Jardins sous la pluie
すっかり冷めたコーヒーを飲みながら、手元のチェス盤を眺める。
エルが白のポーンを動かす。攻撃されているナイトは…。下げるか。
エルが口元に指を当てながらチェス盤を眺める。
長い睫。
濃紅の瞳。
人形のように整った顔。
瞬きを二回して。
乾いた唇を潤すように舌が動く。
…長考だな。
立ち上がって窓辺に行く。
「降って来たな」
カーテンを開くと、暗闇の中で雨が降っているのが見える。
「もう、立夏の長雨?」
「あぁ」
去年はもう、この時期にはラングリオンに来てたんだっけ。
「今年は早いみたいだな」
夏前にラングリオンで続く雨。
立夏の長休みが終わる頃には雨も止んで、乾燥した夏になるんだけど。
しばらくは、じめじめした日が続きそうだ。
エルの方に視線を戻すと、エルがまだ窓の外を見ている。
何を考えてるんだ?
アレクシス様ならわかるのかな。
表情の変わらない顔からは、考えてることなんて読めないけど。
「待ってても、夜に虹は見えないと思うぜ」
「虹?」
エルが首を傾げる。
…当たるわけないか。
「虹って、雨上がりに見える光学現象?」
「ロマンも何もない言い方だな」
「ロマンって?」
「夢のない言い方だって言ってるんだよ。もっと綺麗なものだろ。七色に輝くアーチだぜ?」
「七色のアーチ?」
今度は眉をしかめる。この感じは。
「見たことないのか?」
「ない」
砂漠では雨が降らないって言うし、ラングリオンは雨が少ないし。見たことなくてもおかしくないか。
「この時期なら雨上がりにいつでも見られるはずだけど」
タイミングが難しいんだよな。
エルに虹を見せる方法…。
「あ、確か、虹って作れるんだぜ」
「どうやって?」
「さぁ?」
詳しい条件までは知らない。
「滝とか噴水の側にも出るし、難しくなさそうだけどな。…明日、シャルロと調べてみようぜ」
エルが笑って頷く。
虹の実験ぐらいなら文句も言われないだろう。
「で?どれ動かしたんだ?」
「まだ」
エルがチェスボードを見て、駒を動かす。
ルークで特攻か。
「チェック」
エルの前に戻る。
あのルークはもう死んでたから、特攻するしか使い道はないんだろうけど。キングの前に突っ込んでくるのは意外だな。…あ。これ、逃げる以外にない。
キングを逃がすと、エルが白のビショップを動かす。
…ルークの保護?今更?
でも、これ以上打てる手はないだろう。別の場所のナイトを動かすと、エルがさっき保護した自分のルークをキングの前に移動させる。
「チェック」
「あ」
そういうわけか。
エルのルークをナイトで取る。
「サクリファイスって言うんだっけ」
エルが頷いて、白のクイーンを動かす。
本命のクイーンの道を開く為に邪魔なルークを捨てたのか。
「チェックメイト」
白のビショップの目的に気付いていれば、もう少し上手くやる方法はあったんだろうけど。
流石にもう眠い。
「今日はこれで終わりだ」
チェスの駒を片付けていると、エルがまた窓の外を見ている。
何考えてるんだ?
雨が珍しい?
「カミーユ」
「なんだ?」
「泊まって良い?」
「は?」
馬鹿か?
「何言ってるんだよ。明日も授業があるんだぞ。徹夜なんて御免だ」
「寝るよ」
「寝る?」
エルがベッドの方を指さす。
「一緒に寝よう」
……。
「帰れ」
「だめ?」
だめに決まってる。
「お前の部屋はすぐ近くだろ。早く帰れ」
無理。
「わかった」
顔を合わせられない。
「おやすみ、エル」
「おやすみ、カミーユ」
足音と、扉が開閉する音を聞いてから顔を上げる。
もう誰も居ない。
…少し、きつく言い過ぎたな。
シャルロが居てくれたら良かったんだけど。
片付ける途中だったチェスセットを片付けて、中途半端に開いたままのカーテンを閉めに窓辺に行く。
雨はさっきよりも激しい。
…このまま。
このままずっと、一緒に居続けることが出来るんだろうか。
シャルロは絶対に気付かないって言ってたけど。
気づかれなければ一緒に居られるってわけでもない。
さっきだって。
友人って思っているだけなら、頼みを聞き入れることが出来たのに。
感情に負ける。
たった一言で、こんなに平静を保っていられなくなるようじゃ…。
雷の音が聞こえて、空を見上げる。
…?
なんだ?あの光。
光が近づいて来て、窓を叩く。
精霊?
慌てて窓を開くと、精霊が部屋に入ってくる。
『ありがとう、カミーユ』
この声。
「ミーア?」
『そうだよ。…あ。顕現してる時に会うのは初めてだったね』
ミーアが笑う。
ナインシェに少し似てるよな。精霊って、皆こんな感じなのか?
『雨は苦手なんだよね、私。雨宿りしても良い?』
「良いよ」
「ありがとう」
『光の精霊の癖に、だらしないぞ』
あれ?精霊がもう一人居る?
見渡す限り誰も居ないから、もう一人は顕現してないみたいだ。
『晴れた日には全然出てこない人に言われたくないな』
『なんだと?』
賑やかだな。
窓を閉めると、後ろから頭を叩かれた。
「いてっ」
『何、勝手に閉めてるんだよ』
振り返ると、もう一人の精霊が顕現してる。
ミーアとは全然雰囲気が違う。
「光の精霊?」
『そんなわけあるかよ!俺様は雷の精霊だぜ』
「雷の精霊…?」
種類が違うから似てないのか?
『反応が薄すぎるぞ。今すぐ雷でも落としてやるか?』
なんでそうなるんだよ。
「やめてくれ。雨宿りは好きにして良いから」
『俺は雨宿りなんて求めちゃいないって言ってるだろ』
「じゃあ、何して欲しいんだ」
『何して欲しい、だって?』
『もう。精霊にそういうこと言っちゃだめだよ』
「え?」
『そうだなー。しばらく地上に居るのも悪くないし。お前、名前は?』
「カミーユ」
『俺の名前はブレストだ。カミーユ。俺と契約しろ』
「…は?」
『何して欲しいか聞いてきたのはそっちだろ?ほら、髪でも爪でも良いから寄越せ』
本当に?
いや、ちょっと待て。
契約の仕方ってどうだっけ。
机から魔法学の概論を出して文言を探す。
『何やってるんだ?』
『勉強じゃない?』
『おい。俺の話し無視してんじゃねーよ』
「ちょっと待っててくれ」
あった。
契約時には肉体の一部を渡し、精霊の種類に応じた契約の祝詞を唱える。
雷の精霊は…。
「髪ってどれぐらい渡せば良いんだ?」
『んなもん、適当に決まってるだろ』
爪でも良いってぐらいだからそんなには要らないのか?
ナイフで髪を切る。
「これぐらいで良いか?」
『良いぜ』
えっと…。
「ブレスト。温度を上げる神に祝福された雷の精霊よ。請い願う。我と共に歩み、その力、我のために捧げよ。代償としてこの身の尽きるまで、汝をわが友とし、守り抜くことを誓う」
『カミーユ。我は応えよう』
教科書通り。
ブレストが俺が捧げた髪をその身に取り込む。
これで契約完了?
なんだか呆気ないな。
『なんつーか。魔法使いっぽくないな、お前』
「あぁ。俺は騎士を目指してるんだ」
『騎士と契約すんのは初めてだな』
色んな人間と契約してたのか?
精霊は寿命って概念がないぐらい長生きなはずだからな。
『俺様は人間には慣れてるから、すぐに魔法を使えるようにしてやるぜ』
「魔法…」
そういえば、魔法剣士がどういう戦い方をするのかって知らないな。魔法を剣技に応用する方法って?
『カミーユって変わってるね。ブレストみたいにうるさい精霊と契約するなんて』
『何だと?』
グリフとロニーは精霊と契約してるのかな。
『だってそうだよー。雷の精霊って気性が荒いもん』
いや。確か他人が契約している精霊について聞くことはマナー違反なはずだ。相手から言わない限り、聞かないのが基本。
『失礼な奴だな。お前らがのんびりし過ぎなんだよ』
マリーが光の精霊ナインシェと契約してることも、エルが闇の精霊メラニーと契約してることも知ってるけど。
『地上が好きなら地上に居れば良いのに』
二人とも隠すつもりはないみたいだからな。
『お前と違って俺は上の方が楽なんだよ』
っていうか、喧しいな。精霊と契約してる奴ってみんなこうなのか?
「明日も早いんだ。もう寝かせてくれ」
『もう寝るのかよ』
『消灯の時間だもの。良い子は寝てる時間なんだよ』
『しょうがないな。静かにしててやるから、たっぷり休んで魔力を溜めておきな』
目の前でミーアとブレストが消える。
「ブレスト?」
『なんだよ。俺が顕現してたらお前の魔力を奪うんだぜ』
シャルロがそんなことを言ってたな。
顕現を解いただけ。見えないけど、近くに居るのか。
「おやすみ」
『おやすみ』
これ、夢じゃないよな…?
棋譜は、活動報告にまとめておきます。




