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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第二章 死者の残影
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03 王城での日常・後編

 リリアはまた一人、侍女の隙を見て部屋を抜け出し、宮城の散策に繰り出していた。

 最近、ショックな噂を耳にした。

 ジュリアが娼館に出入りしているというのだ。

 娼館がどういう場所を指すものなのか全く想像がつかないほど、リリアは箱入りではなかった。

 厳密に理解しているとは言いがたくとも、〝夜になると男の人が女の人に会いに行くいかがわしい場所〟程度の認識はある。

 蝶よ花よと育てられたリリアだが、深窓の姫君というにはいささか彼女は活発すぎたし、彼女の父は全ての不浄から目を隠してきれいなものだけを見せるというような偏向的な育て方を好まなかったからだ。

 その噂を初めて耳にした時、ジュリアに限ってそんなことはない、とリリアは真っ先にそう思った。だが、恋する乙女には不安がつきもの、一度考え出したらそこから抜け出せなくなってしまった。

 今朝も、あれこれと楽しそうに噂話に花を咲かせていた侍女を尻目に、溜息をついてばかり。普段の生活にまで支障が出てきて「いい加減にしてください」とドミニカに叱られ、自分でもこのまま悩んでいてもしょうがないと思い直し、今日はその真相を確かめようと奮起して抜け出してきたのだ。

 さすがに本人に聞くのは憚られるし、誰に聞くべきだろう――、そう思案していたリリアは、その時聞き馴染んだ声を(とら)えた気がして歩みを止めた。

「……お父様?」

 顔を上げれば、太陽の日差しを受けた濃緑がリリアの目に飛び込んできた。

 右手は回廊の隔壁、左手には太陽が燦燦(さんさん)と降り注ぐ庭園が広がっている。

 青空を彼方に(いただ)き、光が緑育む大地へと惜しみなく生きる力を放射していた。植物紋が刻まれた廊下まで足を伸ばした陽光は、彼女の右手に閉ざされた無生物の石壁に静かに躍動する生命を投影し、列柱の額縁に収められたそれはまるで一つの壁画のような様相を呈している。

 そこは、リリアの母が生きていた頃、あまり外に出ることがなかった彼女とよく一緒にお茶をした庭園だった。時には父もそれに交じり、家族水入らずの時間をここで過ごした。

 母がいなくなってからは無意識に避けてきた場所だ。ここには、彼女の面影があちらこちらに残っているから。

 白い花の香りと共に……。

 リリアは懐かしい匂いに引き寄せられるように自然と足を踏み出していた。


(かわってない…)

 懐かしいと感じた。

 農道に見られるような変哲もない草花に縁取られてできた土の小道は、しだいに石畳の園路へと姿を変えていく。

 左右に分かたれた敷石の中央には底の丸い小さな溝状の水路があり、石の上を走る緩やかな水流の中で悠悠と泳ぐ小魚達が左右の園路を行く人達の目を和ませる。銀色の背びれに太陽光を浴びた魚達はさながら天の川の星だった。

 きらきらと瞬く小さな星達に案内されるように歩いていくと、円形の泉水へと辿りつく。穏やかに水を湛えた水盤の中央では、小さな噴水が飛沫を上げて、水面に浮かぶ丸い葉に細かな雨を降らせていた。白い花が暑い夏の日差しを受けて水の上に咲くのはまだ先だ。

 地上に落ちた昼の星達に別れを告げ、池を左に折れると緑豊かなヤマモモの大樹に寄り添われて、涼しげな東屋が見えてくる。

 反対に池の右手には青々とした芝生が広がり、石垣に沿って作られた花壇は春になると色鮮やかな花を咲かせて見る人の目を楽しませる。

 そして母が死んだ今でも庭師によって(ねんご)ろに手入れを続けられているダフネらの生垣がこの庭園のそこかしこにひっそりと息づいていた。

(……お母様)

 そっと、その白い花に手を伸ばす。

 こんもりと茂った半球状の緑の中、白い毬のような花の固まりがまるで果実のように点々と実っていた。小さな花が集まってできた球形の周りを、剣先の形をした葉がまるで純白の乙女を守るかのように突き出す。つややかな深緑色の葉と白い花とのコントラストが爽やかだ。

 ダフネラには他にも淡紅色や黄白色の花を咲かせるものがあるが、リリアの母は純白のものを好んだ。特に白いダフネラは清らかさが匂い立つようで、聖女の象徴ともされている。

 ダフネラはリリアにとって、母の花だった。

(……これも…まだ、あったんだ……)

 緑陰に染められた手製のブランコと石造りのベンチ。

 リリアは東屋近くの木陰へと足を進めると、そっと古くなったブランコの横木に手を置いた。

 小さい頃はよくこれに乗って遊んだ。木の幹を挟んだその横で両親が二人でベンチに座っていた。確か、このブランコは父が作ってくれたものだった。

 ゆっくりと腰を下ろすと、ぎしっと音が鳴った。

 昔は地面に足がつかなかったのに、今は足を伸ばして座らないと漕ぐこともできない。当然だろう。このブランコで遊んでいたのは、五年前、まだ自分が九歳の頃だ。十歳の年に母は倒れ、そして十一歳の秋、彼女は死んだ。

 自分がせがむと、母はよく後ろから自分の背を押してくれたものだ。

『お母様、もっともっと!』

『今度お父様に頼むといいわ。二人乗りをするとね、ぐんと空が近くなるのよ、まるで空を飛んでるみたいに』

 夢中になる自分に、母は後ろからそう言って笑った。 

『お母様もやったことあるの?』

『……昔ね、大好きなお友達が私の後ろに乗って漕いでくれたことがあったわ。あんまり高くまで漕ぐものだから、最初はびっくりして、とても怖かったのだけれど、目の前いっぱいに青い色が広がってね、まるで空を飛んでるみたいな気持ちになるの。そして、頬を切る風がとても気持がちよかった。母様はあまり体が丈夫でなかったから、昔も風を切って大地を走ることなんてできなかったわ。そんな私にね、体いっぱいに風を受ける気持ちよさを教えてくれたの。全てから解き放たれて、自分が風になる、そんな感覚。頭上からね、明るい笑い声が降ってきて、見上げてみると、彼女が太陽みたいな笑顔で笑っていたわ。その時私は口を大きく開けて笑うことも覚えたのよ――』

『お母様はそのお友達が大好きだったのね』

『ええ、今でもよく思い出すわ。私にたくさんのことを教えてくれた、風みたいに自由で、太陽みたいに明るい人』

『お母様っ!! 私もそのお友達と会ってみたいわ!!』

 そうすると母は微笑んだ。

『そうね、私ももう一度だけ会ってみたい。でも、その前にお父様に会わせてさし上げたいの』

『お父様?』

『ええ、そうよ。その人はね、お母様とお父様にとって、とってもとっても大切な人なのよ』

 その時の母はとても優しい目をしていた。

(あの時、言っていたお父様とお母様の大切な人って、いったい誰だったのかしら……)

 キュッとブランコを吊るしている綱を握って、己の足元を見つめた。

(お母様……)

 私はもう一度でいい、お母様に会いたいわ…。ほら、お母様、私はもうこんなに大きくなったのよ、って。

 その時、がさりと音がしてハッとリリアは顔を上げた。

「リリア?」

 芝生の向こう、蔦の這った石垣の切れ目から、記憶の中にあった顔が現れた。

「お父様…」

「リリア様ですか?」

 その後ろからもう一人顔を出した人を見て、リリアは勢いよくブランコから立ち上がる。

「じゅ、ジュリア様!!」

「どうした? また、抜け出してきたのか」

 困った子だな、と言いたげなその声と近づいてきた気配に顔を上げれば、言葉とは裏腹に父は優しく微笑んでいる。なんだか泣きたくなって、リリアはその大きな腕の中に走って飛び込んだ。

「どうした、リリア?」

 無言で首を振ると、その頭を大きな手が撫でた。

「……お前がここに来るのは久しぶりだな」

 その言葉に父の腹に顔を埋める。

 そんな親子の抱擁を見て、ジュリアは早々に立ち去ろうとした。ここが、亡き王妃との思い出の場所であるということを彼は知っている。

「陛下、それでは私はこれで――」

 だが、その時、腕の中にいる娘が身を硬くし、ぎゅっと己の服を握り締めたのに気がついて、ユリウスは苦笑した。

「ジュリア、まだいいだろう。もう少しここで話していかないか」

「ハッ。しかし…」

「嫌か?」

「……よろしいのですか?」

「構わないと私が言っている」

「では、お言葉に甘えましょう」

 ジュリアはそう言って、恐る恐る顔を上げて振り返ったリリアに笑みを見せた。

 そしてその優しげな微笑に、リリアは先ほどまで抱いていた不安をきれいさっぱり忘れさせられてしまったのだった。




「やぁー、ルミネス、久しぶり。元気してた?」

「まぁ、ドリスじゃない。あなたこそ、今までどこにいたの? どうせまた可愛い女の子と遊びほうけてたんでしょ」

「妬いてくれるの? 嬉しいなぁ」

「冗談よして。あなたみたいな男にいちいちヤキモチ焼いてたら、私とっくの昔に憤死してるわ」

「伊達に女殺しの浮名は流してないからねぇ」

「ドリス、私は褒めてないの、貶してるの」

「……」

 サントは先ほどから会う女官会う女官に話しかけている隣の男に、辟易しきっていた。

 分かったのは、自分があらゆる意味で彼の出しにされたということだ。一つは、あの哀れな騎士同様トイレ掃除から開放されるための建前として。そしてもう一つは……。

「……そちらの方は?」

 黒衣でその身を覆いフードを被ってその顔を隠す、一歩下がったところで立ち尽くしている明らかに怪しげな人物にも、当然のように声はかかるわけで。

「ああ、こいつ? こいつはな、つい昨日命知らずにも陛下に一対一の真剣勝負を挑んで、皆が見ている目の前で見事な熱戦を繰り広げた男さ」

「まぁ、貴方が!? 御前試合の望みにあの陛下に剣を抜かせたという!? 今城はその話で持ちきりなのよ! 握手してくださらない?」

 ルミネスは興奮気味に頬を紅潮させサントに近寄った。

 だが、ドリスはそれを遮る。

「おっと、だめだめ。こいつはそういうの苦手なんだ」

 そう言ってルミネスの手を取ると、代わりだとばかりに、いかにも気障ったらしくその甲に唇を落とした。

「もう、ドリスったらっ!!」

 目を怒らしてそう睨めつける女はしかし、決して本気で怒っているわけではないということは、サントにも分かった。そんなサントにルミネスは尋ねる。

「いつもそんな風にお顔を隠していらっしゃるの?」

「……」

「おいおい、謎の黒衣に隠された男の真相を暴こうなんて高くつくぞ? 何たって、陛下の御前でだって決して素顔を明かそうとしなかったんだからな」

「まぁ、ますます気になるわ」

「分かってないなぁ、ルミネス。秘密の果実は秘密のままだからこそ、甘いんだ。いわば君達女性と一緒さ。全て分かってしまったら面白くないだろ?」

「あら、貴方は女を知りつくしている男だと思っていたけど?」

「それは、買いかぶりすぎだな、ルミネス。男にとって女は永遠の謎だよ」

 そう言うと、ドリスはおもむろに彼女に近寄って、ルミネスのひっつめ頭のほつれた髪の毛数本をすくい上げたかと思うと、彼女の耳に掛けなおした。ついでとばかりに、そのこめかみにチュッと音を立てて口付けする。

「まったく、手が早いわね」

 ルミネスはドリスの手を軽く叩き落して、じろっと睨み上げた。

 先ほどから、ドリスはこうしてサントを連れ回してはこのような行動を繰り返していた。

 女性遭遇率がおそろしく高い。宮城内に詳しくないサントには、ドリスが女官の出入りの多い宮殿の禁裏近くに彼を案内していたなど気がつくはずもなかったが。

 ダヤンがついていてくれた時は、彼が興味深げに話しかけてくる騎士団員達をうまくあしらっていてくれたが、ドリスはあしらうどころかサントを客寄せマスコットの如くに扱った。先刻など、本人の前で昨日の御前試合のあらましをそれはもう脚色をつけて大げさに語ってみせたおかげで、サントは彼と一緒に女達に囲まれてしまったのだ。

 彼女達もなんだかんだ言って、ドリスとの会話を楽しんでいて、長いこと引き止められてばかりだった。

「月のない晩になったら夜陰に乗じて君の謎を暴きに行こう。窓の鍵は開け忘れずに」

「まったくその台詞を聞くのは私で一体何人目なのかしらね、このスケコマシ」

 そう軽口を言い合って、ルミネスはサントににこやかに頭を下げると去って行った。

「……いつもこうですか」

「あれ、やっと俺に興味が湧いてきた?」

「……」

 サントはくるりとドリスに背を向けると、無言で元来た道を歩き出す。

「悪かったって、怒ったのか?」

 だが、そう言うドリスの顔は少しも悪いと思っているそれではなかった。

 怒らせようとしているくせによく言う、とサントは思った。どうしても何らかの反応を引き出したいらしい。

「なんだよ、俺はお前のためを思って城の女の子たちを紹介してやろうとだな……」

「……」

「それとも、シャルルに(みさお)を立てるか?」

 その言葉を聞いて、ようやくサントは足を止めた。

「お? 何、ああいうのがタイプ?」

「……分かっていて言ってるのですか?」

「あん?」

「あの(ひと)が好いているのは、貴方だ」

「……」

「引き際を(わきま)えているようですね」

「……またまたぁ、シャルルちゃんが惚れてるのはお前だろ?」

「興味ありません」

「冷たいねぇ。お前も、ジュリアと同類なわけ?」

「……あの金髪の方ですか?」

 回廊の外を見下ろして言ったサントに、「ん?」とドリスが近寄ると、太陽にきらきらと光る金髪がその目に入った。

「げ」

 ドリスは一声そう漏らすと、腰を落として欄干(らんかん)の影に身を潜めた。

「……王も、一緒のようですね」

 その時サントの目に、王と騎士ともう一人、小柄な人影が映った。茶褐色のカールした長髪に、淡いピンク色のドレス。

 見目麗しい少女だった。

 身体に合わせて裁断され縫い合わされた上半と、朝顔の形に広がった下半のフレアスカートからできたワンピースドレス。少女の上半身の線を(あらわ)にするそのデザインが腕や腰の細さを強調し、腰元から広がるフレアスカートは、彼女が一回転でもして見せれば幾重にも折り重なった豪奢な布がまるで花びらが花開くように、鮮やかに広がるだろう。

 上方から見下ろすその横顔は上品で、一見可憐で繊麗(せんれい)とした(たたず)まいの中にも、人を()きつけずにはおかないような華やかさがある。

 思わず目を奪われた。

 それは、彼女のその整った容貌が、生気に満ちた表情でくるくるとその色を変えたからだろう。

 笑った顔。照れた顔。拗ねたような顔。不安そうな顔に、驚いた顔。

 それらは全部、力強い生きた表情だった。

「あの少女は……?」

 無意識に零れ落ちたその一言に、ドリスは背中越しに首を捻って欄干から顔半分を覗かせた。

「ああ、ありゃ、この国の王女様だ」

「おうじょ……」

 そう発したきり、不自然に黙り込んだサントに訝しげな視線をドリスが送ると、サントはじっと楽しげに会話している少女を凝視していた。

「きれいな、方ですね」

「……ああいうのが好みか?」

 意外な気持ちでドリスは訊いた。

「……王は、ああいう顔をするのか……」

「ん?」

 視線を戻せば王は臣下との間に王女を挟みながら、柔らかな眼差しで娘を見下ろしている。王女は二人に挟まれて、楽しそうな笑い声を上げた。

「――本当に、きれいだ」

 笑う少女を見つめながら落とされたその声はひどく掠れていて、そしてひどく真に迫っている気がして、ドリスは軽く息を呑む。

「……見て分かると思うが、お姫様は騎士様にご執心だぜ」

「…知っています」

「知ってる?」

「闘技場で見かけました」

「…二人を?」

 無言で頷く相手に、ドリスは思いを巡らせる。

「……あの時か? 俺が武闘大会の申し込みに行った日?」

「ええ」

「……そんなに気に入ったんなら、陛下に取り入ってもらったらどうだ? 陛下もお前のことを気に入っているようだし……」

 あんまり熱心に見詰めるものだから、ドリスはついついそう漏らした。

「そんなんじゃありません」

「の、割には、さっきから姫様ばっかり見てるぜ」

「違います。ただ……」

「ただ?」

「……あの方と、私は……、」

 無意識にサントはその胸元に手をやった。正確には、その服の下に隠されている物体に。

「?」

「遠すぎる――」

 小さい声でそれだけ言うと、サントは急に体の向きを変えた。

「あ、おい、待てよ!」

 足早に立ち去ろうとする黒い背中にとっさに上げた制止の声は、予想以上に大きく反響したようだ。

「ドリスッ!!」

 気付いたときには遅かった。

 鋭い叱咤の声に体を縛られたドリスが恐る恐ると振り返ると、金髪の青年がこちらを見上げている。

「何故、お前がそこにいる。仕事は終わったのか? それから……、ダヤンはどうした」

 サントの存在を認識したジュリアの目が冷たく(すが)められた。

 背中に湧き上がった汗を感じながらドリスは目を泳がせる。

「あ、ああ、あいつはちょっと急用ができてだな……」

「なるほど、それでお前が代わりに案内役を買って出たわけだ。親切だな」

「そ、そうだろー?」

「珍しいことがあるものだ。ダヤンが私の命に逆らい他事を優先させるとは、よほどのことがあったらしい。――どんな急用だった? ドリス」

「あー……」

 上と下とで、〝蛇に睨まれた蛙〟の蛙と蛇を展開させている二人をよそに、サントは先ほどまで己が見下ろしていた場所に、ゆっくりと視線を戻した。

 まず、最初に国王と目が合った。そのまま視線をずらし、まじまじと自分を見つめ返してくる円らな瞳を捉える。

「……ジュリア様、もしかしてあの方がさっきおっしゃっていた、御前試合の勝者の方?」

 その問いかけに、ジュリアもドリスから視線を移した。その瞳に黒尽くめの人物を捉える。

 サントはゆっくりと、腰を折って丁寧に頭を下げた。

「……ええ、そうです」

「へぇ、すごいわ。お父様と真剣勝負をしたなんて……」

 そう言って、リリアは隣に立つ父を見上げた。

 ユリウスはじっと黒衣の人物を見つめていた。

 真剣な瞳で、他の何物もその目には映っていないかというように、一心に。

 その眼差しをリリアはどこかで見たことがある気がした。なぜか、胸が騒いだ。

「……お父様……?」

「陛下」

 敏感にそれを察したジュリアも呼びかける。

 サントは、下げていた頭を上げると、ゆっくりとその場を立ち去る。なんだかんだでドリスも逃げるようにその後に従い、二人の姿が消えた時、娘と臣が己を呼ぶ声に、ユリウスはやっと我に返った。

「お父様、大丈夫? もしかして昨日の仕合いでどこか悪くしたんじゃ……」

 心配そうに見上げてきた娘の頭に手をやった。

「……なんでもないよ。心配するな」

 そう言って、彼女の頭を優しくなでたが、ジュリアは案じるような視線を主に送り、リリアは無意識にぎゅっと父の服を握り締めたのだった。

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