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しかし今回はそれが効してか、攻撃が見事に敵に当たっていた。菜月の顔が少しだけ明るくなった。
「おっ、ちょっとこれいけんじゃない? ねぇ大貴、ねぇ大貴」
そう言いながら菜月は大貴の肩にもたれかかった。
「攻撃受けなければ大丈夫なんじゃない? こっちもうほとんど体力ないから気をつけて」
「うん頑張る!」
菜月は意気込んでボタンを何度も押し続けた。いつにない真剣な表情の菜月を横目で見て、大貴は笑いながらテレビへと視線を戻した。
「あんたら仲良いわねーっ!」
「きゃあぁぁぁぁっ!!」
背後からの突然の声に二人は飛び上がり、菜月は悲鳴を上げてコントローラーを取り落とした。慌てて振り返ると、すぐ側に朱那の笑い顔があった。
「端から見れば付き合ってるみたい」
ソファの背もたれに両肘をつき、朱那はニヤニヤと言った。大貴は姉の顔を見ながらため息を吐いた。
「びっくりした……いつの間に帰ってたのさ」
「うん、ちょっと前にね。あんたら見ながら笑ってたの」
ケタケタ笑う朱那を大貴は睨んだ。
一方菜月はテレビの画面を呆然と見つめていた。そこには「ゲームオーバー」の文字。
「うわあぁぁぁん朱那さんのバカぁぁぁ! もうちょっとで勝てそうだったのに!」
朱那へと振り向き、菜月は泣き真似をした。朱那はパチパチ瞬きをする。
「あらら、そうだったの? ごめんね、もちょっとしてから驚かせば良かったね」
「驚かす必要はないから」
大貴が呆れたように言う。朱那は拗ねたように唇を尖らせた。
「つまんない子!」
「つまんなくて結構です。てゆーか帰って来んの早くね? てっきり晩飯も食ってくるのかと思ってたけど」
朱那から顔を背け、大貴は時計を見上げた。つられて菜月も見上げる。まだ夕方の六時前だった。
「どうせだからご飯食べながら話しようかってことになって。今からカレー作るけど、それで良いでしょ?」
朱那は大貴と菜月の顔を交互に見て首を傾げた。
「うん、私はそれで良いよ。お母さんにはメールしとくし」
頷きながら菜月は言い、大貴と目配せし合った。
「……まぁ、良いんじゃないかな」
大貴も微かに頷いた。それを見た朱那はニコリと笑い、身体を起こして姿勢を正した。
「オッケー、じゃあちゃっちゃっと作っちゃうね」
「朱那さん、そういえば佐々木ちゃんは?」
佐々木の姿がないことに漸く気付き、菜月は朱那を見上げた。すると朱那は苦笑を見せた。
「準備してくるんだって、ちょっと自分のアパートに戻ってる」
「準備するって何の? ……隠し芸?」
菜月は怪訝そうに、今度は大貴へと顔を向けた。菜月の発言に大貴はむせるように笑った。
「隠し芸はさすがにないと思う」
「佐々木ちゃんならやりそうじゃない? あ、朱那さん、私も手伝うよ」
台所に立った朱那を追って、菜月も立ち上がった。その姿を大貴は視線で追いかけた。
「ありがとー、菜月ちゃんて料理できるタイプ?」
冷蔵庫から材料を取り出しながら朱那が尋ねた。菜月はと言うと、笑い声を上げて頭を掻いている。
「あっははカレーしか作れないタイプー。あとカップラーメンね」
「あっははそれじゃ男の子にモテないぞ」
笑う朱那がまな板の上にドンと野菜類を置いた。そしてふと何かを思い付いたかのように台所越しに大貴の様子を伺った。
大貴はと言うと、落ちたコントローラーを拾ってゲームの続きをし始めている。
「……やっぱ菜月ちゃんはモテなくて良いわ。うちの弟の相手がいなくなる」
菜月に顔を近付けヒソヒソと告げる朱那を、菜月は少しだけ頬を赤くして見上げた。
「だ、大貴の相手って私で決まりなんだ……」
「うん決まり。だから他に好きな人作っちゃったりしないでね」
ニッコリ笑っていた朱那だったが、急に不安そうに眉根を寄せた。
「菜月ちゃん、あいつのこと嫌い?」
「いや嫌いじゃないですけど」
そう勝手に決められるととてもやりにくくなる、と言いかけて菜月は黙り込んだ。
「そうかぁ、脈有りかぁ……お姉さん安心しちゃった」
より一層ニコニコしながら、朱那はジャガイモの皮を剥き始める。
そんな彼女の横顔を、菜月は無言で見上げた。
――全部聞こえてんですけど……。
大貴は弱り果てて頭を掻いた。
先日から朱那はこの手の事ばかり話している気がする。朱那が結婚することで一人になる大貴へ対する配慮なのか、それともただの興味本意の詮索なのか、この時の大貴には分からなかった。
朱那達からの話は雑談を交えながらだったためか、夕食を済ませた後まで話は続き、菜月が帰途に着いた頃には既に夜の十時を回っていた。
菜月と、菜月を家まで送るよう朱那に命令された大貴は、途中立ち寄った公園のブランコに無言で揺られていた。キィ…キィ…とブランコの鎖の軋む音が寂しく公園に響いていた。
菜月は隣にいる大貴をチラリと見た。公園の淡い照明が彼の顔をぼんやり浮かび上がらせる。大貴が何を考えているのかは、よく分からなかった。だから菜月はゆっくり口を開いた。
「……大貴は……朱那さんの結婚どう思ってる?」
「菜月は?」
大貴の意外な素早い切り返しに、菜月は驚いて少し言葉を詰まらせた。菜月の方を見ずに、大貴が更に口を開く。
「先生のことスゲー嫌がってたじゃん。今は?」
菜月は大貴から視線をそらした。そして唇を尖らせた。
「……あんなラブラブなとこ見せられたら反対なんかできないよ」
「あははは、言えてる」
プッと吹き出した大貴を、菜月は横目で見やった。
朱那達が話した事は、殆どが大貴のための事だった。
大貴が高校を卒業するまで、朱那はあのアパートに居ると言うことに決まった。菜月はホッとしていた。まだ大貴が一人にならずに済む、それが一番安心したことだった。
大貴が大学生になったら、朱那は佐々木と同居を始める。大貴の学費や生活費等は佐々木が責任を持って面倒を見ると言っていた。その時の佐々木の姿がいつになく頼もしく菜月の目には映っていた。
二人が何よりも大貴の事を考えてくれていて、菜月は自ずと感動を覚える程だった。朱那と佐々木の結婚を反対する理由等、最早ありはしない。
菜月は自分の足元を見下ろした。
「反対なんかするより……盛り上げてあげる方が良いんだもんね」
そう言って大貴の方を見ると、彼はこちらに顔を向けて優しく笑ってくれた。
「分かってるじゃん」
大貴の笑顔を見つめて、菜月は不思議そうに首を傾げた。
「菜月が心配することなんて何もないの。菜月は菜月らしく笑って祝ってあげれば。姉ちゃん達も喜ぶよ」
――大貴は?
菜月はそう言いかけて、思い直した。
大貴の考えも気持ちも全く聞けていない。話してもらえない。小さい頃なら、何でも話せていたはずなのに。
「……十一時過ぎてる……菜月そろそろ帰るよ」
時間確認のために開いたケータイを片手に大貴は菜月へと顔を向けた。
「ヤだ」
ブランコから立ち上がりかけた大貴は、プイとそっぽ向く菜月を見つめて動きを止めた。
「……どこにそう拗ねるポイントがあったのか全然分かんないだけど。とにかく帰るよ、おばさん達も心配するから」
そう言って菜月の左手を掴み、引っ張り上げると彼女は意外にもすんなりと立ち上がった。しかし顔はしかめっ面のままである。
大貴は苦笑して、菜月の手を掴んだまま歩き出した。手を放したら絶対について来ないと確信したからだ。
小さい頃はよく手を繋いで歩いていた。久し振りに繋いだ菜月の手の平は、やはり女の子そのものの細さだった。
菜月は俯いて大貴に繋がれた自分の手を見つめていた。照れ隠しに、大貴よりも少し後ろを歩いていた。
この暗い夜道の先に、何が待ち受けているのだろう。
どうすればこのままでいられるのだろう。
このままずっと、大貴の優しい手の平を放さずにいれば、私は大貴の側にいられるのかな。
#02 君の風景 おわり