41 加速する狂気
ドリスは煙草を吹かしながら、彼方に浮かぶ王城を見上げていた。
腰に手をあてがい、ふーっと細く紫煙を吐きだすと、それは明々と輝く王城を映したドリスの視界の中でゆらゆらと揺らめいて、幻のように消えていった。
けぶった靄の中にぼんやりと見えた城は、今くっきりと存在感を主張してそこにある。
煙と一緒にあの城がパッと消えたらすごいな、とドリスはそんなことを考えていた。
最近、彼は奇術の類に凝っている。もちろんそれは専ら女を口説くために使われていた。
「ドリス」
声をかけられ、ドリスは背後を振り返った。相手を認識して口を開く。
「異常は?」
「今のところはない」
答えたのは鎖帷子に身を包んだ、黒い短髪の男だった。
こめかみから左目の脇を通って頬骨の辺りにまでかけて、引き攣ったような刃創が走っている。男の日に焼けた褐色の肌の中で、そこだけ淡い肉色をしていた。精悍な面構えの中にある鋭い眼差しには、対峙する者を萎縮させるような迫力がある。
専鋭隊の副隊長を務める、ヨセフ=クレバー中将だった。
「あっちは大丈夫なのか」
「大丈夫でしょう。王の側にはジュリアと、それにザナス将軍もいるはずですし」
「ジョセフ=カッターまでいるらしいな」
「…中将は彼と面識が?」
「顔ぐらいは知っている。我らの隊長を毛嫌いしている男だろう」
くっきりと眉間にしわを寄せた男に、ドリスは笑った。
「中将も毛嫌いしているようですね」
「アストラリアの恥だ」
「でも似てるんですよね、名前が。ジョセフとヨセフって」
ヨセフは眉間のしわを峻烈なまでに深くして、ドリスを見た。専鋭隊で最も恐れられている男のひそみに、肝を冷やさない部下はいない。
「――二度と言うな」
じろりと睨んでから身を翻したヨセフに、ドリスは肩を竦め、小さい声で呟く。
〈…まったく、冗談も通じないんだから。かわいげないったら〉
「――ドリス、俺は地獄耳だ。以後気をつけろ」
歩みを止めることなく背を向けたまま発せられ、ドリスは硬直する。
「……そうします」
怖いおっさんだという呟きを、かろうじて呑み込んだ時だった。
「ドリス大佐! クレバー中将殿!!」
ばたばたとした足音と叫び声が響いた。
その声にただならぬものを感じてドリスとヨセフは互いの顔を見合わせると、同時に駆け出す。
「どうした!」
声の主はキーンとフィオスだった。
「警庁が襲撃されているらしいのです!」
「なにっ!?」
「襲撃というと敵は複数か?」
冷静に尋ねたヨセフにキーンとフィオスが顔を見合わせた。
「なんだ?」
「それが、化け物だって…」
「化け物?」
「人間じゃなかったて言うんだ」
神妙な顔で言う二人に、ドリスとヨセフは渋面を作った。
「おいおい、誰がそんな与太話を?」
眉をひそめたドリスに、フィオスは叫ぶ。
「ウィリアムだよ! 化け物云々は置いといたとしても、あいつ、怪我してたんだ。警庁の襲撃は嘘じゃない!!」
その言葉にドリスはキーンを見た。キーンは真面目な顔で頷く。
「今、軍医に看てもらっています。警庁からここまで馬を走らせてきたらしいのですが、私達にそれだけ言って気を失いました。一刻も早く援護に向って欲しいと」
「命からがら逃げてきたって?」
軽々しい口調に反して思案げに眉をひそめたドリスの横で、ヨセフが口を開いた。
「…被害状況は?」
「それが詳しいことはよく。ですが、ウィリアムは自分以外の者の血を服の上から浴びていました。事態は深刻かと。…それに」
「あいつの怯え方、尋常じゃなかった。ただごとじゃありません」
フィオスの言葉に押し黙った一同の中で、一番最初に口を開いたのはヨセフだった。
「化け物だろうがなんだろうが、敵なら排除するだけだ」
そう言うと身を翻す。
「総員、警庁に向かわせろ」
「――中将、待った」
「なんだ?」
「最低限の人数は確保しといたほうがいい。裏をかかれる可能性を考慮すべきだ」
「…保険が必要か?」
「総動員なんてしなくても、クレバー中将一人いれば大概の敵にはおつりが来ますよ」
「…俺にそんなおだては通用しないぞ、ドリス」
そう言って、ちらりとヨセフは笑った。
めったに笑わない彼のその表情に、ドリスも口角を上げる。
「だが、お前の言うことにも一理ある。指揮官はお前だ。お前に従おう」
「……あなたにそう言われると、かえってプレッシャーなんですが」
ドリスは苦笑した。
「麾下に伝令。それぞれの持ち場に数名ずつ歩哨を残して警庁に行く。城にいるジュリアに報せを」
「ハッ」
ドリスの命令に、切れのいい返事をしてフィオスとキーンは散って行った。
それにしても化け物だなんて。
(ぞっとしないな)
ドリスは眉をひそめた。
一人で壁際に寄りかかっているその男はちらちらと視線を集めていた。
赤い薔薇をその手に持ちくるくると回しながら、その匂いに鼻を寄せている。
軽くうつむけた顔に前髪がかかり、伏せた瞼から生えた髪と同じ色の睫毛が濃い影を落としていた。
口角の上がった唇は女のように赤い。
血色のよくない顔色と目元にうっすらと見えるくまは病的なのに、それはやつればんだ印象よりも、一種近寄りがたいどこかミステリアスな魅力を演出している。
男は美しかった。
長い金髪はリボンによって後ろに束ねられているが、前髪は無造作に垂らしてある。
その髪がゆらゆらと揺れる度に、何かそわそわとした気分になるのはどうしてか。
肌は白く、薔薇を持つその指は細い。
薔薇の棘で傷つけたりしないかと、何人かははらはらとするようにその指先を見つめていた。
それでもきっと、あの繊指から血が滴る様ははっとするほど美しいに違いない。
儚く、繊細な美が、そこにはあった。
ちらりと男が視線を上げると、何人かの男女が慌てて目を逸らした。
いつもなら眉間にしわを寄せ剣呑な視線をくれてやるところだが、彼は艶かしい微笑みを浮かべた。
それを見た数人の頬が赤くなる。
(痴れ者どもが)
内心で辛辣な言葉を吐き捨てた。
興味がありそうな割に遠巻きにしているだけで話しかけてこないのは、自分が誰か知っているからだろう。
憚りながらもこちらを窺ってくる視線の数に、サムドロスはうんざりしていた。
――目を合わせようとすると、先に逸らされる。
『怖いのよ。私はあの子を正視することが、どうしてもできない』
いつもそうだった。
あの女は、いつだって自分を嫌っていた。
舌打ちを零しそうになって、サムドロスはふと強い視線を感じて顔を上げた。
こちらを気遣わしそうに見つめている兄の顔を見つけ、今度は意識的に舌打ちをする。
少し人に酔ったから一人になりたいと言って、執拗についてこようとするルスカをサムドロスは振り払った。弟を監視するのが兄の役目なのですか、そう言ってやったら少しだけ顔を青くしていた。
サムドロスは視線を逸らそうとしないルスカに嫌気がさして、壁から身を起こすと背を向けた。
何人かが己の行動を目で追ったのを感じたが、全て無視する。広間を後にして、露台へと出た。
風が吹きぬける。
外はもうすっかり夜の顔をしていた。
黒い天に星達は瞬き、欠けた月が顔を出している。
背後から追ってくる賑やかな哄笑と楽の音を殊更無視して、サムドロスは空を仰いだ。
地上を見下ろす月は人間達の喧騒と享楽を尻目に、何を思っていることだろう。
夜風がサムドロスの髪を揺らし、彼はそっと溜息を落とした。
昼と夜吹く風では、どうしてこうも香りが違うのか。
湿ったような生温かい空気が肌にまとわりつく。
――まるで誰かの吐息のような
サムドロスは、不意に父のなぶるような視線を思い出した。
ゾッと肌が粟立つ。
風などいらない。
自分が欲しいのは、闇だけだ。
光も風もない、無で構築された真性の闇。
(お母様…)
生温い風の感触に耐えられなくなり、サムドロスは踵を返そうとした。
だが、すぐ後ろに人がいたらしい。振り返った拍子にぶつかりそうになって、サムドロスはよろめいた。
「おっと…」
わざとらしい声に顔を上げれば、きれいに口髭を整えた四十がらみの男だった。
脂下がった笑い方がやけに鼻につく。丁寧になで付けられた髪からは整髪料の、服からはきつい香水の匂いがした。
それでも男自身の体臭は隠せておらず、無数の香りが混じり合った異臭にサムドロスは顔をしかめた。絡みつくような無遠慮な視線に不快感が募る。
「大丈夫ですか? サムドロス様」
気分の悪さに耐えられず、胡散臭い笑顔を浮かべた男を無視してその脇をすり抜けようとする。
と、肉厚の毛深い手がサムドロスの脇の下に伸び、その二の腕をがっしりとつかんだ。
「!?」
「無視しなくてもいいでしょう」
背後からそう耳元にささやかれ、鳥肌が立つのをサムドロスは感じた。
「…離せ」
「細い腕ですね。女みたいだ」
「!!」
ぶっ叩いてやろうと上げた腕はいとも簡単に捕らえられる。そのままぐっと捻り上げられた。
「っ!」
「お母様に似て美人でいらっしゃる」
品定めする声色を隠そうともせず、男は青ざめたサムドロスの顎に手をかけ、抵抗を許さない強さで上向かせる。
今度は酒臭い息が鼻についた。
「…啼かせてみたいものですな」
――青ざめた相貌、ひそめられた眉に、怯んだ瞳、震える唇から漏れる掠れた吐息に揺れる金糸。
自分を見る男の目が、倣岸なものから好色なものへと変わったのがはっきりとサムドロスには分かった。
無遠慮に腰をなで上げられる。
臀部を行き来する肉の感触。
その目の中にこもる、熱の色。
悪寒が走ると同時に、夢の中の光景がフラッシュバックした。
『お前は私のものだ。私の傍にあればいい。お前の帰る場所などもうないのだから』
――ひどい
『さぁ、そのかわいい顔を見せておくれ』
――いや、誰か助けて
『クリスティーナ、お前は美しい』
――やめて、誰か助けて! 一体私が何をしたというの!?
かさかさに骨ばった男の手が、白く細い手首を捕らえた。
『さぁ、私のためだけに啼いてくれ』
――いやああああああああっ!!!!
(……っ!!)
サムドロスは脂ぎった顔を近づけてきた男の目に憎々しげに唾を吐きかけ、怯んで手を離した男の顔に爪を立てる。
「痛っ!!」
「下衆がっ!!」
吐き捨て、急いで身を翻す。
だが、男は諦めなかった。
怒りに顔を赤らめ、手を伸ばすと、サムドロスの腕をつかみ強引に引き寄せ、露台の手すりへと突き飛ばす。襟口を捻り上げながら、罵声を飛ばした。
「何を偉そうに、この王家の役立たずめっ!! どうせ男の慰みになるぐらいしか能がなかろうがっ! 母と同じく大人しく手篭めにされておればいいものを!」
言葉の卑しさに、サムドロスが絶句した時だった。
「――そこまでにしてもらえませんか」
男の怒鳴り声に反して、ひどく静かな声が落ちた。
いつからそこにいたのか、白い被衣をした娘が背後から、サムドロスをつかむ男の手に長い指をかけている。
男は驚き、娘を凝視したが、相手が力のない女でしかないと確認すると、その顔に醜い笑みを浮かべた。
「サムドロス様、女に頼らなければ己の身一つ守れぬのですか? 仮にも王族。アストラリアの末裔でしょうに…」
なおも言葉を続けようとした時、それを遮るように急な風が吹きつけた。
丹念になで付けた男の髪でさえも蹴散らす勢いの、鋭く切り裂くような風だった。
男は驚いてつかんでいた手を離して、己の頭に手をやる。
冷たい風の中で娘の被っていた布が舞い上がり、その下の顔があらわになった時、男は瞠目した。
「――失せろ」
炯炯と光る紅い眼光の異様さに、男は一気にその顔を青ざめさせると、脱兎の如くに身を翻した。
風が止んだ。
浮き上がっていた被衣は重力に合わせて下に垂れる。
呆然とした様子で手すりに寄りかかっているサムドロスに、サントは近づいた。
「大丈夫ですか」
「っ…余計なことを。女になど助けてもらっても嬉しくない。――消えろ」
「…申し訳ありませんでした」
サントはゆっくりと頭を下げる。
「……消えろと言ったんだ」
だが、彼女は頭を下げたままそこを動こうとはしなかった。
「……何、なんだ、お前は…」
掠れた声に、サントは顔を上げた。
見れば、呼吸が荒い。
サムドロスは咳き込んだ。
口を押さえ背を丸めた相手に、サントは足早に近づき体を支える。そっと喉に手をあてがった。
「ゆっくり息を吸ってください。慌てないで」
女の手が置かれた背中から、温かいものが沁みこんでくる。
その手の動きに合わせて、サムドロスはゆっくりと肺に空気を押し込んだ。呼吸が徐々に楽になる。
サムドロスが息を整えている間サントは彼の言葉を思い出していた。
『美しいですね、リリア様。御髪を彩る挿頭の花も、貴女に飾り立てられることを身に余る誉れだと感じていることでしょう。――いつかは枯れてしまうという運命の中で、最も美しく咲き誇る瞬間を、そのように生きることができて。……うらやましい限りだ』
リリア以外の者はその言葉に含まれた微妙なニュアンスに気がついただろうか。
サムドロスが羨ましいと言ったのは、きっと王女である少女の引き立て役として咲き誇れることにでは、ない。
その花の刹那的な美に生きる生き方を、羨ましいと言ったのだ。
自分も死ぬ前に一花咲かせたい――、サントにはそう聞こえた。
それがたとえすぐに枯れてしまう、一瞬の生であったとしても。
のろのろと顔を上げたサムドロスに、サントはそっと手を離した。
「誰だ、お前…」
「誰でもありません」
「なに?」
「私は誰でもない。何者でもない。存在しない、存在です」
「…王と一緒にいた女だろう」
不審げな視線に、サントは被衣を取った。伏せていた瞼を、そっと上げる。
サムドロスは息を呑み込んだ。
「私が、怖いですか?」
はっとするほど、鮮やかな娘だった。
己とは違う、日に焼けた肌に強い視線。
緋い髪。
紅い目。
絶対的な存在感。
赤く染まった目は真っ直ぐに自分を捉えていた。
己の中の陰惨な部分を、全て見透かされるような気がした。
でも、何故だろう、それが不快ではないのは。
まるで体の中に巣食った癌細胞を、その眼で見抜かれ、その眼光で一瞬にして焼き尽くされていくかのような、マゾヒスティックな高揚感。
ぞくりと背中を這い上がっていく悪寒ではない、何か別の熱のようなものに、サムドロスは震えた。
「――闇の淵にいる人間ほど、太陽の光を渇望している。だが、闇を作るのは光だ。闇がなければ光もまた生まれない。恐れるな。あなたの闇は光と一緒に生きられる」
静かだが、力のある声だった。
「光は常にあなたと共にある。目を背けるな。――あなたは、あなたの母とは違う人間だ」
「な、に…」
「己のために生きろ」
それだけ言うと、持っていた被衣をバッと目の前になびかせた。
風が吹く。
視界いっぱいに白が広がり、そして気がついた時には、娘は現れた時と同じように音もなく消えいていた。
「な、んだったんだ…今のは…」
夢でも見ていたのか。
だが、夢にしてはあまりにもその残滓が強烈だ。
――あなたの闇は光と一緒に生きられる
『あなたは、あなたの母とは違う人間だ』
「っ」
――貴方は何の畏憚なく太陽の恩恵を享受できる人だ
何故かそんな言葉までがよみがえってきて、サムドロスは震えた。
『己のために生きろ』
(おかあさま……)
呆然と己の体を抱きしめた時だった。
「――どうしました? サムドロス様」
闇の底から響いてきたような声に、サムドロスはゾワッと体中の毛穴が開くのを感じた。
カツンカツンと後ろから足音が近づいてくる。
「仕掛けはしてきましたよ。後は、待つだけです」
ニイと唇の端を持ち上げて、男は嗤った。
「…ナ…ギブ…」
「おやおや、どうしました? 真っ青ですよ?」
いつかと同じような台詞に、おどけたように身を竦めるその仕草は、出会った時から変わらない。
「まさか、今更怖気づいたなんて言わないでしょう?」
「…いつから、そこにいた」
「フットワークの軽さが売りなんです」
質問の答えをずらしてナギブはにこりと笑った。
何が面白いのか、この男は絶えず笑っている。だが、その目の奥に底光りするもの。
サムドロスは闇を背負って立つ目の前の男に、初めて得体の知れない恐怖を抱いた。
あの時、へこへこと頭を下げ、自分に対して必死に恐縮しながら愛想笑いを崩さない男に、サムドロスは確かな侮蔑と微かな優越感を抱いた。
何も持たない己に、この男は自ら頭を下げて額づいている。
『このままでよろしいのですか? サムドロス様』
『………なに』
『己を見下ろしてばかりで顧みることのない連中を、見返してやりたいとは思いませんか?』
『……』
『貴方こそがマダリアの正統な継承者。貴方の血は誰よりも高貴で、尊いものです。サムドロス様』
『……ぼくの…血…?』
『ええ、貴方の血。至高の血脈。我が主の求めるもの』
『我が、主?』
『主より、貴方にプレゼントがあります』
そう言って、男は小瓶の中に入った液体を見せた。
『貴方の病を治すもの。これがあれば貴方はそのように一日中寝台の上で死んだように生きなくてもよろしいのですよ』
『……本当、か…?』
『ええ、その代わりに』
『その代わりに?』
『復讐をしたいと、思いませんか?』
にたりと男は笑った。
――『血で繋がった憎しみは途切れない』
薬を呑んだサムドロスの耳元で、呪文のように男は低くささやいた。
「サムドロス」
一向に戻ってこない弟を心配してルスカが足を運んだ時、サムドロスは暗がりの中、一人で何もせず立っていた。
「…サムドロス? …こんな場所にずっといたら体が冷えるよ。中に戻ったほうがいい」
そう言って、ルスカは恐る恐るサムドロスの腕に触れた。
いつもなら邪険に振り払われる手が、打擲されずにいることに軽い驚きを覚えながら、弟の顔を覗き込む。そして、驚きは疑念に変わった。
「――サムドロス?」
サムドロスの目は何も映していなかった。
虚空を見つめたまま何の反応も見せない。
瞳孔が開いていた。
ぽっかりと空いた穴の底のような瞳に、ルスカは震えた。
「サムドロス」
不安に駆られるまま名前を呼んで、腕を揺らした。
サムドロスはようやく気がついたかのように、ルスカを見る。
そして、何も言わずにゆっくりと唇の両端を持ち上げた。
その暗い笑みにひどく胸が騒ぐのを、ルスカは止められなかった。
峻烈【しゅんれつ】…きびしくはげしいこと。
麾下【きか】…指揮下にいる部下。
歩哨【ほしょう】…兵営・陣地の要所に立って警戒・監視の任にあたること。また、その兵。
ぞっとしない…それほど感心したり面白いと思ったりするほどでもない。
繊指【せんし】…ほそくしなやかな指。美人の指。
痴れ者【しれもの】…愚か者。
哄笑【こうしょう】…大口をあけて声高く笑うこと。
脂下がる【やにさがる】…得意げになって、にやにやする。気どって構える。
傲岸【ごうがん】…おごり高ぶってへりくだらないこと。
臀部【でんぶ】…しりの部分。
打擲【ちょうちゃく】…拳や棒などで打ちたたくこと。殴ること。