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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第一章 黒衣の訪問者
17/87

16 腕試し

 ユリウスは黒衣に身を包んだ挑戦者を見据えていた。

 いつかの予告どおり再び姿を現した。

 王自身の目で自分を見て判断してくれと、あの夜突然の訪問者はそう言った。


「これから第二試合目を始める。あー、一試合目では多少ハプニングがあったが、ここは陛下の御前。選ばれてこの場に立つ栄誉に(あずか)った者は、観戦に足る恥ずかしくない戦いを演ずるよう」

「あてこすりか?」

 壁際でドリスがそう独りごちると、ジュリアはじろりと彼を睨んだ。


「では、ザナス将軍」

 審判に呼ばれて出てきたのは見るからに屈強な大男だった。

 赤銅(しゃくどう)色の(いわお)のような肌を持つ巨漢で、山のような大きさだ。

 この国の男達は皆背が高い、と学習していたサントも少しばかり瞠目した。〝大男におまかせ〟店主よりも更に一回りは大きい。見下ろされているサントはまるで幼い子供のようだった。

 一方バルトーク=ザナス将軍は顔色の(うかが)えない相手の姿に眉をひそめる。

「……お前が相手か。陛下の手前負ける訳にはいかん。手加減はせんぞ」

 幾分(なま)りのある太い声がそう言った。

「ドウモ」

 そっけない返答にバルトークは訝しげに眉をひそめた。

「お前の得物(えもの)はどこじゃ? まさか素手じゃあるまいな」

 サントは無言で(ふところ)から柄と鞘の細工が鮮やかな短刀を取り出した。バルトークは目を丸くする。

「それで(わし)に勝つつもりか?」

「はい」

「……面白い。儂が勝ったらその顔を拝ませてもらおう」

 バルトークは不敵に笑って彼の身の丈にあった大剣を身構えた。

 彼仕様のその大剣は今まで見たことのないほどの大きさだった。それを彼は片手で構えている。

 審判は声高に告げる。

「では両者前へ。始めっ!」


「始まったな。どう出る」

 ジュリアとドリスは二人並んで試合観戦と決め込んだ。


 先に動いたのは、体の大きいバルトークのほうだった。

 豪快そのものの動きで大剣を払う。だが、モーションが大きすぎだ。

 サントはそれを身を(かが)めて逃れた。

 大剣の追撃をかわし、黒蝶のようにひらひらと衣をひらめかせる。見ている者達は(ひるがえ)る黒衣に翻弄されている気分だ。これでは赤幕めがけて突っ込む闘牛とそれを操る闘牛士の戦いのようだった。黒衣の闘牛士は優雅に逃げ回りながら決して捕まらない。

「……なるほど」

 バルトークは低く呟いた。


「自分からは攻めないつもりか? ザナス将軍相手にあれでは勝てないぞ」

 端で見ていたジュリアの言葉にドリスも相槌を打つ。

「まぁ、まだ二人とも様子見してる段階だろ。そろそろとっつぁんは本気で来るぜ」

 無言で試合の流れを見ていた王の眉間がぴくりと反応した。


「!!」

 大剣がうなりを上げて空を切る。

 その音を聞いて周囲はごくりとつばを呑み込んだ。

 先ほどまでとは明らかに違う、空気を切り裂く凄まじい音が激しく鼓膜を揺さぶった。

 驚きながらも、サントは後退することでそれを避けたが、バルトークはさらに踏み込む。

 勢いを殺して全くの逆方向に(はがね)(かたまり)を切り返した。

「!?」


 ――速いっ!!


 サントは急激な加速を見せたバルトーク動きに瞠目した。

 その巨体からは想像のできない身のこなしだ。

 一振り一振りが速く、そして重い。遠心力に振り回されることなく、巨大な剣を見事に自分の力で(さば)ききっている。

 サントは厄介だな、と独りごちた。

 今までの相手に比べると巨漢のバルトークの間合いは恐ろしく長い。腕の長さに加えその大剣の長さがその間合いを作っていた。サントの武器はそのスピードでもって相手を翻弄させて隙を突くというところにあるのだが、バルトークの予想以上の速さのために迂闊(うかつ)にもぐりこむことができない。短刀に対する長剣のリーチ差も、相手を上回るスピードでゼロにしてきたのだ。この戦法は敵が鈍重であればあるほど容易だが、機敏を誇る相手には不適である。バルトークのこの間合いの長さと俊敏さは、サントにとってほとんど反則の代物だった。

「どうした? 逃げてばかりじゃ儂には勝てんぞ」

 そう言うとバルトークは、刃を下から上へと跳ね上げた。

 予期せぬ下方からの攻撃にサントは一瞬反応が遅れた。

 死角からの一瞬の掩撃(えんげき)に、すんでのところで身を後ろに反らせたが、その剣速にサントの身を包んでいる黒衣までは逃れられなかった。

 ビッと音を立てて(かぶ)っていたフードの端が切り裂かれたかと思うと、剣の風速でそのまま頭の後ろへ落ちてしまう。

 あっ!と思ったのは一人や二人ではなかった。

 ドリスなどは身を乗り出す。

 この時その場にいるほとんどの者達がサントのフードの下に隠された容貌に注目した。はらりと外套(がいとう)のフードが背中に落ちて、(あらわ)になったその下の顔を真っ向から見たバルトークは目を見開く。

「……こりゃあ、周到じゃな」

 頭部は念入りに布で覆われていて、髪の毛は見えない。左の耳の横に一房だけ結われてはみ出した長い黒髪の他は、一本たりとも見えなかった。顔の半分以上をご丁寧に覆面で隠し、極めつけに左眼を眼帯でふさいでいた。顔のほとんどの部分は意図的に秘され、(のぞ)くのは明るい右眼だけだ。

 その異形に周囲の者達はざわめいた。


「……そんなに自分の顔が嫌いなのか」

 ドリスは呟く。あれではその顔貌などほとんど分からない。

「だが、綺麗な色だ……」

 ジュリアはそう言った。

 青みがかった緑の、一言では言い表しにくい、玉のように美しい眼だった。

「別に醜男(ぶおとこ)って訳でもなさそうだよな……。まったく。けちけちすんなよなぁ」


 当のサントは別段焦る様子もなく、その輝く右目を前方に据えて言った。

「さすがはマダリアの誇る王騎士。簡単には勝たせてもらえそうにありませんね」

「それはこっちの台詞じゃ。左目まで封じたそんな視界の悪い条件で、さっきの一撃をかわしたのか」

「俺は生来視力がいいんです。見えすぎるくらいに……」

 そう言うとサントはここで初めて鞘から刃を抜いて短刀を構えた。

 右手で柄を持ち、左手をその刃に添える。

 長さおよそ三十センチ弱の直刀を下にして胸の前に真っ直ぐに据えた。攻撃というよりは防御の(てい)である。

「その短刀でどうするつもりだ?」

「それは試してみては?」

 その挑発にバルトークは進んで乗った。大きく踏み込んだかと思うと高速の突きを見せる。

 大剣が薄く光る刃めがけて一直線に伸びた。

 どうよける、という周囲の予測に反してサントはそれを胸の前に(かざ)した短刀で受け止めようとした。

 バルトークのそれに比べればあまりに細いその刃で、そんなことを実行させるなど愚行以外の何ものでもない。バルトークの渾身の突きの威力をその細い短刀で受け止めきれるはずがなかった。歴然とした体重差がある。刃が折れてその身にまで届くか、体ごと後ろに吹っ飛ばされるかだ。

 自殺行為だ、誰もがそう思った。

 だから、目の前の光景をその視覚が感知したままに信じることができる者はいなかった。

 ガキッと鈍い音がしたかと思うと、辺りは静まる。

 サントは後方に飛ばされることなく、静止していた。

 バルトークの刃がサントを貫いているのでも、ない。

 皆が瞠目し、あるいは目をこすった。一番驚いて我が目を疑ったのは、バルトーク本人だっただろう。 

 サントはその小さな刃でバルトークのそれを文字通り受け止めたのだ。

「何っ!?」

 驚きのあまり呆然とするバルトークのその隙をサントは逃さなかった。身軽く跳躍したかと思うと、突き出されている大剣の上に飛び乗った。

 この行動を目で見たそのままに頭で認識できる者も稀少(きしょう)だっただろう。

 というより、視認するにはサントの動きは速すぎたし、頭で納得するには突飛過ぎた。

 ただ一人、王だけが動じることもせずに、じっと視線を注いで静観を続けている。

 サントは己に向かって突き出された大剣の上を、その主目指して駆けた。その間、バルトークはあまりの速さとその予想を超えた行動とに、全く反応できなった。自身の持つ剣の上に乗っているはずのサントの重ささえ感じない。

 それほど、間隙(かんげき)をついた一瞬のことだったのだ。気がついたときには黒衣の外套の隙間から飛び出した相手の膝が目の前にあった。それをサントの繰り出した膝だと認識することもバルトークにはできなかったのだが。

「!?」

 どかっ、とバルトークの顔面にサントの膝が命中した。

「ぐっ!!」

 当事者のバルトークには何が起きたのかは全く分からなかった。

 横で観戦していた者達でさえ、何が起きたのかを正確に理解できた者はほとんどいなかったのだから、無理はない。

 だが、彼の賞賛すべき点は完璧な奇襲を受けて尚、倒れなかっとところだ。鼻の穴から出血しながら、――彼は何で鼻の辺りに熱を感じるのか分からなかったのだが――、それを疑問に思う前に、すぐに戦闘態勢に戻った。背後に感じた気配に対して振り向きざまに、ブンッと風をうならせて大剣を薙ぎ払う。その反射は常人に真似できるものではない。胴体をしとめるその一撃にサントは体ごと吹っ飛ばされるはずだった。

 だが、その必至の一撃もむなしく空を切る。払った剣の先には既に黒衣の影はない。

 バルトークは姿の認められない相手に苛立った。

「っつ、何処じゃ!」

「ここです」

 上から声が降ってきたと思ったら、バルトークの目の高さで黒衣の裾が揺らめいている。

「!!」

 今度こそバルトークは何が起きているのかをその目に捉えた。

 捉えたがいいは、理解するまでに時間がかかる。


 剣の上で、人が一人、静止している。


 これは幻覚か、と彼が己の目を疑ったのも仕方がない。

 その光景を目の当たりにしていても、にわかには信じがたい映像だ。今起こっていることが心底信じられないというように唖然とする。

 それもその筈、彼は自身の持つ剣の上に載る人一人分の重量を感知できなかったからだ。重い、と感じるほどの量感を彼は自覚できなかった。彼の腕力値が大きすぎるのか、目の前の人間が軽すぎるのかは、分からない。

 サントは刃の上で跳躍した。

 剣先に軽い反動を感じたときには目の前の人間は消えている。

 トンと肩の上に付加が加わり、首筋にヒヤリとした冷たい感触を得て、バルトークは我に返った。

「終わりです」

 頭上から落ちてきた声には、感情の起伏が感じられなかった。

 細い光を放つ短刀が、彼の太い首の頸動脈(けいどうみゃく)をしっかりと(とら)えている。バルトークの巌のような肩の上に足を着け、サントは身を屈めながらその刃を彼の首元へと突きつけていた。

 辺りはシーンと静まりかえった。


「……とんでもねぇな」

「ああ……」

 ドリスの言葉にジュリアが相槌を打った。

「……いっ、いったい何が起こったんでしょう?」

 二人の横にいる校尉士は唖然としてそう尋ねる。

「何って、見たまんまのことが起こったのさ。それ以上でもそれ以下でもねぇ」

「どう見えた?」

 ジュリアの言葉にドリスは答える。

「俺の目がおかしくなったんじゃないのなら、とっつぁんの剣上に飛び乗った奴が、そのままいかつい顔面までまっしぐら、膝蹴りかましたように見えたけど?」

「……だよな」

「ありゃ、もう曲芸だよ。どんなタネがあんのかは知らんが、俺には真似できねぇ」

「いくらザナス将軍の剣が他よりずっと頑丈で、将軍自身の腕力もあるとはいえ、剣の上に人が乗るなど……人間業とは思えないな」

「まぁ、身軽な野郎だとは思ってはいたが……。なんか騙されたような気分だな」

「勝ちは勝ちだ。彼はザナス将軍をしのいだ。あの短刀で将軍の突きを受け止め切るなんて、あれは曲芸なんてレベルじゃない、神業だ」

「……まあな」


 そんな二人の会話はさておき、その場はまだ茫然自失状態から脱してはいなかった。

「審判」

 そう声をかけたのはバルトークだ。

「どうやらわしの負けのようじゃ。早く結果を言ってくれんか? こっちは首筋に刃物当てられたまんまで生きた心地がしない」

 身動きせずに言った。

「あっ、ええっと、しょ、勝者、挑戦者!!」

 その審判の声に、歓声ではなくどよめきが広がる。

 サントはようやく刀をバルトークの首筋から離すと、トンと肩の上から飛び降りた。

 バルトークはこわばった体の緊張を解くかのようにゆっくりと深呼吸した。

「……ふう。負けちまった。こんな気分は久しぶりじゃ」

 大きい肩を落としたかと思うと、赤銅の肌に白い歯を見せてバルトークは笑った。

「お前、強いのぉ。儂は面目丸つぶれじゃが、お前は陛下からお言葉がもらえるぞ。おめでとう」

 少しの皮肉も感じられない声で続ける。

「お前さんなら、すぐにでも正騎士になれる。できればジュリアではなく、儂の下に来てほしいな。うん? 儂に勝ったんだから、儂がお前の下か?」

 首をひねった後、豪快に笑い出したバルトークに、サントは戸惑いながらも一礼を返した。

 度量のでかい男だと思った。やはり王は良い臣を持っている。

掩撃【えんげき】…敵を不意に攻撃すること。不意打ち。

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