04 王国暦五九九年 スコルピョン 二日
秋の終わり。
今日から、養成所の中等部一年、つまりアレクシス様のクラスが研修旅行に出かける。
研修旅行は、スコルピョンの二日から十八日まで。十九日と二十日が休養日だ。
行き先は、ラングリオンの東に広がる砂漠。
オアシス都市ニームを拠点として、そこから少し離れた場所にある、クロライーナというオアシス都市跡の調査を行う。
クロライーナは、二、三年前に精霊戦争によって滅びた都市だ。
その原因は不明。
精霊同士が争うなんて信じられない。でも、実際に精霊同士が戦った形跡があるのは事実。…ということで精霊戦争と呼ばれている。
そして、クロライーナはその戦争に巻き込まれて滅んだオアシス都市。
人間はおろか、争った精霊すらも全滅したと言われてる。
精霊同士が戦ったとされる世にも珍しい土地は、今も精霊の力が渦巻いているらしい。
普通の人間には感じることが出来ないが、魔法使いにはわかるらしいのだ。精霊が使う魔法は強力で、人間の比じゃないとかなんとか。
…正直、言われてもわからない。
そもそも、魔法使いの素質があるって言われても、要は精霊と契約できる素質のことだ。
魔法を使う為には精霊と契約しなきゃいけない。
契約の仕方も、魔法の使い方も、俺は知らない。そういうのは全部、初等部の二年に入ってから勉強するはずだ。
今日は実験室に行かないのか?
課題の用紙に、エルが文字を書く。
「しばらく実験は休み。ロニーから止められてる」
ロニーからは、自分が居ない間に薬を作ることはしないように、ときつく止められた。
俺が薬を作るのが危ないと言うよりは、エルが考えなしに薬を飲むことが危険だからだろう。
本当に。
なんで何の警戒もせずに一気に飲むんだよ。
エルに作った薬は、もう試作品何号って数えるのも面倒なぐらい作ってるんだけど、全く効果があるようには思えない。
ロニーと勉強すればするほど、効果のありそうな、試せそうな案は浮かぶんだけど。
今度ロニーと会う約束をしているのは十九日の放課後。
今やっている課題は、それまでに仕上げろと、ロニーが置いて行ったものだ。
早く終わらせろ。
エルはつまらなそうな顔をしながら、俺の課題を眺める。
そして、やっている途中の計算式に丸を書き、そこから矢印で線を引っ張って、式を書く。間違っていたらしい。
良く、逆さまに式を書けるな。
俺から見やすいようにしているんだろうけど。
ちょっと試したいことがある。
「何やるんだよ」
簡単なもの。
エルが作りたいもの?
いつも俺の作業を見てるだけなのに。
「まだ残ってたのか。そろそろ教室閉めるぞ」
教室の扉を開いて、担任教師が顔を出す。
「はーい」
今日はここまで。
荷物をまとめて、エルと一緒に教室を出る。
エルは真っ直ぐ先を歩く。
実験室に直行する気だな。
本当に人の話しを聞かない奴だ。
「あ」
「シャルロ?」
「くそ。教室閉められたか」
俺たちが帰宅準備をして教室を出たからそう思ったんだろう。
「何か用事か?」
「図書館で借りた本、教室に忘れたんだ」
「まだ教師居ると思うぜ」
「そうか。なら…」
エルがシャルロの腕をつかむ。
そして、俺の腕も掴む。
「なんだ?」
「おい、実験は禁止って言われてるだろ」
無視してエルは俺とシャルロの腕を引いて実験室に向かう。
もう、俺が何を言っても無駄か。
「実験?」
「何かやりたいらしい」
「何やるんだ?」
「さぁ?」
エルの考えてることがわかるなら苦労しない。
※
実験室に入ったかと思うと、エルは薬品を勝手に出して作業を始める。
何やる気だ?
「これ、洗剤だろ?」
エルは、いくつか溶剤を溶かした中に、今度は砂糖を溶かす。
「何作ってるんだよ」
飲み薬ではなさそうだ。
…違うよな?
エルは上機嫌で混ぜきると、こんどはストローを出して液に浸す。
そして。
「おぉ」
エルがくわえたストローから、いくつもの球体が飛び出す。
透明な…、いや、光によって色が変わる球体。
「シャボン玉か」
「懐かしいなー。俺も遊んだぜ」
エルが驚いて俺とシャルロを見る。
まさか。
「やったことないのか?」
エルが頷く。
シャルロと顔を見合わせる。
こんなの、子供の頃に誰でも遊ぶと思うけど。
「たくさん作って、明日、教室に持っていくか」
「そうだな。教室でやって、教師を驚かせようぜ」
エルが笑って頷く。
そして、実験室の窓を開いてシャボン玉を吹く。
シャボン玉が空に舞っていく。
良くわかんない奴だ。
※
寄宿舎の食堂で、三人で夕飯を食べた後。
大量に作ったシャボン液を持って、部屋に戻る。
寄宿舎は、全員個室だ。
ベッドにソファー、サイドテーブル、机、本棚、ロッカー。
それと、シャワー室がついている。
後は個人で好きなものを持ち込める。
制服を脱ごうとしたところで、ノックが聞こえて扉を開く。
「シャルロ?」
「話しがある」
「あぁ」
シャルロを部屋に入れる。
「何か飲むか?」
「いや」
「座れよ」
シャルロがソファーに座る。
「カミーユ。何か気づいたことないか」
「気づいたこと?」
「ここに来る前のエルについて」
「さぁ。あいつは何も話さないし。ロニーは、何か大変なことがあったって言ってたけどな」
「大変なこと、か…」
シャルロは考え込むように口元を抑える。
「エルは砂漠から来た。エルは、そのことに触れられたくないし、本人が話すそぶりもない」
せめて喋れるようになったら変わるかもしれないけど。
「そして、保護者はフラーダリーで、エルが養成所に入ったのはエルを守る為」
「フラーダリーが言ってたな」
確か、最初に家に遊びに行った時。
「おかしいことだらけだ」
またか。
「気になることでもあるのか?」
シャルロは本当に、納得がいかないことに関して突き詰める。
話が長くなりそうだから、コーヒーでも入れるか。
「フラーダリーは国王陛下の妾腹で、陛下が寵愛しているのは周知の事実だ。アレクシス様だって慕っている。フラーダリー自身には何の権限はなくても、実質的に彼女に意見を言える人間は皆無なんだ。つまり、フラーダリーが保護者になれば、養成所に入れなくてもエルに手出しできる人間なんて居ない」
言われてみればそうだな。
フラーダリーが保護者になった時点で、エルに手を出す奴なんて居ないはずだ。
「その、フラーダリーが。エルを守る為には養成所に入れなければならないと言った。しかも、中途入学。次の年までは待てない事情があった」
「…みたいだな」
前にも言ってたな。
難関のテストを受けさせてまで、中途入学させる意味がわからないって。
「でも、守る為に養成所に入れるって言うのは、確実な手段だろ?フラーダリーは魔法研究所に勤めてるんだし。あれだけ過保護なんだから、エルを一人で置いておくのが心配だっただけじゃないか?」
それに、エルは中途入学の試験を合格できるぐらいの頭脳を持っていたんだ。
中途入学させることが、シャルロが言うほど難しい事じゃなかっただけかもしれない。
「そうだ。フラーダリーはエルを一人で置いておきたくなかった。養成所は王都で最も安全な場所。全寮制で、貴族の子供ばかりを預かってるだけあって、警備は相当厳しい。子供を預けるには最適の場所だ」
王族も通うぐらいだからな。
コーヒーをカップに入れて、サイドテーブルを引き寄せてシャルロの前に置く。
「まぁ、養成所に入れば安心だろ」
「フラーダリーがやってるのは、それだけじゃない」
「それだけじゃない?」
机にコーヒーを置いて、椅子に座る。
「最初にフラーダリーの家に行った日のこと、覚えてるか?」
「あぁ」
「あの日、フラーダリーはエルを尾けてた」
「なんだって?」
なんで?
だって、あの日は、エルが吸血鬼だって絡まれて…。
「尾けてたんなら、なんでフラーダリーは、エルが絡まれてた時に助けなかったんだよ」
「助ける必要がなかったからだろ?」
「五人に囲まれてたんだぞ」
「五人か。エルは殺されかけたのか?」
「いや。俺が行った時には、二人倒してたよ」
「つまり、助ける必要もない相手だったわけか。フラーダリーは癒しの魔法が使える。エルが大きな怪我をしない限り、助けなくても平気だ」
「じゃあ、エルの怪我に驚いたのは演技だって言うのか」
あの時、確かにエルの怪我に驚いていた気がするけど。
「さぁな。演技だったかもしれないし、本当に気づいてなかったのかもしれないし」
微妙だな。
エルは斬られてはいないみたいだから、あの傷は転んですりむいたんだろうけど。
エルが戦っているところなんて見てないから知らない。
「いや。違う。演技だ」
「なんで?」
「血が袖についてただろ。俺はあの血を見て、フラーダリーはエルの怪我に気付いたんだと思ったんだが。フラーダリーが治療したのは腕だった。だから、あれは返り血で、エルの怪我は大したことはなかったんだって思ったんだ」
そういえば、ついてたかもしれない。
帰った後、エルは着替えていたからな。
「でも、尾けられてるなんて感じなかったぞ」
「相手はフラーダリーだ。わからなくても無理はない。…仮にわかったとして。フラーダリーだと思うか?」
あの時は、確か…。中央広場で絡まれた後に守備隊が来て。守備隊に関わりたくないから、裏通りに逃げたのだ。
「思わないな。誰かの視線を感じたら、守備隊と思ったかも」
「それで十分だ。ばれたら、遅いから迎えに来たと言えば済む話しだからな」
そういえば、エルと家に行った時の、シャルロの第一声は、遅かったな、だ。
でも、フラーダリーはそんなことを言わなかった。
過保護なら、エルの帰宅が遅い事を心配して玄関先に居るはず?
待て待て。
その前に確認することがある。
「なんでお前が、フラーダリーがエルを尾けてたって知ってるんだ」
「知らない。推測だ」
「推測?…今の話し、全部、仮定の話しだって言うのか」
「俺の推測が間違っていればそうなるな」
「根拠は?」
「…俺があの日、お前より先に行ったのは、エルがお前を迎えに行っている間にフラーダリーから話を聞く為だ」
「話しって、」
「エルの過去について。あの家はわかりにくいから苦労したぞ。前日に一度行っておいて良かった」
「住所でわかるってのは嘘かよ」
「俺は郵便屋でも守備隊でもないぞ。イーストの住宅地に詳しいわけないだろ」
くそ。
あれ、嘘だったのか。
「フラーダリーは、お前を迎えに行ったエルを見送った後、台所に行った。俺は話しを聞きたかったから、台所に居るはずのフラーダリーに会いに行ったんだ。でも、居なかった。別の部屋に居るのかと思って待っていたが、戻る気配はない。エルが帰ってきたら早く来た意味がないだろ?だから、家中に響く声でフラーダリーを呼んだんだ。でも、返事はない。家に初めて呼んだ、良く知りもしない客を一人残して消えるなんて考えられないし、不自然だ。あの時、そうまでして、出かけなければならない理由がフラーダリーにはあったんだ」
「それで、フラーダリーがエルを尾けてるって結論になったのか」
「…根拠は、フラーダリーがエルを養成所に入れた理由、アレクシス様がエルに対して過保護にふるまっていること、ここ半年のエルの行動、全部合わせた結論だ」
「なんだって?」
「いいか。フラーダリーはエルを守る為に、養成所に入れた。そして、エルは外出時に絶対に一人では行動していない」
「そうか?」
「そうだ」
はっきり言うな…。
でも、確かに。
エルが休日に家に帰る時は、必ずアレクシス様が付き添っている。
シャルロと一緒に家に誘われた時は三人で家まで行くし。
だからシャルロは、最初に家に行った時のフラーダリーの不可解な行動を、エルを尾行していたためだって結び付けたんだろうけど…。
「あ。あれは?ほら、ずっと前に、エルがアレクシス様に助けられたって話ししてただろ。あの時も絡まれてたんだろ?」
「アレクシス様がエルの後を尾けていたんだろう。タイミングが良すぎる。絡まれた直後に助けられるなんて。…わざと目立つようにしたんだ」
「どういうことだ?」
「アレクシス様が、金髪に紅の瞳の少年…、いや、吸血鬼種の少年を助けた」
「エルは吸血鬼種じゃないぞ」
「わかってる。けど、世間一般の認識はそうだ。その噂は瞬く間に広がった」
そうだ。貴族連中の間で話題になってたって。
「そして、その少年がフラーダリーが引き取った子供であること、アレクシス様のお気に入りであること、養成所に中途入学という偉業を成し遂げた天才であること。…この半年で、エルは有名人だ。エルが街を歩けば、それがどういう肩書を持った子供か、街の連中は解るだろう」
「まぁ、あいつは目立つからな」
あの容姿を持つ人間は、王都に一人しかいない。
「目立てば目立つほど良いんだ。周囲の目によって、エルは守られる。エルが街を歩けば、周囲の関心を引くんだ。人目を引く存在を街のど真ん中で誘拐できないだろ」
「はぁ?」
今、何て言った?
「わからないか?フラーダリーはエルを守る為に、エルを一人にしないように注意を払ってる」
「ここは王都だぞ。子供を誘拐なんて…」
「俺はそう結論付けた。フラーダリーとアレクシス様は、エルを何かから守っている。しかもそれは、公共の機関に頼れないことだ」
「公共の機関に頼れない?エルが誘拐されても守備隊は動かないって?」
「そういう意味じゃない。エルを保護する理由が語れないことに違いないって言ってるんだ」
「何から守るのか言えないって?」
「そうだ。何から守るのか。何故守らなければならないのか」
「それって…。エルの過去が関係あるのか」
「おそらくな。だから最初に聞いただろ。何か気づいたことはないかって」
「ようやくその話に繋がるってわけか」
エルは守られてる。
しかも、かなり細心の注意を払って?
一体、何から?何の為に?
エルの過去って?
そういえば、砂漠って…。
砂漠?
「え?…精霊戦争?」
シャルロを見る。
「俺も、その結論にたどり着いた」
「だって、精霊戦争があったのは、二、三年前だ。なんで今更?」
「精霊戦争の原因は不明だ。魔法研究所がずっと調査を行っていたが、それが打ち切られたのが去年のベリエ。…フラーダリーが、エルを王都に連れて来た時期と同じだ」
「なんだよそれ」
魔法研究所は調査を打ち切られた。
同じ時期にフラーダリーが保護した子供。
因果関係がないわけがない。
「エルを誘拐したいのは、魔法研究所の人間?」
「俺はそう思ってる」
「だって、フラーダリーは魔法研究所に所属してるじゃないか」
「だからと言って考え方が同じとは限らない」
「研究所の連中は、エルを捕まえて、エルに何をする気なんだ?」
「わからない。精霊戦争に、直接的にしろ間接的にしろ、関わってると考えられるが…。確証はない。あいつは魔法を使えないみたいだし」
「精霊戦争を知ってるかもしれない?」
「俺が調べた限り、精霊戦争の生存者は一人も居ない。街一つ吹き飛んでるからな。戦争に参加した精霊の存在も報告されていない。そんな中で、精霊戦争を知ることが出来た人間が居たとは考えにくいんだ。…だから、なぜ、エルが狙われているのかわからない」
精霊が死んでるのに、それより貧弱な人間が生きていられるわけないよな。
じゃあ、なんで?
…わからない。
「ただ、エルが古い言葉に精通していることや、歴史や地理の知識が極端なこと、子供なら誰もが知ってるような遊びを知らないことなんかは、関係があるのかもしれない」
「今日のシャボン玉か」
楽しそうに遊んでたからな。
「エルは絶対、自分が狙われてるなんて思ってないと思うぜ」
「そうだな」
「あいつ、喋れないの知ってるか?」
「…喋れない?」
気づいてなかったのか。
「俺がロニーから錬金術習ってるのは、声を取り戻す薬を作りたいからだ。エルは昔喋れたけど、何か大変なことがあって、喋れなく…」
え?
それって。
「エルは、精霊戦争を見てる?」
「エルは、精霊戦争を知ってる?」
シャルロと声が重なる。
「やっぱり、そうなのか?でも、どうやって?」
「いや、それこそが魔法研究所の連中の目的かもしれない。エルは、精霊戦争を生き残れた可能性がある…?」
なんなんだ?エルって。
確かにエルは天才だけど。
怪我をするし、わからないことはわからないし。
俺たちと何ら変わらないじゃないか。
半年間一緒に過ごしてきて、あいつが人間離れした芸当をしたことなんて一つもない。
「余計、わからなくなったな…。今はまだ、考える材料がない。推測できるのはここまでだ」
「エルが過保護って意味じゃなく、リアルに保護されてるってことと、敵は魔法研究所らしいってことか?」
「そうだな」
「フラーダリーもアレクシス様も。それに、会長や教師連中も全部知ってるのか?エルのこと」
「養成所の教師がどこまで知っているかはわからないな。会長は全部知っていそうだが」
「あぁ、そういや、そんな感じしたな」
「会長の行動でわかるだろ。会長はテスト一枚でエルを飛び級させようとした。その理由は、おそらくエルを守るのに最も良いクラスが、アレクシス様が居るクラスだからだ」
「あれも、この話に関わってるのかよ」
「おそらくな。フラーダリーは反対のようだったけど。もし飛び級していれば、アレクシス様のお気に入りを、アレクシス様を慕う連中は大事に守るだろう」
「そうだな…」
ロニーはアレクシス様がエルを守れって言ったら、絶対に守るだろう。
たぶん、グリフも。
「っていうか。今ってアレクシス様、居ないんだぞ。大丈夫なのか」
「敵にとっては格好の時期だろうさ。フラーダリーとアレクシス様も何らかの手は打っているだろうけど。俺たちも少し手伝おう」
「俺たちでエルを守るのか?」
「そんなことする必要はない。エルは養成所に居れば安全だ。あいつを養成所から出さなければ良い」
「何か良い案があるのか」
「シャボン玉を使うんだよ」
「シャボン玉を?」
「そうすれば、会長か、エルの事情を知ってる教師が、上手くやるさ」
何か。嫌な予感がする。