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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第二章 死者の残影
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30 兄弟の契り・前編

『ついに、ここまで辿りついたな』

『全て陛下のおかげです』

 上段から自分を見下ろす主にそう答えた青年の顔は、数年前、彼がまだ少年と呼べる年齢だった頃のものと微妙に(おもむき)を異にしていた。

 温順そうな気配は昔のままだ。だが、追い詰められた末に決死の勇を振るった狂熱の面影は、最早その瞳のどこにも見当たらない。かわりに、数年前に感じられた、理知の光、それがより大きく(きら)めいている。

 王は笑った。

『成長したな、ルスカ』

 ルスカは控えめにだが、(おも)(はゆ)そうな笑みを浮かべた。

 彼は、熱心に仕事に励み、無駄を省いて倹約に努め、彼の父とは全く正反対の生き方を選んだ。

 そして、明日、生家であるこの城を出て、王の任命により南の地へと(おもむ)く。

『今の私があるのは、全て陛下のおかげです。陛下が私の罪を背負うと言ってくれたように、今度は私が陛下の(おん)(ため)にこの身命(しんめい)を捧げましょう。南領公という大役、尸位素餐しいそさんの汚名を受けることのないよう、忠を尽くして国に報いる所存です』

『私は何も憂慮していない。お前はお前のすべきことをすればそれでいい』

 自信たっぷりに笑うその顔に、ルスカは胸が熱くなるのを感じた。

 ここに至るまでの歳月を思い、己を見捨てることなく信じて見守ってくれていた主の恩情に報いるために、何よりかつて(うしな)った民のため、今生きる民のために、己の全てを尽くそうと、ルスカは思う。

 これから、己の本当の贖罪(しょくざい)が始まるのだ。不惜(ふしゃく)身命(しんみょう)滅私(めっし)奉公(ぼうこう)する覚悟がルスカにはあった。そして少しでも、主のその負担を自分が軽くしてやれればいいと、願う。

『陛下の大恩、決して忘れはいたしません。臣のような駑才どさい臣僚(しんりょう)に加えて頂いたこと、その駑才のもうひらいて導いてくれたこと、数え上げればきりがありませんが、それら全ての恩に報いるために、陛下の手となり足となり、臣道を尽くしたいと思います』

 真摯(しんし)な言葉に、真摯な視線が返った。

『……ルスカ、私がかつてお前に私の純臣となれと言ったことを、覚えているか?』

 ――己の能力で、正当な評価を得て、私の純臣となれ

『もちろんです、陛下』

 あの時のそれらの言葉がどれだけ自分を励ます力になったか分からない。

 この七年間は、ただ主の期待に(こた)えたいと、その一心だった。忘れるわけがないと、ルスカは即答を返した。

『では、君主にとって、真の純臣とは何だと思う?』

 さらりと問われ、ルスカは目を瞬かせる。

 きらりと主の目が光ったことに気がついたルスカは、その質問が、二人の間で幾度となく行われてきた問答の一つだということを(さと)る。

 こういう言い方をする時、大抵主には考定された〝答え〟が既に用意されている。だが、主はその答えを最初から開陳(かいちん)することはあまりしない。問いに対して、個人が己の頭で考え、臣が自ら啓発していく形を好むからだ。たとえ、想定された答えと違うものが返ってきたとしても、直截(ちょくさい)にその答えを否定したりせず、その矛盾点や盲点を指摘することで、より正しい答えに自力で辿り着けるように導いた。

 自分で自覚することに勝るものはない。その強みを王である彼は知っていた。また用意された答えをただ与えるよりも、盛んに意見を交換することで自ら考え答えを模索する方が、より深い理解に(つな)がるものだ。ルスカ挙用の時の諸官に対する彼の対応がそれらのいい例だった。――王の独断に寄らず、諸官との論断により問題の解決の道を探すのが、ユリウスの施政の基本姿勢(スタンス)だった。

 〝真の純臣〟

 君主にとって真実、純忠のある臣とは何か。

 ルスカはこういう時、毎回主が自分に求めているのが何なのかを考えるようにしていた。

 主との問答によって導かれる答えは、大抵自身に対する忠告であったり、訓示であることが多かったからだ。

 四大公の一に数えられることになった自分に、王が求める忠義とはなんであろうか。離れていても変わらない忠誠? 安分(あんぶん)守己(しゅき)の精神、己の分際に満足して臣下としての本分を守れというところだろうか……、だが今更そんな指摘を主がするとも思えない。この四大公の選任は元からそういった適正のある者が選ばれているはずだからだ。

 思考の渦にはまったルスカに、王は言った。

『優れた臣下の定義をお前は何に求める? 自らが王であった時のことを思い出せばいい』

 その言葉に、ルスカの頭の中に(ひらめ)いた一句があった。

『千人の諾諾だくだくは一士の諤諤がくがく()かず……』

『……主君の言うままになる千人の家臣よりも、主君の非を直言する一人の臣下の方が優れている』

 ユリウスはルスカが望みどおりのものを引っ張り出してきたことに、満足して続けた。

 阿諛(あゆ)追従(ついしょう)を並べ立て表面だけは従順だった臣よりも、己を叱咤してでも正しい道に導いてくれる臣を、ルスカはかつて望んでいた。

 ユリウスはおもむろに表情を変えて、口を開いた。

『ルスカ、一度も(あやま)たない人間が、この世に存在すると思うか?』

『……いいえ』

『そうだ。もしかしたら、将来、王である私が間違うこともあるかもしれない』

『そんなことはありえません』

 ほとんど反射的に答えたルスカに、ユリウスは苦笑する。

『私が危惧しているのはそれだ。お前達は全幅の信頼を王である私に寄せている。私が過つことがあるとは、(つゆ)ほども考えたことがないのかもしれない。だが、ルスカ、権は人を(おご)らせる。お前が昔言った、〝王家の血は続けば続くほど淀み濁っていくものだ〟とは、つまり、こういうことだろう。長い時を王として生きる人間は、どうしたってこの職業病と闘わなくてはならない。良い王が年老いて混迷(こんめい)になり、一転して民を虐げる王になることだとて、ありえないわけではないのだ』

 真摯に耳を傾けながらも、それでもやはりルスカは己の主が間違う姿は想像できなかった。その危険性を自覚している時点で、主が誤った道に進む可能性は低いだろう。

『もちろん、自ら道を踏み外すつもりなど毛頭ない。だが、どんなことにも保険は必要だ。お前達は私を過信している節がある。自分で言うのもなんだが、それは危険な傾向だ。

 世に華々しく英雄と(うた)われる人間は、創業に長けていても守成には向かないことが多い。何故なら一歩間違えれば、英雄としての強大な先導力は、誤った形で扇動される可能性をも同時に秘めているからだ。周囲を置き去りにして独断専行を強いる、その結果が正しいとは限らない。王にも、抑止力となる存在が必要なのだ』

 ルスカは王の意図を察して重々しく頷いた。その抑止力に、自分がなれと主は言っているのだ。

『……恐れ多いお言葉です、陛下。私はどんな時でも陛下に従うと、そう決めていました。ですが、陛下が私にそれをお望みになられるのなら、貴方が誤った道に行くと思った時は、臣がこの命に代えて、それをお止めすると約束いたします』

『いや、その時は、私の従兄弟(いとこ)として頼む』

 従兄弟として?

 ルスカの眉根が知らず寄った。

『血の(つな)がりを利用しない手はないだろう?』

 その言葉に目を見開く。

『……陛下?』

『お前はようやく、相応の地位を得た。外領(がいりょう)分掌(ぶんしょう)を臣下に任せる諸侯制度を取り入れたが、これからは中央と外で何かと意見がぶつかることも出てくるだろう。従属と自立、この均衡(バランス)を取ることは難しい。中央の意向を無視して好き勝手にやってもらうのは困るが、かといって中央におもねって外地に不利益が生じることも避けたい。その微妙な均衡を保持するためには、憚ることなく王である私に直言でき、(なお)()つ、王に対して臣道を尽くすことのできる人物が必要だ。その模範に、ルスカ、お前がなって欲しい。

 幸い、お前の私に対する忠誠と心服を疑う者は諸官にはいない。お前のその人柄と、その血は、臣下が王に意見することで生じる摩擦(まさつ)を和らげることができる』

 呆然とした体のルスカに、ユリウスは続けた。

『私は〝王〟に絶対権力を与えたくはない。先ほども言ったが危険な傾向だからな。今までは国の体制を一刻も早く整えるために、王である私が率先(そっせん)躬行(きゅうこう)してきたが、これからはお前達臣下が王の下で国を引っ張っていく形態に移行する。そのために、中央集権的な地方行政制度という形を取った。

 だが、これを定着させていくためには、王である私に意見できる臣下がどうしても必要だ。こういうのは始めが肝心だからな。その規範になるのがお前なんだ、ルスカ』

 主の視線と言葉にルスカは目を見開き息を呑み込んだ。

『他の三大公ではどうしても忌憚(きたん)が先立ってしまうようで、遠慮がぬけぬ。〝()ありて(たけ)からず〟を王の身上(しんじょう)としてきたつもりだが、どうやら威が勝ちすぎるらしい。身内であるお前がまず率先垂範そっせんすいはんして、面折廷争めんせつていそうの臣となって欲しい。

 何より、血が繋がっていれば、王に諫言(かんげん)する時、親類からの助言という体裁(ていさい)が整う。周囲からの角も立ちにくいだろう。お前が最適任者なんだ、ルスカ』

 呆気に取られて、ルスカは零した。

『……最初からそのつもりだったのですか』

『何がだ?』

『……貴方と同じ血を引く私に、四大公の位とともに、王の諫臣(かんしん)という役目を与えることです』

 ルスカの言いたいことを察して、ユリウスは笑う。

『王とは活殺(かっさつ)自在(じざい)の立場にいる人間だからな。そして私は、殺すのであれば()かす方法を考えるタイプだ』

『……』

『過去の遍歴のせいか、貧乏性らしい。有用なものはとことこん利用しなくてはもったいないだろう? お前の血も使いようによっては役に立つ、ということだ。重宝している』

 笑う主に、ルスカは脱力しようとする体を必死に制した。

『…陛下、貴方は毒薬をも良薬に変えてしまうお人だ』

『お前でなければ薬にはならなかっただろうよ、ルスカ』

 〝王家の血〟、確かに毒であると思っていたそれを、薬に変えて利用する術を、ユリウスは知っていたのだ。……諸官の自己啓発を(うなが)誘起(ゆうき)(ざい)や、王に意見する際の緩衝(かんしょう)(ざい)として。

『……やはり貴方に意見するなど、恐れ多くてできそうにありません』

『だから、従兄弟として頼むと言っただろう?』

 情けない顔と声で言ったルスカにそう返すと、ユリウスは腰を上げた。

 颯爽(さっそう)きざはしを降りてルスカが(ひざまず)く前まで来ると、どっかとその場に腰を落ち着ける。

 驚いたのはルスカである。

『陛下!?』

『お前も楽にしろ』

 背後に玉座を背負いながら目の前で床に胡坐(あぐら)をかく主は、とても愉快そうな顔をしている。

『し、しかし……』

 ルスカは当然のように躊躇(ちゅうちょ)した。

 ルスカがユリウスの従僕になって初めて覚えたのは、主である王に対して従者としての分限を守ることにある。口の利き方や、礼の仕方など、いらぬ嫌疑を避けるためにも、周囲に己の服従を示すことはルスカにとって絶対条件だった。王籍を返上して臣籍に下った以上、このような無礼は許されないのだ。

 だが、ユリウスはルスカのそんな戸惑いなど、どこ吹く風で話を進める。

『それから、その堅苦しいしゃべり方も止めろ。今、ここには私達二人しかいない。何を憚ることがある』

 そう言って、どこからか、数本の銚子(ちょうし)(さかずき)を取り出した。まごつくルスカに、ユリウスは足を崩せと、促す。

『あの、陛下……』

 どうしてこんなことになってしまったのだろうと、主の前で膝を突き合わせて、いつかと同じようにやはり決まり悪げに行儀よく正座をしながら、ルスカは困ったような声を落とした。先ほどから彼の額は冷や汗が止まらない。

 そんなルスカとは対照的に、ユリウスはとても楽しそうだ。杯をルスカに持たせ、銚子を取る。

『そろそろ、従兄弟に戻ってもいいだろう? 今まではいらぬ誤解を避けるために君臣という立場を徹底してきたが、もはやその心配も無用だ。少しぐらい私がお前を贔屓(ひいき)した所で誰も文句は言うまいよ。邪推する諸官ももういまい。それに、お前にはずっと訊きたいことがあった』

『訊きたい、こと……?』

 主のペースに流され、おろおろと王から(しゃく)を受けながら、ルスカは尋ねた。

『…お前は、お前の父をどう思っていた?』

 杯を持っていたルスカの右手が固まった。

 中に納まっていた透明な液体がゆらりと揺れる。

『これまで一度もお前と伯父について語ったことがなかっただろう。明日、お前はこの城を出て行く。その前に吐いていけ』

尸位素餐【しいそさん】…才能がないのに高い地位について、職責を果たさないで給料をもらっていること。またそのような人。

不惜身命【ふしゃくしんみょう】…自分の身をかえりみないで、ものごとにあたること。

滅私奉公【めっしぼうこう】…自分のことは投げ捨てて、公のために尽くすこと。個人を犠牲にして、国家や社会に尽くすこと。

駑才【どさい】…にぶい才能。自己の才能の謙譲語。

開陳【かいちん】…意見などを申し述べること。

啓発【けいはつ】…知識をひらきおこし理解を深めること。

論断【ろんだん】…論じて判断を下すこと。

諤諤【がくがく】…権勢を恐れず正しいと信ずる議論を述べたてるさま。

混迷【こんめい】…道理にくらくて分別に迷うこと。

分掌【ぶんしょう】…分担して受け持つこと。

率先躬行【そっせんきゅうこう】…人に先立って自ら行うこと。

忌憚【きたん】…遠慮。いみはばかること。

威ありて猛からず【いありてたけからず】…威厳があってしかも内に情があり、たけだけしくない。人格者の態度。

率先垂範【そっせんすいはん】…人に先立って模範を示すこと。

面折廷争【めんせつていそう】…天子の前面でその臣が、面と向かって欠点やあやまちをいさめること。

活殺自在【かっさつじざい】…自分の思うとおりに人を扱うこと。

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