03 王国暦五九九年 ヴィエルジュ二日
午前中から、養成所に行く。
図書館でヴェロニクと待ち合わせているのだ。
休暇中にやって来いと出された課題を、ヴェロニクに渡す。
「また、同じような間違い。カミーユって学習しないよね」
「…悪かったな」
「何が気に入らないの」
「気に入らない?」
「これ。何のこだわりがあって間違えるの」
「どういう意味だ?」
「頭が固い。結局、間違った同じ結論を目指し続けてる。似たような過程を辿る問題にはすぐ引っかかるね」
つまり。
俺が苦手な箇所と言いたいんだろ。
「数学への苦手意識が根底にあると思うんだけど。どうして数学が嫌いなの?」
「なんつーか。必要ない感じ?」
「数学が必要ない事の方が、世の中には少ないよ」
「そうか?」
「君は騎士の家系だろう」
「そうだけど」
何か関係あるのか?
「騎士とは軍を従えなければならない。ここに千人の兵士が居るとしよう。目の前には二千の敵がいる。隠れる場所もない平地での、お互いの真っ向勝負。そして君は、死ぬ気でこの戦線を守らなければならない。君なら、自軍の兵士をどう使う?」
なんだそれ。
真っ向勝負で人数にそれだけの差があるなら、敗北は確定してる。
「相手は、こっちの倍の人数だろ?数で圧倒されるなら真っ向勝負なんて無理だ。敵の進軍を遅らせるような時間稼ぎにもならない。無駄死にするぐらいなら、一番足の速い奴に現状報告を頼んで、防戦しながら徐々に後退させる」
「ほら、数学を使った」
「え?」
「相手は倍の人数だって。自軍より倍の人数だから、戦闘を諦めたんだよね。数学を知らなきゃ考えつかない」
「馬鹿にしてんのか」
「してないよ。むしろ、死ぬ気で守れって言ったのに、すぐに退却を提案した采配が面白い。この先は応用だ。戦況を判断する数学ならたくさんある。地形効果による自軍の攻撃補正は?防御補正は?部隊が敵地へ移動するまでの距離は?時間は?相手に与える損害の予測値は?自軍が受ける損害の最大値は?退却の目安にする死傷者の数は?…諸々の判断に使うのは、すべて数学だ」
そうなのか?
なんか、騙されてる気がするけど。
「何事も応用だと思ったら良いよ」
「…正解は?」
「さっきの問題の?正解なんてないよ。戦況を判断できる材料が少なすぎるからね。まぁ、私だったら、半分を投降させて、半分を退却させる」
「なんで?」
「身内同士のいざこざを装って、半分を敵軍に投降させる。戦ってるふりでもしようか。敵軍を見た半分は全力でその場を離脱。残り半分は残って敵軍に白旗を振る。そこから先は戦況に合わせて動かす。投降させた味方を夜襲に使っても良いし、増援が来てから敵軍を一緒に襲い、内部から火の手を上げさせるのもありだと思う」
投降した兵士が、本当に身内同士の争いだって思うだろうか。
でも、絶対に負けることが確定してる戦況で戦うことを強要されてるんだから、いざこざがあったと思わせるのは簡単なのか?
でも、そういう判断をしてくれるかどうかは五分五分。
俺だったら、投降した兵士は、身動きが取れないように縛っておくだろう。
「そんな戦法に引っかかるかな」
「投降を希望した兵士から得られるものは多い。身ぐるみをはがせば、戦地で武具と防具を得られるんだ。それに、嘘か本当かはともかく、情報は得られるだろう。騙されたと思ったって、全員を殺すのは考えにくいかな。死体の処理も面倒だし、その中に捕虜交換で高額な取引ができる人間がいるかもしれないし。それに、君だって今、悩んだよね?投降を希望した兵士の意図は何なのか。敵軍は悩むだろう。考えている間、相手は簡単に動けない。時間稼ぎはできるし、千人の兵士が死ぬ状況を、五百の兵を生かせる状況に変えたんだ。十分な成果だと思うけど?」
確かに。
何もしなければ千人死ぬところを、五百人生きる作戦に変えた。
もともと死んでいた兵士なのだ。投降した兵士の生死なんて考える必要はない。このケースに限っては。
でも。
白旗を振っている相手を虐殺するとは考えにくい。大人しく身ぐるみをはがされて捕虜の処遇を受け入れるのなら尚更だ。
捕虜となった人間が死ぬリスクも、低い気がする…。
良い案だろう。
やっぱり、どこか騙されてる気はするけれど。
「お前、騎士なのか?」
「エグドラ家は知らないのかな。私の名前はヴェロニク・イエイツ。今は辺境警備をやってる没落騎士の出だよ」
「イエイツって…」
ラングリオンの初代国王と共に、ラングリオンの建国に携わった騎士の一人だ。
そして、その家系の人間は、現代の騎士の制度についてまとめ直した人物の一人でもある。
「めちゃくちゃ有名な騎士の家系だろ。それが、没落騎士だって?」
騎士で知らない奴なんて居ない、名家じゃないか。
「私の家系は、名前ばかりの騎士だからさ。名門エグドラ家と違って、王族の近衛騎士なんて久しく輩出していない。私が魔法使いの素質を持っているからって、父は意気揚々と私を王都にやったんだ。なんせ王子殿下と同期だからね。どうにか取り入って近衛騎士を目指せなんて意地汚い」
なんだか、複雑なんだな。
イエイツ家が、しばらく近衛騎士を輩出していないってのは知ってたけど。
「でも、お前はアレクシス様と一緒に居るし、グリフレッドと一緒に近衛騎士を目指してるんだろ?」
「アレクに会って気が変わった。君は、どうなの」
ヴェロニクが俺をまっすぐ見る。
「お前も、わかるのか」
アレクシス様が次の国王に違いないって。
「騎士の血が騒ぐ。アレクに会った時、初めて思ったよ。自分が騎士の血を引く人間なんだって」
間違いない。俺と同じ。
兄貴とも同じ。
「アレクシス様は絶対的な主君だ。…アレクと会う瞬間まで、騎士なんて目指さずに研究所に入って、実家の馬鹿連中を見返そうと思ってたのにね」
ヴェロニクが笑う。
その気持ちはわかる。
俺もアレクシス様の近衛騎士になりたいと願っているから。
「随分、話しがそれちゃったな。…と、いうわけだから」
ヴェロニクが、問題用紙を取り出す。
「もう一度、この問題をやってね」
「え」
もう一度って?
さっき提出した課題の一つを?
なんで?
錬金術の問題に、今の話しがどう関わるって言うんだ。
どう考えても、騎士の話しだっただろ。
問題を見ていると、それを覗き込む顔が。
「エル」
「エル。久しぶりだね。元気にしていた?」
エルがやたらとヴェロニクを警戒して、俺の後ろに来る。
「どうしたんだ?」
エルが俺の後ろから問題を覗き込む。
そして、隣に座ると俺の持っていたペンをとって問題に取り掛かる。
あぁ。
こうなったら、解けるまで動かないな。
「ヴェロニク、お前、エルに何かしたのか?」
エルが人を警戒するのって珍しい気がするけど。
「何もしてないよ。可愛いねって言ったぐらいかな」
それだ。
たぶん、女みたいな顔をからかわれたのが気に食わないんだろう。
「コーヒーでも入れて来ようか。暇ならカミーユはこの本を読んでると良い」
机の上の本を一冊俺に渡すと、ヴェロニクは給湯室へ向かう。
去って行くヴェロニクを一瞥した後、エルが用紙の一部を破り、ペンで何か書く。
ロニーと何やってるんだ?
ロニー?って、ヴェロニクのことだよな。
「錬金術の勉強だよ」
俺にも教えて。
「教えられるほど知らないよ」
これ、どうやって解く?
「わからないのか?」
さっぱりわからない。
一度解いた問題だけど。
ヴェロニクからは、回答は間違ってると言われた。
同じところで間違うって。
「俺のやり方、どっか間違ってるらしいんだ。気づいたら言ってくれ」
エルが頷く。
一通り。解き終わったけど。
やっぱり同じ結論だ。
俺の解答を見て居たエルが、数か所に丸を付ける。
これ、水に溶けるのか?
「え?」
常温で固形の物質だ。
「そうだ。これ、加工しないと」
これとこれは触媒なしに一緒に混ぜると危険。
ちゃんと、扱う素材表に書いてあるだろ。
触媒に使える物質ってどれ?
「これだ。じゃあ、ここで混ぜて、」
この器具を使うんじゃないのか。
「あぁ、そうだよ。良く分かったな」
後、こっちも少量で激しく反応する物質だから気を付けないと。
よし。
出来そうな気がする。
これは磨り潰して先に液体に溶かして……、いや、工程を省くなら、こっちのと一緒に溶かせる。
それから、この器具で合わせて、えっと、反応に必要な時間は……。
「できた」
「うん。良くできたね」
いつの間にか戻ってきたヴェロニクがコーヒーを飲んでる。
隣に居るエルも、菓子を食べながらコーヒーを飲んでいた。
っていうか。
図書館では、机のある場所でコーヒーは飲んでも良いが、食事は禁止だろ。
「じゃあ、今日はここまで。また今度の休みに続きをやろう。課題は、その本を読んでくること」
ヴェロニクは、机の上に散らばっていた本を片づける。
結構散らかしてたんだな。
―隠れる場所もない平地での、お互いの真っ向勝負。
あれ…。
「なぁ、ヴェロニク」
「ロニーでいいよ」
「お前の問題の矛盾、わかったよ」
「うん?」
「隠れる場所もない平地なら、見晴らしが良いはずだろ?敵の兵士が自軍の倍だって気づいた時点で、引き返すか作戦を練り直す。死ににいくような戦い方なんてしない」
「きっと、それも正解なんだろうね」
ロニーは笑う。
「じゃあ、もう一つの回答をあげようか。私は言われた通り、真っ向勝負を挑む」
「はぁ?」
「私はその状況で自分が勝利できると確信する。だって、自分が主君と仰いだ方の采配だ。負けるなんて有り得ない。それがもし、私だけで勝てない状況だと言うのなら、味方は必ず助けに来る。負け戦をするような方を主君に仰ぐつもりなんてないからさ」
あぁ。
それもまた、理想的な考え方なのか。
ロニーが去るのを見送ると、エルが俺の口にサブレを押し込む。
「んん?」
そして、俺の解答用紙に何か書く。
何の問題?
「えーと。千人の兵士が居て、目の前には二千の敵がいる。隠れる場所もない平地での、お互いの真っ向勝負。主君からは、死ぬ気でこの戦線を守れと言われてる。自軍の兵士をどう使うか?って問題」
エルは悩んで…。
書き始める。
自軍を三つに分ける。
ロニーと同じような方法か?
エルが中央に大きな丸を一つ書き、手前に小さな丸を横一列に十個書く。
そして、両端の小さな丸に、矢印を書いて前進、と書き、中央の小さな丸には逆方向の矢印を書いて後退と書く。
続いて、その戦況を示した図から大きな矢印を書く。
戦況の変化を示した図は…。
「え?」
最終的に、小さな丸が大きな丸を囲む図になった。
これで、相手にする人数は減る。勝てるかもしれない。
確かに。手前に居る兵士しか戦えない。囲まれた中央部に居る兵士は前線に出られないだろう。
「良く思いついたな」
同じ戦法が載ってる本を読んだことがある。
数学の本だったと思う。
くそ。ロニーの奴、絶対知ってたな。
錬金術、面白かった。
また教えて。
「ロニーに聞けば良いだろ」
あいつは苦手だ。
「アレクシス様は?」
アレクは忙しい。
授業に関係ない事なんて聞けない。
たぶん、エルが頼めば、忙しくてもアレクシス様は教えるんだろうけど。
エルの中では、ある程度線引きがあるんだろう。
そこまで我儘じゃないのかもしれないな。
エルが俺を見上げる。
「はいはい。言うこと聞けば良いんだろ」
エルが笑って、頷いた。