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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第二章 死者の残影
42/87

20 迷走する捜査

「隊長」

 部下の呼びかけに、ジュリアは執務机の上から顔を上げた。

 彼が親衛隊隊長として、逃れられない用務(デスクワーク)をこなしている間、国王には副隊長のドリスが引っ付いていた。

 最近、必ず王の側には親衛隊長か、副隊長、あるいはその両方が()している。

 また、親衛隊員達は校尉士に指導して王城付近の警備・パトロールの強化に努めていた。

 それというのも全て、前代未聞の事件が王都の治安を守る警察機構、王都警備隊本部警庁で発生したからだ。

 警庁内の留置場に拘禁されていた被疑者が殺害された。

 犯人は騎士が(たむろ)する警庁内に仕出屋を装って堂々と侵入し犯行に及び、そしてそのまま誰にも引き止められることなく逃亡。

 まるで都警隊員を嘲笑うかのような手口だった。

 これは、騎士団(サンカレラ)に対する挑戦と言ってよかった。多分に沽券(こけん)に関わる問題だ。

 そして、その変事は今、少なくない衝撃と共に軍全体へと知れ渡っていた。それを重く受け止める者もいれば、都警隊の失態を(あげつら)う者もいた。

 相手は忍び込むことに()けた人間だ。自然、王城内外の警備は強化されることになる。

 そして、汚名返上のためにも、王都警備隊は一刻も早い犯人逮捕に全力をあげていた。

「どうした、ダンカン」

 扉から顔を出した部下に、書類片手にジュリアは問う。

「警庁より王都警備隊所属、フィオス=バーク大尉とキーン=ダグラス中尉が面会したいと」

 ジュリアは軽く目を見開いてから、ダンカンに二人の案内を頼んだ。


 キーンとフィオスの二人は、決して明るいとは言えない表情でジュリアの執務室に訪れた。

 ジュリアは二人のために()れたコーヒーを小卓の上に置き、ソファーに彼らを促した。

 キーンは一言すまないと言ってそこに腰を下ろしたが、フィオスは苛立ったように足を鳴らしながら一向に腰を落ち着けようとはしない。

「――フィオス、お前がそこで苛々してもどうにもならない。とりあえず、こっちに来て座れ」

 だが、キーンがそう言っても、フィオスは動こうとはしなかった。

「……俺はここでかまわん」

 低い声でそう言うと、彼は出入り口のすぐ横の壁に背を預ける。キーンは軽く溜息をついた。

 目線でジュリアに、すまないと告げると、ジュリアは「構わない」と一言言った。そしてフィオスのために淹れたコーヒーを立ちっぱなしの彼の元に持っていく。

「少し、落ち着いたほうがいい」

 気遣うような微笑とともにそう言われ、フィオスは渋々それを受け取ると、一気に中身を飲み干した。

「……っが……」

 口の中に、微かな甘みと共に(こく)のある苦熱(くねつ)が広がった。

 途端に眉間に深い溝ができる。フィオスの不快指数が跳ね上がった。

 彼は甘いものは好きだったが、苦いものは文字通りに苦手なのだ。

 変わらぬお子様嗜好(しこう)に、ジュリアは苦笑した。それでも気を利かせて、砂糖は多めに入れたのだが。

 フィオスのコーヒー嫌いを知りながら、ジュリアがあえてそれを出したのには理由がある。

 それというのも、フィオスの相棒のキーンは彼と違ってコーヒー愛飲者で、フィオスは自分の飲めないものを彼が飲めるのが気に入らないらしく、自分だけ他の飲み物を出されることをひどく嫌うからだった。変なところで負けず嫌いなのだ。

 毎回顔をしかめ「こんなものを好んで飲む奴の気が知れない」とキーンの横で愚痴りながらも、接待用に出されるその黒い液体をまるで何かの試練か義務のように口の中に流し込んでいた。

 そんなに嫌いなら無理して飲まなくてもいいものなのだが、本人(いわ)く、「こんな真っ黒くて苦いだけの飲み物なんかに負けてたまるか」ということらしい。その昔、キーンに、コーヒーが飲めないなんてガキの証拠だなと揶揄(やゆ)されたことも大きく影響しているのだろう。

 フィオスは憮然としてジュリアを睨み、彼が困ったように笑うと、脱力して溜息をついた。

 これではどっちが年上か分からない。いや、昔から自分がガキくさいということをフィオスは自覚していたが、どうしても理性より感情が先立ってしまうのだ。キーンのおかげで多少は改善されたはずなのだが、やはり生まれ持った性格はそんな簡単に変わるものではなかった。

 フィオスはジュリアにコーヒーカップを押し返すと、彼の脇をすり抜けてキーンの横にどっかりと腰を下ろしてそっぽを向いた。我ながら大人気ないということは、本人も自覚していたようだ。

 キーンとジュリアは互いに視線を合わせて苦笑した。

「それで、捜査に進展があったと思っていいのかな。……朗報、ではなさそうだが」

 ジュリアも二人に向かい合って腰を下ろすと、早速そう切り出した。

 だが、キーンは「ああ…」と言ったきり、口をつぐんで中々先へ進めようとしない。

 ジュリアは辛抱強く待った。

 キーンの眉間にもまた、先程のフィオスのように深いしわが刻まれていた。

 どうやら、フィオス同様、彼も今あまり冷静な状態とは言えないらしい。己の感情を制御しながら言うべきことを整理しようとしている様子だ。

 直情型のフィオスに対して、理性的なキーンは隠忍(いんにん)自重(じちょう)のタイプだった。フィオスと違って、ありのままの感情の発露は避ける。

 だが、その彼が今眉間にしわを寄せて苦々しい表情を隠そうとしていなかった。あれ程節制にうるさかった彼のジュリアに対する口調も、最初から私的なものになっている。そしてそんなキーンの様子に、ジュリアは真剣にならざるを得ない。

 キーンは、ジュリアの視線を感じながら、出されたコーヒーを一口、口の中に含んで飲み込むと、己を落ち着かせるかのように細い息を吐き出した。

「……実は、少し思わしくない展開になりそうだ」

 ようやく口から出たのはそんな言葉だった。

「…というと?」

「犯人が捕まったんだよ」

 一向に進めようとしないキーンに我慢できなかったのか、フィオスが横から口火(くちび)を切った。

 その目は虚空を睨み付けている。

「捕まった!?」

 ジュリアは驚きを隠さずに、キーンを見やった。

 その視線を受けて、キーンも事有り顔で頷いて見せる。

「いったい……」

「あの野郎だっ」

 その目を怒らせ歯ぎしりしそうな勢いでフィオスが吐き捨てた。

 怪訝そうに眉をひそめたジュリアにキーンが重い口を割る。

「……ジョセフ=カッター大佐を覚えているか?」

「ああ…、あの眼鏡をかけた大柄な方か?」

 警庁内で幅を()かせている、ジュリアを面白く思っていなかった一派の一人だ。

「……お前が去った後、あの方が事件の担当となって指揮を執られてな」

「あの野郎、お前とつるんでた俺達を捜査本部から外しやがったんだ!」

「ただでさえ、都警隊の面子(めんつ)に関わる事件だったからな。お前に出っ張られらたのがよほど腹に据えかねていたらしい」

 キーンのその言葉にジュリアは顔を曇らせた。

「それで捕まったというのは……?」

「カッター大佐はまず街中の業者を調査して、事件のあった当日出前に出ていた人間を調べた。その中に、一人いたんだ。公にはされなかったようだが、過去に食物の中に異物を混入させて客の苦情を受けたことがある男が。しかも、まるでお(あつら)え向きのように住居不法侵入と窃盗の前科がある。仕出屋の三男坊だ」

「へらへらした野郎でな。愛想がいいと言えないこともないが、あいつはただの阿保だ」

 フィオスの言葉にキーンが相槌を打つ。

「異物を混入と言っても、香辛料の類を出前の料理の中に入れて、憂さ晴らしに客が悶絶するのを見て楽しんだという、褒められたことではないが、殺人事件に比べればかわいいいものでな。それにまだ若い」

「人が殺せるような奴には見えないんだよ」

「……大佐は警庁内で起こった毒殺事件と身元不明の路地裏惨殺事件を全く別物として(とら)えている。動機も俺達都警隊の挑戦と単純に受け取っているんだ」

「待ってくれ。面通しはしなかったのか? 犯人は目撃されているだろう」

「ああ、だが、その証言がなんともあやふやでな……」

 渋面を作ったキーンに対して、フィオスは怒鳴った。

「脅されたも同然だ! 上から圧力かけやがったんだよ! 俺達の話だって聞きゃしねぇっ! 王に害をなそうとしてる者の陰謀かもしれないって言ったらあの野郎なんて言ったと思う!? 『己の手柄を上げるために罪を捏造(ねつぞう)するなど笑止千万! 親衛隊長も堕ちたものだ』って鼻で笑いやがった! (はな)っから相手にしてねぇんだ。見苦しい嫉妬しやがって!!」

「……アリバイはなかったのか」

「それが、その男はサボりの常習犯らしくてな。事件があった日も、一件目の客に出前を届けてから、木陰で一人昼寝をしていたと言っているんだ。残念ながらそれを証明してくれる人間はいない」

「……」

「大佐はもう八割方その男を犯人と決め付けている。民衆にまで知られて騒がれる前に早いところ解決してしまいたいというのが本音だろう。ただでさえ、騎士団内で都警の失態に対する不評が高まっているからな。それに、噂じゃこの事件を無事解決したら昇進だと上からほのめかされたらしい」

「はっ。晴れて、ジュリアと同じ将官に上がれるというわけだ。そりゃ、何でもいいから犯人を挙げたい一心だろうよ」

 フィオスは吐き捨てた。

「取り調べも杜撰(ずさん)なものだ。端から犯人と決め付けて、被疑者の話をまともに聞こうともしない。このままじゃ強引に押し切られて捜査打ち切りになってしまう。真犯人は野放しのまま、偽の犯人逮捕で王都の警戒が解かれでもしたら、それだけ陛下に迫る危険が増えることになる。真犯人の思う壺だ。はっきり言ってそうなったら、お前にとって最悪の事態だろう」

 ジュリアの表情は硬くなっていった。

「……二人はその被疑者は犯人ではないと断定してるんだな」

「俺達が話していた犯人像と一致しない。とても計算して殺人を犯せるような人間に見えない」

「ただの道楽息子だ。深謀(しんぼう)なんて言葉とは縁遠いぜ。もし、アレが演技だっていうんなら、俺はこれから一生あの黒くてまずいだけのクソッタレた液体しか飲まないと約束してもいい」

 フィオスは八つ当たりのように、吐き捨てた。

 その名詞を口にするのでさえ嫌らしいのは分かったが、その過剰な拒絶反応を察するに、先刻の一気飲みがまだ尾を引いているらしい。それを(さと)ったジュリアとキーンの反応は二つに分かれた。

 呆れた溜息を諦めたように落とした者と、なるほど、それはよっぽどの確信だなという感想と感心を苦笑しながら抱いた者。

 当のフィオス本人はそんな二人の反応に気付くことなく、いたって真剣な表情で後者の反応を見せたジュリアの顔を見た。

「そもそも、ジュリア、お前だって犯人がこんな簡単に捕まるとは思ってないだろう?」

「……二つの事件を別々に捉えている時点で間違ってるんだ。警庁内で起こった事件にばかり気をとられて…。タイミングがよすぎるから二つの事件は何らかの関連があると、捜査方針を模索すべきだと何度も進言したんだが、賛同してはもらえなかった」

「部外者はすっこんでろだとよ」

 低い声でフィオスは言った。

「……」

「……すまない。任せろなんて言っておきながら……」

 キーンは膝の上でぐっと両の拳を握り締めて、声を絞り出した。

 フィオスもまた唇を噛む。

 二人とも険しい顔をしていた。

 何度も衝突を繰り返したが全て報われることがなかったのだろうことを、その顔が物語っていた。

 彼らに鬱憤(うっぷん)がたまっていても仕方がない。

 権限がカッターにある以上、彼を説得できない限り二人にはどうすることもできないのだ。

 だが、親衛隊長を目の(かたき)にしていた男は端から聞く耳を持っていなかった。自らの意思で聾者(ろうしゃ)に成り下がった者にいくら言葉を募ったところで届くわけがない。

「……いいや、私がもっと自重すればよかった。よく考えれば、こうなるかもしれないことは予測できたはずだ…」

 ジュリアもまた、悔やみ顔で言った。

「頼みの綱が、犯人を見た人間の証言なんだ。彼らがきっぱりと否定してくれればそれで済むん話なんだが……なかなか簡単にはいかないみたいだ。俺達は既に本部に出入り禁止になっていて、思うように動けない」

「ああ、校尉士二人の話だと、何かが足りない気がすると言っていた」

「足りない?」

 フィオスの言にジュリアは興味を引かれて問い返した。

「具体的に明言はできないが、なんだかしっくりこないと……」

 だが、その時。

 コンコンとドアがノックされた。ドアの外から己を呼ぶダンカンの声が聞こえてきた。

「どうした? 今は話し中だ。小用なら後にしてくれ」

 ジュリアがドアに向かってそう言うと、失礼しますという声と一緒に困ったようなダンカンが顔を出した。

「……それが…今は来客中だと言ったんですが……」

 そう言った彼の後ろ、がたいのいい熟年の男が姿を現した。

 細い銀縁の眼鏡が恰幅(かっぷく)のよい男に抜け目のなさを与えている。

 だが、静的な印象を受けるその眼鏡も、レンズの奥で光る瞳の猛々しさを殺すことはできていなかった。思わぬ相乗効果となって、(いか)つさを()ぐどころか余計に男の威圧感は増している。

「――カッター大佐…」

 キーンの苦々しげな声がその人物の正体を告げた。

隠忍自重【いんにんじちょう】…じっと我慢して、軽々しい言動を慎むこと。

深謀【しんぼう】…深いはかりごと。

聾者【ろうしゃ】…耳の聞こえない人。

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