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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第二章 死者の残影
29/87

07 忍び寄る影・後編

 王の執務室を後にして、廊下を歩きながら思案顔でリリアが口を開いた。

「ドリスもお父様のこと、よく見ていてね。無理していても絶対表に出そうとしないんだもの、お父様ったら。……お母様がいてくれたら、お父様のこと、ちゃんと支えてあげられるんだろうけど、私じゃまだ無理だから……」

「任せといてください。今日は早く仕事を切り上げさせて早めに休ませるようにしますよ」

「ありがとう」

 リリアは素直に笑ってそう言った。

 仲のいい家族だとドリスは思う。互いに思いやっていることが一目瞭然の親子だった。

「……ホントはね、ドリス」

「何です?」

「あなたが、言ったあの台詞、ちゃんと自覚しているのかってやつ。……あれ聞いた時ね、私、少しあなたのこと見直したんだから」

「……さいですか」

「あたし、自覚が足りなかったわね。急に消えたりしたら、やっぱり皆心配するもの。今度からは気をつける」

「いい心がけです」

「せめて書置きぐらい残してから抜け出すことにするわ」

「……できれば禁裏内から一人で抜け出さないようにして頂きたいんですがね」

「嫌よ、そんなの。本当はこの後、サントさん、だっけ? のところにも案内して欲しかったんだけど、あなたにああ言われたから、今日のところは諦めるのよ」

「……それだけですか?」

「え?」

「諦める理由」

「ほ、他に何があるって言うのよっ!」

 ニヤニヤしているドリスを赤い顔で睨め上げながらリリアは言った。

「いーえ、別にいいんですがね。――気になりますか、彼」

「もちろん。ドリスは親しいのではないの? 昨日も一緒にいたでしょう」

「いや、たぶん本人に聞いたら否定すると思いますよ。人と馴れ合うタイプじゃない」

「そうなの? 人間嫌いってこと?」

「……さぁ、そういうわけでもなさそうですが。必要以上に誰かと関わることを避けている、そんな感じですね」

「ふーん……いったい、何者なのかしら……」

「……」

 それからしばらくしてから、リリアは尋ねた。

「あと、それからねぇ、ドリス……」

「ハイ?」

「あの……」

 珍しく、歯切れの悪い物言いに、ドリスは片眉を上げる。

「何ですか?」

「ジュリア様のことなのだけど……」

「あいつが何か?」

「……よくない、噂が流れていたでしょう……?」

「噂?」

 挙動不審気味のリリアの様子に、ドリスは得心がいって尋ねる。

「娼館に出入りしてる、ってアレですか?」

 リリアは分かるか分からないぐらいに小さく頷いた。

「ああ、あの噂の真相はですねぇ……」

 バッと音を立てて己を仰ぎ見たリリアに、ドリスはにやりと笑う。

「嘘じゃありません」

「え」

 リリアは立ち止まった。

 大ショックというのがその顔にありありと表れている。顔を青ざめさせて、呆然と立ち竦んでいるリリアに、あまり娘で遊ぶなと主に言われた言葉を思い出して、苦笑した。

「……俺を探すために、わざわざ、ね」

「え?」

「俺、しばらく城にいなかったでしょう? 行方を(くら)ましている相棒の行きそうな所に当たって聞き込みしてたわけですよ、真面目な親衛隊長様は」

「……それじゃあ、何? ジュリア様はあなたのせいで、しょ、娼館になんて行くはめになったってこと?」

「……普通の成人男性は喜び勇んで行くもんなんですがね」

「ジュリア様は違うわっ!!」

「ええ、おかしいんです、あいつ」

「もうっ!!」

 その時、リリアを呼ぶ声が聞こえてきた。

「リリア様――!!」

 ハッとしてリリアは身を硬くした。

「やだ、この声ルミネスだわ。どうしよう」

「おとなしく捕まってください。自覚なさったんでしょう? 無用な心配はさせるもんじゃありませんよ」

「……言ってることはとてもまともなんだけど、あなたに言われるととてつもなく(しゃく)だわ」

「あ、やっぱり?」

「リリア様!! 見つけましたよっ!! そんな格好しても分かるんですからねッ!! それ、私の服でしょう!!」

 ちょうど曲がり角からリリアと同じエプロンドレスを着た侍女のルミネスが姿を現した。

「どうやら親衛隊員の目はごまかせても、侍女の目はごまかせなかったようですね」

 ドリスは自分の背に隠れるように後退(じさ)ったリリアに言った。

「リリア様っ!! 毎度毎度、勝手に行方を眩まさないで下さいと申し上げているでしょう!? 私だってドミニカ様に怒られてしまうんですから! ちょっと目を放した隙に! 私はちゃんとお部屋でお勉強を続けていてくださいねと申し上げました!! もう小さい子供ではないんですから、少しは分別というものを覚えてください! 貴方は一国の王女様であらせられるのですよ!? 軽々しく外に出てかどわかされでもしたらいかがいたします!!! そうでなくとも、ご婦人というものはそんな無闇に殿方の前に顔を出すものではありません! 高貴な女性ほどそういうものなのです。それなのにまるで町娘のようにあっちへ行ったりこっちへ行ったり! 箱入り娘は箱入り娘らしく、箱の中でおとなしくしていてください!!!! そんな格好までして、守衛の方を欺いてっ! 恥を知りなさい、恥を!!」

「……イヤよ、箱の中でじっとしているなんて。それならあたしは町娘でいいわ」

 あまりの剣幕に、うっとリリアは詰まって、ドリスを盾にしてその背後に隠れてしまう。

「リリア様ッ!! その男にそんなふうに気安く近づかないで下さい!! 妊娠してもいいんですか!」

 悲鳴を上げる勢いでルミネスが言うと、ドリスが思いっきり顔を歪めた。

「ちょっと、ルミネス、それはいくらなんでも言いすぎでしょうよ。ガキに手を出すほど飢えて……」

 だが、ものすごい勢いで睨まれて、途中で口をつぐんだ。〝子供(ガキ)〟でなかったら一国の王女にでも手を出すつもりなのだろうか。

「……ドリス、今私のこと、〝ガキ〟って言った……?」

 後方からも不穏な声が聞こえてきて、彼は心底思った。

 勘弁して欲しい。

 己を争って対峙してくれているのならまだしも、完全なとばっちりで女二人の間に立たされるのは全くおいしくも嬉しくもなかった。

「とにかく、姫様。ここはおとなしくルミネスに捕まってくださいね。俺これ以上、突き刺さる視線の痛さに耐えられませんから」

「そんな簡単に私を引き渡すの? 私が叱られ死んだらどうするのよ!」

 裏切り者、とでも言いたげな視線を受けて、ドリスは肩を竦めた。

「叱られたぐらいじゃ人は死ねません。俺が何回死ななきゃいけなくなると思ってるんですか。姫様の比じゃありませんよ」

 命がいくつあっても足りゃしない、と自ら言ってのけた男に、リリアはつい呆れた視線を返した。

 自覚があるのなら少しは自粛すればいいものを、とは思ったが、自分もあまり人のことを言えた立場ではないではないかと口をつぐむ。そんなリリアにドリスは最後の止めとばかりに言った。

「それに、陛下のことを私に頼んだのは貴女でしょう? ここでおとなしく引いてくだされば、俺も早く陛下のところに戻れて助かるんですが……」

 そう言われてしまえば最早リリアに否やが言えるはずもなかった。

「……分かったわ」

「聞き分けのいい子供は好きですよ」

 そう言って、ぽんとベールの上からその頭に手を置いた。

「ドリス!!」

 あまりの無礼にルミネスは悲鳴を上げる。

「いいのよ、ルミネス。なんだかんだ言ってドリスも女子供には甘いんだから」

 ものの分かったようなその台詞に、ドリスは苦笑するしかない。その背を前に押し出してやった。

「んじゃ、ルミネス、ここからは君の仕事だから。くれぐれも我らが王女様をよろしくな」


†††


「それで、途中で引き返してきたか」

「……もう少し遅く帰ってきたほうがよかったですか、もしかして」

「いや……」

 そう言って主は黙り込んだ。

 自分が帰ってきたことにも気付かず、一人でじっと物思いに(ふけ)っていたらしい主のその背を見てドリスは思う。

 声をかけるまで、全くこちらに気がつかなかった。どうやら娘を送るよう頼んだのは、なにも王女の身を案じてばかりではなかったらしい。もちろん、一人にしてはどこへ行くかも分からない王女の目付けというのが、真の目的だったのであろうが、それ以外に、主は一人になりたかったのだと、主の元に帰ってきてから気がついた。体よく追い払われたのは、王女だけではなく自分もだったのだと思えてならない。 

 一人で何事かを考えている主の姿は、ある懸念をドリスに引き起こさせた。どうやら、ジュリアの杞憂(きゆう)ばかりではないのかもしれない。

 何も、ジュリアは不審な殺人事件についてばかり、主の心配をしていたわけではない。それも含めて、様子のおかしい主を心配しているのだ。何かいつもと違う、と。

 もし、自分が王の刺客であったとするのならば、さっきの隙に切りかかることもできただろう。もちろん、それで簡単にやられるような主人ではないとは知っているが、それでも不安は拭えない。あんな隙だらけの様子では。


 確かにジュリアやリリアが案じる通り、王の様子はおかしい。きっと、あの黒衣の人物が城に来てから……。

(いったい何者か、か)






「くそっ! よりによって、俺達が留守にしている間に警庁内で殺人だと!? ふざけやがって!!」

 フィオスは我慢ならないというように吐き捨てた。

「……その、仕出屋を装ったと思われる犯人は……?」

 ジュリアはキーンの質問に首を振って答える。

 冷静に訊き返すキーンも決して心中穏やかではなかった。

 その証拠に、いつも興奮しがちなフィオスの(たしな)め役の彼が、声を荒げて悪口雑言の限りを尽くしている同僚に、未だに何の(いさ)めの言葉も投げかけていない。

「……してやられたってことか……」

「まんまと、敵の詭計(きけい)に引っかかった。もっと早く気づけていれば……」

「それは言っても(せん)無いことです。あの状況で気がついたのが凄い。犯人の方が一枚上手だったようですが……」

「ああ…、敵はかなりのやり手だな」

「じゃあ、やっぱり俺達が聞いたのは犯人がわざと上げた悲鳴だったんだな?」

「……そうみてもいいだろう。俺達の目を逸らさせ足止めさせておくために……。

 身元不明の惨殺死体発見という異常事態発生に浮き足立って捜査に人員が借り出された隙を突き、警庁に仕出屋を装って侵入。そして、おそらく口封じに恐喝未遂事件関連の被疑者達を殺害……。恐ろしく大胆で行動が早い。捕まえてからまだ三日と経っていないのに」

「……でも、これで一つはっきりした」

「……なんだ?」

 ジュリアの言葉にフィオスは先を促す。

「これは、ただの恐喝事件じゃない。わざわざ危険を(おか)してまで警庁に踏み込んで殺害したんだ。どっちにしろ並の神経の人間の仕業じゃない」

 沈黙した場に、気を取り直すかのように、キーンが口を開いた。

「……それで、犯人の顔を見たものは……?」

「それが……」

 ジュリアは口ごもった。


†††


 仕出屋を通した門番の二人はこう言った。

『……それが、あまり記憶に残っていなくて……』

『平凡ということか?』

『たぶん……、愛想のいい男だったんで、接客になれてる感じだなぁって……』

『これという特徴は自分も覚えていません。どこにでもいる感じという印象が強くて……ただ、そうですね、始終ニコニコして愛嬌のある男でした』


†††


「……なんだ、それは。もっと年とか体つきとか服装とか他にもいろいろあるだろう」

 ジュリアの話を聞いたフィオスがそう言うと、

「いや、他の者達にも聞いてみたんだが、皆一様に同じことを言うんだ。……『愛想がよくて、始終ニコニコ笑っている、どこにでもいそうな平凡な男』……あと、帽子を被っていたらしくて、それについては皆言及していたんだが、本人の顔や特徴となると途端にあやふやになる」

「……始終ニコニコ笑っているような男が何人もの人間を殺したって言うのか? イカレテやがる」

「……そんな人間がどこにでもいたら、大事だ。よっぽど周囲に違和感なく溶け込む術に長けているんでしょう。つい見過ごしてしまうほどに……」

 フィオスとキーンの感想に、ジュリアも頷く。

「ああ。門番の一人が言っていた。顔を見ればこの男だと断定できると思うが、思い出そうとすると、不思議とその輪郭がぼやけて愛想がよかったという以外の印象が希薄になる、と。たぶん、男の持つ雰囲気がそうさせているんだろう。人の警戒を解き、注意を引き付けさせないような、間や表情。だがそれは周囲を欺き出し抜くための仮面だ。……本当の顔は誰にも見せない。見せるとしたら、それはおそらく……」

「人を殺す時、ですかね」

 キーンが後を続けた。

「腹の中で何考えてるのか、分からねぇ人間だな」

「聞き込みをしたところ、出前を頼んだ者はいなかった。被害者になった被疑者たちを監督していた者も特に疑問に思わずそれを受け取ったらしい。どこの業者かは分からない。配達されたのは特に珍しくないランチだったというし、特定は難しいな」

「わざわざ自分で用意したのか?」

「その可能性もある。かなり用意周到な男だ」

「〝ファナン〟についての詳細は?」

「シャハトを知っている商人仲間を中心に聞きこみに当たった結果、ちょうど『ファナン』を知ってる人物を捉まえました」

「それで?」

「ファナンはシャハトっていうあの宝石商の顔馴染で、武器商人だ」

「ええ、各国の珍しい武器かなんかを集めては、その手のコレクターに売りつけていたらしいです。王都に住む人間にも剣の収集家は多いですしね。他国にはマダリアの伝説の勇者の使っていた剣だと偽って古びてぼろぼろの古剣を騙して売ったりもしていたと……。シャハトと顔馴染だということですから、まず彼らの言っていた〝ファナン〟と同一人物だと思って間違いないでしょう」

「なぁ、その〝ファナン〟が犯人の可能性は? 自分のことをこれ以上話されたくない為に口封じに殺した」

「それはないと思う」

「何故だ? シャハトって奴が殺された時の凶器はファナンの売っていた商品だと判明したんだろ?」

「……少なくとも、自分の素性をばらされたくがないために、殺したというのは違うだろう。現に既に吐かれていた名前から聞き込みをすれば、素性などすぐに分かった。相手は簡単に尻尾を出さない人間だ。たったそれだけのことを隠すために警庁に忍び込むような真似はまずしない。それに、そんな簡単に素性が知れるような(やから)ではない気がする。これは私が敵に持った印象としての私見だが……。凶器に関しても、そんな簡単に足がつくものを残していくかが疑問だ」

「ああ、俺も少将の意見に賛成だ。まず、ファナンを知る人物にファナンの容姿を尋ねた時、キーワードの〝愛想がいい〟〝平凡〟〝始終笑っている〟などの証言が出てこなかっただろう? ファナンと犯人はたぶん別人だ。……むしろ、あの殺されていた顔のない死体がファナンである可能性が俺は高いと思う」

「へ?」

 フィオスは聞き返し、ジュリアは頷いた。

「……遺体の身元確認は?」

「……一応。ですがあそこまで傷付いた死体ではやはり断定は難しいと。それに、アレを直視するには生半可な勇気じゃ足りませんから。但し、〝ファナン〟という人物は右の腕には高価そうな腕輪をしていたという証言は取れました」

「……やはり、あの死体が〝ファナン〟である確率は高いか……」

 二人の会話にフィオスは得心が言ったような声を上げる。

「……そうか。ジュリアが言っていた金銭を盗んでいった理由を考えれば……ファナンなら外貨を持っていてもおかしくないな……。各国に顧客を持ってるって言ってたし」

「おそらく、敵は全ての殺人をファナンのやったものと我々に思わせたかった。捜査の攪乱(かくらん)と同時にファナンの背後にいる己の存在を作らないためにも。だから、ファナンと特定できないよう顔のない死体を残した。シャハトを殺した短剣も、ファナンが売りさばいている流通度の高い商品をあえて使った。

 『顔のない遺体は身元が断定することができない。哀れな犠牲者は私達を引き付けておくためだけに惨たらしい様で殺され、その隙にファナンは己のことをこれ以上話される前に警庁に侵入し被疑者たちを殺害』、そんなところだろう、敵が我々に提供したかったシナリオは。折りよく殺害された彼らは最期に〝ファナン〟の名を出してくれたしな」

 その時、三人のいる部屋にノックとともに壮年の騎士が入ってきた。

「死体の検死結果が出ましたよ、サンバリアン様」

 そこにいた、金髪の青年を認めると彼を睥睨(へいげい)して言った。聖騎士(サンバリアン)と敬称して言ったその視線はしかし、あまり好意的なものではない。

「三十六人の男達の死因は全て毒死。毒の種類は特定不可能。遅効性の猛毒なことには間違いありません。体内に入った毒素が服毒者の内臓をめちゃくちゃに()かしてしまっているという検死結果です。検案書と生前の男達の様子を見ていた検察役の調書(ちょうしょ)を渡しますので後はご自分で目を通してください。今現在宝石商の男も合わせて三十七人の死体は警庁地下の氷室(ひむろ)に移動しております。何か不備がありましょうか」

「……いいえ。夜分遅くまで、ご苦労様でした」

 どういたしましてと慇懃(いんげん)にお辞儀すると、彼は去り際に独り言のように言った。

「我らの管轄(かんかつ)内でいつまで王の守り刀である親衛隊長殿がでしゃばるつもりなのでしょうね。よほど勲功(くんこう)が欲しいと見える。親衛隊というのは案外することがないんですな。このようなところで油を売っている暇があるなら、最近できたというお気に入りの娼妓(しょうぎ)にでも遊んでもらったらいかがです? 貴方のご容姿なら事欠くことなどないでしょうね、羨ましいことだ」

 性質たちの悪い当てこすりに、フィオスが何かを言おうとしたが、キーンがそれを押し止め、ジュリアもそれを目線で制する。

「……夜遅くに、わざわざ、ありがとうございました。少し気になる事がありましたので、捜査に協力させていただいたまで。貴方方の職権を(おか)すつもりなど毛頭ありません。誤解させたなら申し訳ありませんでした」

 そう言ってジュリアが頭を下げると、フンと言って、男は出て行った。

「んだよ、感じわりぃ!!」

「フィオス、よせ。あれでも我らより上位だ」

 キーンの諫めに、フィオスはジュリアへと視線を変えた。

「じゃあ、ジュリア、何であんな奴に頭下げるんだよ。お前のほうが位階が上だろ」

「だが、私のほうが年少者だ」

「年なんて関係ねぇだろ。実力が全ての世界だ」

「そうだな。実力が全ての世界だ。言ってみればその人となりも程度を超えなければあまり関係ない」

 この言葉に不満そうにフィオスは顔をしかめた。

「年長者に対する礼儀を尽くしたまでだよ。それに私はここではよそ者だ。自分のシマを荒らされ、横から部外者に事件を掻っ攫われたら誰だっていい気はしないだろう」

「それだけじゃないだろ、アレは。お前をやっかんでやがるのさ」

「……そうだとしても、それも仕方がないだろう。万人に気に入られる人間なんて存在しない」

「…お前がそんなんだから、ああいう手合いが調子に乗るんだ」

 ぶっちょ面のフィオスの反論にジュリアは苦笑した。

 准騎士以下の下士官には人気のあるジュリアだったが、正騎士の、特に年長の者の中には、彼をよく思わない人間も少なくなかった。

 いくら実力主義の階級社会とはいえ、己より年若い者が自分より高い位置にいると知って、心穏やかでいられる者はそういない。正騎士ともなればそれだけプライドも高い。徒手空拳(としゅくうけん)で現在の地位に上り詰めたという気概と誇りがあるだけに、彼らは若いジュリアに含むものを持たざるを得なかった。

 正騎士になる者は多かれ少なかれ、それまでの困難を思えば、気骨のある者でなくてはならず、自分の信念に忠実で容易に人の意に屈しない気概を持っているということは、行き過ぎれば我が強いということになる。こんな風に、所轄(しょかつ)の範囲を超えてその指揮権を奪われてしまえば、嫌味の一つや二つを言いたくなっても仕方がなかっただろう。

 そして、ジュリアのその容貌も彼らのやっかみに拍車を掛けていた。見た目は、虫も殺さなそうな優男である。ジュリアを知らない者の中には、見目がいいから王の寵臣となったと声高に言う者もいた。その容姿で王女に取り入り、国王に重用されているとも。下士官に人気があるのも彼らとしては気に入らないし、ジュリアが騎士の(かがみ)のように言われるのはもっと気に入らない。ジュリアの外柔内剛の性質を理解していない者達にとっては、その容姿は誹謗(ひぼう)の対象にしかならなかった。良くも悪くも目立つ容姿である。本人も普段は至極温厚な人柄であるために、侮られやすいのだ。

「……それにしても、内臓がめちゃくちゃに融けただって?」

「ああ、そうらしい」

 渡された検案書を見ながらジュリアが言った。

「……絶対そんな死に方はしたくねぇな」

「検察役の調書にはなんと?」

「これと言って特筆すべき事柄はないな。被疑者達のそれまでの態度とか、そんなのばかりだ。婦女誘拐と恐喝未遂については自供しているが、それ以外については何も語っていない。宝石商の男に関しては……、この男は本当に何も知らなかったと見える。きっと己が何のために殺されるのかも知らなかっただろう」

「それじゃぁ、口封じに殺す必要なんてねぇじゃねぇか」

 自分の言葉で黙り込んだジュリアとキーンの顔を見て、フィオスは眉をひそめながら言った。

「……ついでに殺されたってことかよ」

「――おそらく。だが、だとすると、新たな犯人像が浮かび上がる」

「なんだ?」

「……犯人は人を殺すことをなんとも思ってない人間ってことだよ。楽しんでいる節さえある。まぁ、あの死体から見ても、それは明らかだが」

「普段から愛想がよくて、いたって平凡。腹の中で何を考えているか分からない人間で、殺しを楽しんでる?」

 冗談じゃないと、フィオスは思いっきり顔を歪めた。

「……で、結局犯人の目的って何なんだ? 口封じに殺されたって言うなら、漏らされたくないことって何だよ」

「……」

 ジュリアは押し黙った。それを見てキーンは口を開く。

「少将……いや、ジュリア。お前、何か見当がついているんじゃないか?」

 あえて敬語を解き敬称もやめてその名を呼び捨てにした。腹を割って話してくれという、意思表示だ。

「おい、本当か、ジュリア」

 フィオスも顔色を変えてジュリアを見つめる。ジュリアは黙って立ち上がった。

「だんまり決め込むつもりかよ」

「……見当がついているとか、そんなんじゃない。ただ、気になることがある。それは全然関係ないことかもしれないし、そうでないかもしれない。私にもよく分からないんだ。だが、これだけははっきりしている。私は聖騎士だ。敵が何であろうと、主の安全は己の命に代えても守ってみせる」

「ジュリア…」

「……それは陛下の身に危険が及ぶかもしれないということか?」

 強くなったキーンの視線に、ジュリアは答えた。

「……ドリスが言っていた。金銭目的の仕業にしては往生際が悪かった、彼らと戦ってみて腑に落ちないと感じたと。彼らは金が欲しかったんじゃない。……シャハトを利用することでそれと見せかけて、その実、武闘大会に優勝することが本当の目的だったんじゃないのか?」

「どういう意味だ? 同じことだろ?」

「大会に優勝して彼らが得るものは金だけじゃないだろう」

「何だよ、名誉とか?」

「それもそうだが」

「……まさか」

 キーンはハッとしてジュリアを見た。それにジュリアは重々しく頷いた。

「大会優勝者は、御前試合に召喚される可能性を得る。つまり、国王に近づくチャンスができるということだ」

 そう言ってからジュリアは押し黙った。

 だが、実際王に近づくチャンスを得たのは彼らではなく、黒衣の人物だった。結果的にドリスとその、謎の彼が被疑者達の企みを阻止したという可能性があったが、どうしてもその人物を信用してしまうのはジュリアにはためらわれた。王の様子が最近(とみ)におかしいことといい……。

 正体の知れぬその不気味さが、残忍なあの犯人の得体の知れなさとどうしてもダブルのだ。

 深刻な顔で押し黙った二人に、フィオスはあえて声を軽くして言った。

「お、おいおい、考えすぎじゃないのか」

「……私の職分は考えすぎて悪い事はない。警戒を怠って、後で死ぬほど後悔するよりは何百倍もマシだ」

「……」

「……それが当初から念頭にあったから、ただの恐喝未遂事件にわざわざお前が出向いてきたんだな」

「…ああ」

「…分かった。こっちは俺達に任せろ。何か分かったら必ず連絡する」

「そうそう、お前は陛下にぴたりくっついてろ。そうすれば俺らも安心できる」

「二人とも……」

 ポンとその肩をキーンが叩いた。フィオスもその腹に軽く拳を入れる。

「ありがとう」

 ジュリアは二人の旧友に笑って礼を言った。

詭計【きけい】…他人をだますはかりごと。詭策。偽計。ペテン。

私見【しけん】…自分一人の意見。また、それを謙遜していう語。

検案書【けんあんしょ】…医師の治療を受けずに死亡した者について、その死亡を確認する医師の証明書。

勲功【くんこう】…国家または君主に尽くした功労。いさお。手柄。

娼妓【しょうぎ】…遊女。特に、公認された売春婦。公娼。

徒手空拳【としゅくうけん】…あることを行うのに、何も手に持っていないこと。転じて、自分以外に頼るものが何もないことのたとえ。

所轄【しょかつ】…管轄すること。また、その範囲。

外柔内剛【がいじゅうないごう】…外見は物柔らかで、心の中がしっかりしていること。

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