06 忍び寄る影・前編
「ジュリア=シナモン親衛隊隊長殿!?」
警庁正門の門番をしていた二人の校尉士は、独り馬に乗って疾走してきた憧れの人の登場に驚きを隠せなかった。
「殺人事件発生後、警庁に訪ねてきた者はいたか!?」
馬上から開口一番、そう切迫した調子で尋ねられ、門番の二人は動揺する。
「は、ハッ! 仕出屋の男が一人……」
全てを聞く前に、ジュリアは馬から飛び降りた。
「すまない、馬を頼む!」
顔も見ずにそう言って、嵐のように二人の間を通り過ぎる。建物内に入って真っ先に目に入った人間の腕をつかみ、何事かを問おうとした、その時、
「おいっ!! 大変だ! 留置場の奴らがっ……!!」
その声に顔色を変えて、ジュリアは走り出す。
(クソッ、一足遅かったかっ……!!)
彼が留置場へと足を踏み入れた時、冷たい牢の中で喉をかきむしって苦しみ悶えながら倒れ伏す男達がいた。
「おいっ、どうしたお前ら、しっかりしろ!!」
そう、鍵を開けてもがく男達に話しかける年輩の准騎士の一人に、ジュリアは声をかける。
「いったい、何があった!」
「シナモン親衛隊隊長殿!?」
彼は突然現れたジュリアに驚きの声を上げたが、冷静さを取り戻してその質問に答えた。
「分からないんです、今までふてぶてしいぐらいピンピンしていたのに、急に苦しみだして……!」
口を押さえて、血を吐き出している男達を見てジュリアは言った。
「何か食べさせたんじゃないのか!?」
「あっ、はい、少し前に出前を……。まさか、その中に毒物か何かがっ!?」
「……医者を呼んでくれ! それからその仕出屋の男の捜索を!!」
「ハッ!」
准騎士が敬礼して出て行くと、ジュリアは苦しげに息をしている男の一人に近寄った。
「しっかりしろ。もうすぐ医者が来る」
「う、あぁ……あ……」
倒れた男は助けを求めるかのように、ジュリアに手を伸ばした。ジュリアは膝を着いてそれを握ってやる。
「……お前達は誰に命令されたんだ……」
ぼろぼろと涙を零しながら、顔をグシャグシャに歪める男に、ジュリアは訊いた。それは、先日決勝戦でドリスが対戦した男だった。
「……ファ……ナ……ン……」
「ファナン?……宝石商の男が言っていた男だな」
男は白目をむいて激しく痙攣し始める。手を握るジュリアの手も一緒に震えた。
「っ、しっかりしろ! お前達の目的は何だ!」
「し……に、たく…………い……」
だが、それに答えることなく、ジュリアの目の前で男は事切れた。
口の中を血反吐で真っ赤に染め鼻や耳からも血を流し、血の涙でぐしゃぐしゃにその顔を汚しながら……。
ジュリアは眉間にしわを寄せ瞑目すると、そっと、その白目を向いた男の目を閉ざし、その手を胸の前で組ませてやる。
顔を上げると、そこには既に息をしている人間は一人もいなかった。数十人の男達が皆目を大きく見開いて、顔を歪め、口や鼻から血を吐き出しながら、折り重なるように絶命していた。
淀んだ空気と濃い血臭が辺りに充満していた。
確かに彼らは罪人だったかもしれない。それでも、訳も分からずこんな死に方をしなくてはならないほど、彼らの命は軽いものではなかったはずだ。
「っ、クソッ!!」
ダンッとジュリアは硬い石床に己の拳を打ちつけた。
「……同じ奴だ……」
根拠があったわけではなかった。先の殺人とは手口も違う。それでも、判別できないほどその顔を切り刻まれていた男も、目の前で毒を盛られて死んでいった男達も、苦しみもがき、きっと哀願しながら死んでいった。
死にたくない、と。
人の命をなんとも思ってない人間の仕業だった。
そして、ジュリアはハッと何事かを思い出したように後ろから入ってきた騎士の一人に訊いた。
「宝石商のシャハトという男はどこだ」
だが、ジュリアが彼に案内されて対面したのは、喉許に刺さったナイフで即死している、豚のように太った男の死体だった。
「……結局、昨日はジュリア様が娼館に出入りしていたという噂の真相を確かめることはできなかったわ……」
リリアは自室で独り呟いた。
だが、口にそう出しながら頭では別のことも考えている。
(昨日のお父様の様子はやっぱりちょっとおかしかった……。あんな風にぼうっとするなんて…。お仕事疲れてるのかしら)
昨日あの後、部屋に戻ったらちょっと目を離した隙に行方を眩ましていたと言って、侍女のルミネスがカンカンになってリリアを探しに来た。半ば強引に父から引き離され、――ユリウスは苦笑しながら戻ったほうがいいとリリアの背を促したのだが――強制送還の憂き目にあった。ジュリアはどうやらこれから出かけるようなことを言っていたが、彼も何やらいつもと違う父に何かを感じているようだった。
(……ジュリア様なら父様の様子がおかしい原因に心当たりがあるかしら……)
うーんとリリアは腕を組み、顎を下げて考え込む。それを口実に王子様に会いに行ってみようかとも考えながら、思い浮かんだのは、父王の視線の先にいた黒衣を纏った人物だ。
(――武闘大会で優勝して、御前試合に召喚され、ザナス将軍にも勝って……父様に勝負を挑んだ人……)
昨日の会話を思い出す。今朝方侍女達が何やら盛んに噂話に花を咲かせていたと言ったら、ジュリアが説明してくれたのだった。
(……あのバルじいにも勝っちゃうんだから、ものすごく強いってことよね……)
天下のザナス将軍を〝バルじい〟呼ばわりできるのは、世界中探してもリリアぐらいだろう。
部屋に戻ってから侍女の皆にも今朝の噂について尋ねてみると皆喜んで黒衣の人物について語ってくれた。どうやらドリスが彼を連れて歩き回っていたらしい。『謎のベールに包まれた素顔なんて、とっても興味深くありません?』と、そう言ったのはルミネスだったか……。
確かにとても気になる。人一倍好奇心の旺盛なリリアにとっては尚更だった。
そして、悶々と考えているうちについに我慢できなくなって勢いよくリリアは立ち上がった。
「こんなところで一人で考えてても、何にもならないわ。まずは行動あるのみよっ!!」
そうして、再び彼女は自室を抜け出したのだった。
†††
「それで、ジュリアはいつ頃戻ってこられそうなんだ?」
「まだしばらくはかかるようです。書信には詳しく書かれてありませんが……」
「そうか…」
「しばらくは、私が陛下の側についているよう厳命がありました」
「ああ、頼りにしている」
「私としては任務が変わって嬉しい限りです。こうして陛下の御尊顔を始終拝見できて。――そろそろティータイムの時間ですが、休憩しますか?」
「緊張感のない男だな」
「ピリピリしてもいいことはありません。隊長殿も心配しておられたが、彼はそういう所が少々過敏に過ぎますから」
「まぁ、否定はしないが……。主の前でそんなふうに皮肉を飛ばすほど、くつろぎ過ぎというのもどうかと思うぞ?」
からかうようにそう言ったら、彼は肩を竦めた。
ユリウスは笑って、立ち上がりソファーに腰を下ろす。
すると、コンコンと音を立てて、扉がノックされた。
ユリウスはテーブルを挟んで己の前に座る臣を見る。その視線に片眉を上げ、手にしていた茶器を置くと王の忠実なる守護者はおもむろに立ち上がった。
ユリウスはソファーの上から移動すると、扉の真正面に位置する、己の執務机の肘掛け椅子に戻って言った。
「誰だ?」
「……王女様より陛下にお届け物を届けに参りました」
消えてしまいそうなほど小さな声がそれに答えた。
「リリアから……?」
怪訝そうに呟き、ユリウスは扉の前の臣下に目配せをした。
ゆっくりと開かれた扉の向こう、真っ先に目に入ったのは、色鮮やかな花の群れだ。
両手いっぱいに抱きしめられた色とりどりのラーレの花々が顔を出し、その下でエプロンドレスを身に付け白いレースの帽子を被った侍女が己の顔を隠していた。
「……娘から、お仕事の大変なお父様に贈り物です」
そう言って、侍女は、そっとその花束の下から、その顔を覗かせた。
「リリアか?」
驚いたようにユリウスがそう言うと、悪戯が成功した子供のように、リリアは笑った。
「……これはまた、突然の訪問だな。どうした?」
父は椅子から立ち上がると、腕を広げて娘を出迎える。
「きれいだな。わざわざ摘んできてくれたのか?」
一気にその場が華やいだようだった。娘の腕の中に咲き乱れているティーカップ形の愛らしい花に、ユリウスは顔を寄せる。よくばりすぎたなと笑って、両手に溢れんばかりになっていた花束をそっと受け取った。少し照れくさそうにリリアは言った。
「……お仕事の邪魔だった? 今はちょうど休憩の時間だろうと思って……」
「……いや、ちょうどドリスと休んでいたところだよ」
「――まったく、姫様はジュリアだったら真っ先にあいつに挨拶するくせに、俺だと完璧無視なんですもん」
ドリスはそう言うと、またソファーに座り直し、勝手にカップにお茶を注いで、懐から小型のボトルを取り出した。そしてその中身をカップの中に垂らす。どうやらブランデー割のようだ。
「ちょっと、ドリス、貴方は勤務中ではないの? 何普通に飲酒しようとしてるのよ」
「飲酒って、こんなちょびっと飲んだうちに入りませんって。少しぐらいアルコールを摂取したほうがリッラクス効果で仕事の能率だって上がるんですよ?」
「あなたの仕事はリラックスしていたら務まらないでしょう! 父様! ジュリア様は!? 何で、よりによってこんなのが父様のお部屋にいるの?」
「……えこひいきも甚だしいですよ、姫様」
「ジュリア様は特別よ!」
「はいはい」
ここまであからさまなのに未だにリリアの気持ちに気づく様子がないジュリアが、ドリスは謎で仕方がなった。自分も人のことは言えぬ口だが、ひどい男だ。
「それにしてもその格好はどうしたんだ?」
ユリウスがそう尋ねると、リリアはその場にくるりと一回転して回って見せた。
「どう、似合ってる?」
確かにそのエプロンドレスは彼女に似合っていた。
ひらひらとしたフリルとプリーツがついていてなかなかに可愛らしく、白いレースのベール帽がふわりと風に踊らされて浮かんだ。長く豊かな髪は今、ひっつめられてそのベールの中に隠れている。
「ああ、可愛い侍女だ」
苦笑して、ユリウスは言った。
「驚かそうと思ってね。こんなこともあろうかと、ルミネスから一着だけくすねておいた一品よ」
その言葉に、男二人は顔を見合わせる。
王女が侍女から服を〝くすねる〟。しかも完璧に確信犯だ。こそ泥のような王女の発言に、ドリスは呆れた。
「……ルミネスに見つかったらまた鬼のように怒られますよ、姫様」
「だって、昨日みたいに見つかっちゃったら困るもの。禁門の守衛さんたちが告げ口しないように、侍女の格好をすればばれないだろうって……。ベールで顔の前をなるべく分からないようにして、こう、ルミネスがいつも言ってるみたいに、お淑やかにしずしずと歩いて見せたら、全然気づかれなかったわ」
「……普段どれだけお転婆なのかを御自ら鋭く風刺なされていますね。それにしても、親衛隊ともあろうものが……そりゃ、守衛失格だな」
リリアはムッと顔をしかめてから彼らを弁護するように言った。
「それは違うわ、ドリス。彼らはよくやってくれているわよ。今回は私が上手だっただけ。基本的に入っていく人間には厳しいけれど、出て行く人間には注意が甘いのよね。彼らは禁裏に侵入する人間を見張っているんだから当然だわ」
胸を張って誇らしげに言われたその言葉に、ドリスは呆れた。門番の盲点をつこうとする王女がどこの世界にいるというのだろう。彼らは王女の安全を守るために警固しているのであって、王女に出し抜かれるためにいるわけではないのだが……。
「じゃあ、今度から禁裏から出て行く王女にも目を光らせておくようよく言っておきましょう」
そう親衛隊副隊長のドリスが言うと、リリアは頬を膨らませた。
「ちょっと、それは横暴だわ」
「……普通はね、姫様、誰にも何も告げずに王女がそこらへんをうろつくものじゃありません。貴女に何かがあったら、責任は全て貴女の侍女と、その守衛に当たっていた親衛隊員のものなんですよ。護衛する対象がいない禁裏を守るほど間抜けなことはない。俺達は遊びであそこに立っているわけではないんです。そこらへんをちゃんと自覚してます?」
真剣な面持ちでドリスが言うと、リリアは瞠目した。
少し強く言い過ぎたかと思ったドリスだったが、
「……驚いたわ。ドリスでもまともな事言うことがあったのね」
後でルミネス達に教えてあげなくちゃ。信じてくれるか疑問だけど。
そう悪意のない悪言を返され、ドリスは勢いよくよろけた。普段の行いのせいだろうと、主には同情の眼差しで見下ろされ、益々情けない気分になる。
(これがジュリアだったら、絶対落ち込んでるくせに……)
扱いが違いすぎると、二十三にもなった男が唇を尖らせていると、
「ちょっと、ドリス、貴方いつまでお父様に花束を持たせておく気? そして、何故、あなたが私達を差し置いて、一人ソファーでお茶を飲みながらくつろいでいるの? 私にそんなこと言う前に自身の態度を省みなさい! 普通ならとっくの昔に不敬罪で手打ちよ!」
そう、耳を引っ張られ耳元で怒鳴られた。
「イッ!」
「確かに一理あるぞ、ドリス。さっきみたいな台詞は真面目に職務をこなしている人間が言うものだ。お前ではいささか説得力に欠けるな」
「そうね、ドリスも少しは働きなさい。ほら、花瓶に水を張って持ってきて」
「俺ですか? 隣室に控えている侍女に……」
「私がここにいるってばれちゃ困るでしょうっ!!?」
「……」
ドリスは無言で立ち上がった。
「……お姫様の仰せのままに」
「なるべく早くね」
はいはい、そう言って、ちらりと主に会釈するとドリスは扉から出て行った。
父と娘は花を挟んでソファーに座る。
「……父様、今日はジュリア様は……?」
「なんだ、お目当てはそっちだったか?」
「ちっ、ちがいます! 昨日のお父様ちょっとおかしかったし……。なんだか気になって。お仕事疲れてるのかもしれないって、芳園まで行って、ラーレの花を貰ってきたの」
「……リリア」
ユリウスは驚いたように目を見開いた。
「昨日の私はそんなに変だったか?」
「変って言うより……、なんだろう、心ここにあらず見たいな感じで、ちょっと不安になっただけなの。なんでもなかったなら、いいんだけど」
「いや……。すまなかったな、わざわざ」
そう言うと、ううんとリリアはにっこり笑った。
「今、お茶を淹れてあげるね。園丁のおじさんに聞いたら、ラーレの香りには鎮静作用があるんだって。だから……」
そう言って、リリアはカップにラーレの花びらを一片入れると熱湯を注いで蓋をし、一分前後蒸らしてから花弁を取り出して、新しい紅茶の葉を入れたポットにそのお湯を入れた。
「こうすると、落ち着くってそう言ってたわ。……母様みたいにおいしくは淹れられないけど」
リリアはそっと、淹れたてのお茶をユリウスに差し出した。
「……ああ、お前の母は、お茶を淹れるのがうまかったな……」
そうしみじみと言いながら、ユリウスはリリアの淹れてくれた紅茶を一口、口に含む。
「……おいしいよ、リリア。それにいい香りだ」
優しく微笑してそう言うと、えへへとリリアは笑った。
「ジュリア様にも差し上げたかったのに」
「あ奴は今、調べごとをしていてな。城を離れているんだ。代わりにドリスにでも淹れてやったらどうだ?」
「だって、ドリスはアルコールでリラックスできると言っていたもの」
「あいつも惜しいことしたな。せっかく王女自らお茶を淹れてくださるチャンスをふいにした」
「ええ、そうよ。私は自分を安売りしたりしないわ」
一国の王女の発言に父は噴き出す。
「当然だ、リリア。お前は私の子なのだから。お前を安く売るなどこの私が許さん」
「あら、言い値のお値段だったら売ってしまうおつもりなの?」
揚げ足を取る娘に父は楽しげに答える。
「ああ、そうだな。私に勝てる男になら考えんこともない」
「……お父様、それは売るって言わないわ」
「いくら積まれようと、お前は金には換えられないよ、リリア。私の宝だ」
その言葉に、くすぐったげにリリアは笑った。
「そう言えば、昨日のあの黒衣の方……」
「うん?」
「昨日あの後ルミネス達からいろいろ聞いたの。どんな方なの? お父様もその素顔を知らないと聞いたのだけど……」
「……ああ、そうだな」
「とっても気になるわ。お城に滞在しているのでしょう? 会いに行っちゃダメかしら。もしかしたら退屈しているかもしれないし、城内を案内したり……」
「うーん、それはジュリアに反対されそうだな」
「え?」
その言葉に目をしばたたかせてから、何故かリリアは頬を染める。
「ジュリア様は気を悪くしたりする?」
ユリウスはその言葉に娘が頬を赤くした理由を覚って、苦笑した。リリアが言った意味で彼が反対してくれるのならよかったのだが。
「――そうだな。少なくとも二人っきりはやめなさい」
分かっていてこう言う自分も結構ひどいなと思いながら、ユリウスはとりあえずの牽制をした。
「……分かったわ。本当はこの後、場所を聞きだしてこっそり会いに行こうかとも思っていたのだけど……」
「こらこら、お転婆にもほどがあるぞ。ドリスもさっき言っていたが、あまり一人で城をうろつくのは感心しない。いくら城中とはいえ、禁裏の外が絶対に安全とは限らないぞ。忍び込むのがうまい者だとて世の中にはいるだろう――」
そう言うと、ユリウスは不自然に黙り込んだ。
「お父様?」
娘の呼びかけにも答えない。
「お父様ったら!」
「ん、ああ、すまない。――少し考えことを……」
「考え事って、話をしている最中なのに? やっぱり少し変よ、お父様」
不審げな娘の顔に父は苦笑した。これでは心配されても仕方がない。
「いや、ちょっとな、思い出していたんだよ」
「何を?」
それには答えず、ユリウスは曖昧に笑った。
その時、コンコンと扉を叩く音がして、花瓶を片手にドリスが入ってくる。
「おまちどおさま、お姫様。こちらでよろしいですか?」
口が円形に広がっている丸底の白い陶器の花瓶をドリスは差し出した。山高帽子を逆さにしたような形のシンプルな花瓶だ。
「ドリスにしては上出来ね。これだけ色どりのある花には白い花瓶がぴったりだわ。よくできました」
「……姫様、さっきからうすうす気付いてたんですが、俺のこと大きな弟か何かだと思ってるでしょう」
「言い得て妙だな、ドリス」
「陛下、貴方はそうやって笑ってますけどね、いいんですか? こんなのが息子で」
「頼りにしているぞ、息子」
「……そんな台詞俺に言ったら、ジュリアの奴が嫉妬しますよ」
「ジュリア様でもヤキモチ焼いたりすることってやっぱりあるの?」
花を花瓶に活けていたリリアが、ドリスを見た。パッと割り込んできたその質問に、主と視線を合わせ、ドリスはにやりと笑う。
「ええ、結構嫉妬深いだ性質だと思いますよ? 絶対口には出さないタイプですけどね」
ユリウスはドリスを叱るように彼の後頭部を軽く小突くと、小声で言う。
〈あまり私の娘で遊んでほしくないな〉
〈陛下だって、ちゃっかり利用してたじゃないですか〉
〈盗み聞きとは趣味が悪い〉
〈最初から分かってたくせに何言ってんですか。自分だけ姫様の淹れた紅茶を飲んで……〉
〈だから『ドリス“にも”淹れてやったらどうだ』と私は言ってやっただろうが〉
〈『ドリス“にでも”淹れてやったらどうだ』でしょ〉
〈あの花瓶のチョイスは隣に控えていたカタリーナのものか?〉
悪びれもせずに話を変えた主に、ドリスは内心では苦笑しながらも、振られた話題が話題だったので喜んでその話に乗ることにした。
〈そうそう、リーナちゃん。あの眼鏡が知性的でたまらないですね〉
〈お前のことだから、私のことなどほっといてリーナを口説きにかかるかと思ってたがな〉
〈……貴方から離れると俺がジュリアに怒られるんですよ、そりゃもう烈火の如く。絶対あいつ帰ってきたら俺に訊くんですから。片時も側を離れるな、自分が帰るまで徹夜で護衛しとけって言うような奴です〉
〈徹夜でするのか?〉
〈言っときますけど、俺だって嫌ですからね。いくら主とはいえ、野郎と夜を共にするなんて〉
〈…語弊は避けろ〉
呆れたようにユリウスは続ける。
〈つくづくお前が王臣を続けていられることが不思議でならんな。私でなかったらとっくの昔に打ち首になっていてもおかしくないぞ〉
〈そんな主にははなから仕えませんから〉
〈褒められていると取っていいのかそれは〉
〈微妙ですね。俺から言わせてもらえば、貴方ほど王らしくない王もいない〉
それは褒めていないなと、苦笑して言った主にドリスは言う。
〈――でも、そうじゃなかったら、俺は貴方には仕えてはいなかった。誰かに仕えようなんて考えようともしなかったでしょうね。能力優先志向には賛成ですよ。権威主義やら血統至上主義には関わりあいたいとは思わないが〉
〈――同感だな〉
〈ほら、そこが違う。世の王族というものは権威やら血統やらが大好物だと思ってましたけど〉
〈……それも同感だが〉
ドリスはクッと笑った。
〈貴方ほど王らしくない王もいないが、貴方ほど王にふさわしい男もいないと、俺は思いますけどね〉
〈……〉
〈これは褒め言葉ですよ〉
〈……しっている……遠いむかし、だれかに同じことを言われた……〉
〈――? ……誰です?〉
〈……〉
〈陛下?〉
〈……思い出せない……〉
〈……陛下? ……どうしました?〉
「ちょっと、さっきから二人で何を話してるの?」
花を活け終わったリリアは、先ほどからこそこそと内緒話をしている二人を不審げに振り返った。
ドリスは慌てて顔を上げる。
「あっ、いえ、花、活け終わりました?……ああ、きれいだな。ぐっと部屋が明るくなった」
「なんか、わざとらしい」
「いえいえ、ねぇ、陛下、きれいですよね」
ドリスは主の脇を肘でつついて言った。
「あ……ああ、きれいだよ、リリア」
「本当にお父様大丈夫? やっぱりどこか悪いんじゃ……」
怪訝そうなリリアの顔に、ユリウスは苦く笑った。下手に否定して心配されるより、ここは認めてしまったほうがいいようだ。
「……いや、何だかぼうっとしてしまってな。夢か現か、なんだかごっちゃになってるみたいだ」
「夢?」
「白昼夢を見ているような気分なんだよ。寝不足かな。今日の夜はいつもより早く休むことにしよう」
「まぁ、ホント? まさか夜遅くまで、面倒な懸案とにらめっこしてたんじゃないでしょうね」
リリアは腰に手をやると睨むように、父の目を覗き込んだ。
「……やっぱり、お父様、少し目の下にクマができてるわ。いったい何時に寝たの?」
そう訊かれて、ユリウスは実際に昨夜中々寝付けなかったことを思い出した。別に、リリアの言うように残務処理をしていたわけではなかったのだが。
「そんな怖い顔しないでくれ、リリア。それより、そろそろ休憩の時間も終わりだよ。お前も部屋に戻りなさい」
そう言うと、その額にそっと唇を落とした。それは別れる時の挨拶であり、もうお行き、という合図でもあった。
「きれいな花をありがとう」
愛しげに微笑まれて、リリアは口を尖らせた。自分が体よく追い払われようとしているのは分かっているのだが、リリアは父のこの顔に逆らえたことがない。
「お父様はずるいわ」
「知っているよ。――ドリスに送らせよう。寄り道しないでちゃんと部屋に戻りなさい」
「陛下」
「頼む」
「……」
主の真っ直ぐな視線にドリスは溜息をついた。
「俺があいつに睨まれることになったら、庇ってくださるんでしょうね」
「任せろ」
ユリウスははんなりと笑った。
「すぐ戻ってきます。勝手にどこかに行かないで下さいよ?」
「分かっている。すまないな」
「いーえ、主が黒と言えば、白でも黒ですから」
ドリスに背を押され、リリアは後ろを振り返る。最後にこれを聞きたかった。
「……父様、ジュリア様はいつ頃お戻りになられるの?」
その言葉に、ドリスとユリウスは視線を合わせ、ドリスが口を開いた。
「しばらくは俺が陛下の側に張り付いてることになります。心配しなくてもあいつはすぐ帰ってきますよ」
「……そう。あ、それじゃあ、お父様、無理しないでね。約束よ」
ユリウスは手を上げてそれに応える。扉の奥に、父の優しげな顔が消えた。
言い得て妙【いいえてみょう】…実にうまく言い当てているさま。
語弊【ごへい】…誤解をまねきやすい言い方。また、その弊害。