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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第二章 死者の残影
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29 王の器

 そうして三年後、ルスカは王の従僕(じゅうぼく)から、王と民との間の意見伝達を(つかさど)る官職の、その末席に上がることになる。民の声を直に聞こえるようにとの、ユリウスの計らいだった。

 だが、その起用に難色を示す人間はやはりいた。

 年若いルスカノウスが次第に用いられるようになることに不満を感じた者達の間から、『血に頼った政治をしないといいながら、王家の血を贔屓(ひいき)しているのではないか』と非難の声が上がった時、ユリウスは諸官を集めてこう言った。


『私は、王家の血を継ぐ身内だからといって、ルスカを贔屓しているつもりは毛頭ない。私が彼を用いるのは彼がそれだけ有用な人材であるということだ。

 確かに、私は王家の血を否定した。だがそれはお前達が考えるものとは少し認識が違うようだ。

 〝王家の血を否定する〟とは、その血の流れている人間を否定するという意味ではない。次第に権高(けんだか)になっていった王族の血に対する驕慢(きょうまん)を、私は否定した。私は同時にこうも言ったはずだ。〝生まれや血統ではなく、能力や人格でその各人(かくじん)を判断する〟と。

 早計な諸官のために予め言っておくが、なにも能力のない人間は(かえり)みるに値しないという意味ではない。己の能力に(おご)り己より劣っていると決め付けた他を(おとし)めることに何の疑問も抱かない者は、己の血に驕り他から(かしず)かれることに何の疑問も持たなかった王族と大同(だいどう)小異(しょうい)と言えよう。

 話を戻すが、王家の血を引いているからといって、その人物を忌避(きひ)してかかるのは、今まで王族がしてきた、血統を根拠とした偏見と差別に、なんら変わるところがないではないか。王家の血を引いている、それだけでその人物を蔑視するのならば、今王位に就いている私をもお前達は否定しなければならないはずだ。

 ルスカは確かに私の数少ない身内の一人だ。彼に対する親愛の情を私は否定したりしない。だが、その情が生む周囲の反感を考え、私は今まで彼に対する中傷に対して一切の擁護をしてこなかった。また、それをただ黙然として聞くことが彼の懺悔(ざんげ)であることを、私は知っていた。

 彼について、私はここで多くを語るつもりはない。君達各々が自身の真率(しんそつ)な目でルスカ=アーベルという一人の人間を認識してくれればいい。

 私はお前達に、ただ王の言うことに唯々諾々と従うだけの臣下になって欲しくない。教条(きょうじょう)主義(しゅぎ)(おちい)ることをよしとするな。凝り固まった観念、その一点に囚われて、一番大事なものを見失うようでは本末転倒だ。なにも、規則や形式を軽んじるわけではないが、杓子(しゃくし)定規(じょうぎ)に解釈することが、思わぬ弊害を生むこともある。

 本当に大切なものが何なのか、そのことを、諸官一人一人が考えて、真摯に答えを探して欲しい。事大(じだい)主義(しゅぎ)を排して自分で考えることのできる臣下を、私は重用するだろう。

 ――己の感情を優先させて、国の未来を考えられない人間にだけは、なってくれるなよ』


 この弁舌に、非難の声を上げていた者達は一様に口を閉ざした。

 そんな中で、ルスカは己より年上の者達に囲まれながら、進んで教えを請い、己に与えられた役割に精励(せいれい)した。

 誰にでも丁寧に接して敬意を忘れない温良(おんりょう)恭倹(きょうけん)なその姿勢が、次第に周囲から認められるようになっていった。王族であった彼の扱いに戸惑っていた者達も、自然と打ち解けるようになり、彼に対する反発を隠せなかった者達は、初めて曇りのない目でルスカを見た。

 そして、それまで自分達の中傷に対して一度として反駁(はんばく)を返すことのなかったルスカの刻苦(こっく)勉励(べんれい)している姿に、口ではなく己の行動で謝意に変えようとしている彼の器量を知った。

 己の偏見を自覚した一人一人が、ルスカのところに謝罪と激励に来るようになると、その度にルスカは驚き、戸惑いながらも、今度は感謝の謝意に変えて、深く頭を下げては返した。


 王族であった彼という存在が、彼が言ったものとは違う形で、非血統至上主義の理念と新生マダリアを(つな)げる(くさび)となった。

 彼自ら無能を演じて他から虐げられることで王家の血を否定し血統的優遇の無効化を図ることよりも、彼が、自分の血に何の特別性も感じていない王族であったこと自体に、既に大きな意味があったのだ。

 ユリウスは、王家の血に対する驕慢を否定して、能力優先主義を主張した。

 血に対する驕慢とは即ち、己は他より優れているという実質的根拠の薄い優越意識に他ならない。

 血による優越が否定されるということは、裏を返せば、血による劣等も否定されるということだ。血統によって優位性が生じないのであれば、それによる劣位性もまた生じない。だが、その裏面性が盲点になりがちだということを、ユリウスは理解していた。

 だから彼はその盲点を、ルスカを用いることで諸官に気付かせようとしたのだ。

 ルスカが提案した、王族である彼を貶める行為では、真にユリウスの求める理想は完成しえない。何故なら貶めることで優位性を否定できても、その貶める行為が血統的根拠に基づくものとして還元されてしまえば、結局は〝王家の血によって蔑まれる〟という図式が成り立ってしまうからだ。それが含む劣位性さえも否定しなければ、血統的優劣問題の抜本(ばっぽん)(てき)解決には(つな)がらない。

 ユリウスはそれを指摘して、諸官が自覚せずに持っていた王家の血に対する偏見を浮き彫りにさせた。ルスカを臣属させることで最も効果的に、それを諸官に自覚させたのだ。


 血によって優劣は決まらないと言ったルスカの言葉は、ユリウスの思想を正しく(のっと)った発言だった。

 血によって優劣は決まらない、それは、ユリウスが諸官に諭したとおり、血によって(たた)えられることもなければ、貶められることもまたない、という、そういう意味だ。

 そして、ルスカは己の血ではなく、己の能力と行動によって優劣の評価を求めようとした。ルスカはユリウスの(かか)げた公約を正しく実践していた。

 人の真価は、その人物の人格と行動によって決まる。

 ユリウスが真実言いたいのはこれだった。

 先王であったルスカを臣に迎えることが思いの種になるということを、ユリウスは承知していた。それでも、彼が、あえてその危険(リスク)を冒してみせたのは、自ら考える形で、己の公約についての熟考を、諸官一人一人に(うなが)したかったからだ。

 事大主義を排するためにも、臣下の自主性にユリウスは重きを置いた。また、こういった意識改革は上から強制されて改められるよりも、自らが自覚して本人の意思によって改進される方がはるかに効果的だ。

 ルスカという王族を臣下の中に放り込むことで、ユリウスは諸官に問題提起をし、その解決を個人の思索によって求めた。

 従来の考え方では王家の血の重さは、常人と同一に並べることはできない。その固定観念を打破することが諸官にできるか。血によってではなく、等身大のルスカを見て、彼という人間を評価することができるかどうか、それが、王であるユリウスが諸官に提示した問題だった。

 そして、その問題に見事にぶち当たった者から不満の声が噴出した時、彼はあえてルスカを擁護せず、含蓄(がんちく)ある言葉と共に、自分で答えを探せ、とそう言った。

 人の真価は、その人物の人格と行動によって決まる。

 それに気がつき、ルスカを公正な目で見ることができたなら、彼が決して〝血〟という非合理的な一方的速断によってのみ判じられるべきではない人間であるということが、誰の目で見ても分かっただろう。ユリウスは、この点に絶対の確信を持っていた。

 そして、生まれや外見、年齢などの表面的な範疇(カテゴリー)の中で人を貶めたり(あが)めたりすることの愚かしさを、ルスカという存在によって、諸官に示した。

 『己の感情を優先させて国の未来を考えられない人間になるな』とは、ルスカの希少価値を理解しても尚、彼の起用に納得できない人間を戒めるための言葉だった。

 ユリウスは感情によってではなく、考えることで答えを見つけ出す重要性をも諸官に示唆(しさ)してみせたのだ。

 ユリウスがルスカを用いた目的は、ルスカ本人の有用性を考慮しただけではなく、むしろその存在によって発生する波瀾(はらん)によって、諸官の啓蒙(けいもう)的な識慮向上を促すことにあった。




 こういった、ある意味で投機(とうき)(てき)なユリウスの意図に、ルスカが遅ればせながらも気がついた時、彼はユリウスの大所(たいしょ)高所(こうしょ)からの心慮の深さとその大胆さに驚嘆した。

 畏怖を、抱いた。

 ルスカはユリウスを寛仁(かんじん)大度(たいど)の人と思っていた。

 己の罪を許し、己の罪を王として背負ってやると、大言(たいげん)壮語(そうご)でも狂言(きょうげん)綺語(きご)でもなく、ただあっけないほど簡単に笑って言ってみせたその度量は、まさに大器と言えただろう。

 だが、彼は読み違えたと思った。

 主の広範(こうはん)かつ深甚(しんじん)な思慮は、寛仁大度という言葉の枠に収まりきるものではない、と。

 深い知識と広い見聞、広範かつ深甚な読み、度胸の大きさと心の細やかさ、仁徳ある人柄と厳格で堅固な意思、それら全てを同時に(あわ)せ持ち、道義を修め、この世の是非を知っている。

 〝心〟だけではなく、それを施すための〝頭〟を同時に持っている。

 君子は()ならず、とはこの人のためにある金言だと、ルスカは深く実感した。

 ユリウス本人がそれらの評価を聞いていたなら、大袈裟すぎると、呆れが礼に来たことに苦笑しただろうが、それほどに、彼がルスカに与えた影響は大きかった。


 ルスカは己の贖罪のため、そして、何より己を臣へと迎えてくれたユリウスの恩に報いるためにも、精励恪勤せいれいかっきんした。

 そうやって、周囲の信頼を徐々に集めながら、ついに彼は四大公の一、南のスクワード領主、南領公としての地位を確立する。

 その抜擢ばってきを彼の血ゆえと思う者は最早どこにもいなかった。

 ルスカは、ユリウスの言葉どおり、王の従僕から這い上がり、周囲からの正当な評価を得て、王の枢臣(すうしん)となったのだ。

大同小異【だいどうしょうい】…似たりよったり。

真率【しんそつ】…正直で飾り気がないこと。

教条主義【きょうじょうしゅぎ】…組織によって公認された教義・教条を絶対的なものと考え、具体的な諸条件を吟味せず機械的に適用、無批判に固執する態度。

杓子定規【しゃくしじょうぎ】…形式にとらわれて応用や融通のきかないこと。

事大主義【じだいしゅぎ】…自主性を欠き、勢力の強大な者につき従って自分の存立を維持するやりかた。

精励【せいれい】…力を尽くしてつとめること。

温良恭倹【おんりょうきょうけん】…おだやかで、すなおで、うやうやしく、つつましく、ひかえめなこと。

刻苦勉励【こっくぺんれい】…非常に苦労しながら、努め励むこと。

思いの種【おもいのたね】…心配の種。

啓蒙【けいもう】…無知蒙昧な状態を啓発して教え導くこと。

投機的【とうきてき】…危険を覚悟で大きな利益を得ようとするさま。

大所高所から【たいしょこうしょから】…個々の事や小さな事にこだわらず、大きな視野で。

寛仁大度【かんじんたいど】…寛大でなさけ深く、度量の大きいこと。

狂言綺語【きょうげんきご】…道理にあわない言と巧みに飾った語。

深甚【しんじん】…意味・気持ちなどが非常に深いこと。

君子は器ならず【くんしはきならず】…すぐれた人物は、一つの使い道しかない器物と違って、多方面にわたって自在に才能を発揮できるということ。

精励恪勤【せいれいかっきん】…仕事に精を出してまじめに勤めること。

枢臣【すうしん】…重要な地位の家臣。大臣のこと。

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