04 始まりの訃音
「親衛隊隊長はまだいらっしゃらないのか?」
黒色の軍服に身を包んだ男は、門番に尋ねた。
袖にある徽章は一等正騎士を示す五葉刀を示している。どうやら仕官クラスの人間らしい。
「ハッ、ジュリア=シナモン少将殿はまだいらっしゃっておりません!!」
形のよい敬礼をして、二人の校尉士は答える。
「そうか…、そろそろ来てもいい時間なんだが」
男、キーン=ダグラス中尉はそう言って、警庁の正門前で腕を組んで仁王立ちした。
警察事務を行い、王都の治安を守る王都警備隊の本部、――警庁。
サンカレラ騎士団は戦争が起こった時にはそれに従軍し、暴乱が起こった時にはそれを鎮圧する、武力行使の権利を有する軍部ではあるが、戦や暴動のない平時、決してなにもしていないというわけではなかった。彼らは治安維持のため、犯罪の取り締まり、災害救助などの役割も同時に担っている。むしろ、普段のそれらの仕事が騎士団の主な職務とも言えた。
「時間に厳しいジュリアが遅刻だなんて、珍しいことがあるもんだな」
キーンの後ろから、また一人男が出てきて言った。
「フィオス、大尉のお前が少将を呼び捨てにするのはどうなんだ?」
「いいじゃないか。同期だぜ? それに俺のが年上だ。勝手に出世していくあいつが悪い」
「大尉殿は、聖騎士シナモン様と親しくていらっしゃるのですか!?」
年若い門番の一人が堪えきれずそう言った。
興奮気味のその問いかけに、フィオス=バーク大尉は胸を反らせて答えた。
「おう、あいつらとは養成学校時代同じ班だった。ジュリアなんて女の子みたいで可愛かったぜ」
「あいつら?」
もう一人の校尉士が不思議そうに反芻した。
「ジュリアとドリスだろ?」
「ドリス=サラミア様も!?」
「そのお二人が幼少以来の親友同士というのは本当なんですか?」
二人は尊敬と羨望が入り混じったような眼差しでフィオスを見つめた。
実はこの二人、今日はジュリアが警庁を訪ねてくると聞いて、かなり緊張気味にその来訪を待っていた。
騎士の見本と噂されるその人柄と、恵まれた容姿。最年少で正騎士に昇士し、いまや王の忠篤い側近、親衛隊隊長を任される聖騎士である。そして、その双璧とされるもう一人の聖騎士、親衛隊副隊長のドリスもまた、彼らにとって憧憬の対象だった。若くして成功している二人は、特に若年層からの人気が高い。まだ十台の彼らが興奮するのも無理はない。
「そうそう、なんだかんだ言って、あいつらいっつも一緒にいたんだよな」
〈――その親友同士が昨日、陛下の御前で、片方が片方を殺そうとしたというのにな……〉
ボソリと呟かれた同僚の声に、フィオスも門番の二人には聞こえないように小声で尋ねた。
〈……あれ、やっぱり本当なのか?〉
〈ドリスが何かやらかしたんだろう。俺が入手した話によると、一ヶ月近く姿を眩まして武闘大会に参加していたらしい。しかも御前試合に召喚されて、ジュリアとやり合ったって話だ〉
〈……そりゃ、ドリスの奴、よく生き残れたな〉
王騎士であるドリスが武闘大会に参加して御前試合召喚を受けた事実は、大老大臣パジェスによってその場にいた者全員に口外禁止の箝口令が布かれていた。これこそ、体面の問題である。表向きには、ドリスが潜入捜査によって違法者を摘発したことになっていた。
だが、それ以上にその日その場にいた者達の記憶に残ったのは国王の武勇だった。
その真剣勝負を目にした者は皆が、興奮してそれを周りの人間に片っ端から語って聞かせていったのだ。正直、キーンとフィオスの二人が門の前までジュリアを出迎えようとしているのも、その辺の経緯を詳しく聞きたいと首を長くして待っていたからだったりする。
「――それにしても遅いな」
「そうだな。時間前行動のあいつらしくもない」
「王女様にでも捕まってるか、あるいは、ドリスを追い掛け回しているとか」
「ああ、それはどっちもありそうだ」
「……どうする? 先に始めてるか?」
「ジュリアがいなきゃ意味ないだろ。直接話を聞きたいって言ってるんだ。二度手間になっちまう」
「……あいつがでっぱてくるような案件なのか?」
「分からん。…が、まだ仲間がいるのは確かなんだ。そいつを上げるまではほっとくわけにもいかんだろ」
「あの宝石商の証言か……。確か、『ファナン』とか言っていたよな」
その時、〝ガサリ〟と物音がした。数メートル先の茂みから一人の男が飛び出す。
「誰だっ!!」
明らかな不審者に、鋭い誰何の声が上がった。
だが、その影は振り返ることなく背を向けたまま走り出した。直感で怪しいと覚ったフィオスは逡巡する間もなく駆け出していた。
「追うぞっ!! キーン、来い!!」
「お前達二人はここで待機、門衛を続けろ。親衛隊隊長が来たら説明を!」
キーンはそう言うと、一足先に逃げ出した後姿に向かって走り出した相棒の背を追った。
†††
「くそ、シャハトの野郎、あっさりと吐きやがって!!」
男は人通りのない細い路地裏を全力で疾走していた。
「冗談じゃないぜ、くそったれ! あっさり捕まっちまいやがって、自分から出頭したようなもんじゃねぇか、あの野郎! だいたい、初めから無理があったんだ。何が〝正統な血〟だ。今時、血統だかなんだかなんて、はやらねぇっていうんだ! 影に隠れてばっかの能無しが!」
愚痴と罵倒を繰り替えしながら必死に足を動かしていたその時、通り過ぎようとした横道の暗がりから誰かが現れ出た気配があった。細い道が交差する一瞬、
「ぐわっ!!」
足に何かが引っかかって、男は派手に転倒した。
「ばっかやろう!! 誰だ、この野郎!!」
硬い地面とご対面して出血した鼻を押さえながら、男は怒気もあらわに振り返った。そして、息を呑む。
「――やぁ、ファナンさん。どうしたんだい? そんなに急いで」
丸縁眼鏡の男が、ニコニコしながら立っていた。
「あ…あんた……」
これといって目立たない服装の、どこにでもいそうな男だ。
薄汚れた白い綿のシャツに、野暮ったい檜皮色のスラックス。着古したシャツはズボンの外にだらしなくはみ出して、黒いベストはボタンがとんでいる。三十路を過ぎて女房に逃げられた男やもめ――、あえて評してみるならそんな感じだった。
とにかく無駄に愛想がいい。眼鏡の下の瞳はいつも細められている。
だが何故か、後で思い返そうとしても不思議とその輪郭がぼやけがちになる男だった。
「……それより、どうなってるのかな? ちゃんと次の手は考えてあるのかい? 経過が聞きたくてさ」
男は相変わらず上機嫌な顔で尻もちをついたままのファナンに近寄った。だが、今はその愛想笑いが逆に不気味だ。
「まっ、待ってくれ!! シャ、シャハトの野郎が俺の名を吐きやがったんだ! きっと、素性もばれちまってる! 捕まっちまうのも時間の問題だっ!!」
「へぇ、それでパクられちまう前にトンズラここうって思ったわけだ」
男はその場にしゃがみこむと、ファナンの顔を覗き込んだ。
「言っとくけど、あの宝石商を引き込んだのはアンタだろ? そっちの不始末を理由にされてもねぇ。親から教わらなかったのかい?」
――自分のケツは自分でふけってよぉ
グンと、男の声の温度が下がったことに気づき、ファナンは身体を震わせる。
「でもまあ? アンタがあの豚にどこまでしゃべったかが問題だよなぁ、ほら、俺まで優秀な王騎士の皆さんに追われちゃ困るんだよ。この国の守護者さんときたら、恐ろしく行動が迅速でねぇ。早いとこ手を打たなきゃだろ?」
男は声のトーンを戻すと、ニコニコ笑って相手を安心させるような軽い口調で言った。
全身にびっしょり冷や汗をかいていたファナンは、それに一縷の望みをかけるかのように、必死に弁解の言葉を吐き出す。
「あっ、あなたのことは誰にもしゃべっていません! もちろん旦那のことも!! シャハトの野郎はただの賭け試合だと思ってたし、使い物にならなかったあいつらも同じです!!」
「へぇ、そりゃ上出来だよ、ファナンさん」
にっこり笑ってそう言った男に、ファナンはホッと安堵の息を吐く。だが。
「ファナンさん、俺が何のためにここに来たか、あんた分かってるかい?」
「え…?」
「あんたと同じさ。あの豚がどこまで吐いたか探りを入れるために、軽はずみにもあんな所に行ったんだろ?」
「あ、お、俺をつけて……」
「俺もそれが知りたかったのさ。そして、俺のことを知っているのがあんただけだってことが分かった。これは結構な収穫だぜ? ホント、どっかのバカみたく捕まっちまう前でよかったよ」
にっと、おどけたように笑った。
「おっ、俺は誰にもしゃべったりしないよっ!!」
「……言わなかったけ? 中途半場は嫌いだってさぁ。それに、失敗した奴を見逃してやるほど俺は甘くないって」
そう言って男は己の眼鏡に手をやると、おもむろにそれを外した。開いているかどうかも定かじゃなかったその目が、すっと開かれる。
がらっとその人相が一変した。
じゃあ、口封じに死んでもらおうかぁ……。
軽い口調はそのままに、零れ落ちた声はゾッとするほど低いものだった。
†††
「ぎゃああああああ――!!!!!!」
「なっ、なんだ!?」
「こっちだ、フィオス!!」
不審人物を探して走り回っていたキーンとフィオスの二人は、その後姿を途中で見失ってしまい、諦めかけていた時だった。
キーンは悲鳴の聞こえてきた路地裏へと足を踏み入れる。
だがしばらく迷走して、途中で急にその足を止めた。
「――ぶっ、なんだよ、キーン! 急に止まるな!」
並走するには狭すぎる隘路、キーンの後ろからその背を追っていたフィオスはいきなり何も言わずに急停止した相棒にぶつかって不満の声を上げた。
だが、キーンは弁解の言葉も発さずに、立像か何かのように立ち尽くしている。
不審に思ってフィオスがキーンの隣に出ようとすると、
「……死んでる」
「あ?」
フィオスが怪訝そうにキーンの視線の先を辿ると、白くくたびれたような石畳の路地の上に真っ赤な血溜まりを作って、男の体だったものが転がっていた。
†††
「警庁近辺をうろついていた不審人物が殺された?」
ジュリアはその報告を、城内にある個人の執務室で聞いた。
「はい…。今身元の確認を急いでいるところですが……」
警庁へと足を向けようとしていたちょうどその時入った凶報に、彼は眉をひそめる。
「――被害者は?」
「それが…」
報告に来た、従士の徽章をつけた少年は口を濁らせた。
「なんだ?」
「…その、遺体の損傷が激しくて……」
少年は真っ青な顔で口元を覆い、えずきそうになって身を縮めた。
見かねたジュリアは立ち上がって少年の背をなでてやる。硝子瓶に入っていた檸檬水をグラスに入れて差し出した。
「無理をするな」
恐縮して辞退しようとする少年を近くの椅子に座らせて、その手にグラスを握らせてやる。自身はその前にしゃがみこんで、相手の顔を下から覗き見ながら続けた。
「ゆっくりでいい。……死んだ人間の性別は?」
「……男性です」
「警庁をうろついていたというのは?」
「はい、正門付近に潜んでいたらしいです。誰何したら、急に身を翻して逃げ出したと……」
「発見は?」
「逃げ出した男を追った隊員が男を見失って諦めようかとした時に、悲鳴を聞きつけたらしいんです」
「それで、その悲鳴を辿って行ったら死体が転がっていた?」
こくりと、少年は頷いた。
「……死因は?」
「……刃物でめった刺しにされていて……、か、顔が……」
グラスを持つ少年の手が震えた。
背は高いが十代前半だろう、頬の辺りにはまだ幼さが残っている。養成学校から上がってきたばかりかもしれない。
ジュリアはその震える手を上から押さえてやった。
「顔が……?」
「ひ、ひふが……は、はぎとられて…て……」
うっと少年は口を覆った。
ジュリアは急いで彼を洗面台へと連れて行った。水の流れる音と一緒に胃の中のものを吐き出しながら、それでも少年は、自分の背をさする温かい手に勇気付けられたように健気に続けた。
「……めちゃくちゃに切り刻まれていて……顔が判別つかない有様なんです。体の局部もばらばらに切断されていて……首も……」
「……狂人の仕業か……」
ジュリアは不快そうに顔をしかめた。
自分の思考に入りかけ、鏡越しに真っ青な顔で、それでも気丈に己を見上げてくる瞳を見つけて、ジュリアはその頭にポンと手を置いた。
「ごくろうだった。名は?」
「王都警備隊第七班所属、第一級正騎士フィオス=バーク大尉の従卒を務めます、四級従士、ウィリアム=ウィルスです、ジュリア=シナモン聖騎士」
「――そうか、フィオスさんの……。ウィリアム、若いのにしっかりしている」
そう言って、鏡越しにジュリアが微笑むと、ウィリアム少年は青かった顔を真っ赤に染め上げた。
「いっ、いえ……も、申し訳ありませんでした!! とんだ醜態を!!」
急に元気になって、そう慌てたように謝罪するウィリアムをジュリアは制する。
「そんなことは気にするな。それより、檸檬水を口直しに飲むといい。頭がさっぱりするはずだから。それから現場まで案内してもらおうか」
「はっ、はいっ!!」
ウィリアム少年は勢いよく敬礼を返した。
訃音【ふいん】…死亡のしらせ。訃報。
箝口令【かんこうれい】…ある事柄について他人に話すことを禁ずる命令。
逡巡【しゅんじゅん】…ぐずぐずすること。ためらうこと。しりごみすること。
隘路【あいろ】…狭い通路。狭くて通りにくい路。