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「お前な……もう二度と奢ってやらねえ」
「ああん、ごめーん、冗談だって!」
大和はどうでもよさそうにため息を吐いた。
「全ての物に感謝しながら食え。まず俺に感謝しろ」
「ありがとう! いただきます!」
菜月は大雑把にアイスの包みを破いていき、幸せそうに頬張った。
「んまーい」
「そりゃ良かった。じゃ、帰るか」
そう言って、大貴はゴミを全部ビニール袋に入れ、教室の前の方にあるゴミ箱目掛けて投げた。
「ナイッシュー」
鞄片手に立ち上がった菜月と大和が短く拍手する。
「ね、今度またフリースロー対決しようよ。何か賭けてさ」
菜月がアイスをかじりながら小首を傾げた。大貴と大和は目を合わせた。
「良いけど……菜月のシュート率高いから俺ら勝てないんだよなー」
「菜月だけスリーポイントのラインから投げるならやっても良い」
喋りながら二人は歩き出して廊下に出た。菜月は慌てて彼らの後に続き大貴の横に並んだ。
「それでも良いよー大和」
菜月が自信満々に微笑んで大和を見上げた。
「その自信が腹立つ。今度な今度」
大和が吐き捨てるように言った。大貴は笑いながら菜月に顔を向けた。
「菜月は補習プリントやらないといけないだろ。今回は赤点何個だった訳?」
「三つ」
菜月は指を三本立てて前に突き出すと、大和が馬鹿にした笑みを浮かべた。
「バッカじゃねえの。赤点とかありえない」
「うっさいわ、いつもより少ないほうじゃ。そりゃ万年トップの大和には赤点なんて関係ない話だわな」
「俺ってば天才だからな」
菜月と大和はアイスをかじりながら酷い表情で睨み合った。
こいつ、南大和は中学二年の時に菜月達と同じ学校、同じクラスに転校してきた。
今は落ち着いてはいるけれど、転校当時の大和は酷く荒んでいた。金髪にピアスは当たり前で、授業は出ない、教師は殴る相手としか思っていない、週に一回は身体のどこかに怪我を拵えてきていた。
学校中の誰もが大和に近寄りたくもないと思っている中、大貴が大和の世話係に任命されたわけだ。大貴が委員長をやっていたから、というのが理由である。
だが菜月も大貴も、この頃の大和が怖いとは一度も思ったことはなかった。実を言えば当時まで菜月も大貴も空手をやっていて、段を保持するくらいの実力があったのだ。
過去に一度大貴は大和にいきなり殴られたことがあり、その場にいた菜月がキレて大和を蹴り倒したことがあった。それから一時期、菜月のあだ名が「ボス」になったことは言うまでもない。
でも殴られた本人も実はキレてて殴り返しそうになっていたらしい。今となっては笑い話だ。まあこの機会がなかったら仲良くなどならなかった訳でもあるし、大和も落ち着いたのだから結果オーライ。
その上大和は元から頭が良かったらしく、腹が立つことにいつも成績は学年トップを叩き出していた。それは今でも持続している。
二人の間で大貴がため息を吐く。
「あのさぁ、俺挟んで言い争うのやめてくんない。てか、大和が菜月の勉強みてやれよ」
「やだよ、何で俺が」
「私もそんなの嫌なんですが」
大和と菜月が心底嫌そうに次々言った。
「でも俺が教えるよっかは上手いと思うけど……」
「「いやだ」」
二人に声を揃えて言われ、大貴は「あ、そう」としか言えなかった。やれやれと思い、ゆっくりとアイスをかじっていく。
ふと菜月はあることを思い出し、呆れた表情をしている大貴に目を向けた。
「今日はこのまま大貴ん家に行くからね」
「うん? 良いよ」
「何だよ、お前も行くのかよ」
大和が嫌そうな顔で菜月を見下ろした。
「朱那さんに呼ばれたんですー、残念でした」
「姉ちゃんに? 何て?」
大貴は、大和を睨んでいる菜月の顔を覗き込んだ。菜月は大貴と視線を合わせて首を傾げた。
「学校終わったら来てね、としかメールには書いてなかった」
「ふーん……じゃあ、あれかな」
「何々? あれって」
「行けば分かるから。姉ちゃんから聞いて」
大貴は何かを企んでいるかのようにニコリと微笑んだ。
「えー、なんか気になるじゃん」
拗ねたように口を尖らせる菜月を見ずに、大貴は靴箱へ歩いて行った。菜月は首を傾げて大和の顔を見上げた。
「大和はなんか知ってんの?」
「さあ?」
菜月の問いに大和は肩をすくめただけで、靴箱から取り出したスニーカーを乱暴に落とした。
校庭に出ると、サッカー部の部員と一緒にサッカーをしている佐々木の姿が目に映った。
「あ、佐々木ちゃん」
「ホントだ」
大貴が目を向けたとき、佐々木はゴール目掛けて力いっぱいボールを蹴った。
むなしくもそのボールはゴールポストの大分上を飛んでいった。
「うわっ、ださっ!」
菜月が叫ぶと、さすがに聞こえたのか佐々木が振り向いた。
「こらーお前ら、食いながら歩くなー」
「佐々木ちゃんも食べるー? もうないけど」
菜月はアイスの棒を振った。
「佐々木、ボールしっかり蹴れよー」
大和が薄笑いを浮かべて佐々木に言った。
「うるせえ、さっさと帰りやがれ。て言うか南は“先生”くらいつけて呼べないのか」
「無理だ。じゃーな、がんばれよ佐々木」
さらりと答え、大和は門へと歩き出した。菜月と大貴は目を合わせ互いに苦笑いした。
「ごめんね佐々木ちゃん。大和ってば昔からあんなだから。大目に見てやってー」
「じゃ、先生、部活頑張って」
菜月と大貴は手を振って佐々木と別れ、大和の後を追った。
「真っ直ぐ帰れよー」
三人の背中に佐々木は声を掛けると、菜月が元気よく振り向いてまた手を振った。
佐々木は彼らの姿が見えなくなるまで見送った。すると部員の数人が近寄ってくるのに気付いた。
「先生、あの人の担任なんすね。怖くないですか?」
「中学校の時とか毎日ケンカしてたって聞いたことありますよー?」
「あの二人もよく付き合ってられるよな。俺は絶対無理」
彼らは口々に喋っていった。それを聞いていた佐々木は思わず吹き出した。
「心配すんな、篠原と栗原ほど南に合うやつはいないよ。なんたって二人とも空手の段持ちなんだぞ、最強じゃねえか」
笑いながら佐々木が言うと、部員達は驚いた声を上げた。
佐々木はしばらく三人が消えた門を眺めていた。
「俺としては、あいつらは羨ましい仲だな。って言うか誰かボール取りに行ったか?」
「先生が飛ばしたんじゃん、先生が取りに行ってください。」
そーだそーだと部員達は口々に言って佐々木を置いて去っていった。
「冷たいやつらだなー……」
佐々木は小さく呟いて頭を掻いた。
大貴のアパートに着くと、大貴の姉・朱那が満面の笑みで出迎えてくれた。
彼女はそのまま菜月に抱きつき、奇妙なクスクス笑いをしている。耳元で笑われて菜月の全身に鳥肌が立った。
「あ、朱那さん、どうしたんですか……」
「姉ちゃん、気持ち悪いし、邪魔。」
菜月の後ろで大貴がため息をついた。
「浮かれすぎだから。中に入って話しろよ」
朱那が顔を上げ大貴を睨んだ。
「浮かれて悪いんですかー。あ、まさか淋しがってんの?」
「んなアホな」
呆れたように言って二人の横の狭い廊下を大貴はすり抜けていった。その後に大和も続く。彼らの背中にベーッと舌を出している朱那を菜月は見上げた。
「朱那さん、何か嬉しいことでもあったの?」
そう尋ねると、朱那は菜月と視線を合わせニコリと笑った。そしておもむろに左手を顔の高さに持ってきた。
「ジャーン」
彼女の薬指に、シンプルな指輪が光っている。菜月はキョトンとしてそれを見つめていた。
「指輪……へ、あれ? へ、もしかして、結婚?」
「うへへへへ、当たり」
「ぇえっ! うそー! 笑い方キモイけどおめでとー!」
菜月は勢い良く朱那に抱き付いた。
「いやん、キモイとか言わないでー。でもありがとーっ! 菜月ちゃんにはすぐ教えなきゃって思ってメール送ったの」
「そっか、そうだったのか。うんでもすごく嬉しい! よかったね朱那さん! で、相手はどんな人?」
興味津々で朱那の顔を見上げると、彼女はまた意味深に微笑んだ。
「それは今度連れて来るから、楽しみにしててね」
「えー、ちょっとくらい教えてよーぅ」
「ダメー、大貴にもまだ教えてないんだから」
そう言って、朱那が悪戯っぽくウインクする。
「日曜日にまたここにおいで、連れてくる予定だから」
「日曜ね、絶対見にくるからね!」
菜月が声を大きくして言うと、朱那は優しく微笑んで頷いた。その時、突然奥の部屋から大貴が顔を覗かせたのに菜月が気付き、つられて朱那も振り返った。
「姉ちゃん、鍋噴いてる」
「あーっ、忘れてた! 火止めて!」
「止めました」
そうあっさり言って大貴はまた引っ込んだ。彼の冷たい態度も全然気にしてない様子で、朱那は菜月に振り向いた。
「菜月ちゃん、今日はご飯食べてく?」
「あ、ごめん。今日はお父さんの誕生日だから、ごちそう作るってお母さんはりきっちゃってて」
今朝の母の意気込み様を思い出して、菜月は苦笑した。菜月の家では誕生日等のイベントごとはいつも盛大なのである。
朱那が短く笑い声を上げた。