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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第二章 死者の残影
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54 人を感化する力

「……怨みに報いるに徳を()ってす。――己の弟を亡くしたディオニュシオス王は、その原因となったカシウスを殺さなかった。そして、自分の城に連れ帰り、彼を帰化させ、自分の臣下として迎えたんだ。偉大な王によって徳化されたカシウスは死んだフィロラオスの代わりに、忠実な王の従臣となった」

「な、んだって…?」

 ルスカの口から語られる言葉に、サムドロスは眉をひそめずにはおれなかった。

「…陛下は、君がよからぬことを企んでいると知った上で、カシウスになれと、そう言った。自分の命を狙っていたとしても、君を(ちゅう)したりせず、許して迎え入れる心積もりがあると。だから、決して早まるなと、そう、言いたかったんだ」

「ばかな……」

 ユリウスの瞳をサムドロスは呆然と見返した。

「サムドロス、お前に償う気があるのなら、生きろ」

「…貴方は、自分が何をされたか、分かっていないのですか?」

「分かっているさ。お前の罪は軽くないだろう。だが、安易に死を選ぶことを私はよしとしない」

 食い入るように自分を見つめるサムドロスの目に既視感を覚えて、ユリウスは笑った。

 やはり、兄弟だ。

 己の味わった苦しみを訴えることで自己の過ちを正当化したりせず、己の体を差し出そうとするその潔癖さ。

 よく似ている。

「今までお前にとっては生きていることのほうが、ずっと困難だったはずだ。それでもお前は生きてきた。その(つちか)ってきた苦しみを簡単に投げ捨てるな。それはいつかきっとお前を養う(かて)となる」

 大きく揺るがない瞳で真っ直ぐ自分を見つめてくるユリウスに、視線を合わせていることが難しくなってサムドロスはうつむいた。

「…馬鹿、ばっかりだ…」

 憎まれ口を叩くサムドロスに、ユリウスは笑みを深める。ここは兄と違うところだな、と。

「私は欲張りなんだ、サムドロス。フィロラオスもカシウスも自分の下に置いておきたい。ルスカの下で私の陪臣(ばいしん)になってくれぬか?」

「…っ」

 サムドロスは歯を食いしばった。

 頷く訳にはいかない。

 恩情をかけられても自分に返せるものは何もない。

 この己の命を代償として差し出す以外の償い方を、自分は知らないのだ。

「…王家の役立たずと言われる僕が、なんの役に立てるというのです。…同情ならいりません。後腐れの残らないよう処罰してもらったほうが遥かに楽だ。役に立たない厄介者を抱え込む必要などないでしょう」

「お前は騎士の血を引くアストラリアの末裔だ」

 下手な説得に思わずサムドロスは笑った。

「この体のどこに、騎士としての能力が見出せるのですか?」

 剣を振るうどころか満足に持ち上げることさえ叶わぬこの身に?

 自嘲で返したサムドロスに、ユリウスは答えた。


「――その魂に」


 何を言われたか分からないというように、サムドロスは呆然とユリウスを見返した。

「お前は高潔な人間だ。言い訳することをよしとせず、躊躇なく死を選ぶ。罪と知っていながら、その罪に踏み込むに至った苦しみを盾にせず、自分の誇りに代えてそれを(あがな)おうとした。

 ――たとえ、その体が病魔に(おさ)されていようとも、その魂には、アストラリアの血が宿っている」

 全身に鳥肌が立つのが、サムドロスにはわかった。

 だが、これは、おぞましさによるものでも、怒りのためでもない。

 死ぬこともできず生きることもできず、中途半端な生を持て余しながらも無意味に生きながらえてきたこの二十八年間、今まで感じたことのない種類の震えを、今、サムドロスの胸は味わっている。

 いつだって青白かったサムドロスの頬が紅潮し、彼の目頭はかっと熱くなった。

 これはなんだ。

 こんなものを、自分は知らない。

 この身の内側から全身にまで伝わって、表面に飛び出そうとしている、この叫びだしたくなるような衝動は。

 耳がじんじんと熱を持ち、動悸が激しい。

 耳のすぐ側で、どくんどくんという心臓の音が暴れている。

 息苦しいのに、胸が焼けるように熱いのに、どうして今自分はこんなにも世界を取り巻く全ての枷から解き放たれたような開放感を感じているのだろう。

 細胞という細胞が震えているようだった。

 病魔に侵され続けてきた益体(やくたい)のない身体が、肉体という牢獄を逸脱して、今初めてサムドロスを彼の知らないところへと連れて行こうとしている。

「剣を振り馬に乗る者だけが、騎士ではない。その心に恥じる事のない誇りがなければ、アストラリアとは呼ばれない」

 己の中の何かが陥落しようとしているのが、サムドロスには分かった。

 嗚咽(おえつ)をこらえて唇を噛む。

 内側からこの身体を突き破ろうしている、得体の知れない魂のざわめき、それを押し留めようとするのはひどく難しかった。

「何もしていない内から自分には何もできないのだと、自らを見限るのは尚早(しょうそう)に過ぎよう。自分を信じろ、サムドロス。お前の生には価値がある」

 そんな巧言に惑わされたりするものか、と言うことが、サムドロスにはできなかった。

 自分は生きていいのだと、生きなくてはいけないのだと、生きてしかるべき存在なのだと、王の言葉一つで、生かされようとしている。

 自分を害そうとした人間に、生きろと、希望を与えるのか?

 お前の生には価値がある、と…?

 だめだ。

 サムドロスはいっそう強く唇を噛んだ。

 抗えない。

 この胸の震えに、自分は、きっと、逆らえない。



「――生きろ、サムドロス」



 ああ。


(……だめだ)


 この人には、絶対に敵わない。


 己の意地も矜持(きょうじ)もこの男の前では矮小すぎて意味を成さないのだと、気付いてしまった。

 それが決して不快ではないということも。

 己の心臓がそれを告げている。

 流れる血が、快哉を叫びながら、自分の膝を折ろうとしている。

 ディオニュシオス王の前に(こうべ)を垂れたカシウスの気持ちが、今、痛いほど、サムドロスには理解できた。

 己には決して届かれるとは思えぬ境地に立つ、王の中の王を前に感じる、畏れと、己の卑小さと、後悔と懺悔の気持ち、そして己が殉じるべき人間に出会えた事への、――確かな喜び。

 この人のために死ぬのなら、本望だ。

 カシウスはきっと、こう思ったに違いない。

 彼がために死んだ、王の弟である、フィロラオスと同様に。

 そして、聖騎士となった。

 彼のために死ぬために。


 ――王のために生き、王のために死ね


 サムドロスはユリウスの顔を仰ぎ見ると、その場に深く(ぬか)ずいた。

「……国王陛下の…御心の…まま、に……」

 震えた声と一緒に零れ落ちた一滴の透明な雫が、ぽたりと地面に丸い染みを描いた。

怨みに報いるに徳を以ってす【うらみにむくいるにとくをもってす】…報怨以徳(ほうえんいとく)。うらみを受けた人に対して、逆に恩恵を施す。

陪臣【ばいしん】…臣下の臣。


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