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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第二章 死者の残影
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60 交差する疑惑

 確固とした足取りで去っていくまっすぐ伸びた背を見送りながら、彼はもう大丈夫だろうとサントは思った。

 己の横で眩しそうにルスカの背を見送っている王の目にも、自分と同じ思いが浮かんでいるのが分かる。

 サントはそっとサムドロスの眠っている石を振り返った。


 ――『…さあね。だが、僕が生きていて喜ぶ人間もいないだろうさ』


 そう言っていたいつかのサムドロスの顔を、サントは思い出した。

 ほんの数日前のことのはずなのに、ずいぶん昔のことのように感じられた。

 それをどこかで寂しいと感じている自分を、サントは(わら)う。

 彼は似ていた。


 鏡を見るたびに生じる行き場のない衝迫(しょうはく)

 生まれながらに背負わされた(ごう)

 生まれる前から決まっていた罪、

 隔絶された世界、

 周囲から疎まれずにはおれない我が身の運命(さだめ)――。


 それでも決定的な違いがあった。

 彼は彼自身が望みさえすれば、彼自身がどんなに己から遠くて触れられないと思っていたとしても、あっけないほど簡単にそれを手にすることができる位置に居た。

 ただそれに気づくのが少しばかり遅すぎたというだけで。

 最期の最後になってようやく気付けた彼は、それでも幸せだったはずだ。

 でなければ、あんな風に笑って逝くことはできないだろうから。


 独り取り残されていくような心もとない気持ちになるなんて、間違っている。

 サントはぎゅっと己の拳を握った。

 どんなに似ていても、彼と自分は同じではなかった。同じものなんかじゃ、なかったのだ。


 ――(あがな)うことなどできないほどの絶対的な刻印と、逃れることなどできない血の鎖による桎梏(しっこく)と…。


(お前に同類ができることなど、ある訳がない) 

 誰かに理解を求めるなど、愚行以外の何物でもない。

 誰かに必要とされることなど、あり得ない。

 誰かに受け入れられることを、決して望んではいけない。

 願うことさえ、許されていない。

 懺悔も贖罪も、己には許されていない。

 決めたはずだ。里を出た時から。どこまでも独りでいることを。

 罪を背負ったまま、その罪に貫かれて、独りで死ぬことを。


「どうした?」

 気が付けばじっとサムドロスの墓を見つめていたサントを不審に思って、ユリウスは尋ねた。

「…私は、羨ましいのかもしれません」

 ぽつりとサントは呟いた。

 最後の最後に、サムドロスは救われた。彼の家族の手によって。

 けれど、自分が救われることなど、永劫にあり得ない。救われることを望むこと自体間違っている。救われない自分を哀れむ余地さえ、自分には許されていないのだ。

「――誰が」

 そっとユリウスは問い返した。

「…彼は私に似ていました」

「…サムドロス、か?」

 ユリウスは目を瞬かせたが、不意に何事かに思い至ったかのように、スッとその眼差しを細めた。

 ――あの時抱いたある疑惑が、フッと頭に浮かんできたのである。


「……それは、彼の姿が母親の写し身であったから、か…?」


 サントはゆっくりとユリウスに視線を移した。

 フードの下にある、その目をユリウスはじっと見つめた。

 あの時、唐突に湧き上がった疑問。

 ユリウスは初めてサントが己の前に現われた夜を思い出す。

 自分と会うことにあれほど裁可を欲したその理由。

 奇異に感じられた賭けの内容に隠されていた、その真意は?


 『私と貴方が(まみ)えることが果たして正しいのか、私にはそれが分からない』


 この言葉に、一族の禁忌を破ったことに対する恐れ以外の、他の意味を付加することはできないか?

 その可能性を考え、ユリウスは強く拳を握り締めた。

 どうしてその可能性を今まで考えようとしなかったのだろう。

 いや、疑問に思う前に、その可能性に思い当たりもしなかったのだ、自分は。

 忘れようとした過去だ。そして妻が死んでからは実際に忘れていた過去だ。

 だから記憶に欠落がある。

 そしてその状態で聞いた彼女の話を、自分は丸呑みにした。

 彼女の死が疑う余地などないように思えたから、他に疑念を向けることが難しくなった。

 混乱した思考は、与えられた情報をそのまま()呑みすることにためらいを覚えなかった。

 だが。

 だが、もし。

 衝撃の告白の中に見落とされた嘘があったとしたら?


 ――『十八年前に貴方の前から姿を消したのは、私の“伯母上”に当たる方です』


 ユリウスはごくりと唾を飲み込んだ。


「――君は、」


「おやめください」

 声を絞り出すように続けようとしたその時、すっとユリウスの顔前に、サントの手がかざされた。

 ユリウスは息を呑んで、その手の平を見つめる。

「…口から飛び出てしまった言葉は二度とは元には戻らない。不用意な発言は避けてくださいますよう」

「だが、」

「私は、彼と同じ〝業〟を背負っている。生まれる前から決まっていた。それが私の宿命だ」

 淡々とした口調は、彼と彼女の間に踏み込むことを許さない大きな障壁を作った。

「貴方の危惧するところは分かっているつもりです。ですが、どうかご安心ください。あの方が子を授かることはありませんでした」

 瞠目し、一瞬身を強張らせたユリウスがそれでも言葉を発しようとした時、


「私は貴方の子供では決してありえない」


 諦めの悪い子供に引導を渡すように、真正面からばっさりと言い切った声は、反論を許さない強い拒絶をはらんで、ユリウスの胸を貫いた。

「……」

「…長らくお世話になりました。ですが、もう、私がここに居る理由はない」

 サントは黙ったままのユリウスに向かって、握りこんだ左手を突き出す。

「…なんだ?」

「お手を」

 その手の中に握り込められているものがなにか気が付き、ユリウスは出しかけた手を引っ込めた。

「陛下」

「…それは、昔、己の心と一緒に彼女にやったものだ」

「…私はこれを貴方に返すよう、頼まれました」

「受け取れない」

「…本気でおっしゃっているのですか?」

「…君が、持っていてくれないか?」

「!」

「君に、預かっていて欲しい」

 サントの拳が震えた。

 ぐっと、強く握りこまれ、彼女が何か言葉を発そうとした時、


「陛下!」

 王を呼ぶ声に、ピクリと痙攣した拳は硬く握られたまま、黒衣の中に消えた。

 それを視界の端に留めながら、ユリウスは声の主を振り返った。

「どうした、ジュリア」

「先程ルスカ様からこちらにいるとお聞きして。探しました」

 駆け寄ってきたジュリアは主の側に黒衣の人物を見つけ、ほんの少し動揺した。

「…私はこれで」

 サントは軽く会釈すると、ジュリアの脇をすり抜ける。

「待て」

 低い声が落ちて、ぴたりとサントは止まった。

「見送りぐらいはさせてくれるのだろう? 勝手に消えるのはなしだ。約束してくれ」

「……」

 返答のない黒衣の背に、ユリウスは続けた。

「お願いだ」

 何かを押さえつけるような、声だった。

「…明日、発ちます」

 呟くようにそう言うと、そのままサントは去っていった。

「…陛下?」

 黙ったまま黒衣の背を見つめ続けるその横顔に声をかけることは憚られたが、いつまでもそうしている訳にもいかず、恐る恐るというようにジュリアは主に呼びかけた。

「…ああ、なんだ、ジュリア」

「…サント様は明日お帰りになられるのですか?」

「…そのようだ」

 気遣わしげな視線を寄こすジュリアに、よっぽど自分は情けない顔をしていたのだろうと、ユリウスは苦笑した。

 一つ溜息をついてから話を変える。察しのいい臣下が追求しないことは分かっていた。

「それで、何か分かったのか?」

「それが…」


 ナギブ=レザノフと自ら名乗った男の素性は(よう)として知れないままだった。

 門吏(もんり)をどう欺いたのか、男は領主であるルスカも知らぬ内に、サムドロスの部屋を出入りしていたのだという。

 たまたまそれを見咎めたルスカが問うたところ、ファナンの知り合いだとサムドロスは答えたらしい。

 手先の器用な男で、刃物の手入れや取り扱いに長けている。気に入ったので懇意にしているのだと言われ、人に馴染むことをしなかった弟の変化に、ルスカはその男の来訪を容認したのだが、己の知らぬ間にいつのまにか弟の背後に立っていたその男にルスカは疑念を拭えなかった。

 だが、根拠のない不安だけで男をサムドロスから遠ざける訳にもいかず、男と知り合ってからどこか能動的になった弟に、彼から好かれていない自分が助言したところで逆効果でしかないと悟ったルスカは口を閉ざした。

 まさか、己の弟がその男に(そそのか)されて、主である国王の弑逆(しいぎゃく)を企んでいたなど、この時のルスカには想像も及ばなかったことだろう。

 なんにしろ、サムドロスもファナンも死んでしまった今、男の素性をそれ以上探ることは難しかった。自ら命を絶ったジョセフ=カッター同様、その二人がどれだけ男のことを知っていたのかは、疑問の残るところであったが。

 実際、ナギブは得体の知れない男だった。

 人を操る薬を持ち、死んだ人間を甦らせる。

 決して特徴のない造作ではないのにもかかわらず、不思議と人の記憶に留まらない容貌。

 だが、ジュリアは眼鏡を外した男の顔を今でもはっきりと思い出すことができた。

 凶悪な嗤笑(ししょう)を浮かべた神経質そうな顔立ちは、見る者に言い知れぬ不快感を(もよお)させる類のもの。

 普段の彼が記憶に残らないのは、それが仮初めの顔であるからに他ならない。

 彼の仮面は、あの眼鏡だった。

 きっと人々は無意識に自ら目を逸らしている。

 眼鏡の奥にある瞳の色に気づいてはいけないと。

 それは潜在意識下における危険信号だ。だから仮面の存在に気づかないし、人々はナギブの顔を記憶できない。

 彼の狙いが結局のところはなんだったのかも、判然としないままだった。

 王の命を狙っていたのか。

 だが、後から思い返してみれば、それはあくまで副次的な目的だったようにジュリアには思えた。

 ナギブは、サムドロスに王を殺害させようとしていた。

 国王の命よりも、サムドロスに執着しているように見えたのだ。

 何故、サムドロスに近づいたのか。

 世界の滅亡などという戯言(たわごと)を、王の前で悪びれもなく吐いた男の目的は結局なんだったのか。

 そう、苦々しい気分が晴れないのは、まるで全てが彼の座興(ざきょう)に過ぎなかったかのような感覚が拭えないからだ。


 ジュリアはそんな思いを振り払うように軽く首を振ってから、言った。

「ドリスが動いているようですが、それらしい収穫は…。こちらを」

「?」

 ジュリアが懐から出したのは、長さ二十センチ程の細長い金属製の針だった。

 太さは最大で直径五ミリはあるだろうか、両端に行くほど細く尖り、その先端は一ミリにも満たない。アイスピックの針にも似ているが、それに比べれば格段に細く、わずかに紡錘形(ぼうすいけい)をしている。

「私の頬を掠めていったものです」

「あの時の暗器か」

 他者にばれないよう身体に隠し持つ武器。

 正々堂々とした決闘というよりは暗殺術に適応し、小型で携帯しやすく、相手の警戒を解いて油断を誘うことに利点がある。

 ジュリアの部下である親衛隊員達が男に斬りかかった時、一瞬で地に()した彼らの脇の下には虫に刺されたような小さな痕が一様に残っていた。

 その小さな一つの赤い点が、屈強な男達の生命を奪ったのだ。

 極微小の針が、心臓を一刺しし、体内は血の海と化していた。

「…こちらもご覧ください」

 そう言って、ジュリアは同じような針をもう一本差し出す。

 ユリウスは二つの針を見比べた。

「違いが分かりますか?」

「…これは、何かの文字、か?」

 針の中間、最も太い部分に、よく見れば紋様のようなものが刻まれている。

「それは、ドリスが回収してきたものです。警庁を襲撃した者達の(ぼん)(くぼ)の辺りに埋まっていたそうで、調べてみたところ、舞踏会場を襲った男達にも同様のものが発見されました。武闘大会の不正で捕まり毒殺された三十六人の遺体全てに同じものが埋め込まれていたようです」

「……」

「…いまだ信じられませんが、死体を使役する要のようなもの、なのでしょうか…」

 目を細めてその針を睨みつける主を、ジュリアもまた真剣な面持ちで見守った。

衝迫【しょうはく】…衝動。

桎梏【しっこく】…厳しく自由を束縛するもの。足かせと手かせ。手足にかせをはめること。

門吏【もんり】…門番の役人。またその家に仕えて事務などを処理する人。

能動的【のうどうてき】…自ら働きかけるさま。積極的。

副次的【ふくじてき】…それが主でなく、従であるさま。二次的。

紡錘形【ぼうすいけい】…つむに似た形、すなわち円柱形の両端のとがった形。

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