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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第二章 死者の残影
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53 もう一人の聖騎士

 王はその血刃(けつじん)を、騎士の心臓に向けて言った。

『主のために死ぬ栄誉をお前に許す。……王のために生き、王のために死ね』




 彼は六歳の時に両親を亡くした。

 故国の滅亡当時六歳だったストーンブール公国の一人息子は、己の両親を殺した男にその命を許され、亡国の公子となり数人の家臣と共に故郷の土を離れた。

 六歳で全てを失った子供は、「父の(あだ)(とも)に天を(いただ)かず」と耳元でささやかれる度、まさに臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の様相で辛酸を()めながら、その怨憎(えんぞう)を新たにしてきた。過去の栄耀の妄執に囚われた佞臣(ねいしん)供に何度も言い含められる内に、彼は己の父母を殺した仇敵を殺すことしか考えられなくなっていた。

 そして亡国の継嗣(けいし)は、他人に作られたといっても過言ではない偏執(へんしゅう)のために、半ば扇動される形で、マダリアに反撃ののろしを上げたのだ。


 だが、それは己の兄のために命を(なげう)った一人の騎士のおかげで、あっけなく終着を迎える。

 ディオニュシオスは、フィロラオスが自刃して後、幼い子供に復讐をけしかけてきたストーンブールの亡臣を殺し尽くし、ロトルアに撤退を迫った。

 恐れをなしたロトルア軍は、サンクドリアから手を引いた。

 そして、ディオニュシオスは、復讐だけを生きがいとして、ただ己を殺すことだけを考えてきた少年を、生かした。

 カシウス=アスレイ=ストーンブール。

 それが、少年の名前である。


†††


 亡国の復讐者カシウスは、正体を明かし堂々と己の前に立っているディオニュシオスを、この目よ裂けよといわんばかりに激しく睨んだ。

 国王ディオニュシオスはそんな彼を泰然と見下ろして言った。

『お前は私を殺したいほど怨んでいるのだろう。だが、私は死んでやることはできん』

『薄汚い卑怯者がっ! 自らの弟でさえ己の保身のために切り捨てるのかっ!! 恥知らずの簒奪(さんだつ)(しゃ)めっ!!』

『黙れッ!!! 昏迷な乳臭児(にゅうしゅうじ)がっ!!』

 カシウスはその覇気の強さにビクリと震えたが、餓えた獣のようにギラギラとした視線を逸らすことはなかった。

 長年の殺伐とした生活が少年の容貌を一変させていた。

 頬はこけ、眼窩(がんか)は落ち(くぼ)み、唇はひび割れ、顔に刻まれた幾筋ものしわで、二十は老けて見えた。漆身呑炭(しつしんどんたん)の覚悟で生きてきた、それまでの苦労が外面にまでにじみ出て、とても十代の少年には見えないほどにやつれていた。

 その彼に対して、ディオニュシオスは口尚乳臭(こうしょうにゅうしゅう)の青二才と一喝したのだ。

『己の心も満足に管理できぬ、児輩(じはい)風情が粋がるな』

 頭上から真っ直ぐ見下ろされる視線に、カシウスは歯軋(はぎし)りして飛び掛かる。

 躍り掛かってきた少年を、ディオニュシオスは容赦なく殴り飛ばした。

『己の我執に囚われることは恥と知れ、愚か者』

『殺してやるッ!!』

 血を吐きながら()える少年にディオニュシオスは言った。

『いいだろう。殺してみせろ』

『!?』

『だが、己の力だけを(たの)め。他人を巻き込むことは許さん。私を殺したいのなら、自らを鍛えて独力で私に臨むがいい。私は逃げも隠れもしない。お前の、父母の敵を討ちたいという正義と誇りが本物なら、私はそれに(こた)えてやろう。だが、下らぬ私怨で死んでやれるほど王は安いものではない。己の不遇を全て私のせいだとかこつけての狼藉なら、私はお前を相手にはしない。逆恨みで殺されてやるほど、暇ではないのでな』

『下らぬ私怨だとっ!!』

『そうだ。強すぎる憎しみは己を滅ぼすだけで何も生み出さない。独りよがりに周囲を傷付ける忌むべき行為だ。時には、己の感情を殺してでも守らなければならないものがあることを知れ』

『……』

『私の弟が死んだのは、私のためだ。フィロラオスは死を決意した私を生かすために、自ら死を選んだ。私の弟は、お前の愚行のために死んだのだ。私はお前を許せないだろう。だが、私は怨みに呑まれてお前を殺すことはしない』

『!!』

『お前はこれから私と共に城に帰るんだ』

『何を考えている! いまさら罪滅ぼしのつもりかっ!?』

『罪滅ぼしなど既にしている。アストラハンの大地に住む民のために尽力することが私の贖罪だ。だがお前はどうだ。自身を省みてみろ。お前の父母が死なねばならなかった理由を少しでも考えてみたことがあったか? 己の標榜(ひょうぼう)する正義が果たして本当に正しいものかを』

『黙れッ!!!』

 カシウスはディオニュシオスに飛び掛る。

 だが、ディオニュシオスはまたしても彼を殴り倒した。

『己の感情にしか従えない者は、人ではない。ただのけだものだ。お前は自身を人間だと胸を張って言えるか』

『うるさいっ!!』

 腰に体当たりしてきた少年を、ディオニュシオスはひっつかんで投げ飛ばす。

『是非を見極める目と他人に(したが)う耳が少しばかりでも残っているのなら、私と共に来い。そこでいつでも私を殺そうとすればいい。だが、簡単に私の首を取れると思うなよ。アストラハンの守護者を見くびるな』


 そして、ディオニュシオスはカシウスを自分の城に連れて帰り、騎士団の中に放り込んだ。

 主の甘さを諸臣は批判したが、ディオニュシオスは決して自身の決定を覆さなかった。

 その中で、今まで極端に(かたよ)った生活をしていたカシウスは、世界を知った。

 何度も殺意をあらわにディオニュシオスに向かった彼は、その度に誠実に反応を返してくる王に、次第に疑問を覚えるようになっていた。

 カシウスは少なくとも己の行いは間違っていないと思っていた。

 かつての亡臣達が耳に入れるのは、いかにディオニュシオスが残虐非道な男であるか。

 己の我欲のためにアストラハンの大地を掠め取り、人々にどれだけの苦役を強いているか、彼はマダリア国王の悪行三昧を寝物語のように聞かされて育った。

 『正統な後継者である貴方が父母の仇を取って国に帰ることを民は望んでいる』、『今貴方がこのように身をやつして苦労しているのは全てあの簒奪者のせいだ』、そうささやかれる度に、荒んだカシウスの心はディオニュシオスに対する憎しみだけで満たされていった。

 だが、十年ぶりに戻った、失われたはずの故郷での生活は、あまりに彼が想像していたものとかけ離れていた。

 マダリアは豊かだった。

 民は笑って、王を褒める。

 そこには、カシウスに助けを求めて叫ぶ民の嘆きはなかった。

 誰もが先公の圧制を退け即位してくれたディオニュシオスに感謝する。

 カシウスの父母が殺されたことを憤る者は、一人としていなかったのだ。


 何故自分を殺さずに引き取ったのかと、ある日カシウスが訊いた時、ディオニュシオスはこう答えた。

『…お前はほんの少しだけ、私の弟に似ている。決して媚びず、一本気で、ただ一つのことに集中しだすと、他のものが目に入らなくなる。……それに、フィロは私に言った。私は、甘いままでいいのだとな。

 お前については、少なからず私にも責任がある。お前がどうしても私を許せないと言うのなら、お前の剣で死んでもいい。だが、それは今じゃない。まだまだずっと先のことだ。この国が私がいなくても立ち行くようになるまでは、私はお前に殺されてやる訳にはいかない。逆取順守という言葉をお前に証明する義務が私にはある』

 この言葉を聞いた時、カシウスは己の不明を思い知った。

 この男は、自分と違って、己の怨みのために人を殺すことはしない。

 両親が殺されたのは、きっと民がそれを望んだからだ。

 ディオニュシオスは自分の私欲のためにではなく、他者のために生きている。

 だから、人々は皆彼を慕い、彼の弟は彼のために死んだ。

 他人のために生きられるから、王なのだ。

 己の両親が殺されたのは、彼らが自分のためにしか生きられなかったから。そして、そんな人間が君主になれば、民の嘆きは明らかだった。

 己の両親こそが、己がずっと憎み続けてきた残虐非道な君主であったこと、それを認めることはカシウスにとってつらいことだった。

 だが、この頃既にカシウスはディオニュシオスを以前のように憎むことはできなくなっていた。

 そして、彼は初めて己を省みた。


 カシウスは翻然(ほんぜん)と遺恨を捨て、王の前に膝を折った。

 己の前に頭を垂れて、首を差し出すカシウスに、ディオニュシオスは言った。

『私はお前を殺さない。殺す気ならあの時、殺していた』

『…俺の浅はかさが貴方の弟を殺した。侘びて許されることではないだろう。死は死をもって償われるべきだ』

『…己の過ちを認めるのには、勇気がいる。それに気が付いたのなら、それを正せばいい。無駄に命を消費することはあるまい』

『…』

『私はお前の両親を殺して、王位に就いた男だ。お前の怨みは正しい。だが、私は王として、お前に耐えてくれと言うだろう。怨みは連鎖する。人が憎しみを忘れないでいることは、更なる苦しみと悲しみを生み出す。……カシウス、人から受けた痛みを忘れることは難しい。だがそれを許せる人間になる方がよほど果敢であると思わないか?』

『貴方は、俺を許せるのか…?』

『私は己の怨みに呑まれて人を殺したくはない。生きろ、カシウス。フィロラオスの代わりに、お前には生きていて欲しい』

『…!』

『お前が私に死を賜りたいと言うのなら、お前の命の行使権を私はもらおう。フィロラオスの死に報いたいのなら、お前がフィロラオスの遺志を継げ。これからは、私の臣として生きよ』

 カシウスは呆然と、ディオニュシオスを仰いだ。

『カシウス=アスレイ=ストンブール、お前に新しい名を与える。過去は捨てろ。これからは国王の聖騎士として、生きるがいい』

 そう言って、ディオニュシオスがカシウスに渡したのは、いつか彼がフィロラオスに渡したのと同じつくりの短刀だった。

『その刀に、誓え』


 ――王のために生き、王のために死ね




 それ以後、カシウス=アスレイ=ストーンブールは王の聖騎士として王に仕え、ディオニュシオスが死んだ後も王位を継いだ彼の子供を支え、生涯マダリアに尽くした。

 カシウスの別名を、フィロス=アスレイという。

 後世、彼をカシウスの名で公国の遺児だと知る者は少ない。フィロラオスが死して後その名を継ぎ、王を支えた聖騎士としてその名を残した。

 彼の功績は、主のために死んだフィロラオスの存在に消されがちだが、その行実は決して小さくない。むしろカシウスは進んで自らを退けフィロラオスの偉業を人々に伝えた。ディオニュシオスの遺言を守り、彼とフィロラオスの墓にアストランティルを植え、またフィロラオスのいなくなって後のサンカレラ騎士団をよく整えた。


 ディオニュシオス王が生涯で聖騎士に任じたのは、フィロラオスとフィロス、この二人だけだったという。

父の讎は倶に天を戴かず【ちちのあだはともにてんをいただかず】…命をかけても報復しなければやまないほど深く怨むこと。父の仇は必ず殺すべきであるという意。不倶戴天(ふぐたいてん)

臥薪嘗胆【がしんしょうたん】…仇をはらそうと長い間苦心・苦労を重ねること。

偏執【へんしゅう】…かたよった見解を固執して他人の言説をうけつけないこと。

簒奪【さんだつ】…帝位を奪いとること。

乳臭児【にゅうしゅうじ】…ちちくさい子供。少年をあざけっている語。青二才。

漆身呑炭【しつしんどんたん】…復讐のために苦心惨憺すること。体に漆を塗ったり、炭を飲み込むの意(己の体を害し全くの別人になりきってまで、相手の油断を誘い復讐の機をうかがうこと)。

口尚乳臭【こうしょうにゅうしゅう】…口がまだ乳くさい。年若く、経験にとぼしいこと。

児輩【じはい】…こどもたち。こどもら。人を軽蔑して呼ぶ称。

逆取順守【ぎゃくしゅじゅんしゅ】…道理にそむいた方法で目的を達成した後、道理にかなった方法でそれを守ること。

翻然【ほんぜん】…急に心を改めるさま。

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