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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第一章 黒衣の訪問者
19/87

18 王者の剣

 一分が過ぎ、二分が過ぎた。

 双方はもう十分以上見合ったまま動かない。

 長い。

 誰もがそう思っていた中で、ジュリアは一人六年前のことを思い出していた。

 六年前、彼がまだ十代の頃、王と剣をつき合わせて対峙した時もちょうどこんな感じだった。

 この時両者の間に流れる一分一秒は、一時間にも等しい重さを持っている。


 ジュリアはその昔、不敬にも主に勝負を挑んだことがあった。

 理由はサントが答えたものとさして変わらない。

 それなりに剣には自信があった。異例の若さで正騎士に就任したジュリアとドリスの二人は、騎士団の間でもその実力は認められていた。

 若気の至りだ。まさか勝てるなどとは思っていなかったが、その実力を計ることならできるのではないかと思ったのは事実だった。

 マダリア王国最強と(うた)われる王の本気の剣を見てみたい。

 単純明快なそれが動機だった。だが、それさえも思い上がりだったと、ジュリアは思い知らされることになる。


 六年前、王は四十歳。

 一日中帯剣したままその剣を手放すところを見ることはなかったが、抜いたところを見ることもまた、ジュリアはなかった。

 強いだろういうのは分かる。王のかもし出す雰囲気や何気ない立ち居振る舞いで、それは瞭然(りょうぜん)とした事実だった。

 ただ実際剣を扱うところは見たことがない。

 たとえ(いさか)いが起きたところで、剣を抜かずともその一睨みで相手の戦意を喪失させることが彼にはできる。抜かずに事を収められるから一流なのだ。

 そういう意味で王の剣はほとんど伝説と化していた。もともとがサンカレラ騎士団出身で軍部から圧倒的支持を受けて即位した王だ。その当時、アストラリア達が築いてきた千年以上の歴史の中でも、歴代十位には入るだろうと噂されていたその腕を疑う余地はなかった。

 年齢から来る衰えというものも、その年を考えればあるはずだろう。だが、ユリウスはそれを感じさせない。老いではなく、年月を重ねてきた年輪の偉大さを感じさせた。

 積み重ねてきた経験がものを言う強さと知識を備えながらも、王は若かった。

 未熟という意味の若さではない。年を重ね経験を積みながらも尚衰えない、若さである。

 顔に一つしわができるたび、王は溌剌(はつらつ)とした老巧(ろうこう)を発揮するようだった。一緒に話をしてみるだけでそれはよく分かる。

 そんな時ジュリアは主のすごさを実感する。やはりこの人は違う、と。

 〝老〟と〝若〟が同一する矛盾。

 老熟しながら若さを保ちえる強さが、ユリウスを王者たらしめている。

 言ってみれば誰よりも屈強でタフなのだ。王の王たる所以(ゆえん)である。


 そんな主に、燃え上がる若さを武器に勝負を挑んだジュリアはやはり未熟だったのだろう。

 王に剣を抜かせたという事実だけで十分賞賛に値したが、ジュリアは王と見合ったまま結局何もできなかったのだ。

 腕を計るなんてとんでもない。剣術云々(うんぬん)以前の問題である。

 主の出す強大な覇気の前に抗うことができなかった。

 一秒一秒がとてつもなく長く、王は天に(そび)ゆる雲山のごとく高大だった。ジュリアは自分がとても小さな石礫(いしつぶて)か何か、ひどく矮小(わいしょう)な存在のように思えた。

 それでも半刻は睨み合っていただろうか。

 ジュリアにとっては永遠にも等しい時間、ついに耐え切れなくなって先に動いたのはジュリアだ。

 無我夢中だった。

 だが、次の瞬間、気づいた時には自身の手中に剣はなく、目の前には刃の光があった。

 紫電一閃(しでんいっせん)、目にも留まらぬ速さでジュリアの剣を弾き飛ばすと、その勢いに尻もちをついた彼に向けて王は泰然と剣の穂先を向けていた。

 何があったのかも分からぬうちに、一瞬で勝負は決していた。

 ただ、きらりと(ひらめ)く鋭い刃の残像がいつまでもジュリアの頭の中にこびりついていて離れなかった。

 そしてそこからジュリアが学んだのは、「思い上がりもいいとこだった」ということだ。

 同時に王に対する敬慕の念が強くなり、少しでもこの人に近付きたいと思うようになった。

 それが、六年前。


「……動かねぇな」

 ドリスの声に、ジュリアは追憶の淵から我に返った。

 動かない両者を見つめたままドリスは続ける。

「長期戦になるか。お前の時はどのくらいかかったんだ?」

「……訊かなくても想像はつくだろ」

「どういう意味?」

「とぼけるな」

「……」

「俺とお前の実力はほぼ互角。結果は推して知るべし、だ」

 ジュリアの言葉にドリスは面倒くさそうに頭をかいた。

「お前との腐れ縁を切っちまおうかと思う今日この頃だよ」

「安心しろ。昔は私もよくそう思った」

 ドリスは肩を竦ませた。

「陛下から聞いたのか?」

「聞かなくても分かるさ。何年の付き合いだと思っている」

「以心伝心だとでも? ほんと、縁切ろうかな……」

 ドリスは大仰に顔を歪めた。

 それを横目で見ながら、隣の相棒もまた己と同様主に剣を抜かせたはずだと、ジュリアは確信していた。

 彼が主の腕に興味を覚えなかったはずがないのだ。だが、ドリスはそういうある種のひたむきな一面を人に知られることを極端に嫌う。常にお気楽者のお調子者という定位置に安住したがる。が、そればかりが彼の本質ではないことをジュリアは知っていた。

 例えば、ドリスは仕事をサボりながらも毎日の鍛練だけは欠かしたことがない、ということをジュリアは知っていたが、ほとんどの人間はそれを知らなかった。というのも、ドリスは誰にも知られない所で誰にも知られないように一人でこっそりとそれをやるからだ(ジュリアは何度かその場面に出くわしたことがある)。

 以前その訳をジュリアが尋ねた時、彼はそっけなくこう答えた。

『馬鹿だな、ジュリア。努力しない天才のほうが女受けがいいんだよ。普段ちゃらんぽらんだと思ってた奴が、実は強かったていうそのギャップで女心を一気にわしづかみだ。……だからお前もばらすなよ』

 ドリスがちゃらんぽらんな男であるということを、ジュリアは否定しない。

 だが、彼にはあえておちゃらけようとする一面がある、ということもジュリアは知っていた。それは特に女性に対して顕著だ。

 ドリスはゆっくりと息を吐いた。

「……そろそろ限界が来てもおかしくないよな」

 ジュリアに隠しても意味がないと悟ったのだろう、ドリスは言った。

 ジュリアは無言で頷く。

 王と剣を向かい合わせて対峙したことのある者には分かる。

 ただ向かい合っているだけで何もせずとも恐ろしく体力を消耗するのだ。

 自分の呼吸がだんだん荒くなっていくのが分かり、それを王に読まれているのが分かる。

 追い詰められた末そのプレッシャーに耐えられなくなり迂闊(うかつ)に動くと、負ける。

 集中力が切れた時が、敗れる時だった。

 一瞬たりとも気は抜けないし、まして会話をする余裕なんてある訳がない。だから、サントのとった次の行動に二人は驚いた。

 ずっと睨み合ったまま緊張状態が続いてきた状況で、サントがふっと笑ったのだ。


†††


「凄い人だ。あなたは」

 突然発せられたその言葉に周囲から微かにざわめきの声が上がった。

「私の剣は我流です。お見苦しい点もあるかもしれませんが、ご容赦を。そろそろいかせてもらってもよろしいでしょうか」

 真っ直ぐな視線を向けたまま言った。

「私がしたいのは根競べではなく、あなたの剣を見ることですから」

「……面白い。来い」

 王がそう言うと同時にサントは地を蹴り上空へ高く跳躍した。

 空中から両手で素早く剣を振り下ろす。

 全体重をかけた剣撃(けんげき)が王を襲ったが、彼は片手を上げるだけでそれを受け止めた。

 ガキンッ、という鈍い金属音と同時に剣花が散った。

 ぶつかり合った刃と刃が離れると、王は即座に攻撃に転じる。

 鋭いその一閃をサントは首を後方に反らし体を一回転させることで逃れた。大きく跳び退(すさ)って、間合いを取り直す。

 王は最初の立ち位置を動かない。サントの急な動きに動じた様子はなかった。

 サントはひとつ短く息を吸い込むと、助走をつけて、王めがけて疾走した。

 風のように地を駆け、黒い衣がなびいた。

 速い。

 切りかかると思われた時、サントはそのトップスピードのままユリウスの前で急な方向転換を見せた。

 瞬間、王の視界から黒衣が消える。

「!!」

 だが殺気を左に感じたユリウスは即座に反射した。

 剣と剣、刃と刃が音を立ててぶつかり合う。

 刃を挟んで肉薄した状態でサントは言った。

「……言ったはずです。〝本気の剣〟と」

 (みどり)の瞳に強い光が浮かぶ。

「本気を出してくれないと意味がない。でないと……」

 王はその鋭い視線を受け止めた。


「――うっかり、死にますよ」


 瞬間、凄まじい気を放たれ、その言葉を聴くや否や、ユリウスは反射的にサントの体ごと剣を薙ぎ払っていた。

 サントの体は派手に後方に吹っ飛ぶ。

 やった、そう言った誰かの声にドリスは、「ちがう」と答えた。ジュリアが続けた。「衝撃を殺すために自分から後ろに飛んだな」

 見れば、サントは背中から倒れることなく、自分の足でしっかりと着地した。

 無言の瞳が王を見据えて、剣を構える。

 相手は本気らしい。

 それを悟って王はその美しい碧玉(へきぎょく)の隻眼に答えた。

「……よかろう」

 それに、瞳をきらりと輝かせ、サントは頭を低くして一瞬で距離を詰めると、王の胴を払った。

 それをユリウスは剣で受け、二人は切り結ぶ。

 サントの攻撃に、王はほとんどミリ単位の無駄のない動きでよける。

 激しい攻防に王の臣達は息を呑んだ。ぎゅっと硬く拳を握ったのはジュリアだった。

 強い。

 ユリウスの剣には一分の無駄も隙もなかった。まさに王者の剣だ。その確かさに不安を感じることはなかったが、対するサントもやはり只者ではなかった。瞬きする暇はない。

「……すげぇな。あのおっさん、四十六だなんて嘘なんじゃねぇか? 化け物だ」

 ドリスのその暴言にしかし、今は突っ込む余裕さえない。

(だが、相手も強い)

 王の信じられないような剣速と、不意を狙った剣筋の軌道でさえ、その片目で捉えている。視力がいいだけであの攻撃をよけられるとは思えない。見えていても体が反応しなくては意味がないのだ。動体視力だけでなく、反射神経もずば抜けているのだろう。

 だがやはり、剣では遠く王には及ばない。

 確かにサントの剣は、本人が我流と言ったとおり、異色の剣だ。正規の訓練を受けたことがないからだろう、剣筋が荒く無駄な動きも多い。王の洗練された剣捌きと比べると余計に荒さが目立った。剣の未熟を運動量で補っている戦い方だ。

 大抵の人間ならその動きに翻弄されるところなのだろうが、サントの型破りで不規則なその剣筋を王は完璧に読んでいた。

 戦いの運び方が絶妙なのだ。サントの攻撃は王によってコントロールされている。容易に次の攻撃が予測できる、そういう戦い方をしていた。

 経験差がものをいったのだろう。老いを知らぬとはいえ、体力を消耗しないに越したことはない。サントを動かせ、自分は必要最低限の動きでそれに対応する。そういう戦い方を展開させていた王はサントよりもずっと老獪(ろうかい)だった。

 剣捌きだけでなく、体捌き、間合いの取り方、呼吸の仕方、反応反射、瞬時の判断能力、柔軟性、スピード、体力、精神力、そして戦いの主導権の握り方、どこをとっても欠点が見当たらない。全てにおいて凌駕(りょうが)していた。サントのそのスピードと運動能力にも劣ってはいない。


 ジュリアは震えた。

 腕には鳥肌が立つ。

 背筋が粟立ち、自分の内側で熱を持った何かが膨れ上がるのを感じた。


 ――(おそ)れか喜びか


 桁が違う。

 常軌を逸している。

 何年経っても追いつけそうにない。


(この人は……っ!!)


 だが、その時ジュリアは確かに笑っていた。それこそ、先ほどのバルトークと同じ笑みで。

 その気持ちをドリスが代弁する。

「……くそっ、もう一回あの人と剣を交えたい……」

 相棒のその言葉に、ジュリアもまた我知らず拳を握り締めた。




 二人の戦いはまさに壮絶だった。

 最初はその戦いぶりに賞嘆(しょうたん)や称賛の歓声を上げていた観衆だったが、いつしか彼らは皆息を潜めて無言でその勝負の行方を見つめていた。

 それは異様な光景だった。

 すさまじい熱気が立ち込めた空間なのに、驚くほど静かなのだ。

 それはその静寂が、熱中した観衆たちが一様に口をつぐむことによって作られたものだったからだろう。あるいは二人の気迫に息を呑み込んでいたのかもしれない。

 彼らは皆、全神経を集中させて二人の動きを注視していた。観衆の中で拳を握り締めていない者を見つけるほうが難しかった。

 作られた静寂の中に、二人が交える刃の音だけが鳴り響いている。二人が、突き、あるいはそれをよける度に飛び散る玉の汗が、窓から射し込んでくる西日に反射して光った。

 鬼気迫るというのはこういうことを言うのかもしれない。

 二人の間にある、生死をかけて戦っているような闘気が、二人の本気を如実に表していた。生じる熱気が目に見えるほどに。

 

 戦況は国王有利だった。

 それでもサントは彼の攻撃をどうにか防ぎきっている。先程までは隙を()いて攻めの手を何とか繰り出していたのが、それも見えなくなって久しい。序盤(じょばん)は身体能力を駆使しての奇襲攻撃を繰り返していたサントだったが、今となってはそれも完全に停止している。

 国王の猛攻にそれどころではないのだ。いつの間にか攻守が切り変わっていた。

 強引に剣の勝負に持っていかれて、サントは鋭い攻撃を防ぐのに手いっぱいだ。そして、純粋な剣の勝負ではどうしたってサントの方が、分が悪かった。

 繰り出せる剣数が王のほうが圧倒的に上で、その上それはサントのものよりずっと酷烈(こくれつ)だった。ピンポイントで的確に急所を突いてくる。一切の無駄が殺がれた剣だ。しかも、その剣はサントのそれよりずっと重い。体格差がある分、パワーで押される。そしてそれは確実にサントの体力を奪っていった。何とか防ぎきっているサントを褒めるべきだろう。

 恐るべきはその人並外れた運動能力。

 そしてそれをも凌駕しようとしている王の剣技。

 生まれ持った能力と築き上げられた技術の戦いを見ているようだった。

 だが、国王の身体能力も大きく並みから外れる。剣を繰り出す王も、それをすれすれでかわしては受け止めているサントも、尋常のスピードではない。

 片時たりとも目が離せない。

 だから観戦者達はこの戦いがとてもレベルの高いものだということを承知していた。


†††


 王の攻撃が厳しいものになってきた。

 サントはもう完全にそれを防ぐことだけに終始(しゅうし)している。

 熾烈(しれつ)を極める猛攻に辟易(へきえき)したサントは、一旦距離をとって態勢を立て直すために大きく後方に跳び退った。

 だが、ユリウスはそれを許さない。

 そう動くことを最初から知っていたかのように、間髪いれず一緒に大きく踏み込んでサントを追い詰める。

 直感がその時を告げた。


 ――天を相手に……


 必殺の一撃が体勢を崩したサントに振り下ろされようとしていた。

 ぴったりとくっついてきたその影に不意を衝かれたのかサントは動かない。

 己の瞳を映すほどに磨き上げられた刃の光が、凄まじい勢いで眼前に迫ってくる。

 間に合わない。

 やられる。

 多くの者がそう思った。

 だが、


(――!?)


 王は眼を見開き、次に歯を食いしばった。

 ビリリッと腕に走った負荷に、眉間にしわを刻んだ。


老巧【ろうこう】…長く経験を積んで物事に巧みなこと。

矮小【わいしょう】…いかにも規模の小さいさま。

半刻【はんこく】…約十五分。

紫電一閃【しでんいっせん】…とぎすました刀を一ふり振る時にひらめく鋭い光。

老獪【ろうかい】…長い間世俗の経験を積んで狡猾(わるがしこい)こと。

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