表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第二章 死者の残影
80/87

58 嵐の後

 その後、親衛隊員の必死の捜索にもかかわらず、ナギブ=レザノフの行方は(よう)としてつかめないままだった。


 王城の広大な敷地からまんまと姿を消した男は、すぐさま大罪人として王都内外に手配書が配られたが、(かんば)しい効果は得られず、現れた時同様忽然と姿を消してしまった男に、ジュリアが切歯扼腕(せっしやくわん)したのは言うまでもない。

 男は、武闘大会での婦女誘拐・恐喝未遂に始まって、路地裏惨殺事件、警庁内で前述の容疑者毒殺、警庁襲撃から舞踏会場襲撃まで、一連の騒動の重要参考人として指名手配され、同時に彼と王都警備隊所属ジョセフ=カッター少将との関与の可能性とともに、それまでの都警隊の捜査の杜撰(ずさん)さが問題になり、都警隊の失態が明らかになった。




「いったい、なんだったんだろうな…」

 白亜の建物の中をキーンと並んで歩きながらフィオスは、呟いた。

「結局、犯人には逃げられた。今年の舞踏会は散々に終わって、四大公が一、南のスクワード領主の弟君、陛下の従兄弟でもあるサムドロス様はお亡くなりになられた。騎士団の被害も、小さくない」

「……何から何まで敵の手の平の上だったてことかよ」

「…そうでもない。とりあえず、無実の青年の冤罪も晴れそうだし、何より陛下の御身(おんみ)は守られた……っと、ここだ」

 通り過ぎようとした目的の部屋の前で、二人は立ち止まった。

「よぉ、見舞いに来てやったぞ、ウィリー」

 吹き抜けになっている入り口から顔を見せた直接の上司の姿に、ウィリアムははっとして顔を向けた。

 広い部屋の中には、中央の通路を開けて両端に三台ずつ寝台が並んでいる。その右列の一番奥の窓際にウィリアム少年の姿があった。

「バーク大尉! ダグラス中尉!」

 驚いたように二人を呼んだウィリアムは己の犯した間違いに気が付いて、慌てて言い直した。

「いえ、お二人とも昇進したんでしたね、失礼しました。バーク少佐にダグラス少佐」

 おめでとうございます、と熱心に歓迎の言葉を吐くウィリアムに、フィオスとキーンは複雑そうに互いの顔を見合わせる。

 そこにからかい混じりの声がかかった。

「なんだよ、浮かない顔だな。嬉しくねぇの?」

 突如入った半畳(はんじょう)に、フィオスとキーンの声は仲良く重なった。

「ドリス!」

 ウィリアムの枕頭(ちんとう)にある壁に背を押し付けていた男は、身を起こしてひらひらと手を振って見せた。

「お前、なんでここに」

「なんでって、お前達と同じさ。かわいい後輩達の体を心配してだよ」

「職務怠慢の言い訳にウィリアムを使うな。ジュリアが探してたぞ」

 溜息をついたキーンに、ドリスは言い返す。

「あいつは俺が病み上がりだってのを分かってねぇんだよ。功労者にはそれ相応の配慮があってもいいもんだろう?」

 未だ包帯の巻かれたままの首筋に手をやって肩を竦めたドリスに、フィオスは半眼になった。

「病み上がりって、お前のはたいしたことないただの怪我だろう。看護婦目当てなのが見え見えだ。事後処理全部俺達に押し付けて一人で逃げやがったくせに」

 じっとりとしたフィオスの視線を受けながら、ドリスは緩慢な動作で煙草を口にくわえて火をつけた。

 もったいぶったように紫煙を吐き出すドリスの姿に、ウィリアム少年は、病院内は禁煙だとも言い出せずおろおろとする。

「それより、もっと喜んだらどうだ? 二人同時に佐官に昇進だろ。聞いた話じゃもっと上を勧められたらしいな」

 さりげなく話を変えたドリスに、キーンはやれやれと肩を竦める。

 フィオスは己の追及も忘れて、まんまとドリスの言葉に顔をしかめた。

「素直に喜べる訳がないだろ。本当はその話自体断ろうかとも思ったんだ。素直に功績を認めてくれたのならまだしも、俺達を昇進しなきゃ体裁が整わないなんて、そんな理由で出世したって嬉しい訳がない。ジュリアの奴、いらねぇ気使いやがって。手柄を横取りしたみたいで、気分が悪いんだよ」

 煙草片手にドリスは肩を竦めた。

「くれるって言うんだからもらっとけよ。実際お前達の働きもでかかっただろ」

「俺達は上官の独断暴走を止められず、ジュリアに泣きついただけだ。重要だったのは、都警隊に所属している俺達の立場であって、俺達の行実じゃない。固辞するつもりもないが、諸手(もろて)をあげて喜ぶ気にもなれないな」

 冷静にフィオスに同意したキーンにドリスは言う。

「そりゃ謙遜だな。お前達がいなきゃ、ジュリアだって思うように動けなかっただろうし、うちと都警隊の間に軋轢(あつれき)が生じるのも避けられなかった」

「…それは分かってるけどよ」

 不満げにフィオスはしかめ面をした。


 ジュリアは都警隊と専鋭隊・親衛隊の摩擦を避けるために、その緩衝材として自分達と行動を共にした都警隊員であるフィオスとキーンを利用した。


 〝ジョセフ=カッターの捜査内容に不審を覚えた両名は、捜査本部から除外されて後、知己(ちき)である親衛隊隊長を頼り、専鋭隊に掛け合ってくれるよう(うなが)した〟と。


 つまり、都警隊本部襲撃の際に尽力した専鋭隊は親衛隊隊長、ひいては都警隊員であるフィオスとキーンの要請に従って動いた、という、影の立役者として二人は持ち上げられたのだ。

 都警隊上層部はジュリアのその申し入れを嬉々として受け入れた。

 今回の失態の責任を全てジョセフ=カッター一人に負わせ、フィオスとキーンの功績でもってそれを相殺(そうさい)する形で、自隊の面子(メンツ)を守ることにしたのだ。

 ゆえに、二人の昇進はもちろん実質的な彼らの働きもあったが、それよりも、若干色をつけたジュリアの提言と、喜んでそれに食いついた都警隊上層部の意向によるものが大きかったと言える。

 都警隊員の過失を都警隊員の功績によって相殺させる、そしてその功労者であるフィオスとキーンに都警隊と親衛隊の間をうまく取り持つ潤滑油(じゅんかつゆ)として橋渡しをしてもらうことで、両隊の不協和音を調整する、これがジュリアの意図するところだった。

 その意味では、二人の役割は大きかった。

 だが、しきりに昇進を勧める上層部に、実質的な働きを認めたというよりは、面目を保つための措置(そち)としてのおもねりを感じ取った二人は、三階級の昇進を勧告してきた上司に対して過剰な報奨(ほうしょう)であると、それぞれフィオスは一階級、キーンは二階級だけの昇進を受け入れ、二人同時に少佐という位置に留まった。

 目の(かたき)にしていたはずの専鋭隊に助けられ、加えジュリアが警告していた真犯人の襲撃事件で自隊の失態が明らかになり、都警隊の権威の失墜を恐れていた上層部にとっては二人の存在はまさに起死回生の依拠(いきょ)となった。

 だが、フィオスとキーンにしてみれば、それまで全く取り合ってくれなかったくせに手の平を返したかのような対応に、腹に据えかねるものがあったとしても不思議ではない。


「…事実無根の手柄を喜べるほど、俺達に出世欲はないってことだな」

 キーンの皮肉な台詞に、一人の男を思い浮かべたフィオスは表情を消すとドリスを見た。

「……ジュリアはなんて?」

「…己の過ちを自ら断つだけの誇りは残っていたか、だとよ」

 おもむろに背を向け、窓の外に紫煙を吐き出しながら、ドリスは言った。


 都警隊から喚問(かんもん)を受けたジョセフ=カッターは、警庁ならびに舞踏会襲撃事件に関与していたと思われる男について、結局一言も口にすることができなかった。

 除隊を言い渡されたその日の夜、ジョセフは隠し持っていた短剣で自らの喉を衝き、牢の中で自害した。

 彼にとっては我慢できる類の恥辱ではなかったのだろう。

 騎士の名門の家に生まれながら、その最期を鉄格子の中で、しかも自ら命を絶つ形で終えた男の身を滅ぼしたのは、結局は彼の強すぎる自意識だった。

 身から出た(さび)とは言え、かつての上官の自刃をいい気味だと喜べるほど、フィオスもキーンも薄情ではない。なんともいえない後味の悪さが残った。


 フィオスの肩を軽く叩きながら、重い沈黙を破ってキーンは口を開く。

「なんにしろ、今回は訳の分からないことばっかりだ。一体、ナギブ=レザノフって何者なんだ?」

「……世界の滅亡を企む悪の手先だと」

「なんだ、それ」

「本人がそう言ったらしいぜ。陛下に向かってそう、うそぶくんだからな、食えない野郎だろうよ」

 軽い口調だったがドリスの目は存外に厳しかった。

「…悪の手先か。ふざけた奴だ」

 押し殺したフィオスの声に、まったくだと同意し、ドリスは窓枠の縁に煙草を押し付け火を消した。灰皿の代わりに慌てて屑籠(くずかご)を差し出したウィリアムに、サンキュと言って吸殻を捨てる。

「行くのか?」

 身を翻したドリスにキーンが尋ねると、

「どうやら、今日はもうローラちゃんは来ないようだしな。ジュリアが乗り込んでくる前に退散するさ」

 「ローラって誰だ」というフィオスのささやきに、「僕の担当の看護婦さんです」とウィリアムは答え、「ジュリアのところにちゃんと顔出せよ」というキーンの小言に、背中を向けながらドリスはひらひらと手を振って病室を出て行った。


「まったく、何しに来たんだ」

 キーンが溜息をつくと、ウィリアムが口を開く。

「いろいろ、聞いて回ってたみたいですよ。今回負傷した都警隊員一人一人に」

「何?」

「ナギブについて、何でもいいから何か気付いたことはなかったかって。カッターさんについて警庁に出入りしていたらしいから、話をした人間もいるだろうって。あまり成果はなかったようですが」

 その言葉に、フィオスとキーンは顔を見合わせた。

「…そういえば、あいつ親衛隊副隊長だったな」

「…くさっても聖騎士、か」

 ついつい忘れがちになってしまうその事実に、それにしては身軽すぎるだろうと、二人は苦笑した。

切歯扼腕【せっしやくわん】…歯ぎしりをし、自分の腕をにぎりしめること。感情を抑えきれずに甚だしく憤り残念がること。

半畳を入れる【はんじょうをいれる】…他人の言動に対し非難・揶揄などの声を発する。やじる。

軋轢【あつれき】…人の仲が悪くなること。不和。

知己【ちき】…自分の心をよく知っている人。親友。また単に、知人。

潤滑油【じゅんかつゆ】…比喩的に、物事の運びを円滑にするもの。

報奨【ほうしょう】…勤労・努力に報い、奨励すること。

喚問【かんもん】…公の機関が呼び出して問いただすこと。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ