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その時菜月はチラと大貴を見た。麦茶を口に運ぼうとしていた彼はすぐに菜月の視線に気付き、軽く首を傾げた。一瞬間を置いてから、菜月は首を左右に小さく振った。
「あ、大貴」
準備しておいたバッグを手にした朱那が、不意に大貴へと顔を向けた。朱那達には気付かれない程度ではあったが、大貴の頬が僅かに引きつった。それに菜月は気付いていた。
「帰ってきたら、彼も入れてちゃんと話したいから、今日はどこにも行かないでてね」
そう言って朱那はウインクした。何故かいてもたってもいられず、気付いたら菜月は口を開いていた。
「……あっ朱那さん! 私もそれ聞いてて良い!?」
急に大声を出した菜月に、皆は驚いていた。朱那がキョトンとして頷く。
「うん……別に良いわよ? ね?」
朱那は佐々木に同意を求めた。佐々木はまじまじと菜月の顔を見つめる。菜月も負けじと佐々木を見つめ返した。すると佐々木が短くため息を吐いた。
「まぁ……篠原なら良いさ」
「やった!」
菜月は大きくガッツポーズをした。それを見ていた大貴がふっと笑みを漏らした。緊張が少し和らいだのだろうと思い、菜月はホッとした。
「それじゃあ、行ってくるね。大貴、お昼は適当に食べちゃってね」
朱那と大貴は了解し合ったように手を振った。
「行ってらっしゃーい」
菜月の声を背に、朱那と佐々木は部屋から出ていった。幸せのオーラを振り撒きながら。
それから暫く、沈黙が続いた。
時々、大貴か大和が麦茶を飲む時の音以外、殆ど音がしない。菜月は大貴の前に座って、テーブルに突っ伏したまま脚をぶらぶら揺らしている。誰も喋らない。
三人にとってはかなり珍しい無言の時間である。と思った瞬間、誰かの腹が盛大に鳴った。
「……腹減らねー?」
大和が自分の腹を擦りながらそう言った隣で、菜月と大貴は笑いを堪えていた。
「……っあははははっ、かわいい音っ、きゅるるるるって、あははっ」
ついには声に出して笑いながら菜月はテーブルをバシバシ叩いた。
「自然現象だ」
腕組みをして大和が偉そうに言う。
「コンビニでも行こうか、俺も腹減ったし」
クスクス笑いながら大貴が立ち上がり、「賛成~」と菜月も勢い良く立ち上がった。
「大和のお腹の音はきゅるるるる~なのか~。また面白いネタが増えたな」
「ネタって誰に喋るんだよ」
廊下へと歩き出した菜月達の後ろからついて来た大和が、菜月の頭をガシと掴んだ。菜月は顎に指を当て、考えを巡らせた。
「ん~、光とかさ」
「……あいつに言っても嫌がるだけだろ」
「うん、それを見るのが楽しいから」
そう笑って言う菜月の後ろで、大和はため息を吐いた。するとニヤニヤした顔で菜月が振り向き、笑みを形取った唇に手を当て見上げてくる。
「イヤよイヤよも好きの内、って感じがしない?」
「…………しない」
呆れた様に大和が否定し、ハァというため息と共に菜月の横を通り抜けた。
菜月は大和の背中を見て唇を尖らし、つまんなーいと腰に手を当てた。
ほんの僅かであるが、大和と光の間に恋の匂いがするのを菜月は感じ取っていた。二人の口からその様な話を一度も聞いたことがないので、多分もしかしたら……の話である。勘違いかもしれないのに、菜月は二人が良い方向へ向かえばなぁと勝手に想像を膨らませていた。
大貴のアパートを出て、三人は痛いくらいの陽射しの中、近くのコンビニへと足を進めた。学校へと続く道を歩いて行くとすぐにコンビニの看板が見えた。
コンビニの自動ドアを潜って、店内の冷気に菜月の腕は僅かに鳥肌を立てた。しかしその冷たさは外の熱気より断然心地よいものだった。
弁当の並ぶ棚に向かいながら、急に思い付いたように大和が口を開いた。
「俺飯食ったらバイト行くから」
「いつも思うけど偉いよねぇ、無断でやってるくせに」
弁当を物色する大和の隣に並び、菜月は感心半分揶揄半分に言った。
幾つか弁当を持ち上げてみたりしながら、大和は「んー」と呟いた。
「まぁ小遣い稼ぎのためだしな」
「じゃあ今日は大和のおごり?」
「そりゃ無理、給料日前だし。自分で買え」
選んだ弁当を持った手で菜月の頭を軽く小突き、大和は飲料水売り場の方へと去って行った。
菜月は「けーち」と呟き、自分も昼食を選ぼうと棚を見上げた。途端、今度は大貴が隣に立った。彼の手の中には既にペットボトルの飲料水があった。大貴は棚に手を伸ばしながら菜月の方へ顔を向けた。
「菜月は弁当決まったー?」
「ううん、今から選ぶとこ」
菜月は首を左右に振った。
「菜月の分も昼飯代貰ってるから、決まったら言って」
「わーい、やった」
嬉しそうに笑う菜月に、大貴は「じゃあ雑誌見てるから」と言い、すぐに選んだ弁当を持って自動ドア付近の雑誌売り場へと向かって行った。
大貴のアパートで三人は昼食を取り、暫くしてから大和はバイトのため帰って行った。
大貴と二人きりになった部屋で、菜月は少しソワソワしていた。朱那達が帰ってきたらどんな話をするのだろうと言うことも気になるが、大貴と二人きりと言うことに今日は変な気持ちがする。
「――なんかこう、長い時間二人になるのって久し振りだよな」
「私も思った」
菜月と大貴は目を合わせて頷き合った。
今はテーブルではなく、テレビの向かい側に置かれた二人掛けのソファに座って、のんびりテレビ鑑賞していた。
菜月は持て遊んでいたクッションを抱き締め、テレビに視線を戻した大貴をチラリと見た。その横顔はテレビを楽しんでいるようではなく、どこか物思いに耽った表情をしていた。
「――――緊張する?」
「……二人きりなことに?」
大貴が振り向き、首を傾げる。菜月は思わず笑ってしまった。
「なーんで今更そんなことに緊張しなきゃなんないのさ。そうじゃなくて、今日朱那さん達と話することに」
「あぁ、それね。緊張はしてないよ」
背もたれに背中を預けて大貴は左右に首を振った。その顔をマジマジと眺め、菜月は肩をすくめた。
「……そ、なら良いんだけど」
菜月もソファに深く座り直し、テレビへと視線を戻した。丁度見ていた番組が終わり、コマーシャルへと変わったところだった。二人の間に沈黙が流れた。
「……暇だな」
「暇だね」
「ゲームでもする?」
「うん、する」
淡々と会話をしていき、大貴が立ち上がってゲーム機の電源を入れた。そして何やらゲームソフトを入れ替えていた。ソファに戻ってきた大貴は、おもむろに菜月へコントローラーを手渡した。
「プレーヤーは菜月な」
観戦を決め込んでいた菜月だったがキョトンとしてコントローラーを受け取った。そしてふと見たテレビ画面に菜月は硬直した。
「……大貴さん……これホラーじゃないっすか」
「夏と言ったらホラーでしょ」
菜月が持っていたクッションを奪い、大貴はそれに頬杖をついた。そしてリモコンを手に取ると音量を上げた。恐怖感を更に出すためだ。
その様子を若干涙目になりながら見ていた菜月は頬を膨らませた。
「ひどい、ひどすぎる、怖いの苦手なのに」
「がーんばれー」
大貴がニッコリ笑いながら、菜月の肩をパシンと叩いた。
「もう」と呟いた菜月は、促されるままにコントローラーのボタンを押した。
「いやぁぁぁっ!」
部屋に菜月の悲鳴が木霊する。テレビゲームを始めて数時間が経っていた。
「ちょ、ちょっと待ってってば! 回復薬ないんだってば! 何この人何なの強すぎ!!」
「人じゃなくて幽霊だってば」
悲鳴を上げながら奮戦している菜月に、大貴は笑いを含んだ声で突っ込んだ。
「もうやだ! 逃げるから追いかけて来ないでよ! って扉開かないぃぃぃぃっ!」
コントローラーのボタンをガチャガチャ言わせながら、菜月はテレビに向かって大きな独り言を言っていた。 しかもゲームを始めてからずっとだ。敵の幽霊が出てきたり、イベントになったりする度に菜月は騒いでいた。
その様子が面白くて、大貴はもう一体自分が何回笑ったか分からなかった。
「よし分かった! 逃げれないなら戦う、戦うからあんた動くな! えいっ、とりゃっ」
菜月は攻撃のタイミングで妙な掛け声を放つ。