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菜月は目をパチパチさせ、首を傾げた。
「なになに? 私何か変なこと言った?」
「やっぱり分かってねーよこいつ。なぁ大貴」
大和が肩をすくめ、光がうんうんと頷く。
「菜月ってば罪な女ねー。ねぇ栗原君」
「……二人ともいちいち俺に振らなくていいから」
弱り果てた様子で大貴がため息を吐く。
彼らの話している事がいまいち分からず、菜月は未だ首を傾げていた。
この学校の購買は、本校舎一階の玄関付近にあった。昼休みとなると昼食を求めて生徒が殺到し、毎日大騒ぎだ。
今日も生徒の群からパンの袋片手に颯爽と抜け出し、大和は階段を一段飛ばしで駆け上がった。流石にこのパン争奪戦にも慣れた。購買のおばちゃん達に顔を覚えて貰えば、購入など容易いのである。
「みーなーみーくんっ」
教室に向かう廊下で、突然背後から声を掛けられ振り向いた。そこにはニコニコと手を振る佐々木の姿。大和は面倒臭そうに眉をひそめた。
「気色悪い」
「おっと冷たい」
佐々木がパチンと自分の額を叩いた。その様子も気色悪い。大和は腕組みして壁に寄りかかった。
「言っとくけどあいつらには喋ってねーからな」
「ん? おーさすが南、俺の心が分かるのな!」
「……頼むからそのめんどくさいテンションやめろ」
はぁ、と大和は疲れたようにため息を吐いた。
「相変わらず冷たいなー、そんなんじゃ彼女できないぞ」
「うるせーお前には関係ねー。ていうか話がずれてる」
「お、そうだな。栗原達、何か言ってたか?」
ウキウキと期待を込めて佐々木が尋ねる。大和はその顔を見て、鼻で笑った。
「別に?」
「……あーそうだよな……聞いた先生が悪かった、じゃ……」
非常に残念だ、と肩を落として佐々木が踵を返した。大和はしょうがねぇなと頭を掻いた。
「嘘だって、昨日大貴の姉ちゃんも言ったんだよ、式はクリスマスだって。大貴達もさすがに勘付くだろ」
そう告げると、佐々木が振り返って勢い良く近付いてきた。
「朱那は言ったのか? 栗原達に?」
「正確には菜月に、だ」
近付く佐々木から顔を遠ざけながら大和は頷く。佐々木は短く息を吐いた。
「あれだけまだ秘密にしとけって言ったのに……まぁ良いか、篠原は未来の義妹だ、許す」
彼の堂々たる一言に大和は驚いて一瞬言葉を失った。
「……何でそう決めつけられるんだ?」
「ん? だってどう見てもあいつら結婚までしそうだろ。俺の観察力を舐めんなよ」
そう偉そうに言って佐々木はウインクした。気色悪かった。しかし大和はフッと表情を和らげる。
「まぁ俺もそうだと思ってるけど……菜月が問題なんだよなー」
「え、篠原は鈍い感じか?」
「鈍い」
深刻そうに大和が頷く。ふーむ、と佐々木は腕組みして空を仰いだ。
「あれだけ一緒にいれば、鈍くなるのもしょうがないのかもな」
「大貴の方は一目瞭然なんだぜ、見てるこっちか照れるくらいだ」
今朝の事を思い出して、大和は思わず吹き出しそうになった。
しかし菜月の気まぐれ発言に一喜一憂する大貴も大貴だ。何年一緒にいるんだか。
佐々木は窓から快晴の夏空を見上げた。
「……青いな」
「青いよ」
菜月は俯きながら、重い足取りで大貴のアパートへ向かっていた。
白いチュニックにデニムのスカートを着て、足にはヒールの低いミュールを履いた。良く使うグリーンのバッグには、財布とケータイと、必要最低限のものしか入っていない。
ついにこの日が訪れた。問題の日曜日だ。
昼前の太陽がジリジリと焦がすような光を降らせる。相変わらず暑い日が続いている。辺りを見渡しても、太陽がほぼ真上にあるため日影なんて一つもない。
帽子を被れば良かったなと内心ため息を吐き、菜月は額を拭った。途端、後頭部に衝撃が走った。
驚いて振り返ると、そこに大和が立っていた。彼が菜月の頭を叩いたらしい。菜月は頭を押さえ、眉を上げた。
「痛いなー」
「朝っぱらから暗い顔してんじゃねーよ」
ウザイ、と大和が呆れたように言う。菜月は視線を横にずらした。
「だってさ……知りたいけど知りたくないんだもん。朱那さんの婚約者」
「どっちだよ」
大和が隣に並び、短く笑う。そして彼は被っていたキャップを脱ぎ、菜月に被せた。菜月は大和を見上げ、ぶかぶかのキャップを片手で押さえる。
「…………汗くさい」
「返せ」
頭に大和の手が伸びてきて、菜月は笑いながらそれをかわした。
出会った頃に比べて、大和は大分丸くなった。口は悪いが根は優しいんだと思う。
夏の日射しが少し和らいだ。
予想はしていた、していたんだ。
だって二人が言った結婚式の日程が同じだったから。大和も光も、大貴だって予感したことだった。でも実際見てしまうとやはり、落ち込む。
クーラーの効いた部屋でテーブルの椅子に座る佐々木の姿を見た菜月は、魂が抜けた様に即崩れ落ちた。床に両手両膝をつき、長い長いため息を吐く。
「おいおい篠原、俺の顔見てすぐにそれはないだろ」
佐々木がニヤニヤと言う。
「祝福の言葉があっても良いんじゃないか?」
「……おめでたくな~い」
同じ体勢のまま菜月は嘆くように口を開いた。
大貴と大和もそれぞれテーブルに付いて麦茶を飲んでいた。何故そんなに平然としていられるのか菜月には疑問だった。
「え!? 菜月ちゃん祝ってくれないの!?」
麦茶のペットボトルとグラスを持って部屋に入ってきた朱那が、ショックのあまり大声を出した。菜月は涙目で彼女を見上げた。
「結婚は祝うよ~? でも相手が佐々木ちゃんだなんて聞いてないよぅ……」
「だって秘密にしてたんだもんねー」
「ねー」
佐々木と朱那が同時に笑う。結婚する前から似た者夫婦っぷりを見せられ、菜月は僅かにげんなりした。
「ほら、菜月ちゃんもこっち来て麦茶飲みなさい、はい」
朱那が麦茶を注いだグラスを差し出した。菜月は拗ねたように立ち上がり、グラスを受け取って麦茶を一気に飲み干した。
「ぷはぁーうめぇ!」
「オヤジくせぇ」
揶揄を言う大和を睨み、菜月はテーブルにグラスをドンと置いた。
「てゆか、何で大和までついて来てんの?」
「何ででも良いだろー? 俺は確認しにきただけだ」
「確認?」と菜月は首を傾げた。
大和が面倒臭そうに、しかし意味深に佐々木と目配せした。そして二人同時にため息を吐く。
「佐々木にバイトしてんのバレたんだよ」
先に口を開いたのは大和だった。
「逆に俺達が付き合ってんの見つかってな」
次いで佐々木が朱那と自分を交互に指差しながら話す。
「無断バイトを学校に言わない代わりに、お前らに話さないって言う約束でな」
「……大和知ってたんだー? 教えてよねー?」
菜月は頬を膨らませた。一方で大和が眉を上げる。
「お前話聞いてたか? 話せなかったっつってるだろ」
菜月と大和は睨み合った。
その間も、大貴は沈黙を貫いていた。まるで存在自体を消しているかのような彼の物静かさに、菜月は気にならないではいられなかった。
「じゃあ、詳しいことは後にして、私たち今からデートしてくるわね」
朱那が両手を合わせてにっこりと言った。その笑顔と言ったら、幸せそのものだ。佐々木も立ち上がり、朱那の隣に立った。
「そういうことだ諸君。邪魔してくれるなよ」
三人をビシッと指差して、佐々木がビシッと決めた。菜月と大和がうざいと言わんばかりの表情をする。
「約束忘れんなよ」
大和が念を押して言うと、「分かってる分かってる」と佐々木は大和をなだめるように言った。