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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第二章 死者の残影
56/87

34 昔語り

「お父様? どうしたの?」

 リリアはドミニカを帰してしまった父を訝しげに見上げた。

 だが、彼は無言で己の頭をなでるだけだ。

 リリアはその視線をルスカに転ずる。

「…おじ様の弟には会えない?」

「いいえ、しかし今は行方不明でして…」

 ルスカはちょっと苦笑して言った。

 リリアは目を丸くする。

「リリア、少し話をしようか」

 そんな彼女にユリウスは優しく笑ってそう言うと、娘の背を(うなが)した。


†††


「まぎらわしい格好をしている」

 ぽつりと呟かれてサントはサムドロスを見た。

「まぎらわしい、とは?」

 怪しいと言われることがあっても、まぎらわしいと言われるのは初めてだ。

 サムドロスはじっと(ひざまず)くサントを見ていたかと思うと、不意に椅子の上を移動して、ポンと己の隣の座を叩いた。

 無言で見つめられ、サントはためらったものの、失礼しますと言ってその隣に腰を掛ける。

 サムドロスは視線を外し、顔を前に据えるとこう言った。

「死神かと、思った」

 居心地悪げにサントが隣で身じろぎしたのを感じて、サムドロスは微かに自嘲の笑みを浮かべた。

「昔は黒い幻影をよく見た。幼い頃はいつ自分はあの闇の中に飲み込まれてしまうのだろうと、ビクビクしてばかりいた気がする。お前みたいにはっきりと見えたのは初めてだったから、ついに自分を迎えに来たのかと思ったんだ。馬鹿なことをと思うだろうが…」

「……お体が、悪いのですか?」

「……そうだな。人生の大半を寝台の上で過ごしてきた。大人になるまで生きられないだろうとも言われていた。…どうせ死ぬなら、最期に己の生きた証をどこかに刻みたいと、いつからかそう思うようになった」

 どこを見ているのか分からない眼差しでそう言うサムドロスをサントはじっと見つめる。

 それに気がついたサムドロスはサントを振り返り、やはり何を考えているのか分からない真顔でこう言った。

 昔話をしてやろうか、と。




 ――『ある所に美しい少女がいました。

  冴え冴えとした薄い金糸の髪、骨のように白い肌、大きな灰色の目、』


 サムドロスは己の指を()めつ(すが)めつ、見る。


 ――『細い身体……』


 自嘲するように鼻で笑った。


 ――『触れれば折れてしまいそうな繊細な美貌の持ち主で、夢物語に出てくる妖精のようにとても儚げな少女でした』


†††


「サムドロスは、ルスカの腹違いの弟なんだ」

 ソファーに腰掛けながら言った父の言葉にリリアはちょっとだけ目を見開いてルスカを見た。

 ルスカは淋しげな笑みを浮かべていた。


†††


 ――『生まれつき身体が弱かった少女は、寝台に横になりながら、窓から見える狭い青空をその瞳に映しては、外の世界に思いを馳せました。いつか自分を、大きな青空の下へと救い出してくれる王子様を夢見ながら…』


†††


「サムドロスの母は王族の末席に系譜を連ねる、一地方貴族の娘だった。小さな土地を治める彼女の父親は領民に慕われるよい領主だったそうだ」


†††


 ――『ある日、少女の暮らす館に来客がありました。

  近くにお忍びで遊興に来ていたやんごとない身分の一団が、急な天候の悪化のため、一晩の宿を請うてきたのです。

  少女の父親であった館の主は快くその求めに応じて、彼らを歓待しました。

  一団の主は、その国の王の息子でした』


†††


「今のネグロスの辺りを領地としていたそうです」

「ネグロスって、保養地として有名な?」

「ええ、そうです。よく勉強しておられますね、リリア様」

 リリアははにかみながら、続けた。

「おじ様の治めるスクワード領よね。ええと、確か旧称がエーレブルーと言って、空の色がとてもきれいな場所だって、シモンが言っていたわ。でも、昔災厄があって亡びてしまったって……」

 ルスカの表情は暗くなった。

「エーレの悲劇と、そう言われています。その災厄が起こった年、降雨の少ない時期であったのに、しばらく雨がやまなかったそうです。まるで天が泣いているようだと」

「その話も聞いたわ。エーレブルーの涙。人々は雨が降っている間ずっと、空と一緒に悼惜(ついせき)に明け暮れたって。でもいったいなんで亡びてしまったのかしら?」

「……」

 押し黙ったルスカに気付かず、リリアは続ける。

「シモンは珍しく答えに窮して、彼にも知らないことがあるんだって、少しホッとしたのを覚えているの。だってシモンてば本当に何でも知っているんだもの。何を訊いても簡単に答えるし、嫌なくらい教育熱心だから、我が国の文博士(ぶんはくし)は本当に優秀ねって嫌みで言ってみたら、『(せつ)のような駑馬(どば)も鞭を打たれてここに至ったのですから、リリア様のような育ちのよい駿馬(サラブレッド)鞭撻(べんたつ)すれば拙などよりも遥かに明敏になるでしょう』だって。私、シモンにだけは口で勝てないと思ったわ。とりようによってはかなり不遜な発言なのに、あの完璧な笑顔には何も言い返せなかったの」

 話の逸れたリリアの小言に、友人であるシモンと王女のやり取りが目に浮かんできて、ルスカは思わず笑った。少しだけ胸のつかえが取れた気がして、ルスカは言う。

「それは、知らなかったのではなく憚ったのでしょう。私も彼とは親しい間柄ですから」

「憚るって何を? おじ様と仲がいいのが何の関係があるの?」

 ルスカは愁眉を保ったまま、口の端でかろうじて笑みを作った。


†††


 ――『王の息子は館の主の饗宴に快く酔いました。

  そしてその酒の席で、主には病床の美しい娘がいることを知ります。

  彼は好色な男でした。

  当然のように、人前に出されずひっそりと隠されている深窓の美姫に興味を持ちました。

  彼はこっそりと酒席を抜けて主の娘に近づき、そして一目見るなり、少女の儚げな美しさに、一瞬で心を奪われてしまったのです』


「男がどうしたと思う?」

 サムドロスはサントの方を向いて、尋ねた。

 その顔は笑ってはいたが、ほとんど冷笑に近かった。

 ヒヤリとしたものを覚えながら、サントは自分の心臓がうるさく騒ぎ始めるのを感じていた。

 サムドロスは冷めた目でそれでも口元に笑みを結びながら、言った。

「心を奪われた代わりに、そのまま彼女の身体を奪い返したのさ」


†††


「今はない私の父は、エーレブルーを治めていた領主の娘に心を奪われ、彼女を自分のものにしようとしました。当時、彼女は十四歳。父は既に盛りも過ぎよう四十七歳でした。その時、この城にいた私は七歳だった」

 リリアはその言葉に息を呑み込んだ。


†††


 ――『泣き叫ぶ少女を男は無理矢理犯しました。

  そして、懇願する館の主夫妻を足蹴にして、自らの城に持ち帰ったのです。

  もちろん館の主は娘を帰してくれと、城まで嘆願しに行きました。

  ですが、王の息子は館の主を顧みようとはしませんでした。

  それどころか、しつこく食い下がる主についには怒りを発し、館に火をつけ、少女の一家眷属(いっかけんぞく)を殺し尽くしてしまたのです。

  少女の帰る場所を王の息子は奪い、そして彼女を己の第二妃に迎えました。

  彼は正妻を遠ざけ、少女一人を盲愛しました。

  少女は十四歳で男児を産み、その三年後、一度も故郷の空を見ることなく、ついに病で死んでしまいました』


†††


「エーレブルーの領城とそこに住んでいた人々は、大事な娘を奪われたと直訴したことによって、癇癖(かんぺき)の強かった父の怒りに触れ、殺されました。エーレブルーが滅んだのは、私の父の理不尽な行いによるのです」

「……そんな…」

「…そうやって強引に奪った娘を、父は第二妃に据えました。そして、彼女は十四歳で、私の異母弟に当たるサムドロスを産んだ…」

 リリアは己の口を両手で覆った。

 十四歳というと、今の自分と同じ年齢ではないか。

 ショックで青ざめた娘の肩を、ユリウスは横からそっと抱き寄せた。

「娘の名前をクリスティーナと言います。父はクリスティーナ様を偏愛しました。その愛し方は、まるで羽をもいだ小鳥を尚も、鳥かごの中に閉じ込めて可愛がるようなものでした。そうして、彼女はもとから丈夫ではなかった体を更に壊し、篤い病の床に()すようになりました。サムドロスがやっと三つになった頃、彼女はそのまま城のベッドの上で亡くなりました」


†††


「わずか十七歳だったそうだ……」

 無表情で、サムドロスは言った。

「……」

「寵妃を亡くした男は、今度はその息子に異常なほどの執着心を見せた。彼は母に似た息子に、母の代わりを求めようとしたんだよ」


 ――『ドリー』

 今でも聞こえる。

 ――『ドリー、私のドリー、クリスティーナにそっくりだ』

 父の妄執に囚われたまま抜け出すことのできない淀みきった闇の中、己を無表情に見下ろす少女の顔がある。


「男は息子が十歳になった時、事故で死んだ。少女の呪いだろうと、城の者は噂し合ったよ。……そして、その子供は今でも夢を見る。自分とよく似た面差しの少女が、ただ無表情に己を見つめている夢だ。自分と同じ、くすんだ灰色の目を逸らすことなく、」

「もういいです」

 硬質な声で遮られ、サムドロスは一拍おいてから、肩を竦めた。

「…まぁ、愉快な話ではないね」

「……貴方はその男を恨んでいるのですか?」

「……どうだろうね」

 愛してはいない。父は全く救いようのない人間だった。

 そして、母も自分を愛してはいなかった。赤ん坊だった自分を一度として抱き上げることをしなかったと聞く。

 十四歳の少女が己の父ほどに年の離れた男に組み伏せられ、まだ咲いてもいなかった花を乱暴にむしり取られるのは、どれだけの恐怖を伴う体験だっただろう。そして、その子供を身ごもってしまった時の絶望は。

 男である自分には一生分からない。

 彼女はその絶望の中で覚ったはずだ。

 彼女がずっと夢見ていた、本の中に出てくるような王子様など、どこにも存在しないのだと。

 現実に現れたのは、空想の王子とは百八十度違うが、本物の王子だった。

 寝台の上で自分の想像していた外の世界と現実との違いに、彼女は何を思っただろう。

 こんなにも世界が残酷にできていると知っていたら、外の世界など望まなかっただろうに。

 だが、望むと望まずとに関らず、彼女は全てを奪われたのだ。

 絶望の末、少女は空を見ることをやめた。

 見たところで、羽をむしり取られた哀れな鳥は青空の中に帰っていくことはできない。

 青い空が、ひどく、無慈悲なものに思えただろう。

 あの空は、自分以外の者にはあんなにも晴れやかな笑顔を与えるのに、自分にはそれを与えてくれないのだ。

 昔からずっとそうだった。

 ならば、もう二度と空を見上げることはしまい。

 突き放すような空の青さは、見ていても苦しくなるだけなのだから。

 そうして彼女はその瞳に、空の色を映すことをやめた。

 きっとそれからだ。まるで、人形のように彼女が感情を失くしてしまったのは。

 空を眺めることを止め、夢を見ることもしなくなった。

 そして代わりに、闇の中で虚空を見つめ、感情を捨てて、人形になることを選んだ。

 肖像画の中の鉛灰色(えんかいしょく)の瞳が、それを如実に告げている。


 彼女から空を奪ったのは、紛れもなく、自分の父親だった人間だ。

 サムドロスはその事実を他人事のように感じながら、同時にそれに縛られている自分を知っている。そして、そんな自分を彼は嘲笑せずにはいられないのだ。

 そんな考えに知らず没頭していたサムドロスは、隣で己をじっと見つめる視線に気付かない。

「――自ら闇に堕ちる必要はない」

 唐突に耳に響いた静かな声音に、サムドロスは己の隣を見やった。

「何の話だ」

 それに答えず、ゆっくりと椅子から立ち上がると、サントは窓際へと足を進めた。

 訝しむサムドロスを顧みることなく、厚い窓掛(カーテン)と一緒に、窓を思いっきり開け放つ。

「!?」

 突然の光量と風力とに、サムドロスは驚いて目の前を手で覆った。

「望むと望まずとに関らず、生まれながらに父親から背負わされた業は、決して軽いものではない。それでも――、」

 瞼の上に感じる光と風に、恐る恐ると瞼を上げる。

「貴方はなんの畏憚(いたん)なく太陽の恩恵を享受できる人だ」

「……」

「青空の下で自由に生きられる」

 細めた目の先に、黒い影を縁取って目映いばかりの光があった。

 ささめくような風が、彼の髪を吹き流す。

 導くような光の(しるべ)

 誘うような風のささやき

 眩しい、とサムドロスは思った。それはとても眩しい世界だ。

「なにを…」

 だが、突然の変化に混乱が治まってくると、ふつふつとした暗い怒りが湧いてきた。

 分かったようなことを言うな。

 そんなものは、夢の中の幻だ。

 そんなものを、自分は望んだりしない。

 そんなものに、心惹かれたりしない。

 それは自分とは相容れない、(あだ)に他ならない。

 サムドロスはきっ、と光の中に浮かび上がる影を睨んだ。

「…貴様に何が分かる」

「分かります」

「なに?」

「貴方の目は暗闇の中では雲に閉ざされているが、光の下に出れば青空が覗く。きれいな青灰色(せいかいしょく)だ」

 サムドロスは目を見開いた。

 陽射しを受けてその虹彩は、暗い灰色ではなく、うっすらと青い光を放っている。

 けぶるような、薄い青。

「薄曇りの中に垣間見える、清麗な冬色の空だ」

「……ばかばか、しい」

 サムドロスは吐き捨てた。

 光に背を向け、足音荒くその部屋の出口に向かう。

 その最後の一言が、みっともなく震えていたことを殊更気にかけないようにしながら。


 バタンとドアが閉ざされるのを見届けてから、サントは己の背後を振り返った。

 闇の淵にいる人間ほど、心の底では太陽の光を渇望している。

「私は…」

 続く言の葉は折から吹いた風に(さら)われて、留まることなく消えていった。

悼惜【ついせき】…死後その人をいたみおしむこと。

駑馬【どば】…歩みののろい馬。鈍い馬。才のにぶい人のたとえ。駑才。

駑馬に鞭打つ【どばにむちうつ】…才能もないが努力する。謙遜していう。

鞭撻【べんたつ】…むちうつこと。いましめはげますこと。

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