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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第二章 死者の残影
62/87

40 二人の乙女

「ジュリア様、ジュリア様はどんな音楽が好きですの? 私は…」

「ジュリア様、女性の(たしな)みについてはどうお考えですか…」

 金髪の紳士は華やかな女性達に囲まれ、主の言葉を律儀に守って丁寧にそれらに応対しながら、ちらちらと視線を主の方へと向けていた。

(誰なのだろう、あの娘は)

 親密な雰囲気で体を寄せ合って踊っている。

 なにやら楽しげに会話をしているようだ。王の表情がずいぶんと柔らかい。

 よほど親しい友人の娘なのだろうか、と、ジュリアは娘の強烈な眼光を思い出していた。

 髪の色にも驚いたが、あの目の色には肝を冷やされた。そればかりが印象的で、娘の全体的な容貌が浮かび上がってこない。あの鮮烈な瞳の色が、いつまでも頭の中から離れなかった。

 その時。

「ジュリア様」

 軽やかな声が響いて、ジュリアは振り返った。

 青いドレスに身を包んだ少女が数人の供と現れた。

 胸元から肩にかけて開いたそのドレスは、ふんわりと重なり広がったスカートがゆったりと床まで届くもので、腰に大きなリボンがついている。淡い褐色の髪を丁寧に編み込んで結い上げられた頭には、豪華な赤いメイルスカーレットが一輪挿し込まれており、赤と青の対比が美しい。

 王女の登場に、人々は感嘆の声を上げた。

 うっすらと控えめに施された化粧が初々しく、細い首筋からむき出しになった肩までの曲線はなめらかで、そこから伸びる白い腕は若々しい輝きに満ち目に眩しいほどだった。

 光るような髪に咲いた(あで)やかな赤い花は、少女の可憐な美貌を引き立て(すめらぎ)の花という異称を具現している。

 リリアは王女然として微笑みながら、ジュリアの(もと)へと近づいていった。

 ジュリアの周りにできていた淑女達の輪も、王女の登場には撤退を余儀なくされたようだ。

 (よわい)十四歳の少女はまだ十分あどけない部分もあったが、そこには今花開かんばかりの神聖な美しさがあった。

 瑞瑞(みずみず)しい肌も、色付いた頬も、(きら)めく瞳も、ほころんだ唇も、人々の視線を集めるには十分だ。

 そこには、華がある。

「こ、こんばんは、ジュリア様」

 少し緊張気味に挨拶した王女に対して、先程主の連れていた娘に対してしたのと同じように一礼すると、ジュリアは顔を上げてにこりと笑う。

「驚きました、リリア様。――とても、おきれいです」

 率直だが真心しんしんのこもったその言葉に、リリアの表情は一気に華やいだ。

 おお、という声があちこちで上がる。

「ありがとう」

 先程よりも五割増で香気を飛ばす王女に、周囲の人々は高揚した。ああ、また一段とかぐわしくなられた、というささやきがそこかしこで聞こえてくる。

「陛下よりリリア様のエスコートをするよう頼まれております」

 腰から上体を折り顔を伏せると、ジュリアは白い手袋に覆われた己の右手を優雅に差し出した。

 リリアは少しの躊躇の後、その手に己の手を重ねる。

 微笑むジュリアにぼんやりと見惚れそうになった自分に気が付き、慌てて言葉を紡いだ。

「――そ、そういえば、お父様は?」

「陛下は…」

 視線を遠くに向けたジュリアにリリアも(なら)った。

 視界に、父に手を取られゆったりと踊る女の姿が映ると、ぴくんと肩が上がった。

「…あの方は、どなた?」

「陛下の御友人の御息女でいらっしゃるそうです。リリア様は面識ございませんか?」

「…知らないわ」

 そう言ってジュリアの手をぎゅっと握った。

 それに気がつき、ジュリアはリリアの横顔を見下ろす。ほんの少し、動揺しているようだった。

 不意に顔を上げた視線とぶつかり、ジュリアは束の間逡巡(しゅんじゅん)した。

「あの、挨拶をしてきたいのだけれど…」

 頼りなげな口調に何を求められているのかを察して、ジュリアはそっと己の手をリリアの掌中から外すと、肘を突き出し代わりの場所を作った。

「どうぞ」

 リリアは頬を赤らめ、己のために作られたその場所にそっと手を置く。

 王女の歩幅に合わせて、ジュリアはゆっくりと足を踏み出した。




「今日が満月でなくてよかった」

 サントの呟きにユリウスはその赤く色づいた目を見下ろした。

「初めてのワインの味はどうだった?」

「予想以上に強烈でした。己を手放すほどではありませんが…」

「一()めでか」

「十分です。私達にとっては本来、飲用するものではありませんから。覚醒を(うなが)すにはちょうどよかったようですが」

「酒は香りを楽しむもので、月は光を浴びるもの、か?」

「…そうですね。特に満月の夜は気が(たかぶ)りやすい」

「興味深いな」

「陛下は、」

「ん?」

「…この目が恐ろしくはありませんか?」

「怖いよ」

 サントの肩が揺れた。

「いつの間にか魅入られてしまう。二十年前もそうだった」

「え…」

「サラハと出会ったばかりの頃だったかな。満月の夜だったと思う。目が離せなくなってしまってね。一瞬で、囚われた」

「……」

「君達が月に酔って赤くしたその瞳に、私は酔ってしまったのだろうな」

 黙ったままのサントをユリウスは見下ろした。

「私は好きだよ。君の赤い目も緑の目も。ひどく透き通っていて、全て見透かされているような気持ちになるが、それも慣れれば心地いい」

 笑って言った男に、サントは逆に居心地が悪くなってうつむいた。

 うなだれるようにうつむいてしまったサントにユリウスは動きを止める。どうした、そう尋ねようとした時、

「お父様」

「…リリア」

 ユリウスの呟きにサントは顔を上げた。

 先程挨拶した金髪の親衛隊長にエスコートされる王女の姿が視界に映る。

「お父様ったら、娘の私を差し置いて楽しそうに踊っているのだもの。私がいたことにも気がついていなかったでしょう」

 ぷんと頬を膨らませた娘の言葉が全くの図星だったのでユリウスは苦笑した。

「すまないな、リリア。だが、たまには私以外の者にエスコートされてみるのものいい経験だろう? ジュリアならばお前に変な虫を寄せ付けまいと思ったのだが、気に入らなかったか?」

 リリアは顔を赤くして、父を睨んだ。

「もう! それより先に言うことはないのですか?」

「きれいだよ、私のお姫様。お前の頭上に咲き誇る花神でさえも、お前を引き立てるための飾りでしかない。どんな花もお前の匂やかさには敵うまい」

 ジュリアは感心した。――何故王が言うとこうも説得力があり、しかも自然で、少しも嫌味がないのだろうか、と。

 だが、次に続いた言葉には驚いて身を硬くする。

「…ぐらいのことを、お前の隣にいる男は言ってくれたか?」

「お父様ったら」

 からかわれているのだと気が付き父を()めつけるリリアに、ユリウスはすまんすまんと笑う。

 娘の横で居心地悪げに直立している臣下に、苦笑した。

 場の雰囲気が和やかになってくると、リリアはおもむろに口を開いた。

「それより、お父様、そちらの方を紹介してはくれないの?」

 父の斜め後ろにひっそりと控えていた女に目を向ける。

 それに気がつき、サントはそっと頭を下げた。

「ああ、さっきジュリアにも紹介したが、私の古い友人の娘でな」

「私の知らない方?」

「…ずっと昔の、私が王となる前の頃の、友人だからな」

「…お名前は?」

 王が何かを答える前にサントはゆっくりと口を開いた。

「……サラハ」

「サラハ?」

 横にいるユリウスがほんの少しだけ動揺したのが、サントには分かった。

「お初にお目にかかります、王女殿下。今宵は父の名代としてご招待に(あずか)りました」

 リリアがちらりと父の顔を窺うと、ユリウスは黙ってサラハと名乗ったその娘を見ている。

「…何故、そのような被衣(かずき)を? それではせっかくのお顔もよく見えないわ」

「少々目立つ髪をしているものですから」

「かつらではないの?」

「ええ」

 リリアの質問に答えながら、己がその瞳によって裁定されようとしているのをサントは感じていた。

「珍しいけど、とてもきれいな色をしているわ。隠すことなんかないのに」

「…ありがとうございます。ですが、私自身、この姿があまり好きになれないものですから」

 軽くうつむいてそう言った彼女をリリアは見た。

 (おもて)を伏せているので定かではないが、鼻筋は通っているようだし、輪郭もすっきりときれいだ。背が高く、裳裾(もすそ)を引くほどに丈の長いその装束を綺麗に着こなしていた。どこか異国を感じさせる、他に見ないデザインだったが、奇天烈というほどでもない。

 素直にきれいだと感じた。美しい絹をゆったりと体に巻きつけたようなドレープが優美だ。

 考慮に考慮を重ね緻密な計算のもと、図案を起こして型どおりに作られたようなドレスと違い、()った装飾を省き布の素材をそのまま生かしたような簡素な仕上がりだったが、それが逆に洗練されている。

 丁寧に編みこまれた自分の頭に反して、ゆったりと後ろで軽く束ねてある程度の髪型も異色ではあったが、この衣装には良く似合っていた。頭から(かぶ)った白色の薄紗はその髪の色を薄め、すっぽりと肩を覆って背中に流れ落ち、花嫁のベールのようだ。

 ふと追った視線の先、体の前で重ねられた両手の、左手の薬指に光る青い宝石の輝きが、リリアの目に染み付いた。

 きれいな指輪だ、そう思った時だった。


「――こんばんは、みなさん」


 聞こえてきた声に一同は声の主を振り返った。

「おじ様…それにお兄様」

 振り返った王女に、現れた南領公は息を呑んで立ち止まる。

 リリアが首を傾けると、その愛らしい仕草に、ほんの少しほっとしたように微笑んだ。

「見違えました、リリア様。……王妃様に似てこられましたね。とても、おきれいです」

 優しい瞳で賛辞され、リリアは頬を染めながらありがとうとはにかむ。

「来たか、二人とも」

 王の言葉にルスカは頭を下げる。後ろにいるサムドロスも、兄に倣って軽く会釈した。

 二人の方へと自ら足を進めたリリアの背後に、一瞬だけちらりと主を窺ったジュリアが従った。

「おじ様も、お兄様も素敵だわ」

 ルスカの気遣わしげな視線をきれいに無視して、サムドロスはリリアに微笑む。

「美しいですね、リリア様。御髪(みぐし)を彩る挿頭(かざし)の花も、貴女に飾り立てられることを身に余る誉れだと感じていることでしょう」

 そう言って、豪華な赤い花弁をその白くほっそりとした指で触れた。

「いつかは枯れてしまうという運命の中で、最も美しく咲き誇る瞬間(とき)を、そのように生きることができて。……うらやましい限りだ」

「お、お兄様もよく似合っているわ。もしかして花がお好きでいらっしゃるの?」

 思っても見なかった美辞麗句に戸惑ったりリアは、サムドロスの胸ポケットに挿さった赤い薔薇の花を見てそう言った。

 サムドロスは艶やかな微笑をその顔に浮かべる。

「そうですね、赤い花が好きなようです」


 少し離れた位置からそれらを見ていたサントは、おもむろに口を開いた。

「あの方々は…」

「二人とも、私の従兄弟だ」

「…そうでしたか」

 納得の響きを持つその声に、ユリウスはサントを見た。

 すると、サントは不意に首を動かした。どうした、またもやそう尋ねようとして、その視線の先に遠巻きにこちらの様子を見ている一人の貴婦人を見つけ、ユリウスは軽く目を見開く。

「エリス殿…」

 エリスはユリウスの視線に気がついたのか、深々と一礼した。

「あの二人の母だ」

「……二人の?」

 エリスに会釈を返し、じっとエリスの方を眺めているサントを怪訝に思ったユリウスが、不発に終わった三度目の「どうした」に挑戦しようとした時、

「…異腹、ですか?」

 的確な指摘にユリウスは驚く。

「似ていないからか?」

 兄であるルスカとエリスには血縁を感じさせるものがあったが、弟のサムドロスにはそれがない。視力のいいサントのことだ、離れたところに立つエリスにも、それを感じることはできるだろうと。

 だが、その答えは少しだけ当てが外れた。

「それもありますが…」

「なんだ?」

 サントはユリウスを見上げた。

 続く答えにユリウスは瞠目する。

「サムドロス様と少しだけお話をさせていただきました」

「…いつ」

「ほんの数日前です。陛下にお願いして、下界の地理を調べさて貰っていた折に、あの方が入ってきて…」

「それで?」

「具合が悪かったようで、私の姿を見て気を失ってしまったものですから、介抱してさしあげたのですが……」

「…なるほど」

「その時は陛下の従兄弟殿とは気付きませんでした」

「…彼は、話したのか?」

「…昔話を」

「?」

「昔話をしてやろうか、と」

「昔話?」

「…王の息子に全てを奪われた哀れな少女の話です」

 ユリウスは沈黙した。

「ご自分の両親のことだとはおっしゃりませんでしたが」

「……そうか」

 重苦しい沈黙の後、ユリウスは口を開いた。

「その、王の息子とは、私の伯父だ」

 ユリウスはサントを見下ろす。

「…彼を、どう感じた?」

 真摯(しんし)な視線を受け、サントはうつむいた。

「……繊細な人だと」

「…そうだな」

「それから…」

 押し黙ってしまったサントにユリウスは先を促す。

「それから?」

「…同じだと」

「同じ…?」

 怪訝そうに眉根を寄せたユリウスは、次の言葉に目を見開いた。


「――彼と、私は、同じものです」


「それはどういう…」

 だが、サントはもう何も答えようとしなかった。

 表面上は王女と楽しげに話しているサムドロスを、ただじっと見つめていた。

ドレープ…布の垂れ具合。ひだ。また、優美なひだを作りながら服を作る技法。

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