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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第二章 死者の残影
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32 義兄と実弟

「兄さん? 何か僕の顔についてますか?」

 ルスカは己をじっと見るユリウスに尋ねた。

「……いや、お前、今年でいくつになる?」

「ええと、三十五になります」

「……やはり、見えんな」

 そう言われてルスカはつい苦笑を零した。

「それは陛下も同様だと思いますが。どうやら私達の引く血は少々若作り仕様になっているらしいと、最近気がつきました」

 ユリウスは、ああそう言われればそうかもしれない、とその言葉に笑った。

 既に青年の域を脱しているはずの南領公はしかし、その実年齢と容姿がかみ合ってはいなかった。十数年前、この城から出て行った頃からそれほど老いた印象は見受けられない。

 ルスカの栗色の髪は、ユリウスのそれよりも色が薄く柔らかい巻き毛で、眉尻の下がった彼の柔和な顔立ちを一層穏和に見せていた。

 春風駘蕩しゅんぷうたいとうとして、一見して人がよいと分かるこの男は、自然と周囲に安堵と好感を抱かせる、――そんな徳を持っている。彼の持つ空気の柔らかさが威圧感を排するためだろう、貫禄や精悍という言葉は似つかない。

 (ゆえ)にその外見と性情から侮られることもあるが、いざという時、その瞳の中の智の光が他を圧するほどに大きく輝くことを、ユリウスは知っている。

 武将然としたユリウスと文人気質のルスカは、雰囲気も体格も容貌もまるで似通ってはいなかったが、親しげに話しながら歩く姿は年の離れた仲のよい兄弟のようにも見えた。

 弟探しを中断させて、今二人は立ち話もなんだからとルスカの部屋に向かっていた。


「それで、どうした?」

 部屋に着き椅子に腰掛けるなり言ったユリウスに、ルスカは首をひねる。

「何がですか?」

「――胸の内に何か抱えている、そういう顔をしている」

 いきなりずばりと言われたその台詞に、ルスカは苦笑を禁じえない。

 少し話さないかと、ユリウスから言われた時点でなんとなく予想はしていた。伊達に主である男を兄とは呼んではいない。

 だが、それ以上に敏感に人の機微(きび)を察するユリウスは、兄というよりは王たる人間のようであった。

「陛下には隠し事ができないから困ります」

「口を出さなくてもいいと感じた時は、黙止に徹しているぞ」

 ということは、今回はそうは見えなかったのか。

「どっちにしろ、隠し事ができてないことには変わりないではありませんか」

 そんなに自分は分かりやすいだろうかと、主と対したことがある人間なら一度は思ったことがあるだろう。ルスカはそう思い、やはり苦笑するしかなかった。

「何だ、そんなに私に後ろ暗いことでもあるのか?」

「まさか。その逆だから困っているんです」

 ユリウスは、ん? と眉をひそめた。

「陛下にそういう指摘をされると、ひどく安心するんですよ。ですが、これは僕が貴方に甘えているという証拠に他ならない。陛下に負担をかけてばかりなのではないかと思うと心苦しいのです。……ただでさえ兄さんは目が利きすぎるのだから、周囲はつい頼りたくなってしまう。そんな自分の弱い心を、僕は戒めなければなりません」

 主に見透かされる感覚は決して気まずいだけのものではなく、ひどく安堵できる瞬間でもあった。

 ああ、この人はちゃんと自分を見てくれているのだと。

 己を真に理解し認めてくれる存在、そんな人間に出会うことができた自分は本当に幸福だと、ルスカは思う。

 ユリウスは嘆息した。

「まったくもってお前らしい言い分だな。だが、自分のために尽くしてくれる重臣を労わるのは王として当然の務めだろう。それに私は弟の悩み一つ聞いてやれないほど狭量(きょうりょう)な人間ではないつもりだが?」

「陛下を狭量だなんて言う人間はこの世にはいません。もしそう言う者があったとしたら、その人間こそが間違いなく世界で一番の狭量者でしょう」

「あまり持ち上げるな」

「兄さんこそ、あまり僕を甘やかさないでください。僕は貴方の言葉にすぐ泣いてしまうんですから」

「しつこいほど言うぐらいが、お前にはちょうどいいだろう。早く吐け。この言い合いほど不毛なものもないぞ。年々頑固になっているような気がするのは気のせいか?」

「真に温厚な人間には頑固な心も必要だと教えてくれたのは、陛下ではないですか」

 笑って言ったルスカに、虚を衝かれたような顔をした後、一本取られたとユリウスも苦笑を返す。

 そしてしんみりと呟いた。

「…たくましくなったものだ」

「ひとえに陛下のおかげです」

「お前が言うと全然嫌みに聞こえないから不思議だな」

「真心からの言葉ですが」

 そう言うと、何故かユリウスは愉快そうに笑った。

「パジェスにも見習って欲しいものだ」

 その言葉の意味するところを悟って、パジェス殿も苦労してそうだなと、ルスカは苦笑する。

 確かに、旧套(きゅうとう)墨守(ぼくしゅ)志操(しそう)堅固(けんご)の節のあるあの大老には、いささか奔放すぎる王に、そのような嫌みを言いたくなることもあるのだろう。想像に難くない。

「パジェスの奴は頭が固くてな。あいつは眉をひそめるばかりで、あまりのってこんのだ」

「それはそれで楽しいのではないのですか?」

「まぁな。お前とのこういった掛け合いも好きだが」

「知っています。僕も楽しいですから。ですが、後で一人になった時、やはり不遜(ふそん)だったかもしれないと後悔に胸を焦がして眠れなくなるのは、僕だけなのでしょうね」

 苦笑しながらの告白に、ユリウスは目を見開くと、それはすまんなと呵呵(かか)と笑った。

「さて、」

 よほどルスカの言葉が面白かったのか、十分に笑った後、ユリウスは深呼吸してから、表情を改める。

「そろそろ話せ、ルスカ」

 ルスカも笑みを引っ込めた。

 聞いてくれるというのなら聞いてもらったほうがいいのかもしれない。自分ではどうやら事態が好転する機会を見つけられそうにないのだから。

 そう心を決めて、ルスカは兄とも慕うユリウスを見る。

「実は……」

 サムドロスを見つける前に主に見つけられてよかったのかもしれないと、彼は重い口を開いた。






 彼は一人、人気のないその回廊を蹌踉(そうろう)とした足取りで歩いていた。

 一歩一歩、足を地に着けることをためらうかのようなその歩みは確固とは言いがたい。まるで現世(うつしよ)にさまよう幽鬼のような趣だった。

 顔の横に流れ落ちる長い髪は薄い金。冬の早朝、朝曇りの中の()てつく空気に降り注ぐ薄い陽射しが、地面に張った薄氷に反射してきらきら透き通るような光を放つ。そんな冴え冴えとした淡い金色だ。顎は尖って細く、蒼白い横顔はほとんど血の気が通ってないように見える。顔のつくりは、儚いほどに繊細だった。

 〝儚げ〟

 それが彼の存在をこれ以上とないほど的確に表現する言葉だっただろう。全てが薄い。髪の色も肌の色も。――その生気さえも。

 それは、彼を産んだ(ひと)にも共通するものだった。というより、彼のその儚さは、その(ひと)からそのまま受け継いだものだ。

 〝儚い中にある、悲愴なほどの美しさ〟

 彼は、チッと舌打ちした。

 その(おもて)には、繊細な容貌には似つかわしくない、険しい色が浮かんでいた。

 くっきりと刻まれた眉間のしわが彼の不興を如実に示している。こめかみはピクピクと神経質に震えていた。

 彼の脳裏に、人々の驚愕がよみがえった。

『……クリスティーナ様?』

 まるで、亡霊を目にしたかのような顔で、その名を零す。

 その度に彼はピクリとこめかみを震わせ、まるで獣が威嚇(いかく)するような視線を一人一人に送った。

(男と女の区別もつかないのか、下愚(かぐ)どもが!!)

 だが、人々が間違えてしまうほどに彼はクリスティーナに生き写しだった。

 薄命の佳人だった彼女の写し身として生まれた彼は、お世辞にも男らしいとは言えない。女性よりは高いと言えるかもしれない身長はしかし、長身の多いマダリアの男達の中ではやはり小柄な方だったし、細く華奢な体は女性のものとさして変わらないだろう。長い髪を灰色のリボンでひとつにまとめ、幾筋かほつれて揺れる絹糸のようなその髪は、ゆらゆらと空中を漂っていかにも頼りなげな風情をかもし出している。

 容姿だけではなく、脆弱なその身もクリスティーナから受け継いでしまったがために、彼は幼い頃からベッドから起き上がることを許されなかった。

 そして、日がな一日ベッドの中で過ごす彼に、彼の父親はその耳元で毎日毎日ささやいた。

 ――『ドリー、お前はお前の母に似て美しい』

 父の目は己の息子を見る目ではなかった。

 ――『お前は美しい、ドリー。クリスティーナにそっくりだ』

 寝台に横たわる青白い頬をなで、青い血管が浮かび上がるほど透き通っているその肌に熱い息を吹きかける。

 ――『もう少しの辛抱だよ、ドリー。(じき)に全てがお前のものになる。分かるかい? ここに流れるお前の血は誰よりも高貴で、尊いものだ。お前はいずれ、この国の王になる。私が、王にしてやろう。だから、サムドロス……』


 ――いつまでもずっと私の傍にいておくれ


「黙れ、亡霊がっ!!」

 サムドロスは自分の口から出た声の大きさによろめき、壁に寄りかかった。

(……クソッ!)

 十数年ぶりに訪れた生家であるはずの城は、少しも過ごしよくはなかった。

 あてがわれた部屋は、誰が気を使ったのかは知らないが、己が昔使っていた部屋そのもので、そこで幼い頃と同じ寝台に横になれば見える風景はかつて見飽きたものと寸分(すんぶん)(たが)うことなく、否応なしに幼少時代を思い起こさせられた。彼が散策を口実に部屋を出てきたのも、変に昔のことを思い出すのが嫌だったからだ。

 サムドロスは嘲笑した。

 過去を振り返ったところで、少しもいい思い出など出てこないのだから、いくら生家であろうとも過ごし易いはずがないのだ。自分の記憶はベッドの上から見える狭い世界と、自分を見下ろす父親の顔、そして不特定多数の哀れみと興味本位の眼差し――、それ以外にはない。

 じわじわと忍び寄る熱がある。

 それは自分の体温が亢進(こうしん)しているせいなのか、(ふく)れあがる訳の分からない焦燥感と苛立ちによるものなか、サムドロスには分からない。

 ただ、先ほどから自分の中に流れる血をひどく熱く感じていた。

 耳元で、体内の血潮が必死になって全身を駆け巡っている音が聞こえている。

(体が熱い…)

 片手をついてだるい体を支えながら、不意にうつむけていた顔を上げた。

 だがその瞬間、サムドロスは刹那(せつな)に凍りついた。

 向かいの窓硝子(ガラス)から、見知らぬ少女がじっとこちらを見つめている。

 薄い金の髪を垂らした、肌の白いひどく華奢な少女だ。

 長い睫毛に縁取られた灰色の目は、こちらを(とら)えているようでまるで空っぽだった。


 ――人形のように美しい、額の中に閉じ込められた永遠の少女――


 ポン、と肩を叩かれた。

「……!!?」

 声にならない悲鳴を上げて、反射的に背後を振り返った先に一人の男が立っている。

「大丈夫ですか、サムドロス様。ご気分が優れぬようですが」

「…お、前…」

「どうしました? 幽霊でも見たような顔をしてますよ」

 言われてバッと窓硝子を振り返る。

 だが、そこには血色の悪い男の顔が映っているだけだった。

(……幻覚、だ)

 凍りついた心臓が急に蘇生したかのように、うるさく脈打つ。

 サムドロスは深呼吸をした。

(……まだ本調子じゃないから…頭がぼうっとしてたんだ…)

 そう言い聞かせながら、さっき映っていた少女と今映っている男の顔がひどく似通っていたことを彼は無視した。

「本当に大丈夫ですか? 何なら人を呼びますが」

 だが、そう言葉を発した男の顔は口に言うほど、サムドロスの心配をしてはいなかった。何が楽しいのか、にこにこと笑っている。

 それに呆れながらも、サムドロスは答える。

「いい。…それより、どうやってここに?」

「私も、ツテを作りましてね。今日はその人にくっついてきました。貴方がもう滞在していると聞いて、挨拶ぐらいしておこうかと」

「……ずいぶん外が騒がしくなっているようだ。下手を打って見つかるなよ」

「ええ、ものものしい警備ですね。ですがこちらもちょうどいい隠れ蓑を見つけたので心配には及びません」

「…うまく、いくのだろうな」

「ご心配なく。当初の予定とは多少異なりますが、終幕(フィナーレ)に変更はありません。なかなか面白い見世物になると思いますよ」

「…そうか」

「おや、浮かぬご様子で。てっきり喜んでくれると思いましたが。それとも、本当に具合が悪いのですか?」

 道化のように、大げさに驚いて見せてから、男はサムドロスの顔を覗き込んだ。

 それを、煩わしげにサムドロスは退ける。

「考え事をしていただけだ」

「そうですか。ちゃんと薬飲んでくださいよ。あれは精神安定剤にもなる万能薬ですから。ここに来て神経質(ナーバス)になっているようですね」

「分かっている。もう行け。人に見られたくない」

「はいはい、分かりました。それではまた後日。くれぐれもお体には気をつけて」

 そう言うと男は軽やかに身を(ひるがえ)し、颯爽(さっそう)とした足取りで急速に視界の端へと消えていく。

「……心にもない」

 悪寒と眩暈(めまい)に耐えながら、呟くような小さな声で、サムドロスは吐き捨てた。

春風駘蕩【しゅんぷうたいとう】…暖かい春の風が穏やかに吹くようす。転じて人柄が温厚でおおらかなようす。

狭量【きょうりょう】…人を受け入れる心の狭いこと。

旧套墨守【きゅうとうぼくしゅ】…古い習慣や形式をかたく守り続けること。

志操堅固【しそうけんご】…自分の主義・信条などを堅く守り続けること。

蹌踉【そうろう】…よろめくさま。

下愚【かぐ】…きわめて愚かなこと・人。

亢進【こうしん】…たかぶり進むこと。

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