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いつもの帰り道  作者: 銀花
#05 移りゆく日々の中で
19/33

 九月になり、夏休みが明けた。

 二学期は体育祭や文化祭などの行事が目白押しだが、三年生には受験に向けての補習が本格的に始まる時期でもある。

 朝には自習時間――と銘打った全員強制参加の学習時間――が設けられ、来月からは放課後、そして土曜にも補習が入る。


 朝のホームルームで佐々木がそれを伝えたところ、教室中からため息が漏れた。


「ため息吐きたい気持ちもわかる。だけどこればっかりはお前らが頑張らないといけないことだ。諦めろ」


 書類の詰まったファイルを閉じ、佐々木は更に続ける。


「それから今月末は模試がある。体育祭と文化祭に挟まれてるから、気を抜かないようにな。連絡は以上だ。あ、進路調査のプリントは早めに出してくれ」


 はいホームルーム終わり、と言って佐々木は教室を出ていった。同時に教室中がざわめき始める。


 菜月は机に顎を載せ、A4サイズの紙を眺めた。

 第三回進路調査、と一番上に書かれていて、その下に志望進学先や就職先を書く欄がある。


――進路か……。


 菜月は未だに決めあぐねていた。進学するか就職するか、そのことですらまだ悩んでいる。

 大学に行くには悲しいことに頭が足りないので、進学するとしたら専門学校になるだろう。しかし自分が何をやりたいのか分かっておらず、どのような学校に進めばいいのかも分からない。

 大貴と大和は地元の大学――しかも二人とも医学部を目指すという話でびっくりだ――で、光は同じ大学の教育学部を志望していると聞いた。

 皆、先を見ているんだなと、少し置いてけぼりを食らっている感じがして、言い様のない焦りに襲われた。


――とりあえず自分に向いてそうなこと探してみるか……。


 菜月は目を閉じて、盛大にため息を吐く。

 すると後ろから背中をトントンと叩かれ菜月は振り返った。光が教科書類を準備してこちらを見ていた。


「一時間目、生物だよ。移動しよ」


「あーそうだったねぇ」


 もたもたと教科書とノートを取り出し、進路調査のプリントを鞄に突っ込んだ。

 菜月が立ち上がるのと同時に光が尋ねた。


「進路決まった?」


「ううん、まだ」


「……私と同じ大学は?」


「無理無理、いつもD判定だし。それに大学行ってもやりたいことなかったら意味ないよ。まだ時間あるから、ゆっくり考える」


 そう言って菜月は肩をすくめてから歩き出した。まだ時間があるといっても、タイムリミットが近いことはもちろん分かっている。

 光たちと同じ大学を考えたことがないわけではない。しかし学部を見てもどれもピンとこないのだ。

 教室を出て、しばらく歩いてから菜月は光へ振り返った。


「光さ、今週の日曜日って空いてる?」


「日曜? 空いてるよ。どっか行くの?」


「結婚式に着るドレス見に行きたいんだ。光も一緒に行かない?」


「ああ、栗原くんのお姉さんのだっけ。式ってクリスマスじゃなかった?」


 光が不思議そうに首を傾げ、菜月は笑いながらぷらぷらと手を振った。


「まだ買わないよー。でもお母さんが早く目星つけときなさいって言ってたから、見ておこうかなって思って」


「ふぅん。わかった、いいよ」


「やったー。土曜にメールするね」


「はいはい」と頷く光の隣で、菜月はうきうきとした足取りで生物室に入っていった。




 この日の放課後、菜月は大貴のアパートを訪れていた。しかし大貴は今はいない。

 実は彼は、夏休みから空手道場の先生の手伝いを始めていて、夏休みが明けてからも続けていた。

 菜月も中学まで通っていた道場だ。そこの先生に「小遣いやるから手伝ってくれ」と言われたらしい。まあいわゆるバイトなのだが、大きな声でバイトと言うのはよろしくないので――バイトをする際は学校の許可がいる――手伝いと言い張っている。

 今日もその手伝いに行っている。聞けば大貴は高校生になってからも、何度か道場に通っているようだった。朱那も高校まで空手をやっていたし、この姉弟の性に合っているのかもしれない。

 それにしても何で自分には声を掛けてくれなかったんだ、自分だって段を持っているのにと、菜月はふてくされていた。


「菜月ちゃん、コーヒー飲む?」


 不意にテーブル越しに朱那が尋ねた。

 彼女は珍しく早い時間に仕事から帰ってきていて、テーブルについてノートパソコンを広げている。


「私コーヒー駄目なの」


「じゃあカフェオレ作ってあげる、冷たいの」


 そう言って空になったマグカップを持ち、朱那は立ち上がった。


 台所へ向かう彼女を見送り、菜月は短くため息を吐いた。菜月もテーブルについて、進路調査のプリントを眺めていた。

 今日は珍しく数学以外に宿題はなく、のんびりと漫画を読んだりしているのだが、やはりこれが気になってしまう。

 マグカップとグラスを手に、朱那が戻ってきた。


「はい、朱那さん特製とっても美味しいカフェオレどうぞ」


「あはは、ありがとう」


 菜月は笑いながらグラスを受け取り、椅子に腰掛けながら朱那が尋ねた。


「さっきから何眺めてるの? 宿題?」


「ううん、進路調査」


「ああ、菜月ちゃん進学だっけ?」


「んー……まだ決まってなくて」


 グラスを両手で掴み、視線を落とした。「そう」と呟き、朱那はコーヒーを口に含んだ。


「……朱那さんってさ、就活はいつ頃から始めた?」


「そうだね……秋……冬前ぐらいだったかな。本当は進学する予定だったから、ちょっとバタバタ気味に始めたよ」


「……そっか」


 朱那と大貴の両親は、六年前のちょうどこの時期に亡くなった。朱那は高校三年生だった。

 彼女が大学進学を希望していたことは菜月も聞いていたし、大学生になる彼女を幼いながら憧れていた。しかし朱那は就職を選んだ。大貴の面倒を見ると決めたのだ。


「でもやっぱ何か資格を持ってた方がいいんじゃない? 農業とか商業ならまだしも、普通科は強みがないからね」


「そうかなぁ、私何がしたいかもわかってないんだよね」


「えー? 夢とかないの?」


そう言って朱那が笑い、菜月はうーんと唸った。


「……お嫁さん」


「大貴の?」


「ち、ちが、う」


 ニヤニヤとする朱那に、菜月はかぶりを振ってみせた。しかし顔はほんのり赤くなっている。


「だってあんな仲良しじゃない。菜月ちゃんがうちの弟貰ってくれないと、私死んでも死にきれないな」


「死んでもって……朱那さんからかってるでしょ」


「ふふふ、さあ」


 にこりと笑って朱那は頬杖をつき、話を戻す。


「菜月ちゃん、人と関わるお仕事が向いてると思うな」


「人と? 例えば?」


 菜月は興味津々に身を乗り出す。


「保育士とか、看護師とかさ。そういうの合ってそう」


「なるほど。OLよりは想像しやすいかも。あ、動物相手も楽しそうだな」


「ああ、トリマーとか、よさそうだね」


 朱那がうんうんと頷きながら答えてくれ、菜月はホッと笑みを漏らした。


「そっかー。そういうのも有りなんだ。明日学校行ったら専門学校のパンフ見てみよ」


 そう意気込むと、朱那が優しく微笑んだ。


「この時期、三年生はみんな悩むものだよ。菜月ちゃんなら大丈夫、頑張って」


「えへへ、ありがとう」


 菜月はぽりぽりと頭を掻いた。すると唐突に朱那がため息を吐く。


「私は菜月ちゃんより大貴の方が心配だよ……医学部って、そんな頭あるのかあいつ……」


「私よりは遥かに頭良いけどねぇ。判定はAとBを行ったり来たりしてるって言ってたし、大丈夫なんじゃない?」


「その不安定な感じがイヤなのよぅ。受験が終わるまで私の胃は痛み続けるんだわ」


「あはは、大貴も頑張るって。何とかなるよ」


 笑い声を上げ、菜月はグラスに口を付けた。朱那が作ったカフェオレは、牛乳が濃くてほんのり甘く、コーヒーが苦手な菜月でも美味しく飲むことができた。


「あれ……今年って七回忌だっけ」


 何やら考え込みながら朱那が呟き、菜月は首を傾げる。


「あ、うちの親のこと。法事って面倒だよね……おばあちゃんが勝手にやってくれるかな」


 ふうと疲れたようなため息を吐く朱那を見つめ、思考を巡らす。

 両親が亡くなってから、栗原姉弟は親戚の家に引き取られていた時期があった。しかし諸々の事情があり、親戚の家を出てこっちに戻ってきた。それ以来、親戚たちとは疎遠になってしまったと聞いている。

 実のところ、朱那が高校を卒業するまで二人は菜月の家族と共に暮らしていた。

 互いの両親は古くからの親友同士で、家も隣同士で、家族ぐるみで交流してきた。その縁もあって、菜月の家が二人を引き取ったのだった。 菜月の両親は自分の子どものように二人を可愛がり、そして今でも何かと世話を焼いている。

 菜月はテーブルに視線を落とし、申し訳なさそうに口を開いた。


「ごめんね朱那さん……イヤなこと思い出させちゃった……?」


「ううん、大丈夫よ。菜月ちゃんこそ、気分悪くなったりしてない? トラウマになってるんじゃないかって、私ちょっと心配してたんだけど」


 朱那が首を傾げる。

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