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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第二章 死者の残影
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19 愛を知る花

「リリア様!」

 振り返れば、花蝶苑(かちょうえん)の入り口に女が一人立っている。

 こちらに近寄ってくる気配はない。

 ただ遠巻きに見つめてくるその顔は、悲愴感でいっぱいだった。

「……ルミネス…」

 そう、零した途端ぽんと肩を叩かれた。

 振り返れば、金髪の青年騎士が笑んでいる。

「仲直りしてきたらいかがです?」

「なんじゃ、姫様、けんかしとったんか。こういうのは謝ったもん勝ちじゃぞ?」

 バルトークもジュリアの後を継いだ。

「リリア様、この城にいる者達は、皆貴女(あなた)のことを大切に思っています。ザナス将軍だって、私だってそうです。言ったでしょう? 貴女の身は貴女一人のものではない。皆貴女の味方なんですよ。いつも貴女の傍にいる侍女達なら尚更でしょう」

 (さと)すようなジュリアのその言葉に、リリアは少し複雑な気持ちになった。

「……でも、それはあたしがこの国の王女だからだもの」

 ジュリアは笑った。

「本当にそう思いますか?」

「え?」

「リリア様は気付いていますか? 貴女の傍にいる者達は誰一人貴女のことを王女とは呼びません」

「あ……」

「皆、姫という愛称や御名で呼んでいるでしょう? 王女としての貴女ではなく、一人の少女である貴女を愛しているからですよ。当たり前のように思われているかもしれませんが、これは異例のことです。それだけ、王女である貴女と貴女に仕える者達が近い場所にいる。貴女が皆から親しまれている証拠ではありませんか?」

 穏やかに言われたその言葉に、リリアは顔を戻した。

 ルミネスはひどく思いつめた表情でリリアを見つめていた。後悔しているのが、ありありとその顔に浮かんでいる。

 途端に、彼女に悪いことをしてしまったという気持ちがリリアに湧いてきた。

 ルミネスは決して、自分を傷つけたかった訳ではないのだ。むしろ彼女の自分に対する親愛の情が招いた結果とも言えた。

 王女である自分にあそこまで遠慮なくモノを言ってくれる、数少ない女官だ。無礼な訳ではない。たまにからかわれることもあるが、言うべきことをちゃんと言ってくれる。それにリリアは、ルミネスと冗談を言い合ったりするそのやり取りが決して嫌いではなかった。

 ルミネスの背後にドミニカが現れ、後ろから立ち尽くしたままの彼女を押し出した。

 トンと軽く背中を押されて、リリアもまた、一歩を踏み出す。

 二人は、元いた距離のちょうど真ん中で対面した。

 ルミネスは瞳を潤ませたまま、その場に両手両膝を着いて平伏(へいふく)した。

「何も知らぬ小間使いが大変失礼申し上げました。いかようにも罰をお受けいたします」

 声は震えていなかったが、その背が震えているのがリリアには分かった。

 リリアは膝を着いて、丸まったその背を抱きこむ。

 ルミネスはハッとして身を強張らせた。

「ごめんなさい、ルミネス」

 零れ落ちたその言葉に、ルミネスは慌てて身を起こす。

「いいえ!! 私が悪いんです!! リリア様が謝ることなど何一つありません!!」

「ううん、貴女をこんなに傷つけてしまったわ」

「傷つけたのは私ですっ!」

「うん。でも、ルミネスも傷ついた。だから、痛み分けね?」

 まるで悪戯の共犯者のような顔でリリアは舌を出して言った。

 ルミネスはそれをぽかんとした表情で見上げる。

「あら、ルミネス、その顔は品がないわよ。〝レディーはいつだっておしとやかに美しく〟なのでしょう?」

 すました顔で言ったリリアに、ルミネスは全身の力が抜けていくのを感じた。

「許して、くださるのですか……?」

「ええ、だからその代わりといっては何だけど…自由に外出する許可を……」

「いけません」

 みなまで言う前に、ピシャリと遮られ、リリアは眉間にしわを寄せる。

「なによ、少しぐらいいいじゃない! せっかく平和的に解決したのにっ!!」

「それとこれとは全くの別問題です。そんなことをおっしゃるのなら、私がおとなしく罰を受けましょう。貴女はすぐ増長するのですから、一度許してしまえば手がつけられなくなるのが目に見えているじゃありませんか」

 リリアはぷっくりと頬を膨らませて、ルミネスと睨み合った。そして、二人は睨み合ったまま、ほとんど同時に噴き出した。

「まぁ、いっか。それじゃあ、たんとおいしいお茶を()れてもらうことにするわ」

「ええ、腕によりをかけて」

 二人の傍まで来ていた、ジュリア、バルトーク、ドミニカの三人は二人のその様子に、顔を見合わせて笑う。

「それじゃあ、リリア様、私達はこれで。楽しい時間をお過ごしください」

「あっ、ジュリア様!」

 リリアはとっさに彼を呼び止める。

「あの、ありがとうございました」

「いいえ、私は何もしていません」

 笑って言った男に、リリアは首を振った。

「いいえ、ジュリア様の大事なお時間をいただいてしまったわ。バルじいもごめんね」

 少し離れたバルトークにもぺこりと頭を下げる。

 気を利かせたのか、二人の侍女は渋るバルトークの腕を引っ張り、二人から距離をとっていた。バルトークは女二人に両脇を取られ、少々窮屈そうにしていたが、リリアがそう言うと、にこりと笑って首を振った。

「それに……、優しさをありがとう」

 リリアはジュリアのその瞳を見つめながらそう言った。

 そして、微笑わらった。

 遠目で二人を見守っていた三人はつい、息を呑み込んだ。

 それは今までリリアが見せたことがないような笑みだった。

 軽く上気した薔薇色の頬は艶やかで、細められた目の、繊細な睫毛の影に隠れて見えた瞳は瞬く星のようにきらきらと輝き、ふっくらとした花唇がまさに蕾が花開くように控えめにほころんでいた。

 歓喜の笑みとも、快哉(かいさい)の笑みとも違う。

 たった今開花したかのような、人を魅了せずにはおけない、花笑みの美笑びしょうだった。

 ジュリアは軽く目を(みは)り、おもむろにその場に片膝を着いた。

「……貴女のその笑顔のためならば、誰だって骨身を惜しまず貴女に尽くすことでしょう」

 リリアの手を取って、そっとその甲に唇を落とした。

 それはまるで、物語の中の王子様が愛するお姫様に誓いの言葉を捧げるかのような、ワンシーン。

 瞬間、リリアの顔は満面紅に染まった。

 それは最早隠しようがないものだった。

 離れていた三人の脳裏には、ピーピーと音を鳴らしてしきりに限界を知らせる茶瓶の絵が浮かんだ。

「リリア様?」

 まさに沸点を越えた湯沸し器のごとく、頭から湯気を吐き出しながら「あー」とか「うー」とか何事か(うな)っているリリアに、ジュリアは目をしばたたかせる。

「どうしました?」

「……あの…いえ、だから、……その……」

 顔を真っ赤にして唸るリリアに、どこか具合でも悪いのかと、ジュリアは眉根を寄せた。そこに助け舟が出される。

 ドンッとジュリアのその肩に、バルトークの分厚い掌が乗せられた。若干いつもより強い力で。

「ジュリア、そろそろいいだろう」

 苦笑しながら、女二人は王女の傍らに寄り添った。

 ジュリアの手は王女の華奢な指から離れる。

 途端に心もとなくなって、リリアは少しがっかりしてしまったのだった。


「リリア様、あとでシナモン様と何があったのかじっくり聞かせてくださいね」

 部屋へと戻る道筋で、ルミネスは含み笑いをしながらリリアに目配せした。

 リリアの頬は未だに真っ赤だ。

「べ、別に、何もないわよ」

「まーた、そんなこと言っちゃって」

 完全にいつものペースに戻った主従にドミニカは苦笑し、仲良く言い合いを始めた二人に、後ろから叱咤の声を飛ばした。

 一方。

「あんなにいとけなかったリリア様が……」

 バルトークは溜息をついていた。

「ザナス将軍?」

「お前もそう思うだろう? ほんのちょっと前までは儂の足元にくっついて離れなかったのに……」

 本気で言っているらしいバルトークに、ジュリアは苦笑した。

「そうですね。お綺麗になられた。正直今日のあの笑みには驚かされました」

「……まったくじゃ」

 見るものが見れば分かっただろう。

 あれは、恋する乙女の瞳だった。もはや、恋に恋する少女の目ではなく、正真正銘たった一人の男に心を奪われた娘の目だ。年頃の娘が急に綺麗に見えることがあるのは、本当の恋を知ったからに他ならない。

 だが……

「確かに、少し寂しいかもしれませんね。リリア様もいつか、私達から離れていってしまうのでしょう」

 バルトークの心情を(おもんぱか)って、何気なく発したジュリアの台詞だったのだが……

「……」

 バルトークはあえて沈黙した。

 部外者ひとの口出しすることではないというのもある。が、リリアにはまだ〝皆のお姫様〟でいてもらいたいという気持ちが強かった。

 色恋に(うと)い自分でも気がついているというのに…、鈍すぎる男にわざわざ教えてやる必要もあるまい。

 バルトークはばしんと鈍感な男のその背を叩いた。

「っ……!?」

 突然のことに、ジュリアは前方につんのめる。

「ざ、ザナス将軍殿?」

「何でもない」

 どすどすと足を鳴らしてバルトークはジュリアを追い越して行き、ジュリアは叩かれた背をさすりながら首を傾げたのだった。


 だが、彼らは皆気がつかなかった。




 メイルスカーレット。

 花神(かしん)と称される、一輪一輪が個性豊かな大輪花だ。

 薄い花弁を何枚も重ね、けぶるような匂やかさを誇る、富貴の花。

 栄華を極めたかのような爛漫らんまんさにすめらぎの花とも異称され、王族の花として知られる。

 園芸品種の多い落葉低木で、花色は豊富、花形も多様化しており、その色や形によって一つ一つ花号があった。

 植木職人によって一株一株丹念に育てられており、特に赤い花が最高級品とされている。蝶がその周りをひらひらと舞い乱れて飛ぶ様は、一双の屏風絵のように絢爛けんらんとしていた。

 蝶達は豪華な花々と一緒に、まるで舞い散る花びらのようにゆらゆらと宙を浮遊している。

 花と同じく色形さまざまなその蝶達は、風に吹かれて舞う花びらに似て、あたかも花神の分身のようだった。

 数羽の蝶達が群れて飛ぶ様は、演舞を披露しているかのように優美可憐で、幻想的でさえある。

 この花びらの化身(けしん)達もまた、幼虫から蛹、美しい成虫になるまでと、デリケートな保護と管理の下で大切に飼育されていた。


 そこはまるで、別天地へと足を踏み入れてしまったような、華やかで美しい場所だった。

 まるで誰かの夢の中へと、迷い込んでしまったような……。

(夢、だな……)

 色取り取りの色彩の中に、そこだけ黒い影が落ちていた。

 先程までいた人間達は去り、今そこにはその人影しかない。

(……見てはいけない、ものだったのかもしれない……)

 苦し紛れに笑いながら、そっと、咲き乱れているその大輪花へと手を伸ばす。

 黒い孤蝶が優雅に(はね)をひらめかせながら、その指の周りをひらひらと舞った。そして、一足先にとばかりに、その花に足を下ろす。目の前を、二羽の蝶がまるで睦み合うかのように追いかけっこしながら通り過ぎると、それにつられて、花にまっていたその一羽も宙へと舞い上がった。

 三羽の蝶は戯れながら、花から花へと移っていく。

 伸ばしかけた手は、結局その花弁に触れられることなく下ろされた。

「……私に触れる資格はない、か……」

 高貴な花だ。

 まるで、この国の王女のような――。

 脳裏に先程木の陰から見た少女の笑顔がよみがえる。

 彼女が、マダリアの花と(たた)えられる理由が分かった気がした。

 蕾だった花が開花するその瞬間を見たのだと。

 香気までもが目に見えた気がしたのだ。

 匂い立つ、この国唯一の名花。

 目の前に咲くこの花のように、いずれ大輪の花を咲かせるのだろう。

 誰もに愛されるような……。

 きっと、蝶達がその香気に誘われ花に親しむのと同じように、その花の周りにも人が集まるに違いない。

 そして、黒い死神はひっそりと自嘲の笑みを零した。

「…愚かだな」

 この夢は、私のものではありえない。

「本当に愚かだ」

 掠れて落ちた声は風にさらわれて消えてしまいそうなほど弱々しかった。

 それでも夢を見たかった。

 決して叶うことのない夢だと知っていたのに。


 時がたてばたつほど自己嫌悪にも似た罪悪感が身内で(おり)のように溜まっていく。

 この場所は蝶よ花よと育てられてきたあの王女にこそふさわしい――。

「そろそろ、夢から()めてもいい頃だ……」


 花弁を揺らして風が一声びゅうと()いた。

花笑み【はなえみ】…花が咲くこと。蕾がほころびること。

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