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いつもの帰り道  作者: 銀花
#06 二等分の約束
27/33

「あと……大貴も、大和も光も、みんな進路決まってるのに……私だけ何も決まってなくて……ほんとは三年になってからずっと不安だったの」


「ああ、それは……俺たちだってやりたいことがあるだけで、大学に合格できるかはまだわからないんだし」


「でも、私やりたいことが見つからないんだもん」


「この前、専門学校のパンフ見てただろ。何か興味持ったのなかったのか?」


 そう問うと、菜月はしばらく考えを巡らせてから「あ、」と声を漏らした。


「保母さん……保育士」


「へえ、保育士」


 大貴は少し意外に思いながらも続けた。


「菜月が興味持ったんなら、保育士目指してみるのもいいと思うよ。……だけど菜月が保育士か……あんま想像できないな」


「……なによー」


 菜月がむうと頬を膨らまし、大貴は笑った。


「先生にも相談してみろよ。専門学校の出願ってこの時期じゃなかったっけ」


「確か来月からだったと思う」


「ん? もう学校の目星つけてんの?」


「……うん、絞ってはいる」


 何故か縮こまって自信なさそうに菜月は頷いた。

 その様子を不思議に思いながら見ていると、彼女はおずおずと話し出した。


「私ただ……みんなと離れるのが不安なのかもなって……大貴と別々の学校行くのも初めてだし……ちょっと寂しい」


「え……」


 大貴は目を見開いた。

 菜月がそんなことを考えてるとは露にも思わなかった。菜月の性格からして、一人でも、どんな場所でも上手くやっていけるだろうなどと考えていた。

 しかし彼女にも心細い時があるのは当然のことで、そういう素振りをあまり見せないのは、ただ強がっているだけなのかもしれない。

 というか、菜月の「寂しい」の言葉を不謹慎にも喜んでいる自分がいて、自分で自分を殴りたかった。


 大貴はベッドに額をのせ、長いため息を吐いた。

 こんなことを素直に言葉にする菜月は卑怯だ。こっちの気も知らないで――。


「どしたの?」


「……なんでもない」


 起き上がると菜月のキョトンとした顔がすぐ側にあり、大貴は慌てて身体ごと離れた。

 その時突然、背後からお経のようなぶつぶつ言う声が聞こえて二人は同時に飛び上がった。


「二人で何話してるんですかー……お父さんも交ぜてくださーい……」


 振り返ると、ドアの隙間から菜月の父・誠が恨めしそうな、もとい、羨ましそうな目でこちらを見ていた。


「おじさん怖いです」


 大貴はほっと胸を撫で下ろし、菜月の手を離して彼に向き合った。


「お帰りなさい、それと、しばらくお世話になります」


「ああこちらこそ。朱那ちゃんも早く意識戻るといいなぁ」


 部屋に入ってきた誠がポンポンと優しく大貴の肩を叩く。ふとその彼の視線が背後に移り、カッと目が見開かれた。


「菜月、泣いてたのか? 何だ、何があった? ……おい大貴、お前が泣かせたんじゃないだろうな」


 肩に置かれている誠の手に力が入り、更には般若のような顔で睨まれ、大貴は僅かに眉を寄せた。

 言いがかりも甚だしい。


「泣かせてません」


「本当か? 菜月、何で泣いてたんだ? お父さんに話してごらん!」


「あー、もういいよ、落ち着いたから」


 菜月が起き上がりながらさらりと言うと、誠が衝撃を受けたような表情で大声を発した。


「何で!? 大貴には話してお父さんには話さないって何で!? お父さんだって、お父さんだってねぇ、菜月のことが心配で――」


「うん、心配してくれてありがと。着替えるから出てって」


 にっこり笑って見せた菜月が、ドアを指差す。


「菜月ー! パパを見はなすのかー!」


「何訳わかんないこと言ってんの! いつまでもそこにいるんなら変態パパって呼ぶからね! いいの!?」


「それはいやだ! 大貴、さっさと出るぞ!」


 突然誠に腕を掴まれ、引きずられそうになった大貴は慌てて立ち上がった。

 誠にぐいぐい引っ張られながら、大貴は苦笑した。


――相変わらずだなぁ。


 でも彼らのやりとりを側で見ていると、不思議と落ち着くのだ。


「大貴」


 部屋を出ようとしたら不意に菜月に呼ばれ、足を止めて振り返る。

 彼女は少し照れたようにそっぽを向いて小さく呟く。


「……ありがとね」


 大貴は微かに笑い、ひらりと手を振ってドアを閉めた。

 そして階段へ向かおうと振り返ったら、誠がすぐ側に立っていてぶつかりそうになり、慌てて後退る。

 彼は何やら疑いの眼差しで、検分するようにこちらをジロジロ見ている。


「なんなんですか」


「菜月が泣いてた理由は何だったんだ? 大貴が原因じゃないなら言えるだろう」


「俺は言いませんよ。本人から聞けばいいじゃないですか」


 さらりと流して彼の横をすり抜けようとしたところ、また腕を掴まれぶんぶん揺さぶられた。


「それができないから大貴に聞いてるんでしょーがー!」


「もーうっとうしい!」


 ぎゃんぎゃん喚く誠の手を振り払い、逃げるように階段を駆け下りた。そして急いで居間に入り、扉をバタンと閉める。


「なぁに、さっきから騒がしいけど。近所迷惑になるからやめて」


 テーブルに皿を並べる純子が呆れたように注意する。


「だっておじさんが……」


 やたら絡んでくるから。と言おうとするのと同時に、やけに落ち込んだ誠も居間に入ってきた。


「ううー、純ちゃん、子供たちが反抗期だよー」


「あらあら、二人とも小さい頃に反抗期がなかったものねぇ、今きたのかしら」


 面白そうに笑う純子を横目に、大貴は肩を落とした。最早この感覚も懐かしかった。


 それでも昔と変わらず優しく接してくれる彼らには、やはり感謝しか浮かばないのだった。




* * * * *




 閉じていた目を開き、菜月は顔を上げた。

 空には薄く雲がかかり、緩やかな風が微かに金木犀の香りを運んでくる。


 しゃがむ菜月の前には、御影石でできた小さな墓。花が供えられ、立てた線香の煙が細く上っては消えていく。

 町外れにある墓地に、大貴たちの両親の墓はあった。この場所に来るのも、今年で六度目――お盆等を含めるとそれ以上だ。


 合わせていた両手で口を覆い、ちらりと隣にいる大貴へ目をやった。

 彼はまだ手を合わせ、目を閉じている。両親に伝えたいことがたくさんあるのだろう。

 菜月は彼の横顔から墓石に視線を戻した。


 今日は平日でもちろん学校がある日なのだが、大貴は墓参りするため学校を休んだ。

 菜月も怒られることを覚悟の上で純子に「学校を休んでお墓参りに行きたい」と進言したところ、予想外に純子はあっさりと許可してくれた。

 だから今日は菜月と大貴と、それから純子の三人――誠は仕事があるため不参加――で墓参りに来たのだ。墓の掃除や線香立てを済ませた純子は一足先に帰っている。


 また風が吹き、金木犀の甘い香りが鼻を掠めた。


「――金木犀どこに咲いてんのかな」


 不意に顔を上げた大貴が呟き、菜月は小さく笑った。


「毎年言ってるよねぇそれ、そんで毎年見つけらんないの」


「そうだっけ?」


「そうだよ」


 とぼけたように言って腰を上げる大貴に、菜月は頷いてみせる。

 そして菜月も立ち上がり、首を傾げた。


「おばさんたちに何報告した?」


「んー、姉ちゃんの結婚と、事故と……あと色々」


 そう言って、大貴は肩をすくめる。菜月は彼から視線をそらし、俯いた。


「……朱那さん、何で意識戻らないんだろ」


「さあ……何でだろうな」


 隣で呟く彼の声がやけに落ち着いていて、菜月は内心首を捻る。


「大貴……大丈夫?」


「ん? 何が?」


「しんどくない?」


「別にしんどくないよ」


 大貴は不思議そうにキョトンとし、その表情を見た菜月は少し拍子抜けしてしまった。


「なら……いいけど。じゃあ帰ろ」


 先に歩き出しながら、菜月は腑に落ちない思いを抑え込んだ。

 朱那の事故の日はそれこそ取り乱す様子すら見せた彼だったが、それ以来は常に落ち着き払っていて、妙な不安感を覚えてしまう。


 大貴が大丈夫と言うのなら、心配する必要などないはずなのに――。


「――この先、もし姉ちゃんに何かあっても、俺は大丈夫だよ」


 後ろからの言葉に菜月は足を止めて振り返った。


 真剣な表情の大貴がこちらを見ていて、菜月が何も言わぬ内に彼は続けた。


「なんか落ち着いてられる気がするんだよね。どんなことも受け入れる覚悟ができてるっていうか。そうならないのが一番なんだけど」


 微苦笑した彼があまりに儚く見え、自ずと言葉を失った。


 一番、させたくない表情だった。


――違う、違うの。


「俺の母さんたちが死んだ時は……今もだけど、菜月とおばさんたちに迷惑かけてるから、結構申し訳なくてさ。せめて心配かけないようにって――」


 菜月は言葉を遮るように彼の手を両手で掴んだ。驚く大貴を見上げ首を左右に振る。


「そんなこと言わないで」


「え……」


 目をしばたく大貴に、菜月は更に一歩近寄った。


「あんたの気持ちが落ち着いて、本当に大丈夫だって思える日がくるまで、絶対側にいるって、私六年生の時に決めたの。それが自分勝手なのもわかってるよ。でも、私ただ、大貴に幸せになってほしいだけなの。迷惑とかそんなの、全然ないんだから」


 励ましたいだけなのに、何故か最後は怒っているような口調になってしまった。

 だって大貴が、一人で背負い込もうとするから。見ていられないし、そういうのは嫌だった。自分にできることなんてほとんどないけれど、もっと頼ってくれてもいいのに。力になるぐらいならできるのにと、いつも思っていた。


 必死になって大貴の顔を見つめていると、急に、彼はふっと微笑んだ。いや、笑ったのではなくて、少し表情を崩したのだ。


「……ごめん、ちょっと肩借りる」


 そう言って彼は菜月の肩に額をのせた。

 突然のことに菜月は驚き、あたふた身じろぎしてしまった。

 自分から抱きついたり寄り掛かったりするのは昔からよくしていたし、あまり躊躇いはないのだが、今まで彼から身を委ねてくることはほとんどなかったため、どうしたらいいのか分からない。


「……ありがとう、菜月」


 内心狼狽していると、不意に大貴が俯いたまま呟いた。その声は掠れていた。

 菜月は恐る恐る彼の頭に手を伸ばし、ゆっくり、ぎこちなく撫で始めた。

 そして薄青の空を見上げ、彼が落ち着くのを静かに待ち続ける。


 大貴の両親が亡くなったあの日、大貴と約束したこと。

 幼かった自分は、悲しむ大貴を放ってはおけなくて。でも元気付けるにはあまりに頼りなくて。

 あの拙い約束で励ますことしかできなかった。


 大貴、私ね、ずっと大貴の側にいる。


 大貴より先に死んだりしないし、大貴を一人にはしないから。


 だから、だからね、一人で泣かないで。




#06 二等分の約束 終

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