02 王国暦五九八年 コンセル 四日
新入生は相変わらず無口で、休憩時間もずっと本を読んでるから誰も話しかけるタイミングがない。
昨日のランチはグリフレッドとヴェロニクが教室に迎えに来ていた。
なんていうか。
他人に興味ないんだろうか。
ずっと、人形みたいに表情も変わらない。
歴史の授業、地理の授業。
それから母国語の授業は、まぁまぁ真面目に受けているらしい。
数学は相変わらず興味ないんだな。
ちょっと試してみるか。
「この問題、解けるか?」
読書を邪魔をして、一限目に出された課題をエルロックに見せる。
エルロックが顔を上げて俺を見ると、読んでいた本を置いてノートを出す。
そして、問題を解く。
「おぉ」
早いな。あっという間に解き終わった。
でも。
「答え合ってるのか?」
エルロックは眉をしかめる。
間違っているわけないだろ、とでも言いたげだ。
「ここさぁ、なんでこうなるわけ?」
急に数字が変化した箇所を指すと、今度は数学の教科書を出して、教科書に載ってる公式を示す。
ずいぶん後のページだ。
「これ、まだ先の公式だろ?」
そこまで予習済みなのか?
だから、数学の授業を受ける必要がない?
「この公式を使わないとどうなる?」
公式を使った箇所から矢印を伸ばして、エルロックが数式を書いて行く。
あぁ、飛ばさないとそうなるのか。
わかりやすいな。
で、こっちに戻る、と。
「お前、頭良いな」
わかりやすい。
丁寧だ。
これを写せば、今日の数学の課題は終わりだな。
そう思ってると、ノートが閉じられる。
「わ、待てよ。今写すから!」
閉じかけたノートを開くと、エルロックは問題を解いたページを一枚切り取って俺に渡す。
「お。ありがとう」
解き方も見直しておこう。
教師よりわかりやすい。
エルロックが立ち上がる。
あ。
「待てよ。ランチ、一緒に行こうぜ」
今日はまだ、アレクシス様は迎えに来てない。
断るかな。
そう思ったけれど、エルロックは頷く。
良いのか。
今日は、約束してないのかもしれない。
※
「…で、あの教師はすぐに難癖つけて課題を出してくるんだよ。だから、目をつけられないほうが良いぜ」
俺が喋っている間中、エルロックはずっと地理の教科書に目を落としたままだ。
「なぁ、聞いてるのか?」
そう聞くと、一応顔を上げてこちらを見る。
聞いてないわけじゃないらしい。
「本当に無口な奴だな」
反応がないから、聞いてるのかどうかわからない。
「カミーユ、やめなさいよ。困ってるじゃない」
「…マリー。どうしたんだ?」
「はい。後期にやる室内楽の授業の、調査票よ」
また、説教でもされるのかと思ったら。調査票を渡された。
前期は春のポアソンからリヨンの半年。
後期は新年のヴィエルジュからヴェルソまでの半年。
初等部一年の前期は教室でやる授業がほとんどだが、後期からは室内楽や剣術の授業が始まる。
初等部で選べる室内楽の楽器は…。
ピアノ、バイオリン、ビオラ、チェロ、フルート、オーボエ。
どれか一つ、もしくは二つを選択すること。
「マリーは何にするんだ?」
「ピアノとフルートよ」
「どっちも好きじゃないな。バイオリンなら少しは弾けるけど。お前は何かやったことあるのか?」
エルロックは用紙を見ながら首を横に振る。
「なら、バイオリンにしようぜ」
「勝手に決めないで。…エルロック、今月末までに提出して頂戴ね」
それ、俺にも言ってるんだよな?
「ねぇ、あなたって、アレクシス様とどういう関係なの?」
エルロックがマリーを見る。
表情も変わらない。
いや、少し眉をひそめてるか。
「ほら、困ってるぞ、マリー」
「悪かったわね」
マリーがため息をつく。
「何かあったら言ってね。私、このクラスの委員長だから」
マリーも、話しかけるの初めてなのか。
「それじゃあね」
手を振ってマリーが去る。
っていうか。
「お前ってさー、本当に無口だよな。何か喋ろよ」
完全に無視だ。
「ばーか」
首を傾げられる。
こっちが馬鹿にされてるみたいだ。
「あぁ、やめよう。苛めたなんて言われたら、それこそマリーに殴られるな」
無口にも、無反応にもほどがある。
どうにか、口を割らせる方法ないか?
その瞳。
ブラッドアイ。
吸血鬼種だってからかってみるか?
いや。やめておこう。
リアルに差別だ。
「何か気に入らないことでもあるわけ?」
全然表情が変わらない。
「これ、面白いか?」
教科書なんか読んで。
「なんつーかさぁ」
あ。
良いこと思いついた。
「お前、女みたいな顔してるよな」
ブラッドアイの瞳が、大きく見開いた。
ようやく反応があったと思った瞬間。
殴り飛ばされた。
周囲から悲鳴が上がる。
「ふぅん。良い度胸してるじゃねーか」
こんなにストレートに殴られたの、初めてだ。
エルロックの胸ぐらをつかんで、殴る。
回避行動はとられたが、充分お返しは出来ただろう。
これで御相子だ。
と、思ってたら、また殴られる。
「何やってるのよ!」
喧嘩。
「おー。カミーユと新入生が面白いことやってるぜ」
くっそ。
良い動きしやがって。
喧嘩慣れしてるな。
「誰か、止めてよ!」
「やれやれー」
「いっけー」
「先生呼んで来て!」
何人かが止めに入ったが、それを振り払って蹴り上げる。
「泣かせてやる」
俺だって武術をやってるんだ。
負けるかよ!
思い切り殴ろうとした動作をかわされたかと思うと、下から蹴られそうになる。
これ以上のダメージはごめんだ。
エルロックの足を掴んで投げると、エルロックが机と椅子に背中から突っ込む。
「カミーユ!やめなさい!」
マリーが叫んだが、エルロックが起き上がって、また向かってくる。
右手で殴られる、と思ったら、フェイント。実際は左。
腹を思い切り殴られる。
「…っ」
続けて、わき腹も蹴られる。
くっそ。
「いってぇ…」
思わず、膝をつく。
なんなんだよ、こいつ。致命傷狙いやがって。
あぁ、くそ。
「やられるかよ!」
騎士の家系だってのに。一般人に負けてたまるか!
その場から足払いをかけ、立ち上がって掴みかかろうとしたところで。
シャルロがエルロックの腕を掴む。
「その辺にしておけ。カミーユ、エルロック」
「…シャルロ。庇う気か」
もう一発殴らないと気が済まない。
「発端は何だ」
発端は俺がからかったせいだけど。
「どっちが先に手を出したんだ?」
それで、エルロックが…。
くそっ。
「どっちでも良いだろ?」
教室の扉が乱暴に開く。
「お前たち、何の騒ぎだ?」
クラスの担任教師がセリーヌに連れられて教室に入ってくる。
「カミーユとエルロックが喧嘩してるの」
「喧嘩?…カミーユ、エルロック。来い」
「ちっ」
セリーヌの奴。
エルロックと一緒に教室から出たところで、チャイムが鳴った。
二限目が始まるな。
「カミーユ。なんで喧嘩なんてしたんだ」
「べーつにー」
「発端は?先に手を出したのはどっちだ」
「…忘れた」
エルロックが何か言うかと思ったが、何も言わない。
「まったく…。エルロック、入学早々、何をやってるんだ。…フラーダリーに報告するからな」
え?
「フラーダリー?どういうことだ?」
「エルロックの保護者はフラーダリーだ」
「なんだって?」
フラーダリー。
現国王が寵愛していた妾の娘。
「だから、アレクシス様が」
ようやく繋がった。
アレクシス様はフラーダリーを姉と慕っているらしいから。
フラーダリーの子供なら…。
あれ?フラーダリーは独身だし、まだ若い。こんなでかい子供が居るわけがない。
ってことは、こいつ、孤児なのか?
「二人とも、ちゃんと怪我を治して来るんだぞ」
ここは。医務室の前。
「終わったら授業に戻れ。放課後は補習をやるからな。第三実験室に来い」
面倒だな。
「はーい」
適当に返事をして、医務室に入る。
「あら。喧嘩でもしたの?」
わかるほど酷い顔してるか?
ぼーっと立っているエルロックを、白衣の教員の前に座らせる。
「先生、痛くしてやってよ」
確かこいつ、口を切ってたはずだ。
「何言ってるの。…あら。あなた、珍しい目をしているのね」
エルロックが俯く。
気にしてたのか。
「カミーユ。この瞳をからかったんじゃないでしょうね」
「そんなわけないだろ」
言わないで良かった。
「そう。でも、あなたがからかって、この子が殴りかかったんでしょう?」
「なんでわかるんだよ」
「カミーユの顔に、綺麗に殴られた跡があるからよ」
自分の頬を触る。
鏡を見てないから分からない。
そういや、殴られたのって右だ。
こいつ、左利きか。
「さ、治してあげるわ」
本当に無口な奴だよな。
俺がどんなに殴っても、痛いの一言言わずに殴りかかってきた。
根性はあるらしい。
女みたいな顔立ちなのに。
…あぁ、気をつけよう。
これも気にしてるみたいだから。
「時期外れの新入生ね。あなた、薬を見るのは初めて?」
薬を見るのが初めて、だって?
「ここで錬金術を学べば、この薬の正体もわかるわよ」
どこの田舎出身だよ。
本当にわかんない奴だ。
「はい、おしまい。ここに名前を書いてね。…さ、カミーユと変わって頂戴」
エルロックと変わって、椅子に座ると、教員が俺の傷を手当てして行く。
「あ~あ。補習なんて。何やらされるんだ」
「悪いことをした罰よ。学生の本分を思い出して、たくさん学ぶことね」
悪いことか…。まぁ、俺が悪かったよな。
おかげで補習だ。
しかも、実験室。
錬金術を習うのは、初等部二年からなのに、何やるんだ。
「はい、終わり。利用名簿書いてね」
医務室の利用名簿に名前を書く。
これに書かないと、授業を無断欠席扱いされかねない。
無断欠席も補習の対象だ。
書き終えて、立ち上がる。
「おい、行くぞ」
薬瓶を眺めているエルロックに声をかける。
「あんまり喧嘩なんてしちゃだめよ」
「はーい」
エルロックと一緒に医務室を出て、教室に向かう。
「お前、孤児なのか?」
エルロックが頷く。
「どっから来たんだ?ラングリオンじゃないだろ?」
答えない。
こちらを見向きもしない。
「また、だんまりかよ。それとも無視か?」
それとも、まだ、女みたいって言ったこと、怒ってるのか。
「悪かったよ。少し怒らせようと思っただけだったんだ」
エルロックが足を止めて、俺の方を向き、首を傾げる。
何のことかわかってないのか?
「喋らないし、何やっても反応薄いし。からかって悪かったよ。…同じクラスなんだから、いいかげん仲良くやろうぜ」
エルロックが眉をひそめる。
なんだよ。俺の説明が悪いのか。
「いつまでも一匹狼で居てどうするんだよ?」
なんで、何も言わないんだ。
「あぁ、もう。いつまで無視するんだよ!せめて、何か喋ろ」
エルロックが、ようやく口を開く。
「なんだって?」
あれ?
「…え?」
口だけが、同じ言葉を繰り返しているみたいだけど…。
まさか。
「お前、声が出ないのか?」
エルロックが首を縦に振る。
「なんで、皆に言わないんだよ」
今度は首を横に。
「先生は知ってるのか?」
頷く。
「で?皆には言いたくないのか」
頷く。
なんで?
「変な奴。俺に知られても良いのか」
エルロックが、口を動かす。
「今、何て言ったんだ?」
俺があまりにも理解できないせいか、エルロックは俺の手を取って、左指で文字を書く。
「なんだって?もっとゆっくり書けよ」
し
つ
こ
い
しつこい?
あー。ずっと、そう思われてたのか。俺。
「はいはい、悪かったよ。でも、喋れなかったら困るだろ」
首を傾げる。
困ってないのか?
…まぁ。そうなのかもな。
困ってるのは、エルロックの回りの人間だ。
何考えてるかわからないから。
「決めた。俺はこれからもお前をかまう」
エルロックが眉をひそめる。
せっかく、今までのが、ただの無視じゃないってわかったんだし。
「喋れるようになる方法、一緒に探そうぜ」
エルロックは驚いた顔をして。
それから、初めて笑った。