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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第二章 死者の残影
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45 追憶の影

 サントはちらりと王を顧みた。

 彼は数人の親衛隊員に命じて、客人達を安全に非難させようとしているようだ。

 こちらの視線には気付かない。

「あまり、気が進まないが…」

 だが仕方ない。

 これ以上、目の前の男達をむごいやり方で傷つけたくはなかった。

 この感情の由来を、サントは知っている。

(…好きで、こんなバケモノになった訳じゃない…)

 顔をうつむけて唇を噛む。

 どんな人間であろうと、こんな風に死者の体を(もてあそ)ぶのは、許せない。

 死は、万人に等しく訪れるべき厳粛なもののはずだ。

 ――その枠組みから外れてしまったものは、もう、人ではない。


 サントは深く息を吸い込んだ。

 そして、それをゆっくりと口から出す。

 音のような、風のような、あいまいな空気の振動。


 ジュリアはそれに気がついて、足を止めた。

「なんだ…?」

 この音は。

 視線をめぐらし、無防備に(たたず)んでいる娘を見つけた。

「彼女、なのか…?」


 異形の者達は、その音に反応した。

 六対の目が、中央に立つ、白い衣で頭を覆った娘を(とら)える。

 男達は持っていた剣を落とした。

 まるでその音に引き付けられるかのように、彼女に向かって吸い寄せられていく。

 一体何事だと、周囲は目を(みは)った。


 風が吹いた。

 外に欠けた月が浮かんでいる。

 うっすらとかかっていた雲が、風に吹かれて儚く消えた。

 月が笑ったようだった。

 突然ふわりと地を蹴って白い衣が浮き上がった。

 緋染(ひぞ)めの髪が翻る。

 額に巻かれた紗羅の上で揺れる瑠璃色の玉が、怪しげに淡い光を放った。

 どこかで感嘆の声が上がった。

 流れるような緋色の髪の中に垣間見えるその横顔。

 通った鼻筋は美観を損ねることのない正当な順路に従って柔らかな凹凸を描く唇へとつながる。くっきりと形のよい濃い眉の下、伏し目がちにした目元には影が落ち、絶えず下に向けられている視線の中には微かな憂いがあった。軽く開いた朱唇からは赤い舌が忙しく動いている。

 トンと地に足をつけ、またふわりと重力を感じさせずにその体を持ち上げた。

 白い衣をひらひらと弄び、まるで己の体に風を纏っているかのように、たおやかに躍り上がる。

 誘っているかのように、己に向かってくる異形の者達を引き寄せて、嬋娟(せんけん)とした美女が舞っていた。


 まるで時が止まっているかのようだった。

 今、観衆達は、恐ろしい状況も全て忘れて、彼女に見入っている。

 どこかでこれとよく似た音色を聞いたことがある気がして、ジュリアは眉をひそめる。だが、彼はそれを思い出すことができなかった。


 トン、と地面に着地して、サントは前を見る。

 周りを取り囲むのは十二の視線。

 伏せていた瞼を上げて、サントはそれらと目を合わせた。

 顔を歪め、焦点の合っていない目を怒らせ、口から涎を垂らしながら、だが、彼らが言葉を発することはない。

 ヒューヒューと機械的に空気を出し入れする音だけが聞こえる。

 それはがらんどうの洞窟に風が空しく反響する音に似ていた。

 呼吸をしているのではない。

 生命を失った空っぽの形骸(けいがい)に空気が勝手に出入りしているだけだ。

 彼らの身体(からだ)は既に生ある力から、見放されていた。

 心臓は動いていない。

 呼吸もできない。

 全ての機能は停止している。

 意識もなく、言葉を奪われ、ただ命じられて動くだけの、人形――。


 十二の腕が己に向かって伸びてくる。

 ――汚したいのか、壊したいのか、それとも、


(――助けて欲しいのか?)


 紅い瞳が男達を捕えて、縛り付けた。

 持っていた衣を、男達の体に覆い被さるように、空中に広げた。

 周囲の人間の視界には、白い布に遮られ、異形の体が隠される。

(今、楽にしてやる)

 紅い目が爛々と輝きを増す。

 それに合わせて、額の紗羅の上で揺れていた瑠璃色の玉も明滅するように、光った。


《…ネローラ・サファリラ》


 それは吐息のような、言の葉だった。

「――眠れ、永遠に…」

 無表情に見開かれた男の目から、零れ落ちる透明な液体。

 サントはそれを視線の先に捉えながら、ゆっくりと瞼を下ろした。


 全ては同時だった。

 白い衣が上空からゆっくりと落ちて、大理石の床にヘナリと横たわった時、まるで意思を無くした人形のように、折り重なって崩れ落ちる男達の姿があった。




「――な、んだったの、お父様、今の…」

 場を支配していたなにか得体の知れぬ力の存在に、リリアは父を見上げた。

「お父様?」

 だが、ユリウスはリリアの声にまるで反応を示さない。

 彼は呆然として赤い髪の娘を見ていた。

「…サラ…ハ…?」

 ――同じだ。

 あの時の彼女と。

 輝く月。

 紅い眼光。

 翻る白衣と赤い髪と。

 空間を支配する引力。

 人々を引き寄せる(しょう)()

 深くて婉麗(えんれい)なその眼差し。


 ――雪をめぐらしながら風に(うそぶ)き月を(もてあそ)ぶ、巫女の舞


 怒涛のごとくに記憶の欠片が押し寄せてきて、ユリウスは額を押さえて(うな)った。

(…サラハ?…いや、違う)

 幻を振り切るように首を振る。

 錯覚するな。

 どんなに似ていても、彼女はサラハではない。

 もしサラハならあんなに若いはずがない。

 いくら幻のラト族だからといって、老いを知らない訳ではないだろう。


(――彼女は、サラハの、姪、だ)


 だが、半ば自分に言い聞かせるために胸の中で呟いたその言葉に、初めてユリウスは強い違和感を覚えた。

 ドクンと心臓が跳ねた。


(…めい…?)


 ストンと胸の中に落ちてきた、疑問。

 それは、がつんとユリウスの脳天を殴打した。

(本当に…姪、なのか…? むしろ…)


 むしろ?


「ま、さか…」

 ユリウスは己の直感に震えた。

 なぜ、今まで気付かなかった。

 なぜ、今まで一度として疑問に思うことをしなかったのだろう。

 もしかしたら、あの子は、

 あの時の――


「!」

 痛烈に(ひらめ)いた記憶に、瞠目した時だ。

 赤い目と、目が合った。

 真っ直ぐこちらを見つめるその目は、何故か悲嘆に暮れているように見えた。

(だめだ)

 目が合った瞬間に覚った。

 彼女はこのまま行ってしまう気だ。

(まだ行くな)

 ユリウスの見ている前で、サントは瞼を伏せ、衣を上げた。

 白い薄紗が体を隠す。


「待て!」


(まだ行くな! 君は――、)


 そう、サントに向かって駆け出そうとした時だった。

 己の体にドンと何かが突進してきたような衝撃が走った。

「――き、きゃあああああ!!!」

 リリアの口から悲鳴が上がった。

 ぽたりと大理石の床に紅い花弁が散る。

「サ、ムドロス…?」

 こちらを睨み付ける青白い顔の中にある目は、憎悪の色に燃えていた。

嬋娟【せんけん】…顔や姿の美しくあでやかなさま。

嘯【しょう】…口をすぼめて長く声をひく。うそぶく。また、口をすぼめて口笛を吹く。

婉麗【えんれい】…しとやかで美しいこと。また、そのさま。

雪を回らす【ゆきをめぐらす】…風が雪を吹きめぐらす。衣の袖をたくみにひるがえして舞うことをたとえる。

風に嘯き月を弄ぶ【かぜにうそぶきつきをもてあそぶ】…風に向かって口ずさんだり、月を賞美したりする。嘯風弄月。自然の風景をめで、風流な気持ちにひたること。

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