っていた顔をにっこりさせて彼を見上げた。
そんなわたしに、しょうがないなと困ったように目元をやわらげたディーさんは、うなずこうとしたのだけれど。はっと息をのんで琥珀色の瞳を大きく見開いた。
「お、おおお俺だと、どうして」
あ。言葉がディーさんだ。わたしはそれにまた笑ってしまう。
制服は、わたしと同じくびしょぬれ。でも、今の彼は顔をおおう布も、ずるずるの外套もまとっていない。
ディーさんなのだけれど、海上騎士団長のディアルド様なのである。
「わたしがディーさんを間違えるはずないじゃないですか」
ずっと気づかなかったことは知らん顔して胸を張ってみた。ディーさんが名乗ってから考えれば、彼が団長だと気づいたのは早かったはず。ものは言い様ってやつだ。
「そ、そうか」
口ごもって視線をそらしたディーさんは、こほんと咳払いをすると、ひと呼吸おいてまっすぐとわたしを見つめる。
瑠璃色の鱗も、銀の髪も、琥珀色の瞳も、きらきらしてまぶしい。とてもとても、まぶしい。
「それなら次から必ず、俺に声をかけてくれ。本に出てくる青年たちほどかっこよくはできないが、どんなときも、きみを守りたいんだ」
はにかむように微笑んだディアルド様は、背をかがめてわたしの瞳を覗き込む。
わたしはその色に、息が止まるかと思った。そらされることのない、まっすぐな瞳。じれたように、形のよい唇が動く。
「ロナ嬢。返事を、聞かせてくれ」
「……は、はい」
顔を真っ赤にしたわたしは、消え入るような声でうなずくことしかできなかった。なんだろう、これ。心臓はうるさいし、服も髪もびっしょりでひどい格好なのに。
まるで、本のなかにいるみたいだ。
ぜんぜん挿絵のようにうつくしくないけれど。とびっきりすてきな、誰も知らないお話で。どんなめでたしめでたしで締めくくられるのか、わたしは今から胸を躍らせてしまう。
思わず笑みをこぼしたわたしを大きな手がぎゅっと抱きしめると、足元からおもしろくなさそうなルーンの声が聞こえた。